協力関係


 エリクが皇国軍の兵士養成所へ入って、一ヶ月近くが経過する。

 その間、アリアとケイルの安否が分からないエリクは内心の焦りが色濃さを見せ始めていた。


 何度かハルバニカ公爵の手の者と通じて状況を確認しながらも、順調に計画は進んでいるという話以外に情報は届かない。

 アリアとケイル、ついでにマギルスの行方がどうなっているかも確認するが、それらしい情報はエリクの耳には入らなかった。

 潜入している兵士養成所でも、皇国軍側からは何かしらの動きは見えない。


 エリクは事態が動かないまま一ヶ月も兵士養成所での訓練に従事する事が本当に正しい行動なのか、自分自身で分からず焦りが色濃くなっていた。

 そしてそれは、同期の訓練兵士達にも露骨なほどに見えている。


「――……エリオ、機嫌が悪そうだな。何かあったのかな?」


「そうか? 前からあんな感じじゃないか?」


「いや、前より凄みが増してきてるというか……」


「……」


 訓練兵達がエリクと距離を置きながら話している時、それを聞いていたグラドはエリクに視線を向けた。

 その日の訓練は終わり、エリクは早々に荷物を纏めて帰宅しようとする。

 しかしグラドが声を掛け、エリクの足を止めた。


「なぁ、エリオ」


「なんだ?」


「この後、暇か?」


「……出来れば、帰りたい」


「誰か客でも来るのか?」


「いや……」


「だったら、今日は俺が酒とつまみを買うからよ。お前の家で一緒に飲もうぜ」


「……俺の家で?」


 エリクは訝しげな表情と声でグラドに向ける。

 唐突な誘いに何かしらの意図があるのではと疑心が生まれたが、今の状況で好転する気配が見えないからこそ、グラドの行動で何かしらの変化が生まれるのならと思い至り、返答した。


「……分かった」


「よし。じゃあ、ちょい待ってな」


 グラドの誘いを受け入れ、そのまま帰りに酒屋で酒とつまみを買い込みんでエリクの家へと案内される。

 初めてエリクの借家へ訪れたグラドは、その感想を述べた。


「ほぉ。借家だとは聞いていたが、結構デカいな家だな。俺の家よりデカくね?」


「そうか?」


「まぁ、それより。さっさと家の中で飲もうぜ」


 グラドの言葉に押されてエリクは家の扉を開ける。

 中に入って明かりを灯すと、整えられた家具を目にしてグラドはやや驚きを深めた。


「意外と整理されてるんだな。ハウスメイドでも雇ってるのか?」


「いや」


「じゃあ、自分で片付けてんのか?」


「家具は家を借りた時からあった。配置は変わっていないし、あまり使っていない」


「ほぉ? 家具付きの物件か。良い家を借りたなぁ」


 そんな話をしながら家に入るグラドは、居間の方にある椅子と机を見かけて荷物を置く。

 そして戸棚に収納されていたガラス製のグラスを二つ持ち、エリクに聞いた。


「これ、使っていいか?」


「ああ」


 使用が許された杯を持って机に腰掛けたグラドは、購入した酒を注ぐ。

 向かい合うようにエリクとグラドは座り、互いにグラスの酒に飲み干した。


 基本的にグラドがエリクの酒も注ぎ、エリクはそれを黙って飲む。

 会話も一言二言で長続きはしないが、特に悪い空気と呼べるものにはならなかった。

 グラドからとある話が切り出されるまでは。


「――……そういえば、エリオよ」


「?」


「お前さん。もしかしてエリオじゃなくて、エリクって名前じゃねぇか?」


「!!」


 自分の本名がグラドの口から明かされた瞬間、エリクは瞬時に警戒度を引き上げる。

 グラドへ向ける視線に殺気が篭り、グラスを握っていない左拳に力が入った。

 それを察したのは、グラドは酒を飲みながら落ち着いて話した。


「その様子を見るに、当たったか?」


「……何の話だ?」


「随分前と少し前に噂になったことがある。と言っても、普通の市民が知るような情報じゃなく、傭兵伝手に流れるような情報だがな」


「……」


「とある国にやたら強くて風変わりな傭兵団がいて、その団長を務めてた黒い大剣を背負うエリクって大男が特に強いってな。だがそいつが国から逃げ出して、嘘か真か対立国のお姫様と一緒に何処かを逃げてるって噂がよ」


「……」


「それを聞いた時には、まるで寝物語で聞かせるような甘ったるい与太話だと思った。……だが、少し前にマシラ共和国で暴れ回った女連れの大男の傭兵がいると噂になった。その男の方の名前が、噂のエリクって男と同じ名前だった」


