命題11.白月の治癒術師 イヴリル 3

 再びちらつき始めた粉雪が、視界を邪魔して鬱陶しい。

 ステラはすぐに追いかけたつもりだったが、思いのほかイヴリルの足は速かった。

 とっくに姿は見えず、道に薄っすらと積もった雪に足跡が無ければ、探すのは難しかっただろう。

 イヴリルの足跡は、ステラの蹄の歩幅よりずっと狭い。白い息を吐き出しながら小走りで辿っていくと、見覚えのある場所に着いた。


 名も知らぬ旅人、梅雨明けの頃にここを訪れたカーバンクル、その後にもいた、助けられなかった患者。

 森の中にぽつんと存在する、彼らを埋葬した静かで開けた場所。墓地として使用しているそこは、今は一面が柔らかで真っ白な雪に覆われ、所々で墓石分の小さな山ができている。

 道から墓地の中心まで、掘り返された雪が続いている。

 立ち止まってゆっくりと目で追うと、終点に白い人影があった。


 帽子も髪も、肌もコートも純白の少女が、雪の真ん中で座り込んでいた。

 粉雪が降る中、そのまま冷たい雪に解けて消えてしまいそうな小さな背中は、微かに震えている。

 ステラはゆっくりと彼女に近づいて行った。雪を蹴り、踏む音が聞こえてるはずなのに、振り返る様子はない。


 すぐ後ろで立ち止まったところで、彼女――イヴリルはやっと顔を上げた。


「ステラ……」


 真っ赤に泣き腫らした目が、合成獣の少女を見上げてくる。白銀の瞳は何かを言いたそうで、だが逡巡するように辺りを彷徨さまよっていた。

 妙案を思いついたステラは自身の深緑色のローブをたくしあげ、ゆったりとした布でイヴリルを覆い、そのまま中に包みこむ。

 驚いたイヴリルが、ローブの中で暴れ出した。それを抑えながら、ステラもその場に座り込む。襟首からやっと顔を出したイヴリルは、目を白黒させてステラを見上げた。

 昔、泣いてたり拗ねてたりすると、両親がこうして毛布で包み込み、抱きしめてくれたのだ。そうするとステラはいつも心が落ち着いて、上手く話せるようになった。

 イヴリルも大人しくされるがままになって、遠くを見るように顔を上げた。

 そして、鼻をすすりながらポツリと呟いた。


「…………言い訳をさせて」

「ガウ」

「でも、何があったかわからないと言い訳できないから、何があったか教えて」

「クゥ……」


 ステラは筆談用のボードを大きなポケットから取り出し、一つ一つ言葉を選びながら、何があったのか語った。

 足枷を外す施術しじゅつの日の出来事だ。迷子になったリチャードを元の場所へ返そうとした事。ソルフレアに助言を受けた事。突如として、泉の呪い――死霊の子供たちに襲われたこと。泉に、アダムス達が助けに来てくれた事。

 そして、死霊たちの口から語られた、ステラに対する皆の考え。

 合成獣キメラを助けるべきではなかったという意見。


 イヴリルは時折身じろぎをしながら、ステラがつづった事をじっくりと読み込んだ。


『私は、皆さんが本当にそう思ってるんだとは、感じていません』

「うん。誰もステラを助けたくなかったわけじゃないわ」


 ステラが掲げていたボードが、雪の上に降ろされる。視界の中を上から下へ流れる雪が密度を増していく。

 しばしの沈黙の後、イヴリルが口を開いた。


「なんで私が、騎士のブラウシルト様と一緒に旅をしてるか知ってる?」


 あまりに突然の質問に、ステラは一瞬面食らった。しかしすぐに首を横に振ると、イヴリルは「そうよね」と呟く。


「私たち魔法道具ランプの在り方は知ってるわよね? それぞれに目的があって、それを否定されると壊れちゃう。アダムスだったら治療する事、ソルフレアだったら自身が学び研究する事。ブラウシルト様はね、誰かを守る事なの」


 ステラの胸に寄りかかり、空を見上げる。釣られて狐の鼻先を上に向けると、曇天どんてんから白い雪が次から次へと迫ってくる景色に吸い込まれそうな感覚になった。


「私たちはマスターが幼い頃から一緒にいて、そんなか弱いマスターを守るために造られたのが、蒼空そうくうの騎士・ブラウシルト様。でも、マスターは大きくなって、私たちの事を道具じゃなくて友達だって呼び続けるの。そして、それぞれのやりたい事――意思を尊重してくれて、今はこうやってバラバラに活動してる。でも、ブラウシルト様は困っちゃったのよ」


