第224話 地山決水

 塹壕に滑り込んでやり過ごす。頭上では魔術とか矢が飛び交っていて、戦場の熾烈さを物語っていた。


 交通の要所である以上は敵の激しい抵抗は予想されてはいたが、まさか直前でアトモス軍が動かないなんて事態になるとは流石に想定外だった。


 もう2時間以上戦い続けている。戦況は一進一退を繰り返し、先の見えない戦いに各々不安と焦りを抱き始めていた。


 そんな中、ユキノがススっと近くに寄ってきてロイの右腕に継続型治癒魔術リジェネレイトをかけ始めた。


「サンキュ、ユキノ」


「あんまり無理しないで下さいよ? 隣で戦ってるのを見てると、たまにハラハラさせられますから……」


 暖かい光、だけどユキノはキリッとロイを見据えている。普段はどこまでも甘やかしてくれる彼女だけど、ひとたび俺が無茶をすればキッパリとそれはダメだと言ってくれる。


 勿論、ユキノ自身もここぞという時に無茶をしないといけないのは理解してると思う。だけど敢えて言うことで俺を修羅の道から引き戻してくれている、そんな気がするんだ。


「ロイさん、聞いてますか?」


 思案に耽っていたせいか、少しボーッとしていたようだ。心配したユキノが覗き込んでくる。流れるような黒髪、可愛さと綺麗さを高水準で内包した顔立ち、治癒術師用の法衣にしては胸元が開いていて深い谷間が形成されている。


 聖女フィリアと似た服装でありながら、それに不釣り合いな黒い外套リーベスタの証


 表情は少しムーっと怒っている。それがとても可愛くて、思わず抱き締めてしまった。


「ちょ、ちょっとロイさん!?」


「このままでも魔術は使えるだろ。少しこのままでいさせてくれ」


「……はい」


 ユキノが一言そう返すと、俺の背中に回された腕にギュっと力が入るのを感じた。


 戦場で危機感が無いと怒られるかもしれない、主にソフィアに。だけど、そう……緊張感で身体が強張りすぎるのもよくないからな、これはれっきとした治療行為なんだ。


 身体と身体の間にある温かく大きな乳房クッション。行き場を失った柔肉が開いた胸元から逃れようとその面積を広げていく。


 その際に感じたユキノの熱い吐息に、思わず俺の男の部分に力が入りそうになったその矢先。


 ────ポカン。


 後頭部にチョップを入れられた。


 抱擁を解いて振り返ると、銀髪の鬼ソフィアが立っていた。


「ロイ、軽い息抜きが必要なのはわかるけど、やり過ぎよ。あなたの鋼の心はどうしたの?」


「そんなもの……死んだよ」


 ────ポカン。


「詭弁はいいから、剣を手に取りなさいな。それとユキノ」


 ────ポカン。


「はうっ」


「蕩け切った顔してないで、気を引き締めなさい」


 パーティの委員長に怒られたロイは、自らの頬を軽く叩いて剣を手に取った。



 ☆☆☆



 〜山頂〜


 アゲウスは山頂から戦場を俯瞰していた。連合が押され始めた段階で自らの秘策を発動させる。これにより連合は“足止めしか出来なかった”という戦果となり、アトモス軍は“勝利を決定付ける一撃を放った”という戦果を挙げることになる。


 交通の要所であるこの街を落とせば、勝利は大きく連合側に傾くことになる。そうなれば、アゲウス・ナイラスという英雄が誕生し、役に立たなかった連合諸国の面目を保つ為に、ある程度の要求ができる。


 その要求とはすなわち……アゲウスが最も欲して止まないとされるユキノ達だった。


「くくく……英雄には花嫁が必要だ。役に立たなかった連合を追求しない代わりに、花嫁を頂く、我ながら大した策だぁ!」


 笑いが止まらないアゲウスの元に伝令が駆け付けた。


「アゲウス将軍! 帝国王、ヴォルガ・インペリウム様から伝言です!」


「ほぅ、早く動けとか、そんな感じだろう。どれ、言ってみよ」


「はっ、それが────」


“アゲウス将軍、要所攻略という重大な局面においてアトモス軍は何故なにゆえ動かないのか、大変遺憾に思っている。よって、この戦いで貴殿の軍無しに勝利した暁には、正式な書面を以てアトモス本国に抗議文を送ることにした。覚悟召されよ”


