第92話 アルスの塔・6

 戦争に私情恋愛感情を持ち込んではいけない。騎士学校において最初に教えられる教訓だ。


 そんな教訓と対峙する男について考えた。


 雪の降る夜に初めてダートと出会った時から彼は普通の騎士とは何かが違った。

 絶望を宿した瞳、それなのにどこか諦めきれないような熱を宿していたのだ。


 彼は主君の不正を押し付けられてここまで逃げてきたのだと言う。スタークは基本的にそういった事情を抱える人間を保護する組織だ。


 "貴族への制裁"エイデン・イグニアは、それを目標としてスターク達に生きる糧を与えている。活動は主に裏金の強奪や不正の現場の摘発等、それらによってスターク達は心に秘めた怒りを鎮めていった。


 中には新たな生き方を見つけて脱退する者もいる。その時はみんなでパーティを開いて門出を祝ったりするのだ。


 だが、ダートだけは一向に満足する気配がなかった。むしろ日に日にソフィアへ向ける視線は重いものとなり、その時は理由が全くわからなかった。


 まさか自身へ焦がれていたとは思わず、ソフィアは盲目的にロイだけの為に生きていた。


 お互いに周りが見えていない、その結果こんなことなってしまった。


 だから……私が終らせる!


 ソフィアは眼前の男、ダートに向けて槍を突き出す。


「ハァッ!」


 シンプルにして力強い突き、ダートは自身の剣に黒い風を纏わせてそれを防ぐ。ダークマターに唯一適合したダートでなければ、きっと剣は弾かれていただろう。


「帝国闘技祭であなた様に敗れてから、そして聖槍を手にしてから、私にとってあなたは聖女となった! 犯し難い存在、近くで見ているだけで良かったのにっ!」


 ダートは跳躍で後退して何もない空間を数度斬った。すると、三日月型の黒い剣閃が同じ数だけ飛んで来た。


「──ッ!?」


 防戦槍術の得意なソフィアでも、知らないスキルは対応が遅れてしまう。その結果──脇腹、腕に軽い切り傷が生じてしまった。


「ダート、そんな力で何か得るものがあったのかしら?」


 致命傷だけは避けたソフィアはゆらりと立ち上がる。


「それはこれから得るに決まってる! その為に石の言葉を受け入れて道を外したのだから!」


「例え叶わないとわかっていても、努力した結果なら……それ自体が私にとって得るものとなるわ」


 そう語るソフィアは、ユキノへと視線を向けたあとすぐにダートへ視線を戻した。


「ソフィア様こそ、聖槍の力を用いてここまで生き抜いたではないですか。根源が違うだけで同じことです」


「聖槍ロンギヌス、これは帝国闘技祭で優勝したからこそ手に入れた武器。努力の結果得たものと堕落して、諦めて、そして得たものとでは意味合いが異なりますわ!」


 ダートはソフィアの言葉に顔を赤くして抗議し始めた。


「わ、私が堕落しているだと!?」


「スタークにいても、戦いを生業とするなら訓練は必要。なのにあなたはそれまで行っていた騎士としての訓練を後回しにして、わたくしにばかり話し掛けていた。この間までその理由はわからなかったけど、ロイがいない間にわたくしを落としたかったから話し掛けていたのでしょう?」


「……ぐぐぐ」


 スタークに拾われたダートは、ソフィアに想い人がいることを知って訓練をサボることがあった。

 図星を突かれたダートは剣に更なる闇を纏わせながら震え始めた。


「ならばダート、あなたはその力を存分に振るいなさい。わたくしは聖騎士としての力だけで戦いますわ!」


 ソフィアは槍に流していた魔力をカットして再度構えた。当たれば必殺に近い"光槍ハスタ・ブリッツェン"を封印して挑むことになる。


 それはちょっと鋭いだけの槍で魔族を相手にするようなものだった。


「バカにしてるのかぁっ!!!」


 怒り心頭のダートは黒風刃を次々と飛ばしてきた。ソフィアはそれを正確に見切り、自身に当たる刃だけを弾いた。


 背後の壁には黒い線が乱雑に刻まれていた。


「そんなものかしら? じゃあ、今度はわたくしから参りますわ!」


 白と青を基調としたドレスアーマーのスカートをヒラヒラとなびかせながら疾走した。


 ダートは迎え撃つために黒風刃を3度飛ばす。


 ──カン、カン、カンッ!


