山猫の復讐


 次の日の朝。

 休息と山猫達の死骸を処理し終えた一行は、疲労がある程度は癒された状態で山をくだった。


 それぞれが装備を身に着け直して荷物を持ち、急斜面の地肌を慎重に戻っていく。

 怪我をした者達も一定の治療を受けたおかげで移動できているが、それでも荷物を持って移動できない怪我人は他の者に荷物を託すか、その場に捨てられる物を置いて移動する事となった。

 それでも戻り道のなかばまでは順調に戻れ、道以外の危険な要素は無い。


 そのせいか、山猫狩りも終えて若い傭兵達は気を緩めている。

 初めての魔物狩りが終わり、浮かれた若い傭兵同士が感想染みた事を話し合う声さえ聞こえ、団長であるガルドは呆れた溜息を吐き出していた。


 しかしガルドを師事しているワーグナーやエリクだけは、そうした浮かれた様子は見せない。

 行き来の中で最も危険なのは岐路であり、しかも戦利品として金になる荷物も抱えている状態の自分達が、盗賊から狙われてもおかしくない事を二人は知っていた。

 同時に、同行している現地むこうの傭兵団が敵対した場合に対応できるように、心構えを既に整えている。


 そうして心構えをする反面、ワーグナーはエリクの傍で小さな声で呟いていた。


「……向こうが俺達をる為に雇われたにしては、何もかも素人過ぎるな。おやっさんの杞憂かな?」


「……」


 ワーグナーはそう呟き、同行する傭兵団の一同を後ろから見る。


 浮かれ気味に話す様子や、後ろ暗さの無さ。

 更には戦利品を抱える帰路にも拘わらず緊張感が保てていない事や、山猫達の戦いを見ても、明らかに向こうは傭兵としても人間としても未熟だと感じざるを得ない。


 仮に今までの行動が演技だとしたら、名役者だとさえ思えてしまう。

 そうした事をワーグナーは思い、ガルドの危惧する事が杞憂ではないのかと思い始めていた。


 その時、隣を歩いていたエリクが寒気を感じ、咄嗟に後ろを振り向く。

 それに気付いたワーグナーも振り向き、周囲を見ながらエリクに聞いた。


「どうした?」


「……何かが、見ている」


「見てるって、何が?」


「分からない」


「分からない? お前が?」


「……何かが見ている。だが、何処にいるのか、分からない」


 今まで超人的な五感で索敵を果たしていたエリクが、そう呟きながら疑問を浮かべる表情を見たワーグナーは怪訝に思う。

 それでも今まで果たしてきたエリクの経験と感性を信じ、ワーグナーはガルドを含めた一行に呼び掛けた。


「おやっさん!!」


「!」


「エリクが、何かが見てるって!!」


「何かだと?」


「何かまでは、分かんないらしいんっすけど!」


 ワーグナーのその呼び掛けは、ガルドのみならず全員の耳に届く。 

 突如として慌て出すワーグナーに驚きながらも呆然とし、その言葉を頭の中に飲み込めずに状況が分からない若者達は、疑問の表情と声を見せていた。


「え、なに?」


「何かが見てるって?」


「……特に、何も見えないけど?」


「気のせいじゃないか?」


「いたとしても、小さな動物だろ?」


「気を張り過ぎなんだよ。魔物も倒したし、危険な奴等はもういないって」


 ワーグナーが述べる話を真摯に受けず、自分達の視界からは何も見えない事で若者達は杞憂の声を上げる。

 それは向こうの傭兵団も同様であり、ワーグナーとエリクが伝えている事に疑問と杞憂の言葉を口に出していた。


 その中でエリクの感覚に信頼を置いているマチスとガルドだけは、二人の忠告を無視しない。

 ワーグナー達がいる後ろ側へ歩み寄った二人の中で、ガルドはエリクを見て聞いた。


「エリク、何処から見てるか分かるか?」


「……分からない」


「数は?」


「……二つか、三つ? いっぱい……?」


「複数ってことだな」


 エリクは周囲を探りながら困惑気味に頷き、視線から感じる情報を伝える。


 今までのエリクであれば、周囲の音から正確に相手の情報を察する事が出来ていた。

 その情報で、今まで黒獣傭兵団が助けられた事も数多い。


 しかし、そのエリクでさえ正体が掴めない程の相手が自分達を見ている。

 それがワーグナーには怪訝に思え、不気味にさえ思えていた。

 それはガルドやマチスも同様なのか、周囲を見渡しながら沈黙する。


 そして十数秒後、ガルドは自身の団員と同行する傭兵団に対して指示を飛ばした。


「――……戻る足を速めるぞ!」


「!」


「さっさと歩け! いや、走れ!!」


「む、無理ですよ! 荷物を持ってるし、怪我人だって……」


「つべこべ言うな!!」


