命題10.動き出す泉の呪い 3

 野イチゴの花は夏に咲く。

 だからステラは、夏の間に野イチゴの場所を把握しておいた。

 道を外れ、鬱蒼うっそうとした木々のすき間へ足を踏み入れ、ひざ丈ほどの低木をかき分けていく。葉の擦れる音をベースに、落ち葉の乾いた音が一層大きな音を立てる。

 目的の場所に目を落とすと、そこには期待通りのものが実っていた。

 夏場は白く小さな花をつけていた場所に、今は赤く小さな実がなっている。小さな粒が寄り集まった、瑞々しい野イチゴだ。

 一つつまんで味見をすると、甘さを引き連れた酸っぱさが口の中を駆け巡る。ステラは思わず口をすぼめた。

 脇に抱えた籠に、摘んだ野イチゴを放り込む。溶かした蜂蜜糖とヨーグルトと一緒に、パンケーキに添えるのだ。この酸っぱさがより味を引き立てるだろう。想像すると、涎が出そうだ。


 野イチゴを摘み終わったら、次は木の実だ。ハシバミ、ドングリ、オニグルミに小さな松の実。赤と黄色の葉っぱをかき分け、かくれんぼする彼らをみつけては籠の中に転がした。テーブルの上の賑やかしになるかと思って、松ぼっくりもいくつか拾った。

 いがいがに守られた栗は、足先の堅い蹄を使って中身を取り出す。

 扇子の形をした鮮やかな山吹色の葉のすき間には、銀杏も落ちている。イチョウの黄色は、ソルフレアの髪色を彷彿とさせた。

 足元を注視しながら、目上に垂れ下がっていた山葡萄もいくつか回収する。他にも、丸く小さな赤い実をたわわに実らせた小枝をいくつか手折った。ガマズミだ。ジャムにしても美味しいが、十分に熟れて甘いのでそのまま食べられる。


 ステラの周囲には、精霊たちがお供をするように漂っている。

 少女は大きな身体を屈め、地面に目を滑らせる。恵みの多い精霊の森の探索は、すぐに籠の中をいっぱいにさせる。もう少し、と夢中で落ちた木の実を探していると、すぐ横でガサッと音がした。

 兎か、とステラは上体を起こす。音のした方を注視していると、もう一度ガサリと音を立て、茂みが大きく揺れる。

 そして葉のすき間から、白金色の小さな頭が飛び出した。

 ステラは驚いて目を丸くした。くるくるの巻き毛に、大きな青い瞳。五、六歳の男の子だ。薄汚れてはいるが、上等のシャツに艶のある革靴。羽織っているマントでさえ、シルクの高級なものだとわかる。田舎娘のステラでも、その子供が高貴な身分の者だとすぐに理解できた。


