命題11.白月の治癒術師 イヴリル 1

 目が覚めた。

 柔らかく、とても暖かい感触が身体中を包んでいる。ベッドに寝かされているようだ。

 目の前には、ほのかな灯りで薄暗く照らされた天井が広がっている。茶色の木目まではっきり見えるほど、意識も視界もはっきりとしていた。

 とても静かだ。この暗さと気配はきっと夜なんだろう。だが、森のざわめきも生物たちの声も聞こえない。雪が降ってるか積もっているのだと思う。


「あら、起きたのね」


 少女の囁き声に、ステラの尖った耳が跳ねる。緩慢かんまんな動きで頭を動かすと、鼻先の向こうで真っ白な少女がこちらを見つめていた。


「……アダムスじゃなくてごめんなさい」


 白髪に白銀の瞳を持つ、十代半ばの少女の姿をした白月はくげつの治癒術師・イヴリルは、ランタンの橙色に照らされながら、申し訳なさそうに笑った。

 ステラは、眠りにつく前の出来事を思い出した。起き上がろうとして、イヴリルに制される。


「いきなり動いちゃダメ。焦らないで、ゆっくりね」


 小さな手に支えられ、ベッドから身を起こす。そこで、ステラは身体の違和感に気付いた。

 人間のように、ベッドの上に座っていられるのだ。

 つい脚をさすり、シーツを持ち上げる。イヴリルもひょこっと身を乗り出して、中を覗き込んだ。


「変なとことか、痛いところない? 私たちの見た限りだと、脚の作りがかなり人間に寄ってきたわ。動物の足みたいなしなりが減って骨盤の辺りまで大きく変化してるから、座ったり横になったりしやすいでしょ? あなた、以前は床に毛布を敷いて寝てたんだってね。まぁ四足獣ってのはそうやって寝るものだけど、これからはベッドで寝なさいよ」


 ステラは小さく頷いたが、それよりも聞きたい事が山ほどあった。

 両手で物を書く動きをすると、イヴリルの視線が横に流れる。ステラもその先を目で追うと、サイドテーブルの上がささやかに包装されたプレゼントでいっぱいになっていた。


「ステラ、筆談用のボード壊されちゃったんでしょ? ルヴァノスが新しいのを用意してくれたわよ。それに各自からお見舞い兼誕生日プレゼント。今は夜中でみんな寝てるから、なるべく静かにね」


 イヴリルが手を伸ばし、水色のリボンがあしらわれたボードをステラに渡す。


「ルヴァノスは、ワインの名産地から葡萄ジュースを持ってきてくれたわよ。ステラはまだお酒を勧められないからってね。こっちのはエドアルドから。手枷が外れて細かい作業ができるようになったでしょ? だからインクと羽ペンにレターセット。是非これを使って文通してほしいって。使い方は後で教わりなさい。それから……こっちの本はソルフレアから各地のおとぎ話や伝承をまとめた本……全巻セットですって。暫く退屈しないだろうけど、あなたこういうの好きなの? あと、私とブラウシルト様からはこれ」


 ひょいひょいとシーツの上に広げられるプレゼントに目を丸くするステラの前に、イヴリルがガラス製の細い花瓶を掲げて見せる。そこには、赤橙色のボンボンのような頭を持った花が一輪生けられていた。暗い橙色の茎や細長い葉まで淡く発光している。その優しい光は透明なガラスとたゆたう水にうねり、揺らめく火のように見えた。


「これは耐熱性が高くて丈夫なの。普通に花瓶として花を飾ってもいいし、冬はこのヘイズ・フラワーを生けておくと、暖炉が無くても部屋が暖かくなるの。だから今も寒くないでしょ? 夏は倉庫にある氷の花を生けると涼しいわよ」


 イヴリルは花瓶を元の場所に置いて、次に隣にあった小さな紙袋を手に取った。厚めでしっかりとした素材でできており、彼女が軽く振ると、粉末状の何かが何で暴れる音がする。


「これはロメオから。あいつ、冬山から魔法鉱石を持って無事に帰ってきたわ。髭ボーボーでボロッボロだったけどね。それで今は、エドアルドと一緒にガリレイ家の工房で身体維持装置の作成をしてるの。あいつひっどいのよ? ステラが誕生日だったって言ったら『あっそ。』だって! おめでとうの一言も言えないのかしら? ロメオは私が産婆をして取り上げたのよ。この前までこーんなに小さかったのに、今はあんな図体も態度ででかくてふてぶてしい子になっちゃったわ! まぁ、ジュリエッタとかいう吸血鬼が一緒とはいえ、冬山行って帰ってくる根性は認めてあげるけど。でも、ステラへのプレゼントは? って聞いたらこれよ、ココアを一缶ひとかんだけ。リュックに詰め込んであった未開封のやつを放り投げてきたの。ほんっとう、失礼しちゃうわ!」


