傍に居た者


 今まで使っていた黒い大剣から放たれる光に、持ち主のエリクは包まれる。

 そしてエリクは、ある光景を脳裏に思い出していた。


 それは捨てられた幼子のエリクが、あの老人に拾われてからの日々。


 拾われたエリクは老人が住む狭い家に運ばれ、そこで乳児でも食べられそうな程に潰した豆粥を与えられた。

 味は感じられないエリクだったが、それを木製の食器を使いながら老人に食べさせられる。

 餓死寸前だった幼児のエリクは老人に救われ、その日から老人の傍で過ごすようになった。


「おい」


「うん」


「行くぞ」


「うん」


 老人は必要が無い時には喋らず、言葉遣いも短いモノが多い。

 それを真似るように成長するエリクも口数が少なくなり、二人は同じ家の部屋にいても用がある時以外は口を開かなかった。

 しかし、老人は歩けるようになったエリクをいつも伴って行動している。


 老人は金銭を得る為に、物が入った麻袋を荷馬車から倉庫に運ぶ仕事をしていた。

 数キロの重さでも運ぶのに苦労する老人を見た二歳頃のエリクは、それを真似て麻袋を共に運ぶようになる。


 老人はそれに驚く目を宿していたが、自分を真似るエリクの行動に対して何も言わずに仕事を一緒にさせた。

 それで給金が増えるわけでもなく、ただエリクは老人の行動を真似るばかりしていた。


 時々、老人は仕事が無い日に教会の近くにある墓地を訪れる。

 そしてある墓標の近くにある雑草を引き抜き、それを納屋にまで運ぶ。


 そうした老人の行動もエリクは真似て、雑草を引き抜いて運んだ。

 老人はやはり何も言わず、一緒に墓地の清掃を行う。


 それが終わると、老人はある墓に手を重ねるように合わせながら目を閉じた。

 エリクはそれも真似て、墓に向かって手を合わせながら目を閉じる。

 そうして数分程が経つと、老人は立ち上がり墓地から離れ、エリクもそれに付いて行った。


 貧民街の人々は、その日を暮らすだけでも苦しい生活を余儀なくされている。

 王都に住むだけでも高い税を取られる中で彼等が王都に住み続けられたのは、言わば安い賃金で下働きを行える使い捨ての人員を王都の民が確保する為だった。


 しかし表通りに面した王都の民は小汚い貧民を嫌悪する様子を見せており、決して貧民街には寄り付かない。

 時にそうした貧民を虐げる事を目的とした行動をする者もいたが、それを止められる貧民街の住人はいなかった。

 

