第93話 アルスの塔・7
ダートの死体が塩のように白く硬化し始めた。人の領域を踏み越えて強引に力を手にした人間はこうなっても仕方がない。
この世界においては当たり前のことだ。
自ら魔に身を落とした男、ダート。彼の死体は少しずつ塵となって空気に溶けていく。
「……ぅ、ぅ……」
スタークの中にはダートと仲の良かった人間もいたのだろう。抑え込むような嗚咽がサブパーティから聞こえてくる。
ロイはソフィアへと視線を向ける。
ソフィアは目尻にホンの少しだけ涙を溜めて崩れゆくダートに背を向けている。その佇まいから、前に進もうという意思が伝わってくる。
そして背を向けたままソフィアはロイに言った。
「ロイ、行きますわよ」
「……わかった」
謀反を起こしたとはいえ、ダートと過ごした時間は短くはない。それでも立ち止まらずに進むソフィアに、ロイは尊敬の念を覚えた。
☆☆☆
ロイ一行は最上階に向けて攻略を進めていた。
道中、騎士による
迷路の所々に天幕やら矢倉が簡易的に設置されていて明らかに迎え撃つ用意がされている。
どうやら最上階から5層までを拠点化させているようだ。
ロイ達は死角から襲いくる敵を倒していく。
「なんというか……段々襲ってくる方向がわかってきましたね」
ユキノが盾を右後ろの死角に展開すると、矢がカンカンと当たって地面に落ちた。
「来るとわかってるなら案外読めるもんだ、ろっ!」
ロイの投げた短剣が、盾の消失と同時に通過して弓使いの右手に突き刺さる。そしてサブパーティがすぐにその騎士を拘束した。
「ロイ、ユキノが油断するからそんなこと言わないで」
「うぅ、ソフィアさん、厳しいですぅ~」
「人間は身体能力においては魔物に劣りますわ。それなのに人間が生き残れてるのは何故だと思う?」
「剣や弓などの武器を発明したから、ですかね」
ユキノの答えにソフィアは首を振って否定した。
「それでは不正解。答えは"知恵"を用いたから、ですわ」
「……知恵」
「そう、知恵……小賢しさとも言うわね。罠、武器、魔術、そして戦術……これら全てを効率よく運用して人間は生存圏を獲得したの。小賢しさが取り柄の人間相手に単調などと侮っていては、いつか痛い目に遭いますわよ」
「──ソフィアさん!」
自身を心配して注意してくれたソフィアに、ユキノは感激のあまり抱き付いた。
「キャッ! ちょっと、ユキノ! ここはダンジョンですわよ!」
「ソフィアさーん、ありがとうございます!」
ユキノを引き剥がしたソフィアは埃を払ってそっぽを向いた。心なしか、頬が紅潮しているようにも見えた。
「最近ロイがあなたに甘いみたいだから、言っておかないとって思ったのよ」
「……俺、甘くしてるのか?」
ロイの問いに全員が揃って頷いた。みんな笑っていた、緊張ばかりで失敗するよりは全然いい。
こうしてロイ達は、休憩を入れながら順調に攻略を進めていった。
☆☆☆
「この階段の先が最上階か」
20階層中、19階層を攻略したロイ達。あとは首謀者リディアのいる20階層だけだ。
そう言ってロイは20階層に足を踏み入れた。
最上階は大きなホールになっていて、壁には大きな穴が空いている。そして
──ガシャガシャガシャ。
鎧の音を立てて騎士達が取り囲んだ。さすがに本陣だけあってかなりの数だ。おまけに元はボス部屋だから隠れる場所すらない、これまでとは違って一気に全滅する可能性が高くなってしまった。
ロイ一行が身構えていると、突如として騎士達が左右に分かれ始めた。そして現れたのは少し茶色の混じった黒髪を後ろでまとめた若い男、ハルトだった。
「ユキノ、サリナ、マナブ……久しぶり」
勇者としての装備はボロボロ、頬は前に会った時より細くなっている。会う度にやつれているな、ロイは心の中でそう思った。
「どうしたんだよ、みんな。僕らは同じ世界の人間、言わば仲間じゃないか……なんでそんな目で見るんだよ」
ハルトに話し掛けられた異世界組はどう返していいのか戸惑っていた。少し沈黙の時間の後、サリナが前に出た。
「久し振り。あたしも会えて嬉しい」
「そうだろ? じゃあ僕のところに戻ってこいよ。今"国取り"の準備をしている最中なんだ。帝国の首都を落としたら僕の地位はより強固なものとなる! そうすれば、僕らを騙した王国だっていずれは手に入れられる!」
ハルトはやや興奮気味に捲し立ててサリナに手を伸ばす。
「さぁ、こっちに──」
「ハルト、あたし達は変わったよね。人を殺したこともなかったし、ましてや武器なんて博物館でしか見たこともなかった。なのに今は血に染まっている……」
「ど、どうしたんだよ。サリナ、そんなの当たり前だろ? 郷に入っては郷に従えっていうだろ、だからどんだけ殺したって最後に僕らが帰ることができれば、それで良いじゃないか……」
その言葉に対し、背後にいたユキノとマナブが驚いていた。
可能な限り生かしておいたとしても、戦闘の結果死者がでたりする。それに生かしておいたらダメな人間は殺している。
だがそれは生きる為だ。一見すると同じようにも思えるが、少なくともロイ達は命を軽んじた考えを抱いたことはなかった。
ロイだけでなく、騎士達も主君のために命かけて戦っている。
「ハルト、ごめんね。あたし達、ハルトに頼りすぎてたよね……この世界に来た時、みんなで考えてみんなで行動するべきだった。だからね、ハルト……あなたがこっちに来て」
グレンツァート砦で1度、そしてここで2度目のサリナの説得。ハルトは自身の差し出した手をプルプルと震えながら凝視し始めた。
「え? また? わからないわからない、だって……召喚した王国にいた方が帰りやすいだろ?」
「確かに、召喚は王国の専売特許かもしれない。でも王国にいたらきっと帰ることはできないよ。だって、彼らにとってはあたし達を返すメリットがないから」
王国は自国の利益の為だけに勝手に召喚して
ここまで利益を追求する王国が果たして勇者を元の世界に返すだろうか?