 ふぅ、と息を吐き、イヴリルは続けた。


「守る事が、ブラウシルト様の目的だったんだもの。でもそれって、“守るべき者”がいないと成り立たない存在意義だった。もちろんマスターもちゃんと考えてたわ、ブラウシルト様にこれからも護衛に着くように言ったの。でも、その頃のマスターはもう誰かに守ってもらう必要がないくらい強くなっちゃってた。マスターが何と言おうと、その現実は変えられない。ブラウシルト様はすごく悩んで、自壊しかけちゃった。自分は必要ないんだって」


 イヴリルの話に、ステラの胸がきゅっと締まった。思わず彼女の身体を抱きしめると、ローブの下の腕を、イヴリルが抱き返す。


「私ね、ずっとブラウシルト様が好きで。まぁその、言動が失礼な事はたまに……よくあるけど、悪気はないし。やっぱり好きで。だから壊れてほしくなかった。だから私、こう提案したの。“私と一緒に旅をして、私を守って”って。ほら、私は戦えないし、か弱い女の子でしょ? アダムスも似たような物だけど、単独で旅をするのは私の方がすごく危険だったのよ。だからブラウシルト様の存在意義を作れると思ったの。私はね、自分のやりたいことよりも、見知らぬ誰かを助けることよりも――私が大好きな人たちを守りたいの」


 イヴリルの声が震え、湿って涙が滲み始める。震える肩を抱きしめても、その勢いは止まらない。

 とうとう堰を切って泣きじゃくり始めた彼女は、言葉を詰まらせながら、こう言った。


「だから、だから私、あの時こう言っちゃったの。ヘリオス王国でボロボロになったアダムスを見てこう言っちゃったの。“そんなに傷付く前に、さっさと逃げれば良かったじゃない!”って言っちゃったのよ! だってアダムスに死んでほしくなかったの、壊れてほしくなかったの! 私は見ず知らずの人たちよりも、大好きなアダムスに助かってほしかったのよ! それに私たち治癒術師は、苦しむ人々全てを助ける事はできない。絶対にできない! どんなに頑張っても、すくいあげた手から零れる人たちがたくさんいるの。ヘリオス王国の碧岩病へきがんびょうは、まさにそれだった。助けるより先に死んでいく、疫病ってそういうものだもの。根絶したいけど、できない……!」


 彼女から溢れる言葉の大半が、涙に濡れそぼっていた。ステラは聞き取りにくくなった言葉を一つも逃さないよう、耳を立てて聞き入った。

 白銀の瞳からはとめどなく涙が溢れ、しゃくり上げた勢いで、イヴリルの頭から帽子が落ちる。


「だから、無理して留まるべきじゃなかった。治癒術師たるもの、自分を犠牲にしすぎちゃダメなのよ、治癒術に使う魔力だって無限じゃないから。人間でも、無理をして治癒術を使いすぎて自分が死んじゃう事もある。だから私は、あの時のアダムスは死霊が出現した時点でヘリオス王国から脱出するべきだったと思ってる。そこまで進んじゃったらもう、碧岩病だけが敵じゃない。病と同時に、死霊からも患者を守らなきゃいけなくなるから。でも、アダムスはそうしないのよ。患者を見捨てないの……ステラ、貴方を助けたみたいにね。だから、ソルフレアみたいにすぐ直せる程度だったアダムスは、私の言葉で思いっきり壊れちゃった。私が存在否定を――アダムスが“こうあるべき”って思ってる事を否定しちゃったから。十年間、ずっと謝りたかったんだけど、上手く切り出せないまま、結局こんな風になっちゃった」


「仕方ないよね」とイヴリルは寂しそうに呟いた。

 ステラは、アダムスの気持ちも、イヴリルの気持ちも否定できない。恐らく何人、何十人、何百人――もしかしたら何千人もの死を見て来ただろう彼らが行きついた答えに、たかだか十五になったばかりのステラが言及することはできなかった。

