刺繍の華 (閑話その四十九)


 ワーグナーが率いる黒獣傭兵団が居なくなった後、ローゼン公爵領に懸念していた虐殺事件の噂が情報として流れ始める。


 しかし当の本人達は既に影も無く消え去った後であり、また帰還後に表立った動きを控えていた黒獣傭兵団の行方を帝国の領民達は知る由も無い。

 ローゼン公爵家も黒獣傭兵団を雇い入れている事をおおやけに明かしては居なかった事も有り、極一部の者達に事情を説明した後に話が悪い方向に発展させず抑えることに成功する。


 逆にその噂を掻き消すように、ローゼン公爵家当主セルジアスの名を持ってクラウス=イスカル=フォン=ローゼンの遺体と遺品が発見された事が民衆に明かされる。

 クラウスの正式な死が明かされた事で希望を残していた人々に悲しみを生ませたが、それは同時に息子セルジアスという新たな希望に全てを委ねる事を認める事にも繋がる結果となった。


 波乱の要素だったクラウスの死が知らされ、黒獣傭兵団が去ったローゼン公爵領地には再び静けさが戻る。

 代わりに荒々しい日常を取り戻していたのは、別邸を借り受けて修練を続けていた帝国皇子ユグナリスと、その師である老騎士ログウェルの凄惨な修行風景だった。


「――……グェエッ!!」


「鈍っておるではないか、このバカタレめっ」


「……だ、だって……! 剣の稽古は、誰ともしてな――……」


「言い訳しとる暇が、あるのかね?」


「ヒ、ヒィ……ッ!!」


 戻ったログウェルは放置していたユグナリスに久し振りに修練を施し、再び悲鳴にも似た声が別邸の屋敷周辺に響き続ける。


 基礎訓練は続けながらも戦う訓練そのものを行っていないユグナリスは、ログウェルと向かい合う際の勘や剣の冴えが衰えてしまっていたらしい。

 それを叱責し取り戻させる為に木剣で徹底的に打ち倒すログウェルは、鬼のような殺気と剣圧を持って自己回復をさせるユグナリスに容赦無く襲い掛かっていた。


 それを近くで見守る護衛の騎士達はログウェルを止める事を既に諦め、ユグナリスが生きて訓練を乗り越える事を祈りながら傍観するしかない。

 別邸で働くローゼン公爵家の使用人達も、真面目に過剰な訓練を毎日しながら過ごしていたユグナリスを認め始めていただけに、響く悲鳴で哀れさを感じていた。


 そしてもう一人、ユグナリスの嗚咽を漏らした悲鳴に驚き庭先へ訪れた者がいる。

 それは自国から御供して来た侍女に車椅子を押された、ベルグリンド王の妹であるリエスティア姫だった。


「――……ユ、ユグナリス様……?」


「リ、リエス――……ぐふぉっ!!」


「む?」


 土に汚れながらも剣を防ぎ転がるように避けていたユグナリスが、屋敷の外に設けられた石畳の渡り廊下にリエスティアの姿を捉える。

 その一瞬の硬直を見逃さないログウェルは木剣の切っ先がユグナリスの眉間を撃ち抜き、避けも防ぐことも出来なかったユグナリスは背中から地面へ倒れた。


 不自然な隙が出来た事をログウェルは怪訝に思い、ユグナリスの意識が取られた先に視線を向ける。

 そこには見慣れぬ女性が車椅子に乗った姿が在り、ログウェルは近くに居た騎士に尋ねた。


「あの子は?」


「ハ、ハイッ! ベルグリンド王の妹君であるリエスティア=フォン=ベルグリンド様です!」


「ほほぉ。なぜ隣国の姫君が、ここに?」


「便宜上は、ユグナリス様の婚約者候補という事で交流を行う為に、セルジアス様の指示で隣接した別邸でお暮しになっています!」


「それはそれは。……ならば、儂も挨拶をしておいた良さそうじゃのぉ」


「えっ、あの……!?」


 地面へ倒れたままのユグナリスを放置したログウェルは、微笑みを浮かべ木剣を地面へ突き刺しながらリエスティアに向けて歩き始める。

 騎士の一人はそのログウェルの傍に伴うように走り出し、もう一人の騎士は倒れたユグナリスを介抱する為に走った。


 視力が無く瞼を閉じたままのリエスティアは、短く響いたユグナリスの悲鳴に動揺している。

 その後ろで車椅子を引いていた侍女は歩み寄って来るログウェルに気付き、慌てるようにリエスティアに進言した。


「リエスティア様、御部屋に戻りましょう」


「で、でも。ユグナリス様が……」


「今まで御見かけしていない方が、こちらに近付いております。リエスティア様の安全の為にも――……!?」


「――……ほっほっほっ。初めまして、お嬢さん方」


 リエスティアに進言していた侍女が視線を戻すと、百メートル以上先を歩いていたはずのログウェルが既に目の前に立っている事に驚愕する。

 そして相手が只者ではないと察知し、侍女は太腿に忍ばせていた護身用のナイフを抜こうと身構えた。


 しかし次の瞬間、ログウェルが微笑みながら向ける威圧を感じ取った侍女は身体を硬直させながら冷や汗を額に浮かべる。

 そんな侍女に向けて、ログウェルは微笑みながら告げた。


「お嬢さん。中々に良い筋じゃが、儂に武器それを向けぬ方がいですぞ?」


「……ッ!!」


「どなたでしょうか……?」


 ログウェルの警告に侍女は言葉を詰まらせ、言葉を出す事もリエスティアの車椅子も引かせる事が出来ない。

 そんな二人のやり取りに気付かないリエスティアは、目の前に突如として現れたログウェルの声を聞いて尋ねた。


 それにログウェルは微笑みを向け、老紳士として自己紹介を行う。


「初めまして。儂の名は、ログウェル=バリス=フォン=ガリウス。流浪の伯爵騎士の地位を頂いている、ただの老いぼれですじゃ」


「あっ、ガリウス様ですね。御話はユグナリス様からよくお聞きしていました。わたくしは、リエスティア=フォン=ベルグリンド。ベルグリンド王国から交流の為に訪れ、こちらでお住まいをお借りしています」


「それはそれは。隣国とはいえ、異国の生活は不便ではありませんかね?」


「いいえ。屋敷の皆様は、とても良くしてくださいます。それに、侍女かのじょも私の身の回りを手伝ってくださるので、不便な事はありません」


「ほほぉ、それは良いですな。……時に、儂の弟子と婚約を結んでおられるとか?」


「あっ、はい。……あの、先程からユグナリス様の悲鳴のような声が聞こえていたのですが……?」


「ほっほっほっ。久方振りに儂が戻ったので、ちと訓練を施しておりました」


「だ、大丈夫なのですか……? ユグナリス様からは、ガリウス様の訓練は酷く厳しいものだと聞いていたのですが……」


「儂の訓練は、言う程に厳しくはありませぬよ。それに儂の弟子は、訓練程度で根を上げるほど軟弱ではありませぬ。儂の訓練を久方振りに受けられて、歓喜した声を上げておるのですよ」


