第44話 キミと出会った春 ①
例えば、小学生のころ、雨の日に家に帰っていると、車道を走る大型車に水を撥ねられ服がびしょ濡れになって、最悪な気分になる未来が見えたことがあった。それは実際に数メートルくらい先で起こる出来事で、大型車が通るタイミングで撥ねる水を差していた傘で防御したら、降っている雨が突然強くなり、結局はかなり濡れてしまった。
濡れてしまうことまでは変えることのできないが、気持ちの上ではまだマシに思えた。
そんなマイナスを少しだけ小さくできるようなそんな程度にしかならない、役に立つのか立たないのか分からない不思議な力。
いい未来が見えた時は二度体験できるので、お得な気持ちになれるのでそこだけは都合よく受け入れていたりと、あまり深く考えず、気にも留めず、できるだけ自然体で笑って過ごしていた。
だけど、ちょっとだけズルをしているような気もしていた。
そんな私にある日、大きな転機が訪れた。
それは高校の入学式の日のことだ――。
最寄り駅近くでトラブルがあったのか、同じ制服を着た一組の男女が顔までははっきり見えなかったが、ぎこちない雰囲気で話していた。通り過ぎがてらちらりと見た感じでは、女の子の表情しか見えなかったが、二人の間に何かあったわけではなさそうだった。
もしかしたら、少し前にかなりの速度で慌てた様子で走り去って行った自転車が関係あるのかもしれない。例えば、暴走自転車から男の子が女の子を守ったみたいな、少女漫画とかでありがちなことが起こったのかもしれない。
「そんなわけないか――」
小声でそう呟いて、気を取り直して学校へ。
高校に着くと、昇降口前に目に見えて人だかりができていた。理由は簡単で、クラス分け表が貼りだされた掲示板が設置されていて、その確認のためだった。
しかしながら、比較的小柄な体型の私にはその光景を見るだけで、ため息が出てしまう。
意を決して、あの人だかりをかき分けてもいいが、何かの拍子に人の流れに飲まれたら逆らえるほどの力は私にはない。それだけでなく仮に無意識的であっても、体を触られたりするのは嫌で、どうしようかと考えてしまう。
とりあえず、一番後ろから見てみるも全然見えない。背伸びをしても大して変わらない。
「ここからじゃあ、見えないなあ。ジャンプすれば見えるかなあ?」
そう小声でぼやきながら、心の中で「せー、のっ!」と言いながら思い切ってジャンプをしてみる。ジャンプしたことでギリギリ掲示板に張り出された紙は見えた。しかし、それは一瞬で自分の名前を確認することはできなかった。
少し考えれば分かりそうなことなのに、気付かなかった自分の馬鹿さ加減に気が緩んだ。そのせいで着地にちょっと失敗してしまい、
「うわっ!」
という、自分でも分かる情けない声が思わず出て、転ばないようにとっさに近くの何かを掴んだ。もちろんそんな都合のいい場所に掴めるような物体はないので、掴んだのは人間で――。
「えっと、大丈夫……ですか?」
「はい。……って、ごめんなさい。名前探すためにジャンプしたら、着地でバランス崩したみたいで」
申し訳なさより照れが先に来てしまい、照れ隠しを含めて、にひひっと笑い声が漏れた。
気を取り直して、お礼を言おうと笑顔のまま支えになってくれた人の顔を見上げた。そこにいたのは、さっき見かけた女の子と何か話していた男の子だった。
その男の子と目が合った瞬間、私の心はきゅーっと締め付けられたようになった。
そして、今までに経験をしたことがない形で未来が見えた。それはいくつもの未来の断片で、脳内に一気に流れ込んできた。
*
普段は物静かなのに意外にノリが良くて、周囲から目立たないように心掛けている彼は、入学式のあとにクラスで行われる自己紹介で前の人のノリに釣られて、自分が運動音痴だと告白していて――。
くっついて座り、彼の肩に頭を預けた時の心地よさと、わずかに聞こえる彼の鼓動のリズムに安心感を感じる。
彼の部屋でからかった時に戸惑いを隠そうとするぎこちない笑顔が、なんだかかわいく見えた。
「“あっくん”が恋人でよかったよ」
そんな私の言葉に、改札を挟んでの電話越しに、
『僕も“りこ”みたいな世界一かわいい子が恋人でよかったと思ってるよ』
と、恥ずかしくなるようなセリフを口にする。それが耳元で聞こえるので照れてしまうが、今はそれより距離は関係なく、いつでも想いと心は繋がっているのだと思えたことが嬉しかった。
他にも、彼がブラックコーヒーが好きで、甘いものが苦手と言いながら一緒にケーキを食べたりしてくれたり、とても優しいのに時々いじわるで、そんなところどころ矛盾をはらんだ顔が共存していることも知っている。
