第36話 近づく冬の気配に、未来を ①

 駅を降りて高校に向かういつもの道すがら、目に入る桜の葉はすっかり色が変わり、駅前のファミレスは栗を使ったスイーツの宣伝をしている。

 日中は長続きする残暑に汗ばむこともあるが、日が暮れる早さや日の照っていない時間帯の肌寒さに冬が近づいているのだと感じられた。

 

「あっくん、ごめん。今日もなんだ」


 一週間くらい前からりこは謝りながら、放課後に一人で教室を飛び出して帰ることが多くなった。そのことにどこか寂しさや退屈さを感じていて、何か用事があるなら邪魔をしたくないと自分の気持ちより相手のことを優先させていた。


「最近、学校以外でまともに話ができてないよね」


 つい気持ちが言葉になって漏れていた。僕はりこのことを信用も信頼もしているが、さすがに理由も分からないまま放置されるということにストレスも溜まっていたのだろう。


「本当にごめんって。じゃあ、今日は帰りにファミレス寄ろうか? あんまり長居はできないけどさ」

「その感じだと何か用事があるんでしょ? いいよ、無理に僕の相手をしなくても」

「でも、あんまりあっくんをほったらかしにするとねるじゃん」

「拗ねるってひどくないか? 何をしてるか知らないけどさ、僕はりこのことはちゃんと信じてるんだ」

「やっぱり拗ねてるじゃん」


 りこはため息交じりに僕を見つめてくる。なんだか僕がわがまま言っているみたいになっている。最近りこと話す量も、一緒にいる時間も少なったせいか距離感を感じていて、そのことに不満を感じている。それを拗ねていると言うのだったら仕方がない。


「じゃあ、拗ねてるでかまわないから、僕は一人で先に帰るよ」


 珍しく感情的になってしまい、僕は鞄を肩にかけ先に教室から走って昇降口に向かう。僕が運動が苦手と言えど、りこも足が速い方ではないので追いつくのは難しい。そのうえ、りこはまだ荷物を鞄に入れている最中で手を止めて僕と話していた。

 靴を履き替えるころには頭が冷えて、自分の言動に嫌悪感が付きまとう。そもそもりこが相手じゃなかったら僕はあんなにも感情を素直に表に出せなかったかもしれない。だけどよりによって、怒りや嫉妬という感情が噴き出すとは自分でも思ってもみなかった。

 でも、だからといってあんな捨て台詞を吐いたのだから、ここでりこを待つというのも違う気がした。自分のした行動の恥ずかしさから目を逸らしたくて、足早に学校をあとにした。

 このまま真っ直ぐ家に帰っても頭の中でよくない考えが堂々巡りしそうなので、落ち着ける場所を求めて、ふらふらと駅前の本屋に入った。

 ささくれだった気持ちも本に囲まれることでやや収まっていく。そのまま気の向くままに本を手に取って、読んだりしていると、ふいに肩を叩かれた。本に落としていた視線を上げ、肩を叩いてきた相手を確認すると、野瀬さんだった。僕は棚に本を戻して、野瀬さんに向き直る。


「何か用?」

「ここじゃあ、ちょっとあれだし、場所変えよう?」

「分かった」


 野瀬さんに言われ、僕は黙って野瀬さんに付いて行き、本屋を出て近くのカフェに入る。こんなこと前にもあったなと春先のことを思い出した。あのときはりこと付き合う未来の記憶が見えて、そのことを飲み込めず困惑していたし、一緒にカフェに行った相手も違ったわけだけど。

 野瀬さんと向かい合うように座り、コーヒーを注文する。野瀬さんはどこか少し不機嫌そうで、僕はその理由が分からずにいた。気まずい空気のまま、一言も会話をせずにいるとコーヒーが運ばれてきた。僕は何かを誤魔化すために、カップを口元に運びながら、そっと野瀬さんを観察すると、野瀬さんも同じようにコーヒーに口をつけている最中だった。

 カップを置いて、僕の方から切り出すことにした。


「それで場所を変えてまで何を話そうというんだい?」

「ねえ、最近順子と上手くいってないんでしょ?」

「上手くいってないかどうかは分からないけど、最近りこが忙しいみたいで一緒にいる時間が減ってはいるよ」


 野瀬さんは驚くほど深いため息をついた。このタイミングで心底呆れたようなため息をつかれて何事かと身構えてしまう。


「はたから見れば、あんた達は分かりやすいのよ。最近、二人とも笑顔がぎこちないし、噛み合ってない感じがする。特に岩月が」

「僕? そんなことないよ」

「そんなことあるっての。気付いてないかもしれないけど、最近の岩月は順子や私たちと話しだす前みたいな退屈そうでつまらなさそうで、どこか違うところを見ているようなそんな感じなんだよ」


 野瀬さんの言葉にハッとさせられる。思い当たる節があり過ぎた。りこと距離感ができたことで立ち位置を見失い、僕が見ている世界は色と輝きを失い、活字の世界に逃げようとしていた。


「やっぱり順子が原因?」

「人のせいにするのは嫌だけど、そうだと思う。きっと僕はりこがいないと社会性が欠如するんだ」

「まあ、何となくわかるよ。岩月にとってはそれだけ順子の存在が大きいってことなんでしょ。で、二人ともお互いが好きすぎて、悪い言い方をすると精神的に依存し過ぎてるんだ」

