第37話

 あらわになる谷間をあまり意識しないように視線を戻し、コーヒーに口を付けて落ち着こうとする。


 掛井先輩の様子がおかしい、さっきまでは普通だったはずだけど……そんな事を考えながら摘まんだチョコを口に運び……あれ? これお酒が入っていないか?


 いろいろな形をしたチョコの中にどうやらお酒が入った物が混じっていたようだ……まさか、これで酔ったのか!? 掛井先輩、アルコールに弱すぎるだろっ!


「相馬さん、こちらを見てはくれませんの?」


 ギシリ、とソファが音を鳴らす。えっ? と不意をつかれて無意識のうちにそちらに顔を向けると……ふにっと唇に触れる柔らかい感触と、首に回される腕の感触……。


「ふぁ!? ふぁふぇ……っ!」


 掛井先輩!? と言おうとしたのだが、口を塞がれているのでうまく言葉にならない……そしてそれがいけなかったのだろうか、開けてしまった俺の口内に『にゅるっ』とは侵入して……って、ちょっと!? 待って、落ち着いて!


 とにかく離れて貰おうと掛井先輩の身体を押し返そうとするが、がっちりとホールドされた腕はかたくなで中々思う通りにいかない……いきなりフレンチ・キスをされて動揺してしまったせいもあるかも知れないが。


「はぁ……んぅ……ぁ」


 小さく吐息を漏らしながらも、何かを求めるように舌を動かす掛井先輩……いや、何を求めているのかなんてわかりきっているのだが、ここで応えてしまうわけにもいかない。

 だが、首に腕を絡められているので押し付けられて形を変える掛井先輩の双丘が容赦なく俺の理性を奪おうとする。

 理性を保とうと必死になって掛井先輩の舌を避けていると、応えてくれないとわかったのか、ふっと掛井先輩の腕の力が抜けて顔が離れていきようやく俺の身体は解放された……。



 正面から俺の顔を見据える掛井先輩は、確かめるように小さく出した舌でぺろりと自分の唇を舐め……その表情はいつもの掛井先輩からは想像もしえなかったほどに蕩けており、強烈に『女』を意識させてくる。


……チョコの味がしましたわ」


 まぁ、直前に口に入れましたからね……って、問題はそこじゃないだろ!?


 いきなりのキスに何か言い返さなければと考えるも、頭の中でうまく言葉が纏まらない……そして、掛井先輩は俺に考えを纏める時間を与えてはくれないらしい……。


 ぽすっと俺の胸に顔を埋め背中に腕を回して抱きついてくると「ふふふっ」と笑いながら頬をすり寄せてくる掛井先輩……。 

 一変して少女の雰囲気をまとった掛井先輩にすっかり毒気を抜かれた俺は「はぁ」とため息を吐くしかなかった。


 押しのける気力を残すことも出来ずに少しの間そのまま動かずにいると、掛井先輩から「すぅ、すぅ」と寝息が聞こえ始めた……寝ちゃったよ、この人……この体勢のまま俺にどうしろって言うんだ……?

 でも、その姿はまるで甘える幼子のようで……必死に俺の背中に回した手でしがみつく彼女をどうしても身体から離す事は出来なかった。


「全く……困ったお嬢様だ……」





 掛井先輩を抱きしめ動くことが出来ないまま時間は過ぎ……1時間もした頃だろうか、ようやく掛井先輩が目を覚まして身体を起こす。


「あら……わたくしは一体何を?」


 どうやら何をしたのか覚えていないらしい……今後は掛井先輩と一緒にお酒は飲んじゃだめだな……キス魔になるとか、こっちの身がもたない……。


「あー、どうやらチョコにお酒が入っているものが混じっていたみたいで、それを食べた掛井先輩が俺にもたれ掛かって寝ちゃったんですよ。もう大丈夫そうですか?」


「そうでしたの……大変なご迷惑をおかけしてしまいましたわ。えぇ、もう大丈夫です」


 俺から身体を離した後に乱れていた服をさっと直し、しゅんとした顔で言う彼女にあまり強くは言えないが、これだけは言っておかないとダメだろう。


「ならいいですけど、今後は気を付けてくださいよ? かなりお酒に弱いようですし、二十歳はたちになっても絶対に飲んじゃだめですからね?」


「わかりましたわ、わたくしも今回のような姿を他の誰にもお見せしたくはありませんし。でも1個食べたときはとても美味しかったのが少し残念に思えますわね」


「まぁ、寝る前にチョコを1個とかなら大丈夫かも知れませんけどね。それでも気を付けたほうが良いのには違いありませんから」


 そう言い、ソファから立ち上がる。掛井先輩が起きるまで動けなかったからそれなりに時間が過ぎてしまっていた。


「それじゃあ、今日は御馳走様でした。結構長居もしてしまったしそろそろ失礼しますよ」


「もうこんな時間なのですね。」 


 そこは「お粗末様でした」とかじゃないのか? と疑問に感じはしたが、大した意味は無いのだろうと玄関へと向かう。

 

「相馬様、お待ちください」


 靴を履こうとしていたところで後ろから付いてきていた掛井先輩に呼び止められる。


「どうかしましたか?」


「口元に、チョコが付いていますわ。動かないでくださいね」


 言うなり、俺の口元に濡れたタオルが触れる。いや、貸してくれれば自分で拭けるんだけど……でも、チョコが付くような食べ方はしていないはずなんだが……。


「取れましたわ。今日はありがとうございました、また明日」


「ありがとうございます……こちらこそ。それじゃ失礼しますね、また学校で」



 掛井先輩に見送られて外に出たが、なんだか疲れたし今から書店に行ってもろくに見れはしないだろう……帰るか。


 来た時のように一人で長いエレベーターに揺られて降りた俺は、自転車に乗って家へと帰ることにした。




――――



 

 あぁー、やっと帰ってきた……。


 自転車を止め、ドアを開けようとするがどうやら鍵がかかっているようだ……母さんは買い物にでも行ったのかな? 


 まぁ出掛けたりすることもあるか……と、鍵を出そうとポケットに手を入れるが……あれ? 鍵がない。

 まじかーっとがっくりと肩を落とすが、玄関前で待っていても仕方がないので母さんにメッセージを送ってみることにした。



――――『帰ってきたけど鍵を忘れたみたい、何時ごろ戻る?』



 すぐに返事は来ないだろうし、コンビニに行って飲み物でも買うか……。



 

 その後、母さんから返信が来たので公園で肉まんを頬張りながら待つこと15分程。ようやく家に帰ることが出来たのだった。


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