第111話 帰還

 多額の慰謝料を受け取ったロイとアンジュは、無事にエデンに帰ることができた。


 クリスタルで出来た巨木の道を歩き、自身の家の前に立つ。陽は完全に落ちているので誰とも会うことはなかった。


 唐突に、アンジュが肩をポンポンと叩いてきた。


「私と……その、キス……しちゃったじゃない? 少しの間でいいから黙っててくれない?」


「言えるわけ無いだろ。てか、何で黙っとかないといけないんだ?」


「みんなで話し合って決めたことなんだけど、やっぱり辛く感じる子とかいると思うの。特に……ユキノとか」


 大怪我を負い、死の淵に立たされていたアンジュはあの時、俺にあることを言った。


『みんな……あなたのことが、好きだから……』


 ソフィアに関してはなんとなく知ってはいたが、まさか全員だとは思わなかった。


 アンジュの話しが嘘だったら、とんでもなく恥ずかしい思いをしなくちゃいけなくなる。だから改めて濁した感じに聞いてみた。


「俺には信じられないな。本当にみんなが?」


 アンジュはコクリと頷いて「ロイ君中々落ちないからだよ」と付け加えた。


 俺だって男だ。女の子から好意を寄せられる事に対して悪い気持ちなんかない。特に、贔屓ひいき無しで見ても、うちのパーティは美少女揃いだ。


 性格も良いし、嬉しいに決まってる。


「あの時は私、死んじゃうと思ったからさ。言っちゃったけど、本来は先に想いを教えちゃうのってルール違反なの。だから知らない振りをしつつ、アプローチを徐々に受け入れてくれたら嬉しいなって、思うのですよ」


 難解なやり方だな。そう思いつつ、ロイは承諾することにした。


 鍵を開けてコッソリ中に入っていく。置き手紙だけでその日に出ていったから、なんとなく気まずいからだ。


 我が家はリビングからそれぞれの部屋へ通じる作りをしている。最も入口に近いアンジュは自室に入る時に小さく手を振って中へ入っていった。


『ったく。夜目のきく俺じゃなければ見えなかったぞ』


 小さな声で言いながら暗闇の中を進んでいく。


 ドアノブに手かけた瞬間、真横から気配を感じた。振り返ると、すぐに声が聞こえてくる。


「せめて声をかけて行きなさいよ。ユキノ、かなり心配してたし」


 ──パチンッ! と照明用の魔石に魔力が流れたあと、照明が点く。


 黒い髪を後ろでまとめた、ちょっとつり目気味の女──サリナが、腕を組んで立っていた。


「よお……久し振り」


「久し振り、あんたがいないから夕食も通夜みたいで辛かった」


「ツヤ?」


「気にしないで、こっちの世界特有の言葉だから」


 元々あまり喋るようなやつではないが、サリナは何故こんな夜更けに起きているのだろう?


「あ、そう言えばご飯食べた?」


 サリナは唐突にそんなことを聞いてくる。なるべく早く帰るために、テスティードをずっと走らせていたからお腹が減っていた。


「実はまだなんだ」


「……そう」


 ロイの返事を聞いたサリナはキッチンに行ったかと思えばすぐに戻ってきた。その手には料理らしきものがあり、テーブルの上にカタっと音を立てて置いた。


 恐らくは食べてほしいのだろう。テーブルに座ると対面にサリナも座る。そして肘をついてこちらをじっと見詰めてくる。


「オムレツっていうあたしの世界の料理よ」


 どうぞ、そう言って銀の蓋クローシュを取った。黄色い玉子らしきもので作られた楕円形の料理、その真ん中には赤い調味料が使われていた。


「この赤いのは?」


「あたしの世界で使われてる調味料を再現してみたの。原材料は内緒だけど、味は保証するわ」


 折角作ってくれたので、これ以上グダグダ言わずに食べてみる。玉子の甘さと、ほんのり酸っぱさのある赤い謎の液体が良いアクセントになってる。


 中身は挽き肉が入っていて、肉汁が溢れてくる。お世辞抜きにこれは美味しい!