 だが、その刃は届くことなく弾かれる。近づく程に回避、防御ともに困難になるはずが、容易く防がれたことにダートは驚きを隠せない。


「クソッ! 何故だ! ダークマターに適合してからというもの、本気を出せば負けたことなんて無かったのに!?」


 放っても放っても弾かれる。その結果、ソフィアは遂に近接戦闘距離にまで近付くことに成功した。


「私だって、騎士だ! やってみせる! "サーペントエッジ"!」


 騎士が扱う最も変則的なスキル、その蛇のような剣閃がソフィアの首を掻き切らんと迫ってきた。


「甘い、剣筋がブレてますわよ!」


 ──カキンッ!


 槍の石突きの部分で剣の腹を叩かれて、剣は腕ごと後ろに引っ張られてしまった。

 剣を手放さなかったのはダートの意地だ。しかし、体が完全に無防備になってしまった。

 ダートは咄嗟に地面に落ちていた盾で防ごうとするが装備する時間すらなく、不自然な状態で防御体勢に移ることとなった。


 当然、ソフィアがその隙を見逃すことなく畳み掛ける。


「"ドゥームスラスト"!」


 強烈な刺突スキルはダートの盾を破壊しつつ右肩を貫いた。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! クソッ! "ダークブロー"!」


「──ッ!?」


 ダートはなりふり構わず闇を行使した。それが功を奏したのか、ソフィアは衝撃波を受けて後退してしまった。


 意地さえあれば接近戦でもやれると踏んだダートだったが、今の攻防でそれは思い上がりであることを理解することとなった。


「ダート、もうあなたに勝ち目はないわ」


 ソフィアは勝利を確信していた。黒い風の刃も徐々に威力が落ちている、恐らく魔力が枯渇しかけているのかもしれない。


 左右に展開したダートの部下も、気付けば全滅していた。


 地に伏したダートは帝国闘技祭で敗北した時のことを思い出した。


 初めての出会いもこんな感じだった……。


 芯が強く、絶対的な自己をもって目の前の障害を取り除く。銀髪の少女は年下にもかかわらず凛としていて、とても犯し難い存在。


 眼前の女はあの時よりも遥かに美しくなって、それでいて当時と変わらない存在感。


 ああ……これに手を掛けようだなんて、烏滸おこがましいことだったのだ。彼女が変わらないというのなら、当時と同じく"騎士"として挑むしかないだろう。


 意を決したダートはソフィアの問いに答えた。


「……そうですね。この状況は覆らない」


 ダートはふっと笑ったあと立ち上がり、腰布を破って右腕に巻き付けて固定、そして剣を真っ直ぐ構えた。


「投降の意思は無さそうですわね」


「ええ、最後くらいは彼らの指揮官らしくしようかと思いまして」


 ──闇はもう必要ない。


 ダートもソフィアと同じく闇の魔力をカットして自前の魔力を武器に流した。


「では、参ります!」


 攻守交代、疾走するダートを迎え撃つべくソフィアは我流の防戦槍術を展開する。


「攻撃は、力強く、そしてシンプルに!」


 スキルではないただの上段斬り、ソフィアは右足を軸に回転して石突きで剣を狙う。


 ──ガンッ!


 剣の軌道はズレてソフィアの隣にめり込む形となる。そして回転の勢いそのままに、今度は穂先がダートの首に迫った。


 ──バキッ!


 ダートは左手の手甲でそれを受け止めた。鉄の手甲は割れて骨も折れてしまった。


 だが、ダートは構わず剣を引き抜いてそのまま前進する。そして至近距離から渾身の刺突を放った。


 ソフィアは少しだけ焦った表情を浮かべたあと半歩横にズレてそれを避け、ダートの脇腹を穂先で一閃、そしてそのまま回転蹴りでダートを吹き飛ばした。


「──ぐはぁっ!」


 ダートの脇腹からは血が流れている。起き上がる気力も体力もなく、勝敗はソフィアの勝利となった。


 ソフィアは仰向けに倒れたままのダートに近付いた。


「やはりソフィア様には届かなかったか……」


「いいえ、残念だけど、届いていたわ」


 ソフィアは髪を分けて首をダートに見せる。そこにはかすかに切り傷が出来ていた。


「そう、か……あんなものに頼らなくても、強くなれる、んだな……」


「ダークマターに頼らなかった最後のあなたはとても強かったですわ。少しだけ、格好いいと思いましたわよ」


 ダートは右手で顔を隠し、涙を流し始めた。


「──ゲホッ、ゲホッ! はは……ありがたき幸せ……」


 程なくして、彼は満足そうにこの世を去った。


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