 その日、五歳になったエリクはその光景を目にする。

 しかもその被害に遭っていたのは自分を育ててくれた老人であり、虐げていたのは仕事を課していた雇い主である商人の息子だった。


「――……おい、お前! 大事な商品だぞ! 落とすな!」


 その日は商人の息子が父親の代わりに、荷物が運ばれる倉庫の管理をしている。

 そして老人が運び積もうとした麻袋を落とした光景を目にし、それを責めるように怒鳴った。


 しかし老人が目も向けずに無言で抱え直してその場を立ち去ろうとし、その態度が気に食わなかった商人の息子は老人の胸倉を掴みながら押し込むように地面に投げ倒した。


「貴様、ボクを無視するな!」


「……」


「なんだ、その目は?」


「……?」


「この、老いぼれが!!」


 商人の息子はそう怒鳴りながら、老人を蹴り上げる。

 それによって老人は殴られ、身体を地面に倒れ込んだ。


 それから何度も、老人は商人の息子に足蹴にされる。

 他の雇われた貧民街の者達はその光景を見て恐れていたが、倉庫内に三つの麻袋を抱えて運んでいたエリクがその出来事に気付いた。


 エリクは三つの麻袋を抱えたまま助走し、数キロある麻袋を全て商人の息子に投げる。

 商人の息子は麻袋が直撃し、横倒しになって麻袋の下敷きになった。

 そしてエリクは蹴られて傷を負った老人に駆け寄り、その様子を窺った。


 その騒ぎを聞き付けた商家の使用人の者達が、倉庫の中に駆け込む。

 そして麻袋の下敷きになっている御子息の姿と、打撲痕から血を流して倒れる老人とその近くにいるエリクの姿を見た。


「これは……!?」


「は、早くこれをけろ!!」


 商人の息子は麻袋を除け切れずに使用人達の助けを得て、ようやく立ち上がる。

 そして麻袋を投げつけたエリクを睨み、近くに置いてあった長い棒を持ってエリクに迫った。


「この、ガキめ!!」


 棒を振り降ろされた瞬間、エリクは棒を右手で掴み止める。

 意図も容易く掴み止められた事実に商人の息子は驚き、更にエリクが掴む棒の握りを強くして棒を握り折った。


 そしてその時のエリクは、商人の息子を鋭い目で睨んでいる。

 普通の子供とは違うエリクの様子に、商人の息子は怯えながら後ずさりした。


「ヒ、ヒィ……!?」


「坊ちゃん、落ち着いてください!」


 恐怖した商人の息子を宥めた使用人達は、この状況を周囲にいた者達に聞く。

 怪我を負った老人が御子息の喋りを無視した為に起こったのが発端と分かると、使用人は動揺している商人の息子に伝えた。


「坊ちゃん、貴方が注意したというあの男ですが……」


「そ、そうだ! あの老いぼれがボクを無視するから――……」


「声が聞こえていないのです」


「……え?」


「あの男、聴力が衰えているのです。耳元で喋らなければ気付きもしませんし、いつも目を向けさせてから、口の動きを見させて指示をしています」


「な、なんでそんな者を雇い続けているんだ!?」


「それは、旦那様の御指示で……」


「もっと使える奴を雇えばいいだろ!? ボクの指示も聞けないような使えん男も、それ反抗的なガキも、今日で解雇しろ!!」


「そのような事を勝手にされては……」


「うるさい! ボクは商家ここの跡取りだ! ボクの命令に従えないなら、お前も、お前も……!!」


 そう取り乱した商人の息子に、使用人達が抑えるように抱えて倉庫から運び出す。

 そして使用人の一人がエリクと老人に近付き、口の動きを見せながらこう言い渡した。


「――……今日は帰れ。それと、しばらく仕事に来なくていい」


「……」


「旦那様はしばらく、王都ここに戻れない。すまないが、取り乱しておられる坊ちゃんがいる今、ここで仕事を続けるのは危険だろう」


 そう伝える使用人の男性に対して、傷付いた老人は考えながらも頷いて答える。

 そして起き上がろうとする老人に肩を貸したエリクは、一緒に家に帰った。


 それから日数が経ち、怪我を負った老人は酷く衰弱した様子を見せる。

 怪我をした患部から病原菌が入り、老人は苦しむように咳をする事が増えた。


 医者に掛かれる程の金銭も無く、薬を買う金も無い。

 そして傍に居たのがエリクだけであり、そうした事態にどう対応すべきか分からないまま老人が衰弱していく様子を見ているしかなかった。


「――……がはっ、ごほ……っ」


「……」 


「……水……」


「うん」


 エリクは老人が求めた言葉を聞き、それに従い老人が必要とする物を持って来るしかない。

 老人が衰弱してからは料理は作られず、家に置いてある干し肉や豆を齧る日々を二人は過ごしていた。


 しかし、老人はある日から水以外を口にしようとはしなくなる。

 日に日に容体は悪化し、眠る時間が増えた老人をただエリクは見ているしかなかった。


 そうなってから十数日後、老人は珍しく目を開ける。

 それに気付いたエリクは老人に近付き、何かを呟くように口を動かす老人を見た。


「……エリク……」


「うん」


「すまんな……」


「?」


「儂は何も、お前に与えてやれなかった……。それに、残せる物もない……」


「……?」


「……エリク……」


「うん」


「……生きろ」


「?」


「自分が、生きたいように……。自分の人生を、生きろ……」


「……?」


「きっと、辛いことや、悲しいことが、たくさんある。……それでも、お前が望むものが、きっと……」


「……なに、いってるか、わからない」


「……」


「……じいさん?」


「……」 


「じいさん……?」


 老人は静かに目を閉じ、それから二度と目を開ける事は無かった。

 エリクは老人がまた寝ただけだと考え、それから定期的に老人の口に水を注ぎ与える。

 人の死を理解できていなかったエリクは、そうして死体になっていた老人と一週間前後を家で過ごしていた。


 しかし家から腐臭が漂い始め、近隣の貧民達が異常に気付く。

 それは貧民街では珍しい光景ではなく、いつものように死体がある事を兵士に伝え、そこで初めてエリクは運び出されようとする老人が死んだ事を理解した。


 老人の死臭が漂う家で、エリクは何をすべきか分からなくなる。

 そして家にある食べ物が底を尽く事を理解し、何か食べなければ死ぬ事を理解して貧民街を彷徨った。

 そこで貧民街から出られる門の近くにある森で食べられる草や実がある事を知り、家にあった錆びた剣を持って出掛ける。


 ずっと家に置いてあった錆びた剣には、赤い装飾玉が柄の部分に取り付けられていた。 

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