 率直な感想が自然と口から漏れていた。


「……美味いな!」


「そう、なら良かった」


 サリナはホンの少し微笑んだあと、席を立った。


「もう寝るのか?」


「明日は朝早いもの、寝るわ」


「そっか、これ、サンキューな。おやすみ」


 サリナは「おやすみ」と返事をしたあと「トマトだけどね」と小さく付け加えて戻って行くが、最後の言葉はロイの耳には届いてはいなかった。


 ☆☆☆


 翌朝、ユキノやソフィアからそこそこに洗礼を受けたあと、村長の家へと向かった。


 ドアを開けて中へ入ると、村長であるシュテンとヴォルガ王の右腕であるフレミーが待っていた。


「ヘルナデス暗殺、お疲れ様でした」


 フレミーが大きく頭を下げたあと、続けて言った。


「我々はお金の流れを追って不審な点を見つけるところまではできます。しかし、ビショップ貴族相手だと中々動くことができないのです。あなた方リーベの初依頼が、汚ない暗殺になってしまったことを申し訳なく思っています」


「あんたらは依頼して俺はそれを受けた──ただそれだけのことだ。まぁ、ヘルナデスがあそこまで強いとは思わなかったけどな」


「ええ、私もヘルナデスが【剣鬼ヘルメス】だとは思いませんでした」


 と言うことは、フレミーが意図的に情報を隠していたわけじゃないのか。


「先日、ヘルナデスの資産を押さえるために部下を向かわせたのですが、彼の手記に出てくる【プロトタイプ】と称される闇人形が姿を眩ませました。何か知ってることがあればお教えください」


 言われて記憶を辿ってみる。ヘルナデスはプロトタイプについて言っていた──最初期の闇人形であり、妻であると。


 それを伝えるとフレミーは神妙な面持ちで答えた。


「彼の研究資料を見る限り、自発的に行動することは難しいはずなんですが……突発的に意思を持った可能性がありますね」


「で、今度はそれを追跡して倒せって?」


 ロイの言葉を聞いて、フレミーはキョトンとした表情になる。


「いえ、さすがにそれを依頼するわけにはいきません。あなた方はこのクリスタルで出来た村、エデンを発展させて、スタークの後継組織であるリーベも強くしていかないといけませんから」


 そう、フレミーの言うようにやることは非常に多い。最優先すべきは生活基盤の構築、先の依頼を受けたのはそれぞれにやることがある中で、メリットのある暗殺は俺に向いてると思ったからだ。


「では、報酬の1000万Gと、ギルドからの依頼の件もなんとかしておきます」


 フレミーが手を叩くと、3人の付き人が宝箱をドンとテーブルに置いた。シュテンお手製のテーブルが大きく歪む。


 まぁ、額が額だから滅茶苦茶重くもなるよな。


 とはいえ、ギルドと強力なコネクションができたのは大きい。これで個人単位で依頼を受けられるはずだ。


 ロイはフレミーを廃坑まで見送ったあと、家に戻った。


 ☆☆☆


 ハルトは帝都の地下にある下水施設でギャングの子供達と暮らしていた。当初は険のある子供に手を焼かされていたが、ある出来事が切っ掛けとなって打ち解けることができた。


 そのときの事を思い出す。


『おい、お前!』


 リディアを介抱していると、唐突に背後から話し掛けられた。明らかに友好的ではない態度だ。


『何か用かな?』


『お前、外から来たんだってな。魔術を教えろ!』


 唐突な物言いにハルトは驚いた。


『魔術は上に行かないと無理だよ。専門のお店で魔方陣を身体に登録しないと』


『詠唱式とやらがあるんじゃないのか?』


 ハルトは困惑した。王国にいた頃は勇者という権力で率先して光魔術を登録していた。努力せずして魔術を使っていた。


 黒騎士カイロに教わったのは、初等部で習う簡単な魔術だけだった。


『詠唱式か……簡単なやつなら教えられるけど』


『本当か!? じゃあ教えてくれ!』


 こうしてハルトは男の子に魔術を教えることになった。ハルトが詠唱を教えて男の子が同じように祝詞のりとを奏でると、手の先から小さな火が現れた。


『わぁー、すげえ!』


『私も教えてー!』


『僕も僕も!』


 遠巻きに見ていた子供達が次々と殺到する。無邪気な子供達を見たハルトは、少しだけ心が暖かくなった気がした。


 その日の夜、疲れて眠るハルトの横から女の声が聞こえてきた。


『……ん、んん……』


 バッと目を覚まして確認すると、声の主はリディアだった。意識が戻ったことに安堵して魔術で明かりを灯す。


『リディア、目が覚めたかい?』


『……あなた……誰?』


 嫌な予感が脳裏をよぎる。ハルトは苦笑いしながら答えた。


『はは……何言ってるんだよ。作戦が失敗したからって、知らないフリは酷くないかな?』


『……?』


 リディアは変わらず不思議そうな表情でハルトを見ていた。


 父親の所業に絶望していた頃のくらい顔ではなく、まるで憑き物が落ちたかのような純粋無垢な顔、ハルトは理解してしまった。


 リディアは──記憶を失っている、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る