魔法使いの鳥籠

ザード@

鳥籠の中

 それはバサッと音を立ててリディアの机の上に落ちた。リディアはその封筒を手に取り、下から上に目線を動かした。

「手紙が来てたのかい」

「ぐぇー」

 声をかけられそれは返事をした。結局言葉を覚えなかったカラスだ。他の魔法使い仲間が飼っている鳥たちはどんどん言葉を覚えていくというのに。

「ぐぇー……かぁー……ぐぇー……」

 家の中を旋回しながらそれは鳴き声を上げる。

「わかったわかった。オーや、少し落ち着きなさい」

 そう言えば何でこのカラスに古の賢者オーの名前をつけたのだろう。よくわからない。

 言葉を理解したのかカラスのオーはとまり木に戻り、羽を繕い始めた。黒い羽に全体が漆黒だが虹色に光る身体。カラスは窓から射し込む日光を受けて輝いていた。

「ふむ……」

 リディアは立ち上がり水を汲んでくるとコンロの上においた。呪文を唱えかまどに火を点ける。

「そう言えば水を直接魔法でお湯に変えるコストとかまどに薪を焚べて魔法で火を点けるだけの時のコストの差を調べたのが修士論文だったな」

 なんて稚拙な論文だろうと年をとった今から振り返ると思う。カラスは相変わらず羽を繕っているが、そんな様子を見るたびに自分にはないもの、つまり自由がオーにはあるように見える。

「どれだけ魔法が使えても人である以上社会には束縛される。法律だの政治だの人の気持ちだのに雁字搦めにされて、結局本当の意味で自分で決められることなど何一つなかった」

 老いて思うのは自分は戦ってこなかったということだ。ただ仕方ないからと諦めて流されてきただけなのだ。カラスのオーが顔を横に向ける。カラスの目は横向きについている。オーと目が合う。

「ぐぇぇぇぇ」なにか絞り出したような鳴き声を上げるオー。

「結局こいつが言葉を覚えないのはあたしがそうだったからか……」

 今更何だというのだろう。まさにそのとおりだ。あたしは戦わなかった。魔法使いとしての地位や今の生活がなくなることを恐れて。だから今あたしはここにいる。お湯が沸いた。


 コーヒーを淹れ、魔法で味を調整してからカップを持ち机に戻る。一口コーヒーを啜ってから、やっと封筒を開く。

「メディアからか」

 なんとなく内容は想像がついた。



 親愛なるリディアへ


 リディア、久しぶりね。メディアよ。多分最後の手紙になると思う。

 しなければならない最後のことも終えたし私はこれから遠い国に旅立とうと思うの。もう逢えそうもないのが残念だけど、お互い残りの人生を楽しみましょう。



 やっぱりか。改めて思う。やるべきことを何もやらないまま老いてしまったのはあたしだけだ。逃避することで偽りの安定を選ぶだけの人生に一体何の意味があったのだろう。

「あれ?」

 ふと違和感を覚え、リディアは魂感知の呪文を唱える。目を閉じ精神を集中する。範囲は地上全体。感知したいのはただ一人の魂。メディアは魂情報を常にオープンにする人物だった。それが感知されない。ということは。

「そうか。メディアはやり遂げたか」

 そして、自分は何も残さないまま死んでいく。


 カラスのオーはとことこと床を歩き回っていた。魔法使いリディアは日に日にやつれていった。どちらにせよ、この年になって何か新しいことが出来るということはない。特にこんな今まで何もやってこなかったような人間には。

 オーはどこかから羽ペンを見つけ出し、それをくちばしで上手に空中に飛ばしてはくちばしで再度キャッチする遊びを始めた。

「上手ね」

 あたしが何かを成し遂げていればオーは言葉を覚えた。その感覚は間違いなくある。ただ、何をするでもなく終わる人生。生きてきた証を立てず、ただ単に時間を消費し尽くしただけ。そして残り時間はもう殆どない。カラスのオーを見ながら、リディアはメディアのことを思い出す。

「メディアはもういない。次はあたしの番」

 空白としか言いようのないこの人生だ。終わるなら終わってしまえ。


 机に突っ伏して眠っているリディアの肩にオーはとまった。オーはくちばしでリディアの頬を突っつく。返事はなかった。

「ぐぇ?」

 くぐもった声を上げるとオーは再度リディアの頬を突っつく。やはり返事はない。

「かぁかぁかぁ」耳元で大声で鳴いてみるが反応はない。

 オーは首を左右に動かす。窓が開いていることに気づく。オーは羽を広げ、リディアの身体から舞い上がると窓から空へと飛び出した。



 このままでは死ねない。その思いは日増しに強くなっていくが、今更何も出来ないという事実もそれと同じくますます大きくなっていった。圧迫感はどんどん大きくなっていき、リディアを押しつぶそうとしてくる。

「なんか調子悪いな」

 リディアは思う。いよいよか。いつ身体に限界が来るかはわかると聞いているが、今がまさにその時だ。

「あたしはこのまま一度も何もせず死ぬわけにはいかないんだよ」

 何でもいい、何か出来ることを。とまり木の上で静かにしているオーに目が行く。結局このカラスは言葉を覚えなかった。鳥たちは普段どこにいるものだ? 突如脳裏に浮かぶ考え。思考は頭に詰まっていた死を吹き飛ばし、一つの明確な答えにたどり着く。リディアは限界を超えて身体を動かし窓のところに行くとそれを思い切り開いた。新鮮な風が吹き込む。それから机に向かうとリディアは満足げに眠りについた。

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