死者の夢
『黄』の
そのミネルヴァが戦場から離すように三階建ての建築物内部で寝かされていたエリクは、その傍に機能が停止している黒い人形を横に寝かされている。
更にエリクの右手と人形の左手は重なるように添えられ、その中心には布に包まれた短い棒状の物が置かれていた。
この時のエリクは肉体的に生き永らえていたが、意識を覚醒させる様子は無い。
『神』の黒い矛によって貫かれたエリクは精神が死に向かい、その肉体に魂が帰還できずにいた。
エリクの魂は今現在、死者の世界に在る。
そしてその世界で、エリクの魂と精神は夢にも似た景色を見ていた。
「――……?」
エリクは死者の世界で精神の瞳を開け、周りの景色を見る。
そこは始めこそ白く何もない霧が張られた世界だったが、次第にその世界に色が宿り、視界に何かが見え始めた。
その景色は、エリクが良く知る光景。
自分の生まれ故郷である王都の下町の大通りに、エリクは呆然と立っていた。
「……ここは……王都……?」
周囲を見渡すエリクは、ぼやけた思考を晴らすように町の景色を見渡す。
そこには誰も人が見えず、殺風景な町の様子が見える。
そこに立つエリクは困惑にも似た表情を浮かべながら、大通りを歩き始めた。
すると一歩ずつ歩く度に、エリクの耳に王都と音が聞こえ始める。
そして景色だけだった町に見たことがある人々が行き交うようになり、次第に自分の知る下町の情景へ変わっていった。
その時、エリクは背中を叩き押される感覚を味わう。
驚き振り向きながら身構えたエリクだったが、そこに居た人物に驚き目を見開いた。
「――……ワーグナー……?」
「どうしたよ、エリク。そんなに驚いてよ?」
「……ワーグナー、なのか?」
「あぁ? お前、まさか俺の顔まで忘れて覚えてないとか言わないよな?」
「いや……」
エリクが驚きながら困惑して見るワーグナーの姿は、凡そ二十歳半ばという年齢。
自分の知る四十代のワーグナーではなく、二十代前半の若々しいワーグナーがそこに立っていた。
その時、エリクはワーグナーの視線より自分の視線の方が僅かに下だと気付く。
そして自分の腕や身体が細く、また身に着けていたはずの大剣の代わりに鉄剣を帯びている様子で、初めて自分も十五歳前後の姿に戻っている事を知った。
困惑するエリクにワーグナーは首を傾げ、いつも通り笑いながら歩み寄る。
そしてエリクの肩を叩きながら、ワーグナーは話し掛ける。
「どうせ腹が減って、ぼーっとしてたんだろ? 一緒に食堂へ行こうぜ!」
「あ、あぁ……」
そう言われたエリクは、前を歩くワーグナーに連れられて歩く。
そうした中で見る下町の景色は、やはり自分が知る王都よりも少し時代が遡っており、人物や景色が若返っているようにエリクに思えた。
不可解な驚きを見せる中で、ワーグナーと共にエリクはいつもの食堂へ訪れる。
そして扉を開けて席に着いた二人の傍に、女性の給仕が訪れた。
その給仕の顔を見たエリクは、再び驚かされる。
それは自分達と旧知の間ながら、住んでいた村が襲われ死んでしまったあのマチルダだった。
「いらっしゃい、ワーグナー。それにエリクも」
「おう! 今日のお勧め、何かあるか?」
「そうね、今日は珍しく牛の肉が仕入れられたの。でもステーキに出来る程は多くないから、シチューにしちゃってるわ」
「そっか。んじゃ、その牛のシチューをくれ。あと、発泡酒とツマミの塩豆に、それとエリクに水な」
「はいはい。エリクも、同じのでいい?」
「……マチルダ……?」
「え?」
「!?」
注文を頼むワーグナーの声を聞き入れたマチルダは、次にエリクに注文を尋ねる。
しかし若い姿のマチルダに驚いていたエリクは、思わず名前を呼んだ。
それに驚いたのはマチルダとワーグナーであり、二人は顔を見合わせながらエリクを見る。