私は彼と恋人同士になって、毎日を楽しく笑いながら過ごしていくことになるんだ――。
*
現在に戻ってくると、突然のことで何が起こったのか分からなかった。頭が少し痛んだが、今、見上げている男の子の顔は見ているだけで、私の心はドキドキして落ち着かないのに、不思議とホッと安らぎも感じていた。
そのおかげですっと落ち着いて周りが見えた。今は彼にぶつかった直後で、
「あっ――」
と、声に出して口をつぐむ。つい、いつもの癖で“あっくん”と呼びかけてしまいそうになった。流れ込んてきた未来の中では呼びなれたそのあだ名も、今はまだ私と彼は初対面で名前も知らない関係で――。そのことに気付かれないように、わざとらしく咳払いをして、
「えっと……大丈夫ですか?」
と、ぼんやりと私を見てくる彼に尋ね直した。
「だ、大丈夫です。それじゃあ、僕は名前を見つけたので先に行きますね」
そう目を逸らしながら彼は口にする。ここで引き留めるにも理由が思いつかなかったし、何かあっても、
「そっか。じゃあ、またあとでね」
だからこそ、そう口にして笑顔で彼を見送った。後ろ姿を見送った後、ふと、私は何をしなければいけないのか思い出せずにいた。近くの人だかりを見て、掲示板に張り出されたクラス分け表で自分の名前を探さないといけないことを思い出した。
少しだけ後ずさり、ポケットからスマホを取り出した。そして、ズームにして、名前が見えないか探してみる。運よく中迫という苗字が出席番号順で折り返して一番上に来ていないかと期待はしてみるもその期待は見事に裏切られる。
「岩月君はいいよなあ。こういう時、すぐに名前見つかるもんなあ」
スマホの画面に一年二組に見つけていた彼の名前を映しながら、羨ましさを感じて、愚痴っぽく呟いた。
「あっ!」
私はあることに気付いて思わず声をあげる。そのことに周囲の視線が集まるのを感じるが、今はそんなことはどうでもよかった。そして、校舎に向かって歩き始める。
私は彼と同じクラスになるのだから、彼の名前を見つけた時点で私がどのクラスになるのかわかるのだ。そんな簡単なことにも気付けない自分が少しだけ恥ずかしかった。
持ってきた上履きに履き替え、一年二組に向かった。
その道中、私はどうやって岩月君と仲良くなるのだろうと気になった。付き合うのは分かっていても、仲良くなっていく過程までは分からなかったのだ。
今まで誰かに告白されることはあっても、ちゃんと異性として誰かを好きになったことがなかった私は、その初めての経験を結果が見えている状態でも一から積み上げていけることに、どこかワクワクとしてしまう。
何をきっかけに話すようになるのだろうか。やっぱり、さっきぶつかったことだろうか。いやいや、何か別のことがきっかけかもしれない。
そんなことを考えていると、あっという間に教室について、開いている扉から中に入ると、扉のすぐ近くの席に座る岩月君と目が合った。
そのとき、自分の失言に気付いてしまった。
さっき岩月君と掲示板の前で別れた時、「またあとでね」と言ってしまっていたのだ。
しかし、特に不審がられてもいないようなので、視線を逸らして何事もなかったかのように黒板に貼られた席表で自分の名前を探して、教室の真ん中あたりの自分に割り振られた席に向かった。
私の席の近くでちょうど女の子二人が話していたので、さっそく絡んでみることにした。
机に鞄を置きながら、
「はじめまして。二人は仲良さそうだけど、前からの知り合いなの?」
と、声を掛けると二人は一端話を止めて私に視線を向ける。
「同じ中学だったんだよ。ねえ、千咲」
「正確には小学校から同じだけどそのときはあまり面識はなかったんだけどね」
「そうなんだ。あっ、私は
「分かったわ。私は
「私は
「あんまりしてないよ。肌弱いから、保湿と日焼けに気を遣ってるくらいで」
「本当に? 実は何か秘訣が――」
「こら、祐奈。初対面の人にそんながっつかない」
「あははは。全然いいよー」
二人とはすぐに打ち解け、そのままお互いの距離を測りながらとりあえず連絡先を交換して、楽しく話せた。
その合間にふと岩月君はどうしているだろうと、時々チラッと見ていた。岩月君はぼんやりとクラス内を見回したり、本に目を落としたりと、誰かと話そうとする気がないみたいだったが、私とは視線が重なったりしている気がした。
私は未来で恋人になる相手と出会った。しかし、どういう恋をしていくことになるのかは、今は想像もできない。
そんな今の私にはまだ分からない彼自身と彼の魅力に興味と好奇心が湧いていた――。
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