 声量を抑えつつも口を尖らせるイヴリル。

 ステラは彼女の語るロメオの姿を思い浮かべた。彼らしい、と思わず笑みがこぼれる。

 そんな彼女を見て、イヴリルは一つ息を吐いて肩の力を抜いた。


「喉乾いたでしょ? そこにお水あるから飲んでて。私はココアを作ってくるから。それと――」


 ステラの鼻をちょんと人差し指で触れて、イヴリルは笑った。


「みんな無事よ。だから、心配しないで」


 そう言い残し、音を立てないように部屋から出て行った。

 ステラは水差しからグラスに注いだ水で喉を潤し、シーツの上に広げられたプレゼントの数々を眺めた。

 一つ一つ手に取り、指をなぞらせ、送り主の顔を思い出す。

 そうやって静かに、イヴリルが戻ってくるのを待っていた。



 * * * * * *



 シーツに広げられたプレゼント達は、一通り確認した後、テーブルの上にもう一度飾り直した。朝になったらゆっくり楽しもうと思う。

 ランタンの光に照らされるプレゼント達をぼーっと眺めていると、治癒術師の少女が静かに部屋の扉をくぐった。同時に、部屋中にココアの甘く香ばしい香りが広がった。

 鼻をひくつかせてその香りを楽しみながら、ステラは彼女にベッドに座るよう促す。彼女はココアの入ったマグカップを渡しながら、ちょこんと隣に座り、おもむろに口を開いた。


「ステラが眠ってから、一カ月と二週間経ったわ」


 イヴリルの言葉に、口元まで運んだココアが大きく揺れる。ステラが顔を上げると、白月はくげつの治癒術師もまたこちらを見つめていた。


「あなたは予定よりもずっと長く眠っていた。だから時間がないの。ロメオ達が身体維持装置を完成させて戻ってきたら、すぐにでも施術しじゅつしないといけないわ。その首とお腹を貫く魔法道具を取り除くためにね」


 ステラの顔が自然と俯き、目が半分伏せられる。そんな彼女に、イヴリルは真っ直ぐに顔を向けたまま続ける。


「だから、多分次の施術しじゅつまでそんなに時間がないの。怖い……とは思うけど、私たちも頑張るから、どうかステラも頑張ってほしい」


 ステラの中で、前回の施術しじゅつの記憶が駆け抜ける。

 気絶したアダムスに、ボロボロのエドアルド。死霊の子供たちに襲われ、血塗れになってもなお施術しじゅつを開始したソルフレア。膨張する肉に、鋭い痛みが走る脚。遠くなる意識の中で、ソルフレアが倒れ、手には暖かい温もりがあった――。

 ステラは真新しいボードを膝に置き、爪を走らせる。


『手を握っててくれて、ありがとうございました』

「あぁ、気にしないで」


 軽く返して、イヴリルはココアに口を付ける。


「前回の施術しじゅつでは問題が山積みだったわね。死霊に襲われたとか、アダムスが抜けたとかソルフレアが倒れたとか色々あるけど、一応そこら辺は大丈夫。あの後アダムスはちゃんと起きたし、ソルフレアはマスターに修理してもらって怪我一つ残ってない。今は上のツリーハウスで過ごしてるわ。ルヴァノスは相変わらず外と治療院を行ったり来たり。ブラウシルト様は、死霊たちを警戒してる。でも、それよりもね……痛かったでしょ? 痛み止めの薬草を使ったのに」


 ステラは眉間に皺を寄せ、小さく頷いた。


「薬草はちゃんと効いてるはずなの。だから、痛みがあるってことは、それでも抑えきれなかったってこと。でも、これ以上薬草の量を増やすわけにはいかなくて……。ねぇ、その痛みって、手枷を外す時とどっちが痛かった?」

