稲の強さ


 フォウル国に赴いたマギルスとエリクが、それぞれ必要な修練に身を置いている頃。

 アズマ国に訪れ『茶』の七大聖人セブンスワンナニガシの従者となったケイルは、その技術わざを学ぶ為にその身を傍に置いていた。


 ナニガシの日課は、日が明けた朝時から始まる。


 京の都に住む人々が起きて食事を終えた頃合いに、ナニガシは遅い起床から身嗜みを整え始めていた。

 既に起床し隣室に控えているケイルは普段とは違う茶色の着物を纏い、襖越しにナニガシの声を聞く。


「――……腹が減った。朝飯は?」


「既に御用意しております」


「ならば、ここまで」


「はい」


 ナニガシはそう述べる事を予め考え、起きる頃合いを見計らい既に食事が載ったぜんを後宮内の台所で受け取っていたケイルは、丁寧な動作で襖を開ける。

 部屋の中にそれを置くと、着替え終えたナニガシは緩やかに腰を下ろして膳の前に座り、右手を顔の前まで上げて祈るような所作で瞼を閉じた。


 それから数秒後、ナニガシは目を開けてはしを右手で握り食事を始める。


 ナニガシが常に摂る食事は、控えめに言っても質素な内容。

 茶碗に盛られた白米と、小魚を二匹だけ焼き置かれた皿、そして野菜が僅かに含まれた吸い物に、緑茶が含まれる急須と湯飲みが用意されるだけ。

 食事は日に二度だけだったが、一日に三瓶程の清酒を嗜んでいる。


 酒の事を除けば、後宮内で暮らし働く他の者達よりも質素な食事内容でありながら、ナニガシは特に文句や不満などを見せる様子は無い。

 恐らくは老齢な見た目をしたナニガシに配慮してある食事内容であり、本人もそれを納得しているようだった。


 それから朝食を終え膳をケイルに下げさせたナニガシは、いつものように縁側に座り庭を眺める。

 時期は既に肌寒い頃合いだったが、特に寒そうな様子も無いナニガシは朝から昼頃まで何もする様子は無かった。


 それを傍に控え見続けるケイルは、僅かに鼻で小さな溜息を漏らす。


「――……ッ」


「……退屈か?」


「!」


 呼吸と変わらないケイルの小さな溜息に気付いたのか、ナニガシは振り向かないまま声だけを向ける。

 それに僅かな驚きを浮かべるケイルを察しているように、ナニガシは笑いを含んだ声を向けた。


「カッカッカッ。図星か」


「……申し訳ありません」


「構わん。血気の有る若者にとっては、儂の生活は退屈な時間じゃろう」


「……御聞きしても、宜しいですか?」


「構わんぞ」


「私が付き従うようになってから、一週間が経ちました。……その間に、貴方はこの後宮内の屋敷から一歩も出ていない」


「そうだな」


「何か、御役目などを行う予定は無いのですか?」


「儂の役目か。……国の治安は、四つの流派が指揮しきっておるしのぉ。害を成す化物けもの妖怪あやかしたぐいも、流派それらの者達で対処しとる。戦力として儂が赴く程の変事も、ここ数十年と無かった」