「そ、そうなのですか……?」


「ほっほっほっ」


 目が見えないリエスティアはログウェルの優し気な声を聞いて僅かに安心感を持ちながらも、それが現実とは非常に乖離している事を周囲の人間達は知っている。

 しかしログウェルの言葉を否定しようものなら何をされるか分からず、近くまで駆け付けた騎士やリエスティアの侍女は何も言えず二人の話を傍聴するしかなかった。


 それから遅れながらも、立ち上がり自己治癒を施したユグナリスが対談する二人が居る渡り廊下まで駆けて来る。

 そしてログウェルに目もくれず、リエスティアに話し掛けた。


「――……リエスティア!」


「あっ、ユグナリス様」


「なんでこっちの屋敷ほうに……あっ、ごめん! いつもの時間を超えてるよね!? すぐに準備をするから!」


「あっ、待ってください」


「え?」


「ユグナリス様が御忙しい様子だとは伺っていました。……で、でも。その……。昨日できた物を、ユグナリス様に御渡し出来ればと思って……」


「?」


 訓練に必死でリエスティアの面会時間を過ぎていた事を思い出したユグナリスは、慌てながら謝罪する。

 しかしリエスティアは慌てるユグナリスを留めると、後ろの侍女に顔を向けた。


 ログウェルの威圧感から解かれていた侍女は我に返り、リエスティアの意図に応じる。

 車椅子の後ろ部分に設けられていた網籠あみかご部分に入れられていた少し大きめの包み紙を侍女が持つと、リエスティアの膝元にゆっくりと置いた。


 リエスティアはそれに礼を述べながら、ユグナリスの声が聞こえた方向に顔を向ける。


「ありがとうございます。……あの、ユグナリス様。これを……」


「これは……?」


「そ、その……。久し振りに編んだ物で、時間も掛かって……。不格好かもしれないのですが……」


「!」


 リエスティアの言葉で何を渡されたか察したユグナリスは、包み紙の中身を開いて取り出す。

 中身は少し厚めの白い羊毛を用いた布地が適度な幅と長さで切り取り紡がれ、ふち部分が赤い糸で刺繍の意匠が加えられた手拭タオルがあった。


 ユグナリスは両手で手拭いを広げ、全体を見る。

 そこには色鮮やかな赤い薔薇ばらの刺繍と共に、薄紅ピンク雛菊デイジーも刺繍されていた。


 素人目でも分かる程に見事な刺繍に驚いたユグナリスは目を見開き、思わずリエスティアに視線を向ける。

 目が見えないリエスティアが贈った裁縫道具でこれを縫ったという事が思わず信じられず、口を開きながら思わず聞いた。


「……リ、リエスティア。これを、君が?」


「は、はい。……やはり、変だったでしょうか……?」


「い、いや違う! ……そちらの侍女が、手伝ってくれたのかい?」


 見事な刺繍が編まれた手拭いの出来に、ユグナリスは侍女も関わっているのかと問う。

 しかしリエスティアの後ろに控えている侍女は首を横に振り、否定の言葉を口にした。


「いいえ。わたくしはリエスティア様の裁縫に、手を貸してはおりません。全て、リエスティア様が御一人で縫われた物です」


「え……!」


 侍女の言葉にユグナリスは更に驚き、見事な刺繍を編んだリエスティアの腕前が予想以上のモノである事に動揺する。

 しかしリエスティア自身はそれを自覚していないのか、あるいは目が見えないから認識できないのか、不安を入り混じらせた謙虚な面持ちで呟いた。


「……ユグナリス様が、日課の訓練をされていると聞いていたので。汗などを拭う際に使って頂ければと、そう思いまして……」


「そ、そんな! こんなもので、汗を拭くのになんて使えないよ!?」


「……やはり、御迷惑なだけだったでしょうか……?」


「……えっ。あれ……!?」


 悲しそうな表情を浮かべるリエスティアに気付き、ユグナリスは動揺した面持ちを抱く。

 それにリエスティアの後ろに控えていた侍女がきつく睨みを浮かべ、更にログウェルがユグナリスの左脇腹に右の肘鉄を打ち放った。


