命題15.黒鉄の戦士 ブロスケルス 1

 死霊の戦士を捉えてから数時間後。日付が変わる頃に治療院に駆け付けたイヴリルは、挨拶もそこそこに、


「なんっっでこんな状態で死霊と戦おうとしたのよ! いくら決闘の大魔術師でも魔力を使い果たした身体でまともな戦闘ができるわけないじゃない! 大体、魔法生物わたしたちにとっても魔術師にとっても死霊ってのは存在時点が弱点なのよ! こんなボロ雑巾みたいになって、命知らずにもほどがあるわよ! あ、ブラウシルト様も鎧脱いで手伝って」

「わかりました」


 白銀の髪を振り乱しながら、いつもより数倍のかしましさでその場を仕切り始めた。

 治療院の主であるアダムスを横に、てきぱきとテオ、マルテ、フィルルの状態を確認しながら、あれこれと言いたいことを捲し立てる。

 アダムスも頑固で強気ではあるが、こういった時の勢いは、双子の妹に当たるイヴリルの方が勝っていた。


「ステラも無事に起きられて良かったし、身体の変化も素晴らしいものだけど、身を呈してこの女の人を庇ったんですってね! それ自体は悪いこととは言い切れないけど、後でたくっっさんお説教させてもらうからね!」

「ゴメンナサ――」

「フィルルが重症ね。骨折だけじゃなく、内臓もやられてる」


 ステラが耳を伏せて落ち込む間にも、イヴリルの指示は止まらない。


「アダムス、テオの様子はどう? 応急処置はしてあるんでしょ?」

「うん、一応命に別状はない所まで回復させてる。それ以降は何もできてないんだ、フィルルとマルテで手一杯で。多分お腹を切り開かなきゃいけないと思う。最悪の場合は心臓を一時的に止めよう。不老不死ならではの力技になっちゃうけど……」

「そうね……じゃあ私とアダムス、ブラウシルト様でフィルルの処置をしましょう。ステラ達はテオと女の人……マルテさんだっけ?を看てて。彼女から目を離さないで、何かあったら呼んでちょうだい。でも多分、結構えぐい事するから覗かない方がいいわ。ヴェルデリュートはマルテの側で歌を歌って、少しでも心を落ち着けさせてあげて」

「わかった。歌おう」

「まったく、ステラが起きたから遊びに来ようと思って森の近くにいたからいいものの……やっぱりこの治療院、アダムスだけじゃ手が足りなさすぎるわ。患者の命に関わる……頭が痛いわね」


 バタバタと皆が駆け回る中、イヴリルは両手を腰に当てて、ぽつりと呟いた。

 ステラは器具を運びながら彼女の台詞を耳で拾い、複雑な気持ちになるのだった。



 * * * * * *



 夜中からフィルルの施術しじゅつが始まった。次の日の昼頃になっても終わる気配を見せず、遮光部屋でテオ、マルテと共に待機していたステラは、何の力にもなれない歯痒さを感じていた。

