第10話少女の夢と漆黒の野望②

 湾岸都市ダイバーから定期船に乗って10分、ダミール島の港に降り立ったクルーガーの顔色は真っ青だった。吐き気をもよおし、その場にしゃがみこむ。クルーガーはひどい船酔いに襲われていた。嘔吐を必死にこらえてなんとか立ち上がり、フラフラしながら、港の総合案内所へ向かう。

――まずは、宿の確保だ……

 死にそうな顔で尋ねるクルーガーに、案内所の女性職員が心配して声をかける。

「君の笑顔を見たら、すっかり気分もよくなったよ。俺と一緒にひと夏の思い出作らないか?」

 顔を取り繕うクルーガーを見て、「冗談が言えるなら平気ですね」と女性職員が微笑んだ。

 案内所でもらった地図を片手に、クルーガーが宿屋へ向かう。

 港のすぐそばには市場があり、その中は屋台形式の飲食店が多く建ち並び、酒を飲む客たちでにぎわっている。

 夕方になり、日は徐々に傾いてきていたが、ビーチで海水浴を楽しむ観光客の数はまだまだ多い。

 その様子を横目で見ながら、クルーガーは土産屋の並ぶ通りに入って行く。

 アクセサリーショップの前で立ち止まる。

「いらっしゃい! 安くしときますよ、お客さぁん」

 若い店員が活気のある声を出す。

「兄さんの店は、魔石を扱ってるかい?」

「いやぁ、そんな高価な石は使ってないよ。せいぜい魔除け効果があるものくらいかな。相手も観光客がほとんどだからね」

 店員はいくつか魔除け効果がある装飾品を持ってきて、クルーガーに見せた。

「兄さんは、黒い石で作られたアクセサリーを見たことないか?」

「見たことないなあ。ほかの店でも、黒い石を使ったものは無いと思うよ」

 店員は、少し考えてから答えると、1冊のカタログを持ってきた。

 カタログには様々な石の写真が掲載されていた。

「これは?」

「採掘業者の石のカタログさ。これを見て石を注文するんだ。それで、届いた石を俺たち職人が加工する。後ろの方に、少しだけど魔石も載ってるよ」

 クルーガーが、カタログの後ろのページを開く。

 掲載されている魔石は全てクルーガーの知っているもので、黒い魔石は見当たらない。

――ま、こんなとこに堂々と載せてるはずもねぇか。

 クルーガーはカタログを閉じると「ありがとな」と礼を言って立ち去った。

――もう少し、聞いてまわってみるか。

 石を取り扱っている店を中心に聞き込みを続けたが、クルーガーの欲しい情報は全く手に入らなかった。

 土産屋の通りを抜けた先のブロックに宿泊施設が集まっており、今晩の寝床を確保したクルーガーは、再び聞き込みに出かけた。

 夕方6時、夏の日はまだ沈まない。

 たくさんのカップルたちが、茜色に染まる水平線の美しさに魅了されている。

 クルーガーはカップルにも聞き込みを行ったが思うような成果は得られなかった。

――かすりもしねぇ。噂話すら出てこねぇとは……

 ダミール島には武具店が無い。教会支部や神殿といった宗教関連施設、各教育機関も設置されていない。

 島を管理しているのは、領主のブラウニー伯爵である。島の治安維持は伯爵家に仕える、聖海騎士団が一手を担っている。

――採掘業者をあたってみるか。

 クルーガーは、アクセサリーショップで見たカタログの住所を地図で確認して歩き出した。

 日の落ちた繁華街には明かりが灯り、若者たちでにぎわっている。

「お兄さん、お兄さん。うまい酒ありますよ! カワイイ子もいますよ!」

 客引きの男がクルーガーを呼び止める。

「今、いそいでんだ。また今度にするよ」

「1時間、たった1万ギルで、どの女の子もおさわりし放題ですよ!」

「お、おさわり!?」

 クルーガーが思わず立ち止まった。

「ええ、うちはバミール島で最初に開店した、おさわりパブですから!」

「お、おさわりパブ……だと!」

 クルーガーの体は、目に見えない不思議な力によって店内へ引き込まれていった。



 マイとルカそしてエリーゼの3人は、ビーチで水平線に沈む夕日を眺めた後、靴を脱いで波打ち際を駆けまわっていた。

 マリアンヌ聖教の戒律で、神学校の生徒は人前で過度の露出を禁じられている。必然的にビーチで遊ぶなど不可能である。

 暗くなり、3人は人のいなくなったビーチを独占してはしゃいでいた。

「海で泳いでみたかったなあ」

「アタシ、神学校入る前は海で泳いだことあるよ」

「ルカちゃん、いいなぁ……」

 マイがうらやましそうにルカを見る。

「海は無理だけど、別荘の敷地にプールがあるわ。明日、泳ぎましょうよ」

 エリーゼの提案に2人が大喜びする。

 テンションの上がったマイとルカが「キャーキャー」言いながら浜辺を飛び跳ねる。

 商店通りの方から突然走ってきた2人の子供が、マイに激突した。

「きゃっ」

 マイと一緒に足のもつれた2人の子供も浜辺に倒れる。

「おい、大丈夫か?」

 ルカがマイに手を差し伸べる。

「私は平気。この子たちが……」

「こちらも平気みたいよ。大丈夫? 暗くて周りが見えないから気を付けないとダメよ」

 すでに立ち上がっていた男の子と女の子に、エリーゼが優しく話しかける。

 男の子は、学年で最も背の低いマイと同じくらいの身長で、女の子はさらに小柄であった。

 2人は震えながらギュッと手を握り合っていた。

 男の子が何かを訴えかけるように、エリーゼの腕を掴んで揺さぶる。

「タス……ケレ、タスケレ」

 男の子が必死に言葉を繰り返す。

「天に輝く神の光よ、我に力を与えたもう! 聖なる矢となり、邪悪な敵を打ち砕け!」

 マイがとっさに神の裁きを詠唱する。

 砂浜に向かって数本の光の矢が降り注ぎ、その跡にはぽっかりと穴が広がった。

「ルカちゃん、神の加護第一か条!」

 マイはそう言うと、男の子と女の子を穴の中へ押し込んだ。

「天に輝く神の光よ、我ら神の子を守りたもう! 悪しき力を祓いたまえ!」

 マイの考えを察したルカが、神の加護を詠唱し、シールドで穴にふたをする。

 ルカの前に立ったエリーゼが、シールドの上に手際よく砂をかけた。

 その直後に、2人の男が周囲を見渡しながら走ってくる。

 2人がマイたちの前まで来て立ち止まった。

「君たち、男の子と女の子の2人組を見なかったかい? このビーチに来たはずなんだ」

「女の子は9歳、男の子は君たちと同い年くらいなんだが」

 2人の男は丁寧な口調で尋ねた。

「分かりません」

「アタシたち、さっきここに来たばかりなんだけど、同い年くらいの子はいなかったよ」

 マイが短く返答し、ルカは話を合わせて補足するように答えた。

「わたくし、