 反論する若い団員を怒鳴り、ガルドは戻りを急ぐように命じる。

 その剣幕に押された若い団員達は委縮し、動揺した様子を見せていた。


 その中で先を歩いていた現地むこうの傭兵団を率いる団長が、ガルドに近づいて尋ねる。


「――……おいおい、どうしたんだよ?」


「何かに追跡されてるんだよ、戻りを急がせろ!」


「追跡って、何に?」


「知らねぇよ」


「知らないって……。それも、そっちの若いのが言ってるんだろ? 確かにその二人は強いが、流石に杞憂じゃないか?」


「……お前等、この山に何が棲んでるか、全てを把握してるのか?」


「そういうワケじゃねぇけどさ……」


「だったら急がせろ! ……エリクの奴にも悟られねぇって事は、相当な手練てだれだ」


 エリクとワーグナーの事を信じるガルドと、若い他所の団員の事を信じられない者達で、意見が別れてしまう。

 そうした僅かな相違で立ち止まった一行の中で、エリクだけは寒気と予感に近い嫌悪を高め続けていた。


「――……!!」


 言い争いが続く中、エリクは咄嗟に右側を振り向く。

 その瞬間、突如として茂みから音が鳴った。


 それに驚いた一行は全員がそちらを向き、音の正体を見る。

 するとそこには、一匹の野兎が姿を現した。


「……な、なんだ。ただの兎じゃないか」


「この兎が、俺達を見てたってことか?」


「な、なんだ。びっくりさせやがって……」


「エリクの心配し過ぎだったんだよ」


 そうした安堵の声が団員から漏れ聞こえ、ワーグナーやエリクの心配が杞憂であるという思考を更に高めさせる。

 その中で一人、野兎に近付いてナイフを握った若い団員がいた。


「この兎、昼飯にしましょうよ」

 

「お、いいねぇ」


「兎くらい、山猫に比べれば楽勝だぜ」


 安堵からか、そうした事を言いながら野兎を狩ろうとする団員が動く。

 それを見たガルドは表情を強張らせ、口を開いた。


「おい、テメェ等! 勝手に――……」


 そう怒鳴ろうとした時、野兎の後方にある茂みから更なる音が鳴る。

 そして次の瞬間、野兎を狩ろうとした若い団員は、真正面の茂みから出て来た何かに襲われた。


「――……へ?」


「!?」


 茂みから出て来たのは、全長三メートル強の山猫。

 それが口元を大きく開けて野兎を狩ろうとした若い団員の首元を噛み付き、地面に押し倒していた。


「ぁ……ガ……ッ」


「……ッ!!」


 山猫は魔力で咬筋力を高め、強化し発達した顎と歯で若い団員の喉を喰らい千切る。

 喉から血が溢れ出す若い団員は声を発せられず、動かす手足も止まり動かなくなった。


 突如として起こった出来事に、ほとんどの団員が反応できない。

 更に思考すら現実に追いつかず、ただ目の前で起こった状況に呆然としているしかなかった。


 そんな団員達に、ガルドは怒鳴りながら叫ぶ。


「――……武器を持てッ!!」


「!?」


 その声に反応して意識を戻して身震いした団員達より早く、エリクとワーグナーが動いていた。


 ワーグナーは左腕に備えた弩弓ボウガンで山猫を狙い、矢を放つ。

 しかし矢は容易く回避され、更に近付いたエリクの剣を山猫は飛び避けた。

 そして出て来た茂みに戻り、一行から離れていく音が響き聞こえる。


 先日の山猫達よりも機敏な動きにワーグナーとエリクは驚いていたが、それに反して若い団員達が動揺から立ち直ると、思考が追い付き目の前の現実に憤りを見せ始めた。


「……や、山猫だッ!!」

 

「生き残りがいたのか!?」


「……だ、ダメだ。喉が、ほとんど食い破られて……これじゃあ、助からない……」


「チクショウッ!!」


 団員の一人が喉を食い破られた若者に近付き、既に手遅れである事を伝える。

 それを聞いた若い団員達は、仲間が殺された怒りで思考が満たされ、山猫が逃げた茂みに走り始めた。


「馬鹿野郎が!! 戻れ!!」


 そう怒鳴るガルドの言葉は、怒りに支配された団員に聞こえないのか制止できない。

 後を追った団員達の背中が茂みに消えるのを見たガルドは、舌打ちを鳴らしながら後ろを向いて叫んだ。


「エリク、ワーグナー、マチス! お前等は一緒に来い!!」


「!」


「残ってる連中は、さっさと山を下りろ!!」


「ぇ、あ……」


 そう言いながら茂みの方へ駆け出すガルドは、山猫を追う若い団員を連れ戻す為に追う。

 それに同行するエリクとワーグナー、そしてマチスは、茂みの中を追うように走り始めた。

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