否、それは決して叶わないのだ。
「僕が王になって、邪魔する者全てを斬り伏せれば済む話だろ!?」
「ハルト落ち着いて! そんな乱暴なやり方、間違ってるのよ。そのままだと元の世界に帰った時に命を軽く見てしまうわ!」
「うるさいうるさいうるさい!
激昂したハルトは抜刀してサリナの横を抜けようとした。
「ごめん、ハルト!」
「は? ──ぐはぁっ!!」
サリナはハルトを後ろ手に拘束して押し倒し、そして槍の魔力で地面に含まれる鉄と槍を磁力で引き寄せる。
結果、ハルトは槍と地面に挟まれる形となり、軽いサリナでも十分に押さえ込むことができた。
「ロイ! 先に行って!」
「ああ、よくやったな! あとは任せろ!」
ロイはハルトを飛び越えて先に進んだ。
ハルトが登場した時に奥の方で何かの作業を行うリディアの姿が少しだけ見えた。
「その男を止めろ!」
騎士達はロイのパーティを止めようと動き始める。
「ボスの邪魔はさせない!」
スタークがロイのパーティを守るようにブロックする。
「リディア! ここで終わりだ!」
こちらを振り向いたリディアは驚きと恐怖から顔を歪めている。リディアの近くで作業をする学者然とした風貌の人達は、恐らく解放の間を解析する役割のはずだ。
ロイは解析に使っている魔道具目掛けて短剣を投げる。
──シュッ! ガキンッ!
1番近くにいた敵の騎士が身を呈して魔道具を守った。短剣はその鎧に阻まれて落下してしまう。
「こうなったら直接だ!」
「させないわ! "ダークスピリット"!」
疾走するロイに拳ほどの大きさの闇精霊が突進を始めた。だが、ロイを捉えることはできなかった。
剣で払い、影の盾で防ぎ、体術を以てその悉くを避けられたリディアは先の騎士のように自らの体で守ろうとした。
「邪魔だッ! "シャドーウィップ"!」
──ビュン、バキッ!
「──うっ……そ、んな…………」
ロイの影から伸びた黒い影はリディアの腰に巻き付いたあと、近くの壁へと引っ張られてそのまま叩き付けられた。
よし、障害全て取り除いた! あと魔道具を破壊するだけだッ!
いち早く到着したロイが剣を振りかぶった時、背後から悲鳴が聞こえてきた。上半身だけで振り返って確認すると、ハルトを押さえ込んでいたサリナが尻餅ついて叫んでいた。
「ロイ! 避けて!!」
危機を察知したロイは、解析魔道具の線を寸断しつつ横に跳んだ。
──ガンッ!
素早く体勢を立て直して元いた場所を確認した。
そこにはハルトが立っていた。魔剣レーヴァテインから溢れ出る赤黒いオーラがハルトの全身を覆っている。
リディアの使う闇精霊や闇魔術とは違うな。もっと深い闇、これは危険だ。
ゆらりとロイに視線を向けたハルトは不気味に笑いっていた。
「やっぱり君にはこれを使わないとダメみたいだね」
「今まで魔剣の力は使ってなかった、そういうことか?」
「まぁそうなるね。この世界に来て何度も使おうとしたけど、いざ使おうとすると怖くて使えなかった。でも、もうそんなことは言ってられないよね?」
勇者のジョブ性能だけでもかなり手強い。だけどそれだけなら今までなんとか勝てた……だが、今回はさすがに厳しいか。
「最初から君を殺しておけば良かったんだ。ユキノ達も多少は悲しむだろうけど、そんなのは時間が解決してくれる。ホント、僕はバカだよな……」
「そうだな、お前はバカだよな」
「……言うね。敗北する人間が」
「サリナの言葉の意味も理解できない。しかもすでに勝った気でいる。言われてわからない奴にはこれしかないだろうからな、ごちゃごちゃ言わずにかかってこいよ!」
「──ッ!」
激昂したハルトは剣を構えて疾走し、ロイはそれを迎え撃つ。3度目の勇者との戦いが幕を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。