命題12.白日の治癒術師 アダムス  3

 ステラは自室のベッドに座り、ぼんやりとしていた。

 皆、明日の施術しじゅつに備え早々に寝てしまったようで、比較的静かだ。かくいうステラも、もう寝るか、と天井を見上げていると、ふとノックの音が耳に届いた。


「ステラ、ちょっといいかな?」


 視線の先、ドアの向こうから、遠慮した様子のアダムスの声が聞こえる。

 少し開いて向こう側を覗くと、白銀の瞳が上目遣いでこちらを見上げていた。


「遅くにごめんね。施術しじゅつの前に、少し話がしたくて。良かったら少し外を歩かない?」


 厳禁だときつく言われている外出の誘いに、ステラは少し驚いた。そんな彼女を見て、アダムスは苦笑する。


「ダメだって言われて、逆にちょっと疲れちゃってたでしょ? ほんの少しだったら大丈夫だよ。それに、あまり皆に聞かれたくない話だから……どう?」


 暫く間をおいて、ステラは頷き、自室を後にした。



 玄関の前に来ると、ステンドグラスが外の灯りを透かしてきらびやかな光を放っていた。

 先行するアダムスが、音を立てないよう静かに扉を開ける。玄関先では、防寒具を着込んだブラウシルトが椅子に座ってマグカップを傾けていた。立ち昇る湯気が、ココアの香りを運んでくる。


「どこかへお出かけですか?」

「うん。ほんのちょっと、すぐ近くまで夜のお散歩」


 ささやき声で訊ねるブラウシルトに、アダムスも声量を抑えて返事をする。

 アダムスの返答に、蒼空そうくうの騎士は迷う素振りを見せた後、微笑みと共にどうぞと促し、再びマグカップに口を付けた。


『こんな遅くまで、何をしているんですか?』

「それ、そっくりそのまま返したいんですけどね。俺は見張りですよ、念のため」


 そう言って、灯りの元を指さして自慢げに笑った。


「どうです? 上手くできたでしょう」


 ステラが目をやると、そこには昼間ブラウシルトが造っていた、ステラの雪像の完成した姿があった。深緑色のローブを羽織り、尖った耳と鼻先はあっさりとした造りで、目には胡桃の殻が付いている。質量が多いお腹には大きな穴が開けられ、ランタンが置かれていた。


『可愛く仕上げてくれて嬉しいです。』

「ステラ、ランプスタンドになっちゃったの?」

「精霊たちが漂っているならまだしも、ここまで静かすぎると、俺一人で見張りは寂しいですから」


 ステラはぐるりと周囲を見渡した。雲で月も星も隠され、ランタンの灯りだけが腰まで積もった雪を照らし出している。橙色の淡い光の先は真っ暗で、慣れてきた目がぼんやりと森を浮かび上がらせるだけだ。

 普段ならこの景色の中に、小さな光を放つ精霊たちが複数、宙空ちゅうくうを泳いでいる。その姿が無い森は、あまりに静かすぎて怖いくらいだ。ロメオも、「いつも鬱陶しいくらいたかってくるのに今日はいねぇな」とぼやいていた。いなくなってしまったのではないかとすら思う。

 だが、目の前に続く道にだけは、ずっと先まで雪が積もっていない。ブラウシルト達が雪かきをしたからではない、精霊たちが道には積もらないように気を遣ってくれているからだ。この道が、姿を見せない彼らの存在を証明している。