『どちらも同じくらいだと思います』

「そう。多分、次はもっと痛くなると思う。ソルフレアも、ステラに負担がかからないように取り外した足枷の研究をしてるけど、完璧には消せそうにないの。ごめんね」

『いいえ。頑張れると思います』

「…………無理しなくていいのよ」


 イヴリルが、ぽつりと呟く。


「ステラ、きっと他の皆には言いにくいんでしょ? 優しい人達ばかりだから、遠慮しちゃってるんだわ。たまにいるのよね、そういう患者。私から言わせると、そんな事気にせず不満や文句はガンガン言っちゃえ! って思うんだけど、あなたはそういう性格じゃなさそうだもんね」


 ステラが迷った挙句に首肯すると、イヴリルは眉尻を下げて苦笑した。


「でも、私なら言いやすいでしょ? 正直あなたとはそんなに親しくないし、私も他のみんなほどステラに優しくした覚えはないもの。だから遠慮しないで」


 ステラは、笑いかけてくれる彼女から視線を外し、湯気をたてるココアを見つめていた。部屋をぼんやりと照らすランタンの灯りが、不規則にかすかに揺れる。

 暫くの間、お互い黙ったまま過ごしていた。

 それから、ステラはボードに思ったことをつづった。


施術しじゅつが怖いです』

「うん、そうよね。身体を弄るんだもの。でもやらなきゃいけないわ」

『痛いのは、本当は嫌です』

「誰でも痛いのは嫌に決まってる。でも我慢して」

『長い間眠り続けるのも怖いです。そのまま死んでしまうんじゃないかって、怖いです』

「そうよね、でも死なせないわよ」


 不安をばっさりと切られ、ステラは目を丸くした。

 そんな彼女の様子を見て、イヴリルはいたずらっぽく片眉をつり上げる。


「ちょっとすっきりした? 私はね、患者が怖いだの不安だの言っても、聞きはするけど治療を止めたりはしないの」

『それは意地悪は治癒術師さんですね』

「ふふっ。でも、なんだかんだそれが一番なのよ、私の経験ではね。どうしようもないことでも、吐き出したら少しは楽になるものよ」


 お互い笑い合い、ココアを飲み干すまでの短い時間、他愛もないお喋りをして過ごした。

 頃合いだというようにイヴリルがため息をつき、勢いをつけて立ち上がる。空になったステラのマグカップを取り上げ、


「また言いたくなったらいつでも言って。私が側にいるからもう一眠りしなさい。朝になったら起こしてあげる」


 イヴリルはステラを横にしてシーツを被せ、部屋を出ようと踵を返す。

 だが、ステラは立ち去ろうとする彼女の裾を掴んで引き止めた。

 怪訝な顔をする彼女に、ステラはボードを掲げて見せる。


『リチャードはどうなりましたか?』

「リチャード、って誰のこと?」


 問い返しながら、イヴリルは合点がいったように「あぁ」と呟いた。


「もしかして、ソルフレアが言ってた迷子の幽霊のことかしら? 残念だけど、恐らくそのリチャードって子は死霊たちと同化しちゃったと思う。」


 ステラは息を呑んだ。続けて何か文字を書こうとするが、何を書いて伝えれば良いのかわからない。

 そんな少女の心をおもんぱかるように、イヴリルが優しく穏やかな声で言った。


「あなたは悪くないわ、北の泉の呪い――死霊たちは強い。誰にもどうしようもできなかった事だもの」


 彼女の言葉にステラの力が抜け、金色の瞳から涙が零れた。ステラが助けられなかった、と思うのは傲慢ごうまんな考えかもしれないと頭の隅で思う反面、心は苦しくて、胸が締め付けられた。

 そんなステラの手を、イヴリルが優しく握りしめる。


「あまり自分を責めないでね。死霊たちのことは、マスターもどうにかしてくれるって言ってたから。あなたはまず、自分の身体の事を考えて。……でも――」


 そこで言葉を切り、目線を泳がせる。だが、意を決したように彼女は続けた。


「アダムスがね、あの日何があったのか誰にも話してくれないの。私、ステラの事も心配だけど、アダムスの事も心配なのよ。だから後でこっそり、あの日の事を教えて? もちろん、無理のない範囲でいいから」


 屈んで懇願するイヴリルに、ステラは小さく頷いた。それは、今回は話さなかった怖いと思うことの一つだからだ。

 死霊たちは、イヴリルもステラを助けた事について何か言っていたと騒ぎ立てていた。

 でも、彼女ならステラが質問しても、正直に話してくれると思う。今夜の出来事で、そう確信していた。


 マグカップを片付け、イヴリルがベッドの横に腰かける。

 彼女に見守られる中、ステラは微睡みに身を委ねた。

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