「グッ!! ……な、なにするんだ……!?」


「お前さん、もう少し言葉を選ばんかい」


「え、え……っ? だって、こんな綺麗な刺繍の入った手拭い、汗を拭く為に使うものじゃないだろ……!?」


「お前さんの言い方じゃと、『こんなモノは使えん』と拒絶しとるだけじゃ」


「え……。……あっ!?」


 小声で話すログウェルの言葉を聞き、ユグナリスは自分が述べた言葉がどういう意味合いとしてリエスティアに伝わったのか気付く。

 それを弁明しようと慌てながら、リエスティアの前に跪きながら説明を始めた。


「ご、ごめん! そういう意味じゃないんだ! ただ、こんな綺麗な刺繍が施された手拭いを、汗を拭く為だけになんて使えないと思って……!」


「……そうなのですか?」


「うん、凄く綺麗だ。幾つも刺繍が入った品を見て来たけど、これほど綺麗に縫われた花の刺繍は、今まで見た事が無いよ」


「……御世辞でも、嬉しいです」


「御世辞なんかじゃない! 本当に、本当に綺麗で――……あっ」


「……あっ」


 ユグナリスは謙虚に言葉を受け取るリエスティア、自身の気持ちが真実だと伝えようとする。

 その為にユグナリスは手を伸ばし無意識にリエスティアの手に触れ顔を覗き込むと、互いに赤らめた表情を浮かべた。


 そうした初々しい反応で固まったままの二人の横で、ログウェルが小さな咳を一つ零す。


「――……うふぉっほん」


「……あっ!」


「……あっ、ごめん!」


 硬直していた二人の時間はログウェルの息で紐解け、互いに赤らめた表情のまま手を引いて離れる。

 何とも言えぬ二人の甘い空気にログウェルは察しながら、小言のように述べた。


「――……どうやら、訓練に身も入らぬようじゃし。ユグナリス、お前さんは身嗜みを整えてお嬢さんの相手をしなさい」


「え……? い、いいのか?」


「元々、そういう時間だったのじゃろ? なら別に構わんよ」


「ありがとう! すぐ準備して来るから、リエスティアは客間で! あ、この手拭い、ちゃんと使うから!」


「は、はい。……お待ちしております」


 嬉々とした表情を浮かべて走りながら自室に戻るユグナリスの声を聞きながら、リエスティアは微笑みながらそれを見送る。

 そしてログウェルに警戒する侍女は緩やかに車椅子を動かし、リエスティアと共に屋敷の客間へと向かった。


 それを見送るログウェルは微笑んだ表情を浮かべていたが、リエスティアが侍女と共に角を曲がり姿が見えなくなると表情を変える。

 そして傍に立つ騎士に顔を向け、真顔である言葉を伝えた。


「――……セルジアス様に、伝言をお願いしていいかね?」


「え? あっ、はい」


いにしえからルクソード皇族に連なる皇族家には、家紋に赤い薔薇が施されておる。ガルミッシュ皇族もローゼン公爵家もまた、赤い薔薇が華家紋に施されておった」


「それは、存じておりますが……」


「儂も帝国では、『沈丁花ジンチョウゲ』の華家紋はなかもんが与えらえておるのじゃがな。他の貴族となった者達の家にも、はなの家紋が存在するはずじゃ」


「は、はぁ……。それが、どうしたのですか?」


「『薄紅うすべに色の雛菊デイジー』。それが帝国や皇国ではどの貴族家の家紋として与えられておるか、セルジアス様へ調べるように伝えておくれ」


「わ、分かりました!」


 ログウェルが真面目に向ける表情と言葉に気圧される形で、騎士もセルジアスが居る本邸に向かう。

 それを見届けながら、ログウェルは小さく呟いた。


「……あの少女。もしや……」


 それ以上の言葉は口にせず、ログウェルは庭に戻り木剣を拾い屋敷の中に戻っていく。

 こうして若い男女の仲が小さな進展を進める中で、別の出来事も進展している事に気付いているのは、老騎士ログウェルだけだった。

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