「お気をつけて、いってらっしゃい」


 ブラウシルトに送り出され、二人は静かに道を進んだ。



 * * * * * *



 先を歩くアダムスは、一言も喋らない。

 どんな話をされるのか、ステラは少し緊張しつつも、黙って後を着いていった。

 森に入り、木々のすき間からブラウシルトの灯りが微かに見え所まで来てから、アダムスは足を止めた。

 振り返り、ステラと真正面から相対する。ランタンの灯りが、二人だけをはっきりと照らし出した。


「あのね……」


 やっぱり囁くような声で、アダムスは切りだした。


「ステラは、今、楽しい?」


 質問の意図がわからず、少し逡巡しゅんじゅんする。


『楽しいですよ』


 当然そう返すと、アダムスは口元だけを薄く微笑ませ、「そう」と呟いた。

 そしてまた、沈黙が流れた。

 居心地の悪さに、ステラは思わず視線を泳がせた。彼の狙いがよくわからない。

 困っていると、再びアダムスが口を開いた。


「変な事聞いて、ごめん」


 囁き声なのに、妙に大きく聞こえた。


「この前……と言っても、もう一カ月以上前なんだけど。ステラは、死霊たちに襲われた時の事、覚えてる?」


 真っ直ぐに見つめてくる白銀を瞳を正面から見つめ返し、こくりと頷いた。自然と、背筋が伸びる。


「僕が……役立たずじゃないって証明するために、君を助けたって彼らが言ってたことも?」


 暫く間を置いた後、ステラはもう一度頷いた。微かに、アダムスの眉根に皺が寄り、口元は自嘲気味の笑みが宿る。


「……あの時は思わず否定した。本当に、心から違うって言ったんだよ。でも、ステラが眠ってる間によく考えたんだ。彼らの言ってた事は、多分、本当だった」


 俯いて、震えながら告白する。その姿が痛ましくて、ステラは胸が苦しくなった。


「ブラウシルトから聞いて知ってるでしょ? 昔、僕に何があったのか。でも、僕から話すのは初めてだね。僕は疫病から人々を救うために、ヘリオス王国って所へ行った。でも、疫病の広がりと患者の衰弱の早さ、そして数の多さに勝てなくて、結局全然救えなかった。亡くなった人たちは死霊になって、僕に助けを求め、責め立てた。それで……イヴリルともなんやかんやあって、僕は自壊しかけて、十年も眠っていたんだ。起きたのが、君と出会うほんのちょっと前だよ」


 ふぅ、と息を吐き、アダムスは続ける。


魔法道具ランプは造られた目的や役割を否定されると自壊してしまう。そしてそれは、道具である僕の心にも傷を作った。治癒術師なのに誰も助けられない、救えないって。正直、今でも夢を見るんだ。彼らにすがられて、でもどうしようもできない夢。そのくらい、僕にはあの出来事が辛くて仕方がなくて、どうにか忘れたかった。いや、救えなくないって、証明したかった。だから、君を助けた……」


 裾を握りしめ、アダムスは苦し気に吐き出し続けた。

 ステラは黙って耳を傾ける。


「本当に、浅ましくてごめん……治癒術師としての本質を見誤るにもほどがある。命を前にして、自分の事を考えてたなんて――」

『私は、治癒術師の在り方はとても気高く尊いと思います。エドアルドさんやイヴリル、そしてアダムスを見ていて、そう思いました。その気高さを維持するのは、傷付いた心では難しい、と思います』


 ステラの返事に、アダムスは強く首を振って否定した。


「それでもやっぱり自分が許せない」


 でも、と呟く。


「でもね、君を救いたかったのも本当なんだ。あの時、酷い有様だったあの地下室を見て、僕は考えるより先に生きている者を探した。そして君を見つけた。助けなきゃって思ったんだ、何よりもまず、まだ生きている君を助けなきゃって――!」


 ステラの鼻腔びこうにツンと湿った空気が流れる。目頭が熱くなり、眉根が寄っていく。深緑色のローブにしがみつくアダムスを抱き留め、その肩をいだいた。

 少年の声に、震えと涙が滲んだ。


「助けるべきじゃなかったって言われた。正否を問われたよ。その時に強情ごうじょうを張ったんだ。君の命を繋ぐと同時に、僕は君を救えるって証明したかった。ごめん、僕の自己満足に付き合わせちゃった。そのせいで、君は余計な苦しみを背負ったと思う。でも、信じてもらえないかもしれないけど、本当に、君を助けたいて思ったんだ! これは本当に本当だ」