 伝令の言葉を受けたアゲウスはそれを一笑に付した。


「覚悟するのはどっちだ。未だ他の連合国は戦線を────」


 と言い切る前にアゲウスの言葉が止まった。少し目を離した隙きに、大きく戦況が変わっていたからだ。

 それまで一進一退だった連合が急に戦線を押し上げ始めた。その先頭に立っているのは黒衣の男……。


 パーティと連携し、敵を蹴散らしながら進んでいる。


 アゲウスはギリギリと親指の爪を噛みながら不安を口にした。


「マズイ、マズイマズイマズイ……ッ! 想定外だ、あんなに強いとは、想定外だっ!」


 このままでは、英雄どころか戦犯者だ。本国にこのことが知れたらビショップの地位も剥奪され、下手すれば奴隷落ちの可能性だって十分有り得る。


 そこでアゲウスは閃いた。


「そうか……戦果さえ挙げてしまえばある程度の罪も不問なはずだ! 多少連合に犠牲者は出るだろうが、この際それは問題じゃない」


 心残りがあるとすれば、先頭にいるユキノ達が死ぬかもしれないということ。だが、地位を失うよりは断然いいはずだ。


「今すぐ……儀式魔術を始めろ!」


「いや、しかし……すでに味方が射程に入っておりますが……」


「多少の犠牲は構わん! とにかく今すぐに戦果を挙げねばならんのだ! 急げ!」


「ハッ!」


 アゲウスの指示により、儀式魔術の準備が始まった。


 眼下で戦う兵士達を眺めながら、アゲウスは不安に震え始めたのだった。



 ☆☆☆



 ロイ達の奮闘により、連合は街の入口まで戦線を押し上げることができた。こちらの援軍はなく、向こうは続々と増援を送ってこれる状況、それなのによく押し上げたと各々感心していた。


「ロイ君、結局アレは使わなかったんだね」


「無理だろ。正確に意味を理解しないと安定性に不安が残るからな」


「そっか。ロイ君の新技……楽しみだったのになぁ」


 アンジュが敵の剣を打ち払いながらそう口にする。


 かつて、エデンでの戦いにおいてカレルが見せた黒き月の刃。サリナの解析のおかげで形にはなってきたけど、まだまだ実戦向けじゃない。


 シャドーエッジみたいに剣に影を纏わせて飛ばす、それまではいい。だけど、カレルみたいに月の形を維持できない。


 これは考案者のイメージや理想を明確に理解できてないから起きる現象だ。


 技術ではなく、込められた想い……その最後のピースだけが見つからないんだ。


 と、敵陣を駆け抜けている最中、山の方から地響きの様な音が聞こえてきた。


「ひゃうっ!」


「ユキノ、掴まれ!」


 地面が揺れて転けそうになったユキノを抱きとめる。


 周囲に山は幾つもあるが、聞こえてくるのは開戦前にアゲウス達が向かったとされる山の方からだ。

 目を凝らしてよく見てみると、山が……溶けている? いや、あれは────。


「土石流か? なんでこのタイミングでっ!?」


「ロイさん……あれ、こっちに向かってる気がしますけど」


 確かに、方向的にもこっちに流れてる気がする。マズイ、非常にマズイ! このままじゃ、王国軍とか連合軍とかそんなの関係なしに死者が出る! 意思と意思とがぶつかり合い、その果てに勝利を勝ち取るのが戦争だ。


 これではただの大義なき虐殺じゃないか!


「アゲウス……やってくれたわね」


 アンジュが忌々しげに言った。


「あれはやっぱアイツの仕業なのか?」


「確信はないけど、聞いたことがあるの。アトモスは水脈を暴走させて任意の方向に土石流を作り出せるって。名前は確か────【地山決水デブリスフロウ】。かつて、水上都市国家アトモスが、内陸部を攻める際に考案した最上級水魔術。迂闊だったわ、山道を行軍したいと言い出した時に気付けていれば……」


「アンジュ、気に病むな。悪いのはアゲウスだ。やり方があまりにもクズ過ぎる!」


「ロイ君! どこに行くの!?」


「……俺達で止めるしかないだろ」


 土石流を止める、それは馬鹿な考えかもしれない。勝算のない戦いを挑むなんて俺らしくないと思う。合理的じゃないし、何よりなんの算段も持ち合わせていない。


 じゃあこのまま撤退するのか? その選択はあり得ない。


 戦闘中、民家の扉は全て閉じられていたけど中から人の気配がした。王国軍らしいと言えばらしいけど、奴らは戦争が始まるというのに事前に避難すらさせていない。


 俺は、日常を壊されるのが大嫌いなんだ。この人達の日常を取り戻す戦いなのに、見捨てられるわけないだろ!


「ロイさん、お供します」とユキノの足音が聞こえてくる。


「あたしも行くし。勇者パーティとして召喚されたんだから、らしいことしないと」続けてサリナが走る。


「アゲウスのやり方、明らかに王国寄りのやり方だよね。そういうの、嫌いだからさ、ついて行くに決まってるじゃん」アンジュもロイの背後を並走する。


「私は……ロイの身の安全が一番だと思うわ。でも、ロイを助けることで結果的に多くの人が助かるのなら……未来の妻として、ついて行くしかないじゃない」ソフィアは少し不安げな表情をしながらも、ロイに随行した。


 みんなが来るのはわかっていた。ここで「命が惜しいものは」なんて野暮なことを言うつもりはなかったし。


 だけどまぁ、ついて来てくれたことがここまで嬉しいなんて……初めて思ったかもしれない。


Tips

地山決水デブリスフロウ・最上級水魔術


太古に考案されて以降、使われないまま放置されていた大魔術。他の最上級水魔術に比べて最も敵にダメージを与えられる反面、緻密な計算と最適な水脈が無ければ使えない為、仮にアトモスがどこかと戦争をしたとしても使用頻度は少なかったと推察される。

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