3-4

 ――なぜ二度も、こんな所へ来て落ち込まなければならないのか。

 あの後、俺たちは気恥ずかしさを引きずりながら、国営公園へと移動した。

 以前と同じく、大きな樹を背にしたベンチに今度は二人、隣り合って座っている。

 遠望するは目の覚めるような青空に浮かぶ入道雲。視線を下ろすと水を盛大に噴き上げる噴水が。陽の光を浴びて雫がきらめき、景色に虹を彩っている。


「しっかしあいつ、鋭すぎだろ……」


 髪型はともかくとして、メイクは麗華仕込だ。本人だとバレないようにと化粧してもらったというのに。もしかして背格好でバレたのか? 今どき、百七十以上ある女性なんて珍しくもないだろうに。それとも慌てて背を向けたことで推測された? 確かに怪しいとは思うけど……。にしても観察眼が鋭すぎる。

 ……いやでも、バレるにしてもだ。帯刀の顔を直接見て気づかれたと自覚するよりは、まだマシだったのかもしれない。精神衛生上は、だが。


「――ん?」


 ふと、そこで。視線を向けられていることに気づいた。そちらを見遣ると、ポーッとした顔をした美夜が俺を見つめていた。


「どうした? 熱中症か?」


 訊ねると、ふるふると力なく首を振る。ややあって――


「レイちゃん……結婚しよっか」

「……はぁ? いまそういうこと言う流れじゃ全然なかったろ。不意打ちやめろよな」


 ちょっとドキッとしただろう。いつもの軽口だと思うけど。


「わたしさ、今日改めて解ったことがあるんだ」


 俺は話を終わらせようとして断じたつもりだったのだが。それを知ってか知らずか、改まって思っていることを口にした。


「わたしは“レイちゃん”が好きなんだって」


 渋面を浮かべて眉間を掻く俺に構わず、美夜は続ける。


「あの時助けてくれたレイちゃんが、もしも女の子だったとしても。わたしはきっと、レイちゃんのこと好きになってた」


 いや、改めてそれを言われて、俺はどう反応すればいいんだよ。

 見つめてくる猫みたいな大きな瞳から目をそらし、俺は「そうか」とだけ返しておいた。所在なげに目を泳がせ、背後を振り返る。

 神崎に似た女は以前、向こうの植え込みで猫と戯れていたな。それを思い出して気配を探る。が、人の気配どころか、猫の鳴き声すら聞こえてはこなかった。

 顔を噴水へ戻すと、相変わらず美夜は俺の横顔をジッと見ている。

 気恥ずかしさでなんだか居たたまれなくなり、


「そろそろ帰るか」


 そう促すと、「美夜はそうだね――」と言って立ち上がろうとした。

 腰を浮かせたかと思ったら、ストンとすぐさまベンチに尻を落とす。


「どうかしたのか?」

「ッ……ううん」


 どこか遠慮がちな間。何故か俺から目をそらして膝を折り、ベンチの下に足を隠す。

 気になり足元を覗き込むと。足の甲が靴擦れで赤くなっていた。

 俺はサマーブーツだから楽だったけど、パンプスって慣れないと靴擦れするものなのか。


(…………あれ、靴擦れ……そういえば――)


 脳裏を掠めた出来事に微かに違和感を覚えつつも、いまは美夜のことだと頭の片隅に追いやる。

 今まで我慢して歩いてきたのだろう。公園で休もうと言ってきた美夜の言葉をようやく理解した。痛む足に気づけなかった不甲斐なさに臍を噛む。


「――ったく。痛いんなら早く言えよな。ほら……」


 照れ隠しに悪態をつきながらも、ベンチに座る美夜の前で屈み背を向けた。


「……暑いよ?」

「いつも抱きついてくるくせに、なに遠慮してんだよ。酷くなったら痕になるだろ」


 せっかく綺麗な肌してるのに。とはさすがに言わないけど。

 逡巡し、美夜はおずおずと肩に手を伸ばし体を預けてきた。そこそこの重みが背中に寄りかかり、次いで爽やかな柑橘系の香りと体温、そして柔らかな膨らみの感触が。

 ……失念していた。一気に心拍は右肩上がり。かっと発熱し変な汗も滲んできた。


「レイちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫に決まってるだろ。立つぞ?」


 返事を待たず、動揺を誤魔化すようにして俺は膝を起こす。よっと声を上げて、背負いやすい位置に美夜をずらして歩き始めた。

 落ち着かないながらもしばらく歩いていると、いつもならすぐに話しかけてくる美夜が黙っていることに違和感を覚えた。


「珍しく静かだな、もしかして遠慮してんのか?」

「ううん、そうじゃないよ。せっかく二人きりなんだしさ、レイちゃんからなにか話題振ってよ」

「なにかってなんだよ……」

「なんでもいいよ~」


 こんな状況で話す〝なにか〟っていえば、なんだ? 世間話か?

 ふといつも何話してたかと思い返してみて――そういえば美夜から話しかけてくることの方が多いため、自分から話した内容について、コレと言って思い出せる特徴的なものがあまりないことに気づく。

 この期に及んで反省することになるとは。今度からは気を付けてみるか。

 内省しつつ、当たり障りのない話題を振ることにした。


「……えっと、そうだな……、最近学校はどうだ?」

「保護者かよ」

「保護者だろ」

「彼氏でしょ」

「付き合ってねえし」


 えぇ~、と不満そうな声を耳元で洩らす。

 さすがにそんな話題じゃ文句も出てくるか。けど急になにか話せと言われても、なに喋っていいか分からなくなるな。こんな状況でもなければ適当に話せる気がするんだけど。


「じゃあいつ付き合ってくれるの?」

「そんなこと分かるかよ」

「むぅ~~」


 と膨れっ面でもしてそうな唸り声を上げたかと思ったら――ややあって「ふふっ」と小さな笑い声。

 密着していた胸の位置がわずかに離れたことに安堵しつつ、「今度はなんだ?」と問うと、


「初めて逢った時のこと、思い出したんだぁ。あの夜も、こうしてわたしのことをおんぶしてくれたよね」


 辛い記憶のはずなのに、美夜はそんなことなかったかのような口調でしみじみと続ける。


「あの時ね、本当はわたし、嬉しかったんだ。こんなわたしにも優しくしてくれる人がいるんだって。それを伝えるのに時間はかかっちゃったけどさ」

「……そんなこと気にするなよ。別に早い遅いの問題じゃねえし。伝えたい時、伝えられる時に伝えればいい。それにもう、十二分に伝わってるからさ」

「レイちゃんって、そういうとこあったかいよね……ありがと」


 小さく呟き、肩に添えられていた手が離れ、両腕が前に回されたかと思ったら――鎖骨付近で勢いよく交差した。より密着する形となり、安心しきっていた心臓がおかしな飛び跳ね方をする。


「――レイちゃん、大好きっ」


 首元で囁かれる極めつけの文句。いつも言われている言葉なのに、何故かこの時ばかりは違って聞こえた。温かな幸福感が、じんわりと胸に広がるのを感じたのだ。

「…………ああ」――俺も、きっと好きだよ。

 続く言葉は口の中で噛み殺し、そう小さく呟いた。


 同情することも憐れむこともなく、なんの憚りなく素直な気持ちで、想いを伝えられる日はくるのだろうか――。

 照りつける夏の日差しの下、あの日のように美夜を背負って長い家路を歩いた。

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