 途切れ途切れに、震えた声で訴えるアダムスの背中を静かにさする。


「信じてくれる?」

「ガウ」

「本当に?」

「ガウゥ」

「…………また、僕の自己満足に付き合わせちゃったね。ごめん」


 首を振り、白髪の頭を見下ろして、もう一度強く抱きしめる。アダムスもそれに応え、ステラの背中に回す腕に力を込めた。

「ねぇ」とくぐもった声がステラの胸を通じて響く。


「ステラは、生きててよかった?」


 顔を上げた。

 とても簡単な質問だ。

 だって、アダムスが助けてくれたから、皆と会う事ができた。

 色んな言葉を貰った。勉強もした。その一つ一つが、自身のかてとなっている。

 普通に生きてたら経験できなかった事がたくさんある。色んな生き方を見たし、嬉しい事も辛い事もあった。


 ――辛い事もあった。そう、辛いこともあった。合成獣キメラの姿になったのは、とても辛くて苦しい事だった。手枷も足枷も冷たくて重くて、首と腹の鉄の棒は貫通している事自体が気持ち悪くて仕方がなかった。受け入れるしかなかったから、どうにか過ごしてきた。

 身体は痛いし、身体を弄られる記憶は地獄のようだし、生きている事を苦痛に感じた。ドス黒いどろどろとした汚泥おでいのような感情が、胸の奥で渦巻いている。

 生きているのが辛い。そんな日々。

 そういえば、とふと思った。



 私は、彼に“生きたい”と一度でも願った事があっただろうか――?



 ぞくり、と身体の芯から戦慄せんりつした。

 自分は今、何を考えていたのだろう。背筋が凍り、アダムスを抱く腕が強張る。


「……ステラ?」


 様子に気付いたアダムスが顔を上げる。しかしステラはそれに応えられない。視線が動かせない。

 自分は何を見ているのだろう。固まった視線の先に集中する。

 森の木々の影。光の届かない場所。


 灰色の子供が、にたりと口の端を吊り上げてこちらを見つめていた。


「――――!」

「死霊! こんなところにまで!」


 顔を上げたアダムスがステラの腕を掴み、力強く引いた。

 その勢いで、ステラの身体に自由が戻ってくる。

 まだ足がもつれるステラに向かって、


「帰ろう! 早く。彼らに近づいちゃいけない!」


 無理矢理引っ張られる形で、治療院に戻っていった。




 治療院に戻る道中で、ランタンを掲げたブラウシルトと行き当たった。白い息を吐き出す彼の端正な顔にも、険しさが滲んでいる。


「ブラウシルト! ごめん、君の灯りが見える範囲にはいたんだけど」

「……死霊の気配がしました。早く戻りましょう」


 彼に促され、アダムスに手を引かれながら治療院への道を走った。

 ステラは混乱していた。

 震えが止まらない。なんで私はあんな事を考えたのだろう?

 死霊のせいだろうか? 彼らに引っ張られている?

 自分の気持ちが、よくわからない。

 そう、混乱していた。


 治療院に駆け込み、大きな音を立てて玄関を閉める。上がった息がなかなか整わない。そんなステラの顔を、アダムスが覗き込む。


「……ごめん。僕のわがままのせいで、またステラに苦しい思いをさせちゃった」


 震えながら、ステラは首を横に振る。しかし、アダムスの表情は晴れるどころかますます暗くかげった。


「身体も冷えちゃったし、早く寝よう。今夜は僕がついてるから」


 促され、二人はステラの自室へと入っていった。

 アダムスに見守られながら、早々にベッドに潜って目を閉じる。

 彼が側にいる安心感がある。なのに、ステラの心のざわつきは収まらなかった。



 * * * * * *



 ステラの雪像のお腹に収めたランタンの灯りだけが、治療院の周囲を照らしている。

 ブラウシルトは、照らし出す灯りの境界の先、真っ暗な森を睨みつけていた。

 ふと、ツリーハウスから降りてくる人影があった。ブラウシルトにはなじみ深い気配だ。


「……死霊ですか。まさかここまで浸蝕しんしょくしてきているとは」


 深紅のコートを着たルヴァノスが、同じく森を睨んだまま言葉をこぼした。この視線と声音には、殺気が滲んでいる。


「…………明日、大丈夫でしょうか」

「さぁ。それは、明日になってみないとわかりません」


 彼もまた、その夜はブラウシルトと共に森を見張っていた。


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