 ただ、二人のすれ違いが悲しいと思った。決して悪意も、誰かを害する気持ちの欠片もないのに、とやるせない気分になる。

 そんなステラの胸中を知ってか知らずか、イヴリルは深呼吸を繰り返した後、話を続けた。


「全ての命を救うことはできない。だからどうするべきか、それは私たち治癒術師にとっての“命題”なの。きっとこれからも、ずっとずっと解を探し続けなきゃいけない。ある程度割り切って解を出してみても、結局ぶち当たる度に考えることになる。だからエドアルドの言葉は、決してステラを軽んじたわけじゃない。ただ、ステラが今こうしているのは本当に奇跡に近いことなの。実際、当時の治療記録を見る限り、私も安楽死させてあげた方が良いと思ったわ。貴方が余計な苦しみを抱え込まないようにってね。生きている事だけが、幸せじゃないから。こればっかりは難しい問題なんだけどね。それに、アダムスが貴方を助けるために、また無理して壊れちゃうんじゃないかって不安だったのもある」


 やっと涙が止まったイヴリルは、泣き腫らした目を両手で擦った後、ふぅ、溜息を吐く。

 開き直ったような高い声で、彼女は言った。


「あの時の私にとって、アダムスは大好きな人で、ステラは知らない人だった。アダムスに無事でいてほしかったから、死霊たちが言ってたような事を言ったの。だから、ごめんなさいね」


 ローブに包まれながらぐるりと向きを変え、ステラに相対する。真っ赤に腫れた瞼のすき間から、白銀の瞳が覗く。


「許してくれる?」

「…………」

「私、今はステラの事大好きよ。だから、ステラの事助けたい」

『なんでそこまで話してくれたんですか?』


 イヴリルは、驚くほどに正直者だ。秘密にしてやり過ごせるような内容もあったのに、ステラに全部話してくれた。だからこそちょっと傷付いて、そして嬉しかった。

 しかし、ステラの問いに、イヴリルは首を傾げる。


「……こんな話を秘密にしたら、お友達になれないじゃない?」

「――!」


 思わずイヴリルの身体を思い切り抱きしめる。首筋に一瞬彼女の驚く気配が伝わってきたが、すぐに柔らかな空気に変わり、毛皮に顔を埋めてきた。


「……昔、アダムスがこう言ってたの。『僕たちは全力で、出来る限りの事を尽くす。だから患者の前で泣く事は許されない。謝罪も後悔の言葉もだ。それは、全力ではなかったという証だし、精一杯生きた患者への侮辱だ』って。治癒術師として、私もそうあれるよう心掛けてる。でも、カーバンクルが死んじゃった時の事を覚えてる? 今のアダムスは、この彼自身の信条も守れないほど、すごく疲れちゃってる。きっとヘリオス王国と――私の言葉の傷が心に残ってるんだわ」


 ステラも思い出した。カーバンクルが死んだ時、アダムスは死なせてしまった事を謝罪していた。それだけではない、この墓地に眠る名も無き旅人にも、助けられなかった事を謝っていた。

 ステラは眉根を寄せる。そこまで傷ついた彼を、誰が治すんだろう。

 その答えの欠片のようなものを、イヴリルは提示した。


「でもね、ステラと一緒にいる時のアダムスはすっごく楽しそうで、調子も戻ってきてるみたいなの。まぁ、今日みたいな不安定な事もあるみたいだけど。だから、貴方の人生を強制するつもりは全くないんだけどね――」


 そこで一旦言葉を切り、イヴリルがステラの身体から離れる。しっかりと正面から目を合わせながら、彼女ははにかんだ。


「大好きな誰かを支えて生きるのも、悪くないわよ」


 するりとステラのローブを抜けて立ちあがると、服に着いた雪を払って、ステラに手を差し伸べた。


「さ、帰りましょ。身体冷えちゃったでしょ? 帰って温まらなくちゃ」


 イヴリルの手を取り、ステラも立ち上がる。ローブに着いた雪をイヴリルがはたき落とすと、手を繋いでグイグイと先を急いだ。


「……迎えに来てくれてありがとう。あと、わかってると思うけど、死霊たちが言ってたっていうブラウシルト様の言葉はただの失言だからね。悪気はないんだけど……確かあの時すぐ謝ってたし、それも許してあげてくれると嬉しいな。多分、これからもあぁいうことあるかもしれないんだけど――」


 苦虫を噛み潰したような顔のイヴリルに、ステラはつい噴き出してしまった。

 それに驚いたイヴリルも、釣られて笑いだす。


 いつの間にか、雪は止んで晴れ間が覗いていた。




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