第35話 夏の暑さに歪む世界に、未来を ④
夏休みが終わって、半月が経とうとしていた。
その間に変化もあった。一番は席替えがあったことだ。僕は廊下側の後ろから二番目というなかなかの場所になった。
そして、何の幸運か因果かりこは今度は僕の後ろの席になった。
しかし、それ以外の仲良くしている面々はバラバラで、野瀬さんと柴宮さんは窓側寄りの席で、相川にいたっては教壇の真ん前という特定席を引き当てていた。
授業が終われば、後ろの席のりこがすぐさま絡んでくるし、そうしているうちに周りにいつものように集まってくるので僕は相変わらず騒がしく楽しく、温かな場所の中心にいた。
そんなある日、学校に向かう電車に揺られていると、突然、風景が変わった。どうやら、未来の記憶が再生され始めたようだった。
*
教室の自分の席に座って、鞄から机へ荷物を移していると、登校してきたりこが上機嫌に僕の方にやってきて足を止める。
「おはよう、あっくん」
「おはよう、りこ。なんかご機嫌だね」
「えへへー。分かる?」
「分かるよ」
「さすがあっくん」
「それで何があったの?」
僕の言葉にりこの表情の明るさに影が落ちた気がした。そして、じっとりとした目で僕を見つめてくる。僕は気付かないうちに何か地雷を踏んだようだ。
「僕は何か変なことを言ったかな?」
「いいや。ねえ、あっくん」
「なにかな?」
りこの表情が少しだけ怖い。だから、何を言われるのか身構えてしまう。
「今日は何の日か分かる?」
そう問われて僕は固まってしまう。何のことか分からないのだ。りこの誕生日は夏休み前だし、他にりこがご機嫌になるような特別さに思い当たる節は何もなかった。
「ごめん、分からない。何の日なの?」
「はあ……あっくんはそういう人だよね、うん」
りこはすっと肩を落とす。そこに野瀬さんと柴宮さんが教室に入ってきて、僕とりこの方に近づいてくる。りこの様子がいつもと違っていたように見えたのだろう。野瀬さんが挨拶をした後にりこに「どうしたの、順子?」と声を掛けると、りこは不満げな表情を浮かべたまま、
「ねえ、聞いてよ、千咲、祐奈」
「どうしたの? 順子ちゃん」
「それがさあ、あっくんがさ、付き合って三ヶ月の記念の日なのにすっかり忘れてるみたいでさ」
そう言われて初めて気づいた。そういうことを気にしたことがなかったので、素で驚いてしまう。
「本当に? いやいや、岩月さ。勉強の物覚えはいいのに大事な日は覚えてないんだね」
柴宮さんが「だめだよー」と続けながら僕になぜか説教してくる。
「そうだね。そういうのは大事にしないとね」
「いやいや。そういうのって、そんな細かく記念日あるの?」
「そうだね。だいたい、一ヶ月、三ヶ月、半年、あとは一年ごとくらいじゃないかな」
「そんなルール聞いたことないよ。そもそも一ヶ月の時は何もなかったし」
「そうなの、順子?」
「一ヶ月の時は私の誕生日と近かったし、まあいいかなって」
「順子も何気に適当よね」
野瀬さんは状況を把握し終わり、大きなため息をついていた。そして、僕は野瀬さんの仲介のもと、放課後にりことデートがてら奢らされる約束を取り付けられてしまった。
そういう記念日に無頓着だった僕の配慮の足らなさへの埋め合わせになればと、僕は二つ返事で了承した。
それと同時に、記念日というものの大事さを認識して、次からはそういう日が近づいてきたらりことちゃんと何をするか話そうと心に決めた――。
*
ふっと気が付くと吊革に掴まっていた。そして、ついさっき見えた未来の記憶についてどうしようかと考えを巡らせる。覚えていなかったことは確かなので今から何か特別なことを用意できるわけではない。できることは放課後に何かする程度だが、それなら未来の記憶の通り知らなかったままの方がすんなり話がまとまりそうでもある。
いつもの駅で電車を降り、高校までの道をどうしようかと頭を悩ませたまま歩いていると、
「あっ、岩月君。おはよう」
と、声を掛けられた。声の主の方に顔を向けると、西城さんが隣まですっと来て、僕の顔を覗き込んでくる。
「おはよう、西城さん」
「うん。それより、なんだか朝から難しい顔をしてるね。何かあった?」
「そんなに僕は顔に出てたかな?」
「分かりにくいけどね。こう眉間に皺が少し寄ってる感じ?」
西城さんは顔をしかめながら眉間に指で皺を寄せてみせる。
「そこまであからさまじゃないだろ?」
僕はそう言いつつ、思わず笑ってしまう。おかげで少しだけ気持ちが楽になった。
「そう? それで何か悩み事?」
「まあ、少しね。ねえ、西城さんは付き合って何ヶ月みたいな記念って大事だと思う?」
