5-7

 八月二十七日。

 悲しみも癒えぬまま、その連絡はやってきた。

 差出人は連絡する旨を手紙でよこした帯刀ではなく、なぜか神崎岳人だった。

 美夜の携帯から送られてきた内容は以下だ。


『渚砂を攫ったようだが、こちらもお前たちの事務所の娘を預かっている。助けたければ渚砂を無事に連れてこい。条件を違えた場合、この人質の命は保証しない』


 装飾の一切ない簡素なメール。こちらは保護しているつもりだったが、あちらさんからしたら誘拐扱いらしい。当然か。岳人にとっては金の成る木の渚砂だ。見つけたのに連絡をしてこないことを考えた場合、そう捉えられてもおかしくはないが。

 それにしても意味が分からない。

 なぜこの期に及んで連絡してくる相手が岳人になったのか。考えたところで答えなど出ないが、いつからか止まっていた状況がようやく動き出した。

 それが好転するか悪化を辿るか、まだ知る由もない。

 だが、俺は最後まで見届けなければならない。そして美夜を無事に取り戻す。

 メールを下へスクロールすると、人質交換の日時と場所が指定されていた。

 日付は明後日、二十九日。奇しくもその場所は、渚砂がクローンと離別したあの公園だ。

 深夜は人の気配がほぼなく、死角になっている場所も多い。それに深夜を指定しているところから、あまり人目には付きたくないのだと窺える。


「どうするつもり?」


 タバコの箱を玩びながら、麗華が口火を切った。

 匿えと言われて保護している現状、岳人の要求通りに渚砂を連れていくことは契約違反だ。そもそも依頼してきたのは渚砂が先なのだから。

 それに、連れて行って人質を交換したとする。その先渚砂に待っているのは今まで以上の束縛と、血を利用される未来だけだ。またクローンのような不幸を生むことになるだろう。

 とはいっても、美夜は向こうの手の内にある。帯刀は信用してもいいと思われるが、岳人はそうはいかない。あいつは娘である渚砂とクローンの人権すらないものと思っている。

 言うことを聞かなかった場合の決断は、こちらにとって最悪の結末を招きかねない。


「どちらを選択しても悪手になる。こんな選択肢アリかよ……」


 世の中不条理があることくらいは知っている。理不尽なこと、思い通りにいかないことなんてざらだ。けどそれでも、どちらも守る選択をしたい時だって、往々にしてあるだろう。

 考えろ、時間ならまだある。


「――――私、戻ります。父の元に……」


 思考を深く巡らせようと、集中した矢先に聞こえた渚砂の言葉。


「ダメだ、お前が戻ったら利用されるだけだろ。また悲劇を生み出したいのか?」

「でも、美夜さんに迷惑をかけてまで逃げようなんてッ――」

「まだ時間はあるんだ、俺に考えさせてくれ」

「これ以上、あなたたちを巻き込むわけにはいきません!」


 涙を目に溜めながら、力強く言い放った渚砂。いままでの彼女からは想像できない、感情のこもった言葉だった。

 俺はふっと小さく笑い飛ばし、首を左右に振る。


「そのセリフはお門違いにも程があるぞ」

「どうしてですか」

「お前が俺たちを頼った時点で、もう深みまで巻き込まれてる」


 宣告じみたセリフを口にすると、渚砂は臍を噛むような思いなのだろう、苦しい表情をした。


「別にお前を責めてるわけじゃない。俺たちはなんでも屋だ、犯罪以外は基本請け負うのが黒鴉だからな。だがなんでも屋だからといって、全てが金で動いてるわけじゃない」だから、と繋ぎ「――迷惑ついでだ、とことん俺たちを頼れよ。お前を守って、美夜も取り返す! カラスは時に、欲張りなんだ」


 にっと笑ってみせると、渚砂は口元を覆って泣き出した。

 何度目だよ、と軽口をこぼし、


「泣くくらいならお前も考えるの手伝ってくれないか? いまは渚砂も、黒鴉の一員なんだからさ」


 そう告げると、お嬢様にしては少々乱暴に袖で涙を拭い、何か吹っ切れたように「はい!」と返事をしたのだった。

 もう大丈夫、力強い眼差しからそんな思いを汲み取れる。

 麗華に目をやると、確かな頷きをもって肯定してくれた。


「そういえば恭介のやつ近頃見ないけど。あいつは何してるんだ?」

「ああ、最近バタバタしてたから、すっかり言うのを忘れてたわね。恭介はずっと依頼で出てるわよ、例のセレブ妻の件でね。なんでも短期契約で別荘に付いてこいって言われて、運転手なんかさせられてるらしいわ」


 いないと思ったらそういうことだったのか。というか、今まで気にもならなかった。

 どうしても恭介を囲いたいんだな……。若いツバメがどうのいうやつだろう。

 気の毒だがそれも仕事だ、仕方ない。羽振りはいいみたいだからな。


「――あ、でもたしか明日帰ってくるんじゃなかったかしら」


 麗華は引き出しから書類を一枚取り出して、それを確認する。


「やっぱそうだわ。明日中には帰ってくるわよ」


 別に以前みたく恭介を待っているわけじゃないけれど。

 なにか情報が聞き出せていたとしても、重要なことはほぼ分かってるからな。そこに期待はしないでおこう。まあ、労うくらいはしてやるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る