「……以前に仰っていた、指南役というのは?」


「アレは、春頃から夏頃までの行事よな。儂が各流派の道場に赴き、師範から門下生達まで指導をする。それまでは、基本的に暇だ」


 そう述べるナニガシに、ケイルは不可解な表情を浮かべながら眉を顰める。

 そして疑問に思った部分として、ケイルは直接的な質問に出た。


「……あの、御自身の鍛錬や修練は?」


「やる必要があるのか?」


「えっ!?」 


「儂は若い頃に、死線しせんもぐる程の鍛錬を行い続けた。それで十分じゃろ」


「……しかし、鍛錬を欠けば身体が衰えてしまうのでは?」


「儂のよわいで身体が衰えるなど、普通であろう?」


「……!」


「儂は若い頃に、無茶も程々にこなした。今の緩やかな日々が、儂の養生となっておるのだ。それに鍛錬なんぞ加えれば、疲れて寿命が削れてしまうわい」


「……」


 ナニガシの言う事は最もであると納得してしまったケイルは、僅かな焦りを表情に浮かべる。

 怠惰な様子で過ごすナニガシの日常で見て、ケイルが望むものを本当に得られるのかという疑問がどうしても脳裏に浮かんでしまうのだ。


 こうしている間にも時間が流れ、期限日タイムリミットが近付いてしまう。

 何も得られぬまま時だけが流れてしまえば、自分がここに訪れた意味さえも失ってしまう気の焦りが日に日に高まっていた。


 そんなケイルの焦りを察しているのか、ナニガシは軽く溜息を漏らす。


「焦る程に、お主は力を望む理由があるのか?」


「……はい」


「ならば、儂から離れても構わんのだぞ?」


「!」


「儂から学ぶべき所を見定められぬのであれば、それも一つの手。……『赤』ならば、『赤』の技法で力を得る方法こともあろう。そちらを学べば良い」


「……」


「それとも、儂から学ぶべき理由があるのか?」


 ナニガシが尋ねる言葉に、ケイルは十数秒程の沈黙を宿す。

 そして思考した結果を、ケイルは自身の言葉として口にした。


「……アタシは幼い頃、師匠に拾われこの国に訪れました。……そして師匠と頭領の下で鍛錬を行い、わざを学んだ」


「それで?」


「確かに、派手で強力な魔法や武器は、強さを得られる最短の道です。……でもアタシは、師匠達から学んだ『人』のわざこそ、確かに得られる強さであると考えています」


「ほぉ、確かな強さか?」


「はい。……強力な魔法も、結局は使える状況下でなければ意味を成さない。強い武器も同様に、手放したり壊れてしまえばただの瓦落多がらくたです」


「ふむ」


「己以外の何かを頼るしかない儚き力は望みません。……だから、師匠達や貴方のように己自身を誇れる強さを持つ者達の技こそ学びたい。その為に、アタシはここにいます」


 ケイルはそう述べ、疑いを含んだ表情と思考を見せずに真っ直ぐな視線をナニガシに向ける。

 それに背中で感じ取っているのか、ナニガシは口元を微笑ませながら呟いた。


「なるほど。武玄やつが儂に頭を下げてまで、託すわけか」


「……」


軽流けいる。儂が一つ、助言をしておこう」


「助言……。御聞きします」


おのが身に流れるものに、逆うな」


「……え?」


「今のお主は、風に吹かれ身を揺らす稲のようなものだ。……稲は風に強く打たれれば、その身を傾け実ったものを落としてしまう。そうなれば、育った実りと時間を無駄にする」


「……」


「しかし、時に丈夫な稲ほど風に受け傾けた『芯』を残し戻すと、風味が強い実りを宿す。……今のお主が儂から得られる学びは、そういう類のものだ」


「……芯を残し、逆らわずに実りを宿す……」


 ナニガシの助言を聞いたケイルは、その言葉を必死に自分の思考に落とし込む。

 そしてその意味を理解するより早く、ナニガシは次の言葉を飛ばしていた。


「酒が飲みとうなってきた」


「……え?」


「酒だ。酒を持って来い」


「あっ、はい」


 ケイルは酒を求めるナニガシの言葉に応じ、その場から立ち上がり酒瓶の置いてある台所まで貰いに行く。 

 それを振り向かずに送り出すナニガシは、紅葉を眺めながら右手で胸を掻いた。


 こうして『茶』のナニガシの下で学ぶケイルは、己自身の強さを身に付けるために付き従う。

 それはマギルスやエリクが求める強さとは違っていたが、今の彼女にこそ必要な修練となっていた。

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