押される背中


 魔獣化したつがいの大梟を倒したエリクとワーグナー、そしてガルドは森の外に在る小川で野営を行う。

 雲の少ない月の光が見える夜空の下で、エリクとワーグナーは油断した罰として大梟の解体をさせられた。


 今までガルドの実施指導で解体を学んでいた二人は、大梟の首と心臓を斬り血抜きをしながら小川に漬け、羽根を毟り取りながら各部位を解体していく。

 大梟の羽根は装飾品や調度品で扱える素材である為、二人は羽根を出来るだけ傷付けないように丁寧に毟り、それを大きな麻袋の中に入れていった。


 それを眺めるように小川にある岩に座りながら、ガルドは静かに見続ける。

 それに僅かな圧を感じているワーグナーは緊張していたが、エリクは無心で作業を進めた。


 それから数時間程が経ち、真上に昇っていた月が地平へ傾いた頃。

 二人は解体し終わりガルドも確認した後、二人が解体した大梟の肉を焚火で燻し焼き、夜食として与えた。


 腹が減っていた二人はそれを受け取り、貪るように食べる。

 その時、エリクは僅かに目を細めて食べた大梟の焼き肉をこう述べた。


「……不味まずい」


「え?」


「……なんで、不味まずいんだ?」


「いや、お前……。マジでどうしたんだ? 今日はおかしいぞ」


「?」


「だって、いつもは魔物だろうが魔獣の肉だろうが、美味いって食ってたじゃねぇか」


「ああ。……だが、これは不味まずい」


「いや、それは前からだっての。俺からしたら、この肉も今までの魔物や魔獣の肉だって、そう美味いもんじゃなかったぜ。腹の足しになるから、食ってはいるけどさ」


「……」


「どうしたんだよ? 疲れてるのか?」


「……そうかもしれない」


 エリクは初めて、魔獣の肉を不味まずいと感じる。

 珍しくエリクを動揺を見せ、その様子でワーグナーは本当に心配そうな様子で見ていた。


 そんなエリクを、訝し気な目で見ている者も一人いる。

 それはガルドであり、自分も手に持つ骨の付いた肉を齧りながらエリクに話し掛けた。


「――……やっぱり、そういうことか」


「……?」


「おやっさん?」


「ワーグナー、食い終わったらお前は先に寝てろ。見張りは俺がやっとく」


「えっ。いいんっすか……?」


「なんだ? 俺の見張りが信用できねぇってか?」


「そ、そういうわけじゃないっすよ! でも、エリクは……?」


「エリクはここに残れ。少し話がある」


「……ああ」


「……じゃ、じゃあ? お先に……」


 ワーグナーは疑問に思った表情を浮かべながらも、肉を食べ終わった後に自身の睡眠欲に負けて少し離れた場所で荷物を枕代わりにして敷き布を引く。

 そして夜空を見上げるように、寝息を鳴らしてすぐに眠った。

 