「エリク、お前。やっとマチルダの名前、覚えたのかよ?」
「嬉しいわ。やっとワーグナーと同じくらいの認識は、してくれたんだものね」
「んじゃあ、エリクにはマチルダの名前を覚えた記念で、ついでに高くて美味いのを出してくれ!」
「相変わらず適当ね、ワーグナーは。お金、大丈夫なの?」
「それなりに、俺とエリクも稼げてるさ」
「そう。じゃあ、遠慮無しに選んじゃうわよ。エリクもそれでいい?」
「あ、あぁ……」
エリクが呆然とする中で話は進み、マチルダは二人から離れて調理室の方へ注文を届ける。
その背中を困惑しながら見送るエリクに、ワーグナーは再び声を掛けた。
「お前、どうしたんだ? こっちが驚いてんのに、お前が驚いた顔してよ。珍しい」
「あ、あぁ……」
「お前、さっきからそれしか言ってねぇな。まぁ、そこはいつも通りだが」
「……」
「今日は夜に出るんだ。今の内に美味いモンを喰って、仕事に備えておこうぜ」
「……仕事?」
「お前、物を覚えないにしても大概だろ。今日の夜に仕事だって、言ってたじゃねぇか」
「……?」
「コイツは本当によぉ。ったく、俺が居ねぇとどうしようもねぇ奴だな」
そう述べるワーグナーは冗談交じりに笑い、エリクの肩を軽く叩く。
エリクはワーグナーが述べる事を違う意味で理解できず、混迷とした思考を浮かべていた。
そしてしばらくして注文した料理が届けられ、ワーグナーの酒とツマミも机に並べられる。
それを豪快に口に運び食べるワーグナーを他所に、エリクは用意されたシチュー皿に木の匙を落とし、掬った部分を口に運んだ。
「……?」
その時、エリクは奇妙な感覚を口の中で味わう。
それは初めて、エリクが食堂で出された料理に『味』を感じたからだ。
エリクは別に用意された肉のステーキを料理を一切れだけ口に運び、それを噛み締める。
すると味わい深い肉の味と、付けられた薄いソースの味を確かに舌で感じ取った。
「……美味い」
エリクは初めて魔物の肉以外の料理を美味いと感じ、どんどん口に運ぶ。
その様子を珍しく眺めるワーグナーは、酒を飲みながら同じように料理を掻っ込み、不思議そうに満足したエリクを連れて金を支払い食堂を出ようとした。
その時、二人はマチルダに声を掛けられる。
「ワーグナー、エリク。また来てね」
「ああ。仕事が終わって稼いだら、また来るぜ」
「……また」
マチルダの言葉にワーグナーはいつものように返答し、エリクも顎を下げて頷く。
それを見届けたマチルダは仕事に戻り、エリクとワーグナーも食堂から出て行った。
そんな二人は、ある場所に向かい歩き続ける。
そこはエリクも知る道であり、懐かしささえ感じるエリクはその先に存在する建物が視界に入った。
そこは、黒獣傭兵団の詰め所。
そしていつものように二人はその入り口を潜ると、広間に置かれた机の傍で椅子に座りながら小さな酒樽と木製の盃を持った男を目にした。
その男の後ろ姿にエリクは再び驚き、思わず目を見開きながら身体を硬直させる。
しかしワーグナーはその人物の方へ歩み寄り、声を掛けた。
「おやっさん、仕事前にそんなに飲んでいいんっすか?」
「――……あぁ? 一丁前に俺に説教しようってか?」
「い、いや。そういうわけじゃないっすよ! ただおやっさんも、もういい歳だし、心配で?」
「そんな心配、まともに仕事をやれるようになってから言え」
「そ、そんなぁ……」
二人がそう話す光景を見ながら、エリクは驚きつつも一歩ずつ歩み始める。
そして酒が注がれた盃を飲んだ男の名前を、エリクは小さな声で漏らした。
「……ガルド……」
そこに居たのは、今は亡き傭兵。
エリクとワーグナーにとって師とも呼べる黒獣傭兵団の初代団長ガルドが、健在な姿でそこに居た。
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