「……」


「お前と初めて会った頃。つまり一ヶ月前だが、流民街の方でちょいとした噂が立ったのを知ってるか?」


「……噂?」


「そのエリクって傭兵が皇国に来て、傭兵ギルドのバンデラスと事を構えたってな」


「……」


 エリクはそれを聞き、自分がやった事を思い出す。

 アリア達が消息を断った初日に、エリクは傭兵ギルドへ赴いた。

 そしてその場に受付の職員と傭兵達を脅し、バンデラスを探している事を伝えている。

 それがどういう形か、エリクとバンデラスが深刻な対立関係を持った事が流民街で広まったようだ。


「その噂のエリクが流民街からいなくなった。それが一ヶ月前の話だ。……その後もエリクの行方は不明のまま、噂も消えていったがな」


「……」


「そりゃあ、流民街を探してもいないはずだ。市民街で皇国軍兵士に入隊して、俺と一緒に酒を飲んでるんだからな」


「……どうするつもりだ?」


 目の前のグラドが自分の正体を察し、誤魔化しが不可能だと判断したエリクは鋭くも覚悟を秘めた視線をグラドへ向ける。

 仮にグラドが自分の正体を暴き、それを周囲に触れ込むのなら。


「誰かにバラしたら、殺すって目だな」


「……ああ」


 グラドが酒を飲んでエリクの思考と視線の意味を読む。

 そして酒を飲み干したグラスを机に置いたグラドは、エリクの視線に目を合わせて話した。


「言わんさ。お前の事をバラして、俺に得なんて無いからな」


「得があれば、俺の事を伝えるのか?」


「いいや。少なくとも、今の傭兵ギルドにお前の事を伝えようなんて微塵も思わん」


「……今の傭兵ギルドに?」


 含む言い方をするグラドに違和感を持ったエリクはそう訊ねると、グラドは表情に僅かな影を宿らせた。


「俺は一年と少し前まで、皇国の傭兵ギルドに入っていた。皇国ではそれなりに顔も広かったし、馴染みも多い。……その馴染みの一人だった傭兵ギルドマスターが、一年とちょい前に行方不明になった」


「……」


「その後釜に入ったのがバンデラスって野郎だ。数十人近い部下共を連れて傭兵ギルドに来たと思えば、捜索を中断させやがった。まだ俺や馴染み達がギルドマスターを探してる最中だったってのにな」


「……」


「俺や他の連中は反感を持ってバンデラスの野郎に猛抗議した後、俺等に仕事の斡旋がされなくなった」


「……」


「俺や馴染み連中は、他の国に行くか傭兵ギルドを辞めて仕事先を探さざるをえなかった。まぁ、あんな奴がギルドマスターになってる時点で傭兵ギルドに未練は無かったから、俺は辞めたんだがな」


「……」


「エリオ。……いや、今は敢えてエリクとして聞く。お前は女傭兵と組んでたらしいが、今のお前にはその相方がいない。相方がいなくなった理由にバンデラスの野郎が関わってるのか?」


 グラドの質問を聞き、エリクは静かに納得する。

 馴染みである前ギルドマスターが消息不明となり、その後にバンデラスと対立して傭兵ギルドから去ったグラド。

 アリアが行方不明となりバンデラスと対立する構えを見せたエリク。


 両者は似通った理由でバンデラスに反意を持つ者達。

 グラドがエリクに興味を持ったのは、バンデラスが絡む消息不明の人物が再び出来たのかという確認だった。


「……俺も、それを知り、取り戻す為にここにいる」


「……試験の時に、ザルツヘルムの奴と話してた目的ってのは相方を取り戻す為か。その為に皇国兵士になったということだな?」


「ああ」


「……なるほど。バンデラスの野郎が皇国軍とグルで、何かやってるってことか。ありえそうな事だ」


 エリクが皇国軍に入隊した意図を察してグラドは納得する。

 バンデラスに対する互いの共通点が印象を結んだ瞬間でもあった。


「最近、お前の焦ってる感じがしたのは、皇国軍に入ってから何かを待ってるからか?」


「……ああ」


「俺に、何か協力できないか?」


「!」


「俺自身、仕事を無くして女房や子供等を養う為に仕方なしに皇国軍に入ったが……。バンデラスの野郎に一泡吹かせられるってんなら、お前に協力したい」


「……関わらない方がいい。危険だ」


「そう、その危険だ。知ってる危険と知らない危険じゃ、対応に差が出る。お前の近くに居る俺にも、危険の火の粉が散らばるかもしれねぇ。だったら、その危険を前もって知っておきたい」


「……」


「安心しろ。お前のやる事を邪魔はしないし、深追いもしない。だが、何の説明も無しに危険に陥った時に俺がお前の邪魔をするかもしれない。これは協力と言うより、お前や俺に訪れる危険への妥協案だ」


「……」


 エリクは黙りながらもグラドの提案に対する答えを思考する。

 そしてグラドの言う通り、今回のエリクの作戦にグラド達が関わってしまう場合もある。


 皇国軍が優秀な実験素体モルモットを必要とするなら、自分エリク以外にも選ばれるだろう。

 その中にグラドも選ばれる事があれば、同じように皇国軍側から何かしらのアプローチが出てくる。

 そうなった時、事情を知らないグラドが意図しない行動でアリアとケイルの奪還を邪魔しないという保証はない。


 そこまで思い至った時、エリクはグラドの提案を受け入れた。


「……分かった。話そう」 


「助かるぜ」


「少し、長い話になる。俺自身、上手く理解出来ていない話もある」


「構わんさ。俺もおつむが良い方じゃない。大体の事を教えてくれればそれでいい」


 そう笑うグラドは酒瓶を持ち、互いのグラスに酒を注ぐ。

 二人はグラスを持ち一口付けた後、話を始めた。


 その日の夜。

 流民街では別の事件が起きていたことを、エリクは知る由も無かった。

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