命題2.名もなき旅人 4

 男を荷車に乗せる際は、少女も手伝った。腕や脚がだらりと垂れることもなく、力なく座った不自然な体勢のまま持ち上がる男の身体は、不気味で仕方がなかった。

 冷たい身体はろうのように白い上にとても硬く、暖かい手をした父や母と同じ、人間の大人とは思えなかった。

 治療院の外にテントを張ったアダムスは、男の死体を中に運んで何かをしているようだった。


 そして、少女は手持無沙汰になった。

 テント張りを手伝った後、アダムスに用意してもらった昼食はとっくに食べてしまったし、片付けも終わっている。

 暫くぼーっと座っていたが、仕方がないので、治療院の中を見て回った。

 空き部屋らしい他の部屋を覗き、診察室を覗き、螺旋階段を昇ってみる。

 少女の大柄な体には少々狭かったが、一番上の丸い窓から見た森の景色はなかなかのものだった。


 暫く外を覗いていたが、一旦降りて、外に出る。

 草花が香る空気を胸いっぱいに吸い込み、治療院の周囲を探索した。

 なんせ、少女がまともに外出するのはこれが初めてだ。光の玉の姿をした精霊たちと共に、ツリーハウスを見に行ってみたり、陽光降り注ぐ広場をうろうろしてみたり、木々に触れてみたり、小川を流れる水を眺めたりしていた。

 陽が傾き始めた頃、物置を覗くとじょうろがあったので、運んできたアロエに水やりをしていると、アダムスがひょっこりと顔を出した。


「やぁ、準備が終わったから、また手伝ってくれる?」


 男の荷物をカウンタ―に置いて、ちょいちょいと手招きをする。

 正直なところ、少女は乗り気ではなかった。だが、断るのも悪いと思い、少年に付いて恐る恐るテントに入る。

 旅人の男は、見違えるほど綺麗になっていた。

 直立した体勢で寝かされ、胸の上で両手を組み、よれよれだった衣服はしっかりと着付け直されている。全身を清拭せいしきされており、ぼさぼさだった髪も綺麗に整えられていた。

 何より、今の男はとても安らかな顔をしていた。

 あの薄暗い不気味さは微塵もない。目と口を閉じ、ただ眠っているように見える。

 少女はそっと彼に近づいて、顔を覗き込んだ。

 もう、あの見えざる手が伸びてくるような感覚は無くなっていた。


「あのままだと可哀想だからね、きれいに整えたんだ。さすがに隅々までってわけにはいかなかったから、簡単なことしかできてないんだけど。」


 彼を毛布にくるみながら、少年は静かに呟いた。


「彼の新たな門出なんだ。せめてものことはしてあげないとね。」



 * * * * * *



 男を荷車に乗せ、彼が元いた場所へと連れてくると、アダムスは大きなスコップで地面を掘り始めた。

 木々がまばらで、ある程度の空きがある場所だ。陽が当たりすぎず静かなので、彼を埋葬するのにもちょうど良い。

 アダムスが穴掘りに疲れてくると、少女が交替で掘り進めた。意外と成人男性を埋めるだけの穴を掘るのは大変で、身体に強い痛いが走る手前、あまり作業が続けられないことを、少女は内心悔しく思った。


「この森に住む動物たちは他の生き物を食べたり襲ったりしないから、穴は少し浅くても大丈夫だよ。」


 そう言って、汗を拭いながら少年も穴を掘る。

 太陽が大きく西に傾き、森が鮮やかな橙色に染まっていった。


 男を埋められるくらいの穴ができると、二人掛かりで彼を中に寝かせる。少年が、男の荷物も穴の中に降ろした。どうやら、カウンターに置いた荷物は彼の持ち物の一部だけだったらしい。

 顔を毛布で隠した後、掘った土を被せていく。

 その後、土の上に摘んできた花と石を置いて、二人で彼の安寧を祈った。


「あそこは、この森で亡くなった人のための墓地にしよう。精霊たちも、いいって言ってくれたから。」


 帰路の途中、アダムスはそう言って目を細めた。

 彼は、とても優しい人だ。小柄な身体で、固くなった男の身体を動かすのは大変だっただろうし、穴を掘るのだって楽な作業とはとても言い難い。それでもこうして、苦労の片鱗すら見せず、いつも優しく微笑むのだ。