「年単位では大事かなと思うけど、あとは半年と三ヶ月は区切りって感じがするかな?」
「そういうもんかな?」
「そういうもんだよ。そういや、岩月君が順子ちゃんと付き合いだして、もうすぐ三ヶ月だっけ?」
「それが今日なんだけど、何かした方がいいのかな?」
西城さんは驚いたような表情を浮かべ、無言で僕を見つめてくる。
「えっと、僕は何か変かな?」
「いや、そういうことで悩むんだなって」
「おかしいかな?」
「いや、全然。順子ちゃんがどうかは知らないけど、いつも通りプラスアルファでいいんじゃないかな? 特別なことはさほど重要じゃないと思うよ」
「どういうこと?」
「この三ヶ月がどんなだったか話したり、付き合い始めたころの気持ちを少しだけ思い出すだけでもいいんじゃないかな?」
「そういうのでいいの?」
「そういうのでいいんだよ」
西城さんはそう言って笑って見せる。西城さんのその言葉や顔を見て、考えすぎていたと実感する。最初から変に気を回そうとしなくても、未来の記憶ではなんだかんだ上手くいっていた。それを少しだけよくする方に傾ければいいのだろう。
「ありがとう、西城さん。気が楽になったよ」
「そう? また、何か悩み事あるなら相談にのってあげるよ」
「ほんと助かるよ」
西城さんは柔らかく「うん」と頷いて見せる。そういえば、西城さんのこういう表情を見たのは久しぶりな気がする。そして、今まではずっと心の奥底に抜けない棘のようなものがあったが、それがなくなったように感じた。僕は久しぶりに西城さんと前みたいに何も気にすることなく自然に話せていた。
そのことが少しだけ嬉しくて、そのまま西城さんと一緒に話しながら登校する。また前のように小説の話をしながら――。
学校に着き、教室の前で西城さんと別れ、自分の席に座ると、鞄から教科書などを机に入れ始める。そこにりこが教室に入ってきて、記憶の中で見たのと同じように上機嫌で僕を見つめながら真っ直ぐにやってくる。僕の机の前で立ち止まってりこは、
「おはよう、あっくん」
と、弾む声で挨拶をしてきた。
「うん、おはよう。なんだか今日のりこはご機嫌だね」
「分かる?」
「もちろんだよ」
「さすがあっくんだね」
「それで何かいいことでもあったの?」
僕はりこの機嫌のいい理由を知っているが、もし違う理由だと困るので確認のために尋ねてみる。すると、やはりというか僕の言葉にりこの表情がわずかに曇り、じとっとした目で僕を見つめてくる。
「どうしたの、りこ?」
「ううん。ねえ、あっくん」
「なにかな?」
「今日は何の日か分かってる?」
その聞き返しで未来の記憶の再現だと確信する。だから、用意していた回答をする。
「知ってるよ。僕とりこが付き合い始めて三ヶ月経つんだろ?」
りこは驚いたように何度も目をぱちくりさせている。
「ちゃんと覚えてたんだ」
りこはぱあっと表情を明るくして、今にも僕に抱きつきたそうな顔している。
「まあ、でもさ、特別何かを用意してるわけじゃないんだ。ごめん」
「謝ることないよ。三ヶ月あっという間だったね」
「そうだね。そういや、付き合うことになった時、喫茶店のマスターにブラウニーもらったよね」
「ああ、あったね。あれ美味しかったな」
「じゃあ、こういう付き合って何ヶ月みたいなときはあの喫茶店で甘いものを食べようよ」
「それいいねえ! 約束だからね。まずは今日の放課後だね」
りこは嬉しそうに笑いながら、僕の手を握ってくる。本当はそれ以上のことをしたいのかもしれない。だけど、場所が場所なのでそれで我慢したのかもしれない。
そこに野瀬さんと柴宮さんが登校してきて、やけにテンションの高いりこを目にして、何事かと近づいてきた。二人がおはようと挨拶をして、野瀬さんが「どうしたの、順子?」と声を掛ける。りこが嬉しそうにさっきの内容を話していた。
「朝から何を騒いでるかと思ったら、いつも以上に仲がいいことで」
「うんうん。朝から甘い話をごちそうさまだよ」
野瀬さんと柴宮さんはそう笑って言い残して、自分の席に向かった。
未来の記憶で見たものとは違う形で放課後のデートと記念日に甘いものを食べる約束を交わした。未来を変えても変えなくてもきっと僕とりこは幸せなのは変わりないのだろう。だけど、今回は変えたことでよりよい未来になったのだろうと僕は思っていた。
積み重ねた時間と交わされた約束に、りことの絆を感じ、僕の心は幸せに満たされていた――。
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