 傭兵生活の野宿で数分もしない内に寝るのが慣れたワーグナーを他所に、焚火の近くに残ったエリクとガルドは座りながら向かい合う。

 何とか不味い肉を完食したエリクは、言葉を待つようにガルドを見据えていた。


「――……エリク」


「?」


「お前、死んだのか?」


「……えっ」


 唐突にそうした話をし始めるガルドに、エリクは困惑した表情を浮かべる。

 そしてその表情を見て確信したのか、ガルドはこう述べた。


「テメェが俺を見るツラ。まるで死人でも見てるみたいだぜ」


「……」


「……ったく。お前等、俺の歳より早くこっちに来やがって……」


「……ガルド、ここは何処だ? ……俺は、また自分の記憶を見ているのか……?」


「記憶? 違うな。――……ここは、死んだ奴が見る夢、とでも言うべきか」


「!」


「死んだ奴の魂は、こうして夢を見る。……生前の記憶を元に、自分が最も幸福だと感じていた時期の世界を作り出すんだ」


「……夢の、世界……?」


「そうだ」


「……じゃあ、ワーグナーも……ガルドも、俺の夢なのか……?」


「それは、少し違うな」


「!」


 ガルドは焚火を見ながら夜空を見上げ、輝く星々を眺めながらエリクの言葉を否定する。

 否定されたエリクは再び困惑した表情を浮かべたが、ガルドは新たに説明を加えた。


「俺も、そしてワーグナーも、とっくの昔に死んでここにいる。この夢に入り込んだのは、死んだお前の方だ」


「……俺が……?」


「何言ってるか、分からんってツラだな?」


「……ああ。……つまり、ワーグナーもマチルダも、ガルドも、夢ではなく本人……なのか?」


「まぁな。普通、死んでない奴が夢に出て来る時には、記憶にある以外の言動をしない。だからお前が、死んでこの夢に入ったんだと分かった」


 ガルドはそう述べながら、おもむろに右腕を動かし手の平を見る。

 すると突如として小さな酒樽が右側に出現し、エリクは目を見開きながら驚いた。


 そして左手にはいつの間にか木製の盃を持ち、小樽の酒を注ぎ入れる。

 それを口に運び飲むと、一息だけ吐いた後に話を続けた。


「――……なんだ? ここは夢なんだ。このくらい出来て当然だろうが」


「……そうなのか?」


「そうだ。……んで、なんで俺のとこに来た?」


「え……?」


「俺に用があったから、来たんだろうが?」


「……分からない」


「あぁ? 分からず来たってのか?」


「……すまん」


「……嘘じゃなさそうだな。んじゃ、無意識にここまで来たのか」


「多分」


「ほぉ。……それで? なんでお前は死んじまったんだ?」


「……」


「どうした? 言えんくらいに、恥ずかしい死に方でもしたか?」


「……守りたかった」


「ん……?」


「俺は、約束をした。あの子を守ると」


「……」


「でも、守れなかった。……俺はただ、あの子に守られて、苦しめただけだった」


「……」


「……ガルドが死んだ時と、同じだ。……俺に力が無いから、アンタを死なせて、あの子も守れず苦しめた。……それで、どうすればいいか分からずに、戦えなくなった」


「んで、殺されたってわけか」


「……」


「……はぁ。まったくよぉ、ここまでとはな……」


 ガルドは呆れた声でそう漏らし、盃を置いて立ち上がる。

 そして焚火を踏み越えながらエリクの前に立ち、その頭に右手の拳骨を振り下ろした。


「ッ!?」


「――……この馬鹿が! 半人前のテメェが、一丁前に頭を使ってんじゃねぇぞッ!!」


「……!!」


「テメェは馬鹿だろうが! 馬鹿が考えられねぇことを考えて、ウダウダ悩んで死んじまっただと? 情けねぇにも程があるだろうが!」


「……で、でも俺は……」


「どうせお前のことだ。他人がどうこう言われて、それを真に受けて、無い頭でゴタゴタと考えようとしたんだろ?」


「……ッ」


「図星か、ったくよぉ……。――……いいか、エリク」


「……?」


「お前の持ち味は、無駄に考えないことだ」


「え……?」


「お前は一つの事に集中できる。それ以外の事を無駄に考えない。敵を倒すなら倒す為の事以外は考えねぇし、それ以外の事を考えながら出来ない。そういう奴だ」


「……」


「そんなお前が、あーだーこーだと無駄に考えながら戦ったら、そりゃ死ぬに決まってるわな」


「……ッ」


 ガルドに述べる言葉にエリクは反論できず、ただ顔を俯かせる。

 それを見下ろすガルドは呆れた溜息を吐き出した後、エリクの横に屈みながら聞いた。


「ったく。……んで、お前が守ろうした子ってのは?」


「……え?」


「俺が知ってる奴か?」


「……いや。俺が国を出て、会った子だ」


「王国を出たのか? なら――……まぁ、その辺はいい。その言い方じゃ、守ってたのは女か?」


「あ、ああ」


「ほぉ、お前が女を守るねぇ。……そいつに惚れたのか?」


「……ああ」


「惚れた女を守って死ぬか。字面だけ見れば格好良さそうだが、情けない死に方だわな」


「……」


「いや。守れずに死んだんだったか? 本当に情けねぇな」


「……ッ」


「それで? お前はそれでいいのかよ?」


「……よくない。でも、俺は死んで、何をすればいいか……」


「それが無駄な考えだっつってるんだよ!」


「!」


 エリクの背中を叩いたガルドは、再び叱るように怒鳴る。

 それを聞いたエリクは顔を上げ、ガルドの不敵に笑う顔を見た。


「惚れた女を守りてぇ! それ以外の事は、お前の馬鹿な頭でグダグダと考えんな!」


「……だが、守るにはやり方が……」


「そういうのが無駄だってんだよ! いいか、エリク。お前の考えを、他人と合わせんな!」


「!」


「自分で勝手に守りたいと思ってるんだったら、勝手に守れ! 他人にあーしろこーしろって言われて守るんじゃねぇ。自分のやり方で、守るんだ!」


「……俺の、やり方……」


「自分がやると決めた事に口出しする他人やつなんざ、無視しちまっていいんだよ」


「それで、いいのだろうか……?」


「良いも悪いもあるかよ。――……人間ってのはな、どうやっても自分の事以外は知りようが無いんだ。そんな他人様が勝手な目線であーだーこーだ言うことで、自分を曲げる必要なんざ無い!」


