詩の上手なつかいかた

河野聡子

詩の上手なつかいかた

書評:斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(2019年・福音館書店)




「ぼく」はおじさんだ。

 たぶんジャンクフードが好きなおじさんだと思う。良識あるおかあさんならこどもにはふだん食べさせたいと思わないようなものばかり食べている。カップラーメンとか、レトルトカレーとか、冷凍やきそばとか。そういうものをおじさんが食べようとしたとたん、きみがやってくる。

 一応断っておくけど、「ぼく」のことをおじさんと呼んでいるのはきみだ。わたしじゃない。きみはたぶん小学生で、おじさんはきみの家の近くに住んでいる。おじさんの部屋の床からは「かんようしょくぶつ」が生えている。「かんようしょくぶつ」というのは、もとは山で木として生まれてきたものだ。木の繊維をどろどろにして押しつぶして乾かすと紙ができる。紙に文字を印刷し、綴じると本になる。その本をたくさんつみあげると「かんようしょくぶつ」ができあがる。

 かんようしょくぶつというのは、にんげんが眺めて楽しむために育てているものだ。だからおじさんはその幹をなしている「本」を読んでいるとはかぎらない。わたしの家にも似たようなものがあるけど、わたしはこれをかんようしょくぶつとは呼んでいなくて「ほんだまりこ」さんと呼んでいる。ほんだまりこさんは本棚の前にたまって、わたしが本棚に近寄ろうとするとじゃまをする生き物で、おじさんの部屋に生えているかんようしょくぶつと同じ素材でできている。

 ごめん、話がそれました。ともかくおじさんの部屋のかんようしょくぶつの幹から、おじさんはときどきいろいろな人が書いた「詩」をとりだして、きみに読ませてくれる。最初はきみの疑問に答えるために。でもやがてきみはおじさんがとりだす詩に慣れてきて、詩を楽しむようになっていく。

 どうしてわたしがそんなことを知っているのかって? わたしはきみとおじさんの会話をのぞき見しているんだ。部屋の壁みたいに静かにね。「おはなしを読む」という行いにはそんなところがある。おはなしの中には登場人物とよばれる存在がいて、つまりきみとおじさんのことだけど、彼らが何かをしたり、話したりするのを、わたしは黙ってのぞき見る。

 ひとつ告白したい。わたしはきみとおじさんの会話をのぞき見して、きみのことがうらやましいなあ、と思った。だってわたしがこどものとき、こんなふうに詩をみせてくれるおじさんはいなかったし、おじさんのように話をしてくれる大人もいなかったし、きみとおじさんのおはなしを小学校の図書館で読むこともできなかったから。

 もしきみくらいの年にきみとおじさんのおはなしを知っていたら、わたしはもっと前から詩を楽しく読めるようになっていたかもしれない。わたしはときどき詩を書くのだけれど、詩を楽しく読んだり、毎日のくらしの中で詩を利用することがずっとうまくできなかった。最近すこしやり方がわかってきたけれど、十年くらい時間がかかった。

 そんなに時間がかかったの、そうきみはあきれるにちがいない。でも大人っていうのは効率がわるい生き物だし、わたしが詩に出会ったのはきみとちがって大人になってからだ。しかたない。

 世間には誤解している人がたくさんいるようだけど、詩は書くほうが簡単で、楽しく利用するほうがむずかしい。だからきみとおじさんのおはなしを読んで、詩の楽しい使い方をこどものうちに知るのは、すごく大事なことだと思う。

 最後にひとつ、おじさんにいってあげたいことがある。あっためかけたレトルトカレーはまた保存できるから、心配しなくても大丈夫だよ。



(初出:「妃」21号)

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