 少女は、ここまで他人に心を砕ける人物を初めて見た。少年が魔法生物だから、人間ではないから、そういった理由では片づけられない事のように感じるのだ。


 少女は、この少年に憧れを抱いた。


 こんな人になりたい、と強く思った。

 これから、彼の力になれるように仕事の手伝いをして、身体の治療をして――将来の事など全然わからなかったが、彼女の中に漠然とした目標ができたのだった。



 * * * * * *



 治療院に戻ってくると、アダムスはカウンターに置いた男の荷物を広げた。

 鞄の中には何枚かの紙が入っており、その中の一枚を少女に差し出す。

 鋭い爪で傷つけないよう慎重に受け取り、中身を覗いてみる。そこには、草原と青空、そして黒い遺跡のようなものが描かれていた。


 絵だ。


 草がふんわりとなびくように描写されていて、この場所は風が吹いていることが伺えた。一面の明るい緑と水色の青空、そして浮かぶ白い雲。その中に突如として現れる黒い遺跡。よく見ると、黒い遺跡はきらきらとした素材らしく、白く小さな点描てんびょうが混じっていた。


 少女は、この絵を隅から隅までじっくりと見つめた。この場所はどこなのだろうか。行ったはずがない場所なのに、風と空気を感じる。まるでその景色を切り取ったような、とても惹かれる一枚だ。

 右端にも何か描かれていた。毛の生えた太い指を横にどけると、そこには文字のようなものが書かれている。だが、少女は文字が読めないから、何と書いてあるかは理解できなかった。


「せめて名前だけでもわからないかと思って、少し荷物を改めさせてもらったんだ。そしたらこんなにたくさん絵が出てきてさ。彼は、旅の途中で訪れた景色を絵にしてたみたいだね。絵具や筆も入ってたよ。本当は一緒に埋葬してあげるべきだったのかもしれないけど、すごく上手だしもったいなくてさ。」


 そう言って、少年はちろっと舌を出して見せる。


「でも、名前はわからなかったなぁ。右下にあるのはサインだと思うんだけど、筆記が独特すぎて読めないんだ……。」


 残念そうにしながら、アダムスは別の一枚を少女に見せる。夜空の上から、鮮やかな色が降り注ぐ絵だった。薄い桃色に、黄色に、薄緑色に、空けるような水色。本当に、こんな美しい景色があるのだろうか。何が起きているかわからないが、とても幻想的だ。


「これは極光きょっこうだね。魔力の源、マナ同士がぶつかり合う事で発生する現象なんだけど、これが夜に起こると、光のカーテンみたいですごく綺麗なんだ。珍しい景色なんだけど、彼は運良くこれを見たらしいね。」


 絵に残したくなる気持ちもわかるよ、と言う少年の説明に、少女は金色の瞳を丸くしてため息を吐いた。聞いたことも無ければ、想像したこともない世界だ。絵を元に、その光景に想いを馳せては、もう一度ため息を吐いた。


「こっちはエクセリシア帝国の王城だね。エドアルドもこの城で働いてるんだよ。こっちはどこかの港街かな?」


 次いで差し出された絵を見ると、青空に純白の城がそびえ立っていた。エドアルドのケープに刺繍されていた紋章の青い旗が閃き、白い鳥たちが城の周囲を飛んでいる。街の中から見たのだろうか、見上げるような構図で、両端にはレンガ造りの家の屋根が映り込んでいる。


 もう一枚の絵は描き込みが多く、とても賑やかなものだった。港、という言葉は聞いたことがある。海というところに面していて、海に浮かべる船というものがたくさんある場所だ。石畳の横に、青い水と木でできた乗り物のようなものが並んでいる。

 港町と言われたこの絵にはたくさんの人が描かれていて、とても活気があった。こんな景色を見るのは、少女は初めてだ。果物を売る店で客を呼び込む太ったおじさんに、胸の空いたドレスを着た女性たち。筋骨隆々の男が目立つ中、樽の上に座った子供と老人が、楽しそうに笛を吹いている。細かいところまで見れば見るほど新しい発見があって、全く見飽きない。


 二人は旅人の絵をどんどん広げていった。金色に染まった小麦畑の絵に、何かのお祭り、海と砂浜、街の広場で弾き語りをする吟遊詩人と集まってきた子供たち。一枚一枚手にとっては、アダムスが何の絵か説明していく。

 その中で、ひと際目を惹く一枚があった。とても大きな木の絵だ。根本に街があり、そこを覆いつくすように羽を広げた蝶の姿をした、鮮やかな緑色が印象的な木だった。


「あ、その場所は僕も行ったことがあるよ。世界で一番大きな胡蝶蒼樹こちょうそうじゅがある街だ!」


 目を輝かせたアダムスが身を乗り出した。


「この木はね、本当は春しか葉も花もつけないんだ。綺麗な緑色に、透き通った水色の花を咲かせるんだよ。でも、この街の胡蝶蒼樹こちょうそうじゅは一年中葉も花もつけてるから、常春の街って呼ばれてるんだ――これ、もしかして絵具に葉っぱと花を砕いて使ってるのかな、なんかきらきらしてるよね?」


