一抹の不安


 記憶を失いながらも目覚めたアルトリアは、衰える様子の無い自身の能力ちからを披露する。

 それは現在の人間大陸で知られる魔法とは異なる力であり、初めて見せられたダニアスを困惑させた。


 現在の人間大陸で主流となっている魔法は、『青』の七大聖人セブンスワンガンダルフが広めた方法もの


 魔法師と呼ばれる者達が大気中に含まれる魔力マナを呼吸と共に体内に取り込み、血液の循環を通すように肉体に魔力を巡らせる。

 そして己の肉体に適した属性に取り込んだ魔力を染め上げ、構築式を用いて『魔法』という現象を生み出す。

 その現象に法則性を生じさせる為には魔石や杖を始めとした構築式を刻んでいる触媒が必要であり、魔法を使える者達はある水準まで魔法に関する知識を学ぶ必要があった。


 それ等が無ければ魔法を行使する事は出来ず、また意図的に人間の肉体には負荷の大きい『魔力』を体内に巡らせてしまう。

 故に『魔法』と呼ばれる力は、利便性に伴い反動リスクが存在することが一般的な常識となっていた。


 しかし、生まれた頃からそうした法則と無縁な者が存在する。

 それがアルトリアとして生まれた少女であり、彼女は現代の『魔法』とは異なる法則性を用いてその力を行使できていた。


 そうした能力ちからを持っている事を隠そうとしないアルトリアは、次の日にダニアス達が用意した動き易い衣服を身に付ける。

 一年間を寝台の上で過ごし続けた為に衰えた肉体を外で動かしたいという訴えを認める形で、ダニアスはアルトリアを屋敷周辺の農園を歩かせる事にした。


 それにダニアスも同行し、更に複数の護衛として屋敷の侍女や執事達も同行する。

 その中には老執事であるバリスも含まれており、十人程に囲まれた状態で農園を散歩するアルトリアは微妙な面持ちを見せていた。


「――……ちょっと。こんなに護衛って必要なの?」


「護衛の意味もありますが、目覚めたばかりで体調を崩していた貴方を案じての人員だと御考えください」


「そう。でも、監視されてるみたいで落ち着かないわね」


 一定の距離を保たれながらも多くの人間に囲まれて歩く状態に、アルトリアは不機嫌な表情を見せる。

 それを宥めながら隣を歩くダニアスは、農園で育てられている青葡萄マスカットを栽培している方向を見ながら尋ねた。


「あそこで栽培されている果実が何かは、御存知ですか?」


「……青葡萄マスカットでしょ? でも、まだ旬では無いみたいね」


「ですね、あと三ヶ月程が収穫には良い時期です。……どうやら忘れておられるのは、人や国に関する事だけなのでしょうか?」


「そうかもしれないわね。まぁ、私にはどうでもいいけど」


「えっ。……その、自分の記憶を取り戻したいとは考えないのですか?」


「考えないわね。それとも、貴方が私の記憶を取り戻せる手段を知ってるの?」


「い、いえ……。ただ、記憶を失うという症状にも幾つか事例があります。そうした状態の人々は、何かをきっかけに思い出す事もあるそうなので」


「へぇ。でも、そういうのは面倒臭いわね。止めておくわ」


「!」


「何かやれば思い出すかもしれないし、何をやっても思い出せないかもしれない。そんな一か八かの状態に振り回されるより、自分がやりたい事をやる方が気が楽だもの」


「……なるほど」


 アルトリアが自身の記憶を取り戻す意思が無く、またそうした方法を模索しようとする意志が無い事を示す。

 それを聞いていたダニアスは、以前の少女アリアと現在の少女アルトリアに大きな違いがある事を悟った。


 前向きな面持ちは、確かに今も昔も変わらないのかもしれない。

 しかし物事への向き合い方や捉え方を比較すると、現在のアルトリアは向上する意思が無いように見える。


 しかしそれは記憶を失い混乱が拭いきれず、目覚めたばかりで考えられないだけなのかもしれない。

 自身の違和感をそうした理由で納得させたダニアスは、そのままアルトリアの後ろに付いて行った。


 それから二人は護衛等と共に農園を歩き、様々な果実や野菜が育てられている場所を眺める。

 そこを眺めて疲れた様子で野原の上に座るアルトリアは、その先にある小さな湖を眺めながら、隣に控えるダニアスに話し掛けた。


「――……静かな場所ね。ここって」