「……!」


「いいかエリク、覚えとけ。――……お前の願いを叶えられるのは、お前だけだ。他人に自分の願いを叶えさせんな」


「!!」


「自分の願いは、自分で叶えろ。――……少なくとも俺は、ずっとそう考えて生きて、そして死んだ」


「……」


「死ぬなら、後悔しない死に方をしやがれ。――……ましてや、惚れて守りたいと思った女を中途半端にしたまま、こっちに来るんじゃねぇよ!」


 そう告げるガルドはエリクの胸倉を掴み、そして立たせる。

 更にそれを押し退けるように手を突き出してエリクを押した後、次に目を開けたエリクは新たに見えた光景に驚いた。


 先程まで小川と野原が見えたはずの風景は、いつの間にか夜空のように暗闇とその中で数多に光る星々が見える景色に変わっている。

 座っていたはずのエリクは地面を失くし浮遊感を感じて僅かに手足を動かしながら慌てたが、その時には自身の身体が現実世界の年齢の肉体に戻っている事に気付いた。


 唐突な変化に驚いたエリクは顔を上げて、目の前のガルドと向かい合う。

 そのガルドもまた、先程と違い身体を白く薄い光を放ちながら何も無い宙に仁王立ちで立っていた。


「……こ、ここは……?」


『言っただろうが。ここは死者の世界だってな』


「!」


『お前は夢から覚めたんだ。――……ほれ、後ろを見てみろ』


「……!!」


 ガルドに言われるがまま、後ろを振り向いたエリクは再び目を見開く。

 そこには周囲の景色に似つかわしく無い無骨で巨大な白い大扉が存在し、エリクはそれを見ながら自身の理解度を超える状況に翻弄させられていた。


「な、なんだコレは……?」


 そんなエリクの理解を待たず、エリクの背中を誰かが叩く。

 よろめきながらも振り返ったエリクは、そこで更に驚きの光景を目にした。


「……ワーグナー!? マチス……!? ……みんな……」


 エリクの目に映ったのは、ワーグナーやマチスを始めとした黒獣傭兵団の顔を覚えている団員達が並び、その傍にはマチルダも佇んでいる。

 他にも旅の中で出会ったパールやブルズといった樹海の部族達、そして初めて船に乗る港町で出会ったマウル医師の姿も見えた。


 彼等は全員、三十年という時間の中でエリクが少なからず交流を持ち繋がりを築いた者達。

 エリクの記憶に残る者達の魂がその姿を映し出し、この場に集まっていた。


 それを代表するように、ガルドは腕を組みながら告げる。


『――……ほれ。さっさとあの門の先へ、戻っちまえ』


「……俺は、死んだんじゃ……?」 


『死んだみたいだが、どういうわけか、生き返れるみてぇだぞ?』


「!」


『そんな奴が、いつまでも死者の世界に居続けるんじゃねぇよ。あんな邪魔な大扉モンがあったら、ここに居る奴等全員が迷惑するだろうが』


「……だが、俺が戻っても……」


『やりたい事は決まってるんだろ? だったら、それをやれ』


「……」


『言ったろ? 無駄な事は考えんな。お前がやりたい事だけをやれ』


「……だが……」


『あー、ウダダウうるせぇな! ――……おい、お前等!』


「……!?」


 ガルドは苛立ちの表情を見せながら、後ろに居る全員に声を掛ける。

 すると全員が呆れたような笑みを浮かべ、ガルドと共にエリクの方へ歩み寄った。


 そして全員が手を伸ばし、一人ずつエリクの身体や背中を押す。

 大扉の方へ押されたエリクは浮いているはずの宙へ踏み出し、驚きを持ちながら顔を振り向かせ押す者達に口を向けた。


「お、おい……!?」


『――……エリク。お前は、お前の人生をちゃんと生きろよ』


「ワーグナー……!?」


『エリクの旦那、アンタは好きに生きてくれよ。……俺みたいに、縛られずにさ』


「マチス……!」


『俺等の分も、生きてくれよな。団長!』


「……みんな……」


『エリク。お前だから、アリスの事を頼んだんだ。……途中で投げ出したら、許さないからな』


「パール……」


『あの優しいむすめさんを、どうか大事にしてくだされ』


「……医者マウル……」 


 そうして様々な人々に順繰りに背中を押されるエリクは、ついに白い大扉の前に立つ。

 そしてその扉の前の両脇には、エリクにとって見覚えのある人物が立っていた。


 それは幼少期にエリクを育てた老人と、あの黒い大剣に宿っていたエリク少年。

 二人は大扉の取っ手を握りながら、エリクに向けて微笑みを向けた。


『――……エリク。辛いことや、悲しいことがあっても。望むものを見つけたのなら、生きろ』


「……爺さん……」


『エリク。今度は迷わないでね』


「……分かった」


 幼い頃の育て親である老人とその息子エリクは互いに語りかけると、微笑みながら扉を開ける。

 そして扉の先にある世界には目が眩みそうな光が放たれ、目を細め僅かに怯んだエリクの背中を、勢い強くガルドが叩き押した。


「!」


『――……行け、エリク。やりたいことをやり終わって、一人前になってから、また来いよ』


「……ああ」


 ガルドは不敵な笑みでそう述べ見送られるエリクは、口元を微笑ませながら大扉の先にある世界へ歩み行く。

 それを見送る死者達はそれを微笑みながら見送り、ゆっくりと白い大扉は閉められた。


 こうしてエリクは、死者の世界から帰還する。

 それを導いたのは、エリクの繋がりによって築かれた奇跡と呼べる情景だった。

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