「……否定はしないよ。りこは分からないけど、僕はその通りだと思う」

「順子も一緒だよ。頭の中のたぶんこっちがドン引きするくらい岩月のことでいっぱいだと思うよ」


 野瀬さんは再度ため息をついてカップに手を伸ばす。僕は何も言葉が出てこないので、ただただ液面に目を落としてぼんやりとしていた。


「それで最初に戻るけど、私がなんで本屋にまで行って岩月に声を掛けたと思う?」


 その理由が分からずに僕は黙り込んでしまう。そんな僕を見て、野瀬さんは再度大きなため息をついた。


「ほっんと、岩月も順子もめんどくさい」

「急にひどいことを言い出すね」

「だって、そうでしょ? 私がなんで好きこのんで岩月を追いかけると思ってるのさ」


 それはそうだと、思わず納得してしまう。


「私は順子にフォローを頼まれただけだよ。大切な友達がギクシャクしてるのは見てる方も辛いのよ。それで順子が最近隠れてこそこそするのに思い当たることはない?」

「それが分かれば僕だって荒れてないっての」

「あれで岩月は荒れてたんだ。分かりにくいよ。あれじゃあ、順子にかまってもらえなくて拗ねてるようにしか見えない」

「僕はそんな――いや、そうかもね。僕はりこがいなくてつまらなかったんだ」

「本当にめんどくさいなあ。ねえ、岩月。前に似たようなことなかったかしら? そのときはは立場が逆だったけど」


 野瀬さんの言葉に僕は記憶をたどる。りこが拗ねてたことは時々あったが、決定的に行き違いをしたのはりこの誕生日の前のことだ。あのときは僕がりこと会う時間を削ってりこの誕生日プレゼントを買うためにバイトをしていた。

 そのことに行き当たり、僕は左手に巻かれたペアのブレスレットと一緒に目に入るミサンガに目を落とす。僕はりこの笑顔を守ると決めていたのに、なんで忘れていたんだろう。


「で、岩月。もうすぐ何があるか分かる?」

「僕の誕生日……?」

「そうだよ。順子が何をしているかは教えられない。本当は順子が誕生日のために何かやってるのだって内緒にする約束だったんだからね。でも、今回は順子もやり方が悪かったのか、岩月が珍しく感情的になっちゃったからねえ」

「あれは僕が大人げなかったんだよ。いつもなら流せてたはずなんだ」

「いつもならね……。だけど、いつも通りじゃないから流せなかったんでしょ? 順子、あのあとどうなったと思う?」


 僕はりこが追いかけてくるか来ないかしか考えてなかった。そして、それから逃げることしか。

 野瀬さんは僕の方を真っ直ぐに見てくる。その目はどこか優しくて。


「その様子だと、あんまり気が回ってなかったみたいだね」

「うん。まあ、その……頭に血が上ってたからね」

「順子はさ、岩月が今までに見せたことないほど冷たくて怖い顔してた、嫌われたらどうしようって、真っ青で今にも泣きそうな顔をしてたんだよ」

「僕はそんな顔してたかな?」

「少なくとも本屋で見かけた時は岩月もどこか青い顔で死んだような目してたよ。不機嫌オーラ丸出しだったし」

「あんまり否定できないのがちょっとね……」


 そう呟いて自嘲気味に笑いながらコーヒーに手を伸ばした。野瀬さんも小さく笑いながら静かにコーヒーに口をつけていた。


「それでどうするの、岩月?」

「待つくらいしかできないよ。でも、一言二言は謝らないといけないのかな?」

「それは分からないわ。でも、今回ばかりは順子の肩ばかり持つのも違う気がするのよね」

「なんで?」

「だって、そうでしょう? 岩月が隠れてバイトしてた時は放課後やなんかは順子の相手ちゃんとしてたけど、あの子は今回、岩月のことノーケアでほったらかしなんでしょう?」

「きっとそれだけ、僕がサプライズで喜ぶ姿しか想像出来てなかったんだよ。いつものりこなら、考えなくてもそっと気を回したりできるだろうし、踏み込むときも離れるときも距離感はいいからね」

「なにそれ? 結局、惚気のろけ?」

「そうかもね」


 野瀬さんと顔を見合わせて、笑い合う。


「それじゃあ、これから順子の様子見に行く?」

「それは家に今から行くってこと?」

「そうだよ。どうせ岩月とのことで何も手につかないほどテンパってるだろうし、あの子を安心させるためとちょっとおきゅうをすえるためにね」

「野瀬さんって、時々怖いよね」

「岩月にだけは言われたくないわ。それに、二人にはかなり協力もしてるし、文句を言われる筋合いはないわ」

「そうだね。いつも感謝してるよ、野瀬さん」


 野瀬さんは僕の言葉にすっと視線を逸らして、おもむろにスマホを取り出していじり始めた。その見慣れた姿に今は安心感を感じていた。僕とりこのことにここまで首を突っ込んで心配して関わってくれる人がいるというのは、僕にとってもりこにとっても幸せなことで、ますます野瀬さんには頭が上がらなくなりそうだ。

 コーヒーを飲み終えると、会計をしながら目に入ったマドレーヌを手土産代わりに買っていくことにした。

 カフェから出ると、まだそこまで遅い時間ではないのに空は暗くなっていて、街灯や店などから漏れ出る照明の明るさに照らされた道を駅に向かった――。

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