 ヴェルデリュートは一晩中、楽器のリュートの弦を弾いては、歌を歌い続けている。

 二人とも、死霊の戦士を捉えた直後に意識を失っている。ステラは二人の寝顔をずっと見つめたまま、何があったのかという疑問を浮かべては、すぐに消すを繰り返していた。


 窓を覆う黒いカーテンの向こうは日が昇って久しく、時折小鳥たちの声が聞こえてくる。

 ふと、ノックの音が部屋中に響いた。

 びくりと肩を震わせたステラは、慌てて席を立ち、足をもつれさせながらドアノブにしがみついた。

 急いで捻り、診察室と繋がるドアを開ける。そこにはブラウシルトが立っていた。

 青空を映す白銀の鎧を脱ぎ、今は薄青色の施術しじゅつ用の衣服をまとっている。珍しい格好だと少し呆気にとられながら視線を落とすと、腹部が大量の血で染まっていた。

 胸の息苦しさに、思わず眉尻を下げる。


「フィルルサンハ、大丈夫デスカ?」

「心臓を止めています。あの二人が治療しているのですから治らないことはありません。が、聖水がものすぐ無くなりそうなんです」

「私、トッテキマス」

「お願いします」


 手短かに返事をしたブラウシルトが、パタンとドアを閉める。

 ステラは暫くの間、俯いたままドアの前に立ちすくんでいた。

 ヴェルデリュートに「行ってらっしゃい」と声をかけられてから、やっと聖水を汲みに行く準備を始めた。



 * * * * * *



 精霊の森の道を進み、聖水でできた大きな湖へ向かう。

 昨晩の出来事が嘘のように、森の中はいつも通りの明るく穏やかな空気が広がっていた。

 空を見上げると、精霊の森で一番の巨大樹が木々のすき間から顔を覗かせる。

 今まさに、あの巨大樹の根本ではアダムス達がフィルルを助けようと苦心している。

 だが、自分には何もできない。もちろん、聖水を運ぶ事は重要な事だと理解はしている。


 ――やっぱりこの治療院、アダムスだけじゃ手が足りなさすぎるわ


 イヴリルの呟きが、頭の中で反響する。

 今の自分では、アダムスの手助けになれないのだ。

 もう合成獣キメラの身体で生きていけるようにする施術しじゅつは完了した。

 自分はもう、患者ではないのだ。

 ステラの周囲で、光の玉の姿をした精霊たちが舞っている。彼らの事は気にも留めず、ステラは水瓶を乗せた台車を押していった。


 湖に着くと、ステラは岸のすぐ横まで水瓶を運び、水桶で聖水をすくっていく。

 以前、水桶でやるよりも直接水瓶で汲んだ方が早いと思ったこともあったが、水が入った水瓶があまりに重く、湖に落としそうになったのでやめた。

 今は少しでも早く治療院に戻りたいのに、こうして少しずつしか進められない。

 もどかしい。もどかしい。

 眉間に皺が寄り、焦りが苛立ちに変わっていく。


「ハァ……早ク、戻ラナイト――」

「お嬢ちゃん!」


 バシャン!


 突然、背後から大声で呼ばれ、驚いたステラは水桶を取り落とした。

 零れた聖水が足元を濡らす。驚いた衝撃が引かず、心臓がバクバクと暴れた。

 ゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには、熊と見まごうほどの巨漢の戦士が立っていた。

 頭からつま先まで、全身を真っ黒な甲冑で包んだ大男だ。背中に漆黒の大剣を背負った姿は、テオやフィルルを傷付けた昨晩の死霊の戦士と重なった。

 思わず一歩後ずさる。

 そんなステラの反応を見た巨漢の戦士は、慌てて両手を振ってみせた。


「あぁ、すまんすまん。驚かせるつもりは無かったんじゃよ。君、ステラ……ちゃんじゃろ? 白日の坊主んとこで世話になってるっちゅー合成獣キメラの嬢ちゃん!」

「エ……ナンデ――」


 知ってるの? と聞くよりも先に、巨漢の戦士は人差し指を立てて気障っぽく振って見せる。


「そりゃあ知ってるもん。紅血こうけつ――じゃなかった、紅蓮ぐれんあんちゃんによぉく聞かされたもんね!」

「紅蓮ノ……ルヴァノスサン、デスカ? ソレジャア、貴方ハ」

「そ! 儂はフィルル・エルピスのランプが一つ、黒鉄くろがねの戦士・ブロスケルスじゃ!」


 そう言って、漆黒の兜を脱いで見せる。

 赤く焼けた肌にたっぷりとした白髭をたくわえた、人好きのする老齢の顔が、にっこりと笑顔を浮かべていた。

 ブロスケルスはステラの横に置かれた水瓶に気付くと、こちらに近づいてきた。無造作に水瓶の縁を掴み、直接湖の中に突っ込んで聖水をめいっぱいまで汲むと、台車の上にドスンと置いた。


「ちょっと道に迷っちゃってな。人外専門治療院に行きたいんじゃが、案内してくれかの?」


 そして、傷だらけの顔で茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せた。

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