「この領地は都市部に比べて人こそ少ないですが、広く豊かな土地に恵まれていますので」


「そう。……なんだか、こういう場所って良いわ」


「そうですか?」


「私、こういう静かな場所が好きみたい。屋敷の中は豪華だったけど、厳かな感じがして落ち着かなかったし」


「確かに、そうした事を嫌う方もいますね」


「前の私は、そうじゃなかったの?」


「……以前の貴方に関して、私はあまり知ることは多くないのです」


「えっ。だって、私と貴方って親戚なんでしょ? そういうの、話したりしなかったの?」


「はい。生まれた国は違いますし、それこそまともに顔を合わせたのは二年前が初めてで、それまで話す機会もありませんでした」


「へぇ……。……じゃあ、今の私と昔の私を比べられる人って、この国にはあまり居ないのね」


「そうですね。……あっ、いえ。一人……いや、二人は居るかもしれませんが」


「二人?」


「先日、御話した者達です。貴方の故郷から訪れている……」


「ああ、なんとか帝国の皇子だっけ? 婚約者を治して欲しいって言ってる。そういえば、私が言った事は伝えた?」


「はい。ですが、どうしても貴方に帝国に戻り治療をして欲しいと仰っています」


「何それ? 面倒臭いわね。何でよ?」


「その婚約者という女性が、身体が弱く足と目が不自由な方のようで。この皇国まで赴き治療を受けるのは困難なので、貴方に帝国へ戻って治療して欲しいそうです」


「……ふーん」


「実は貴方に直接、そうした交渉をしたいと向こうが申し出ています。こちらでそれを拒否させて頂いていますが――……」


「別に、交渉くらいなら良いわよ?」


「……えっ」


 ダニアスは思いもしない言葉を聞き、思いがけない驚きを見せる。

 その原因であるアルトリアは飄々とした面持ちを見せ、腰を上げながら伝えた。


「今日は疲れちゃったけど、明日くらいにはその皇子に会ってあげる」


「よろしいのですか?」


「別に良いけど。なに? その皇子って、何か問題がある奴なの?」


「彼個人の性格に、それほど問題は……。……ただ皇子と貴方は、色々と複雑な関係だったようなので」


「複雑?」


「実は、その方は貴方の従兄弟であり、婚約関係にあった男性です」


「!」


「ただ色々と向こうの不手際が起き以前の貴方を怒らせてしまった為に、それが原因で帝国を発った貴方とは婚約関係が解かれています。……そうした事情もあったようなので、彼と会ってしまうと貴方が御不快な思いをするのではないかと……」


「なるほどね。元婚約者の私に、今の婚約者の治療をしろと。その皇子は要求してるワケ?」


「ええ」


 ダニアスから事情を聞いたアルトリアは、溜息を吐き出しながら思考する様子を見せる。

 それを静かに待つダニアスは、三十秒後にそれについての答えを再び尋ねた。


「どうなさいますか? やはり、私から断りを続けましょうか」


「……その皇子ってのは、諦めずに居座ってるんでしょ?」


「そうですね。彼は少し離れた街に泊まり、毎日こちらの屋敷に頼みに訪れています」


「……そういう奴に付き纏われるのも嫌だし。断るにしろ受けるにしろ、私が交渉を受けるしか無いんじゃない?」


「確かに。貴方の代わりに私が断り続けたとしても、彼は納得してくれませんからね」


「そういう手合いなら、私がズバッと言って諦めさせるわよ。それで終わるでしょ」


「目覚めたばかりで、大丈夫ですか?」


「良いわよ、別に。それに私を匿ってくれてる貴方にそんな事で迷惑を掛け続けるのも、気分は良くないもの。明日、その皇子が来たら会うわ」


「……分かりました」


 アルトリアはそう述べ、自分の能力ちからを求めて訪れる帝国皇子に会う事を承諾する。

 それに頷きながら応じるダニアスは一抹の不安を抱きながら、ある一つの懸念を拭いきれなかった。


 現在『赤』の七大聖人セブンスワンとしてルクソード皇国に所属するに至った、ケイルの伝えた未来の出来事。

 記憶の無いアルトリアが故郷であるガルミッシュ帝国に戻る事で起きる事態を、ダニアスは懸念し続けていた。

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