「……誰?」


 舌足らずだが、固く張り詰めた声だった。こちらを警戒しているのが伝わってくる。

 迷子だろうか、とステラは首をひねった。アダムスは、精霊の森には稀に外の世界の人が迷い込むので、彼らを保護して元の場所に返してあげるのも仕事だと言っていた。

 ポケットから筆談するためのボードを取り出すと、男の子はびくりと身体を震わせる。だが、逃げる様子はない。

 怖がらせないにゆっくりと近づいてしゃがみ込むと、そっとボードを掲げて見せる。


『こんにちわ。私はステラ。あなたは迷子?』


 男の子は大きな目をぱちくりさせ、ステラの顔を覗き込んだ。


「読み書きができるの? 賢いんだね」

『そう。頑張って勉強しました』

「ステラは、ここに住んでるの?」

『はい。奥に治療院があって、そこに住んでいます』

「じゃあ、ステラは治癒術師なの?」

『いいえ。アダムスという方がいるんですよ。あなたのお名前は?』


 男の子はへぇ、と頷き、茂みから静かに出てくる。


はリチャード。父上と母上を探しているの」

『この森に入ったんですか?』

「わからない。従者と一緒に逃げてたけど、どこかではぐれちゃった……父上と母上は、後から来るの」


 震える声を絞り出し、マントの裾を握りしめる。俯いた顔は今にも泣きそうなのに、必死に涙を堪える姿は、ステラの胸を打った。

 どうにかしてあげたい、と思った。家族と離れ離れなのはとても可哀想だ。が、ステラはこの子を元の場所に返す方法を知らない。

 よく見ると、あちこちに擦り傷や切り傷を作っている。手当もしてあげた方が良さそうだ。差し当たっては治療院に連れて行き、ソルフレアの意見を仰ごうと思う。


『一緒に来てくれますか?』

「どこに行くの?」

『治療院です。まずは怪我の手当てをしてから、帰り方を考えましょう。お父さんとお母さんにもきっと会えますよ』


 リチャードはもじもじと身をよじらせ、上目使いでステラの顔を見る。


「余のこと、食べたりしない?」


 可愛らしい質問に、ステラは思わず破顔はがんした。


『そんな事しませんよ。私は野イチゴとパンケーキとシチューが大好きなんです』


 そう伝え、籠の中身を見せる。色とりどりの秋の実りに、リチャードはわぁと溜息を漏らし、大きな青い瞳を輝かせた。

 そして一歩前に出ると、小さな身体で思い切り背伸びをして、ステラの頭を撫でる。


「わかった。じゃあ、道案内よろしくね」


 満面の笑みを見せるリチャードに釣られ、ステラもにっこりと笑顔を作る。

 そして腰を屈めながら、彼の小さな手をとって治療院へ戻った。



 * * * * * *



「おっきい木! 余のお城よりずっとずっとおっきい!」


 治療院前の広場に、リチャードの感嘆の声が響く。天まで届くかというほどの巨大樹を前に、小さな男の子は頬を紅潮させ、身振り手振りをまじえ興奮を隠しきれない様子だ。


「ねぇステラ、この木は本物? 魔術を使った幻じゃないの? 治療院ってあれ? おっきな木と一緒になってる! さっきからたくさんいる光の玉はなに?」

『光の玉は、精霊たちですよ?』

「嘘! 精霊は人には見えないんだよ」

『嘘ではありません。この精霊の森では、彼らの姿も見えるんです』

「ここ、精霊の森なの? 本当に?」


 きゃっきゃとはしゃぐリチャードの姿が微笑ましい。ステラはつい、自分によく懐いていた幼い弟を思い出した。

 リチャードの相手をしているとふと視線を感じ、ステラは顔を上げた。ツリーハウスからソルフレアが顔を覗かせていた。小さく手を振る彼女にステラも応えると、リチャードで待っているよう言ってから、彼女の元へ向かった。


 ハウスを繋ぐ渡り廊下を進むと、柵にもたれかかったソルフレアが、眠そうな目をこすりながら眼下のリチャードを眺めていた。いつも通り無表情だが、黄金の瞳は真剣みを帯びている。


『すみません、うるさかったですか?』

「いいや。あれはなんだ?」

『リチャード。森の中で迷子になっていたみたいです』

「あぁ、迷子……珍しいな」


 そうだろうか、春先にもあった事なので、迷い込む人の存在はそこそこの頻度な気がする。

 首を傾げるステラの隙をついて、ソルフレアの手が籠に伸びる。つまみ食いは彼女の悪癖だ。山葡萄の粒を摘み口に放り込んだ彼女は、ステラの抗議の視線を無視して話を続ける。


「元の場所に返してやらなくてはな。さて、どうするか……」

『怪我をしているみたいなので、手当てをしてから返してあげたいです』

「うん。ステラは偉いな。あの子の帰し方だが……」


 少女の鼻先を撫でながら、ソルフレアは周囲の精霊たちを注視した。ステラのキツネ耳では聞こえないが、人外であるソルフレア達には、精霊の声が聞こえるらしい。彼らの話に相槌を打っていた彼女は、改めてステラに向き直った。


「適当にその辺りを散歩していれば、自然と返せるらしい。手当をしたら一緒に歩いてあげれば大丈夫だそうだ」

『わかりました』

「困ったことがあったら、また声をかけろ。精霊たちも伝言を受けてくれるそうだからな」


 意外と呆気ない解決方法に、ステラは肩の力が抜けた。そんな少女の鼻先をソルフレアは優しい手つきでもう一度撫でると、目を細めて微笑した。

 ステラは彼女に促されるまま、リチャードの元に戻っていった。



 ソルフレアは再び柵にもたれ、眼下の二人を眺めた。ステラが近寄ると、リチャードも嬉しそうに駆け寄っていく。

 少女の身体は大きく、キツネの頭を持ち、脚は蹄、臀部からは細長い鼠のしっぽが五本。獣人というには異形の姿をしているから、小さな子供には警戒されやすいはずなのに、既に楽しそうにやり取りをしている。あの打ち解けの早さはステラの魅力だ。

 顔に落ちてきた山吹色の髪を耳にかけ、ソルフレアは自然と口の端が持ち上がるのを感じた。

 だが、あのリチャードという子供には同情を禁じ得ない。


「幽霊の迷子とは本当に珍しい……」


 院内に入っていく二人を眺めながら、ソルフレアは僅かに眉尻を下げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る