 言われてよく見ると、確かに葉の部分が光に合わせて煌めいている。

 つい、顔を近づけてじっと見てしまう。表面がざらざらとしていて、確かに何か混ぜているようだ。


「昔、エドアルドとこの街に立ち寄った時、この木を見て感動したっけなぁ。それにね、この街の人たちは旅人にとても親切なんだ。昔、荒廃したこの土地に胡蝶蒼樹こちょうそうじゅを植えていった旅人がいて、春を連れてきた人って呼ばれてるんだって。だから旅人が訪れたら歓迎して、旅立つときには餞別せんべつを持たせて送り出すんだ。とても良い人たちばかりだった……。」


 旅の日々を追憶する少年の隣で、少女もこの街と、埋葬した旅人に想いを馳せる。

 あの旅人も、この街で歓迎され、そして送り出されたのだろう。彼は、どんな気持ちで過ごしたのだろうか。嬉しかったか、楽しかったか。きっと、楽しかったに違いない。常春と言われるように、絶対、彼も心が暖かくなったはずだ。そうでなければ、こんなに素晴らしい絵を描けるはずがない。


 あまりの感動に、少女は思わず歌を歌いたくなった。が、喉が痛くて少し呻いただけで終わってしまった。

 心配して顔を覗いてくるアダムスをよそに、少女はその絵を持って、待合室の壁の前まで移動する。この部屋の中で、一番目立ちそうな場所だ。

 そこに、絵を掲げてみせて、アダムスに向かって「ガウ!」と吠える。


「……あぁ! それは良い案だね!」


 一拍置いて、アダムスが手を叩く。カウンターに広げた他の数枚も持って、少女の隣に駆け寄って言った。


「この絵を飾ろう! 部屋中に飾るんだ! 飾り切れない絵は診察室にもリビングにも。それでも収まりきらないようなら、君の部屋にも!」


 声を弾ませる少年に、少女もうんうんと頷いた。

 その後、二人はピンを用意して壁に絵を留めていった。どの絵をどこに飾るか、どのくらいの高さに貼るか。なんせ枚数が多いので、二人してあーでもないこーでもないとたくさん悩んでは笑いあった。楽しい時間があっという間に過ぎ去り、二人が一通り絵を飾り終わった頃には、空には真ん丸のお月さまが居座って、静かに森を照らしていた。


「今日はすごく楽しかったね。でも、久々に外に出て疲れたでしょう? ゆっくり休んでね。」


 夕飯を食べた後、暖かいミルクを出したアダムスは、少女にそう言って就寝を促した。

 確かに、今日は楽しかった分、既にまぶたが降り始めてきている。

 男の遺体を見つけた時は正直とても怖かったが、彼を埋葬するときには、そんな気持ちはなくなっていた。

 彼が遺した絵を思い出す。特に、あの胡蝶蒼樹こちょうそうじゅの絵が気に入っていた。旅人に優しい、常春の街――。


 どの絵も、とても美しいものばかりだった。

 あんな風に描かれるような景色を見て、あんな風に描かれるような人々に出会えるのなら――、


 旅というのも、悪くないのかもしれない。



 * * * * * *



 真夜中。


 ドンドンドン!


 と激しくドアを叩く音で、少女は目が覚めた。

 窓の外を見るが、まだまだ夜明けにはほど遠い時間だ。

 真夜中の客人は、どうやらそうとう焦っているらしい。突如、静寂を破った打撃音は、その勢いを増していく。

 隣の部屋で、アダムスが部屋を飛び出す気配がした。

 眠たい目をしぱしぱさせながら、つい少女もシーツを巻き付けたまま、部屋を後にする。


「開けてくれ! ここは治療院なんだろう!」


 ドア一枚隔てた向こうから、切迫した、若い男の声が響く。ランタンを揺らして駆け寄る少年が、慌てて鍵を開けた。

 同時に、ドアが蹴破られる。


「――! 何があったんだ!」

「お願いだ、彼女を……彼女を助けてくれ!」


 青年が抱える女性は、血の気のない顔で目を閉じたまま、意識もないようだった。だらりと降ろした腕から、赤い血が滴り落ちている。


 その胸には、彼女の腕ほどもある太さの杭が深々と突き刺さっていた。




 命題2.名もなき旅人 ~完~


                       →次回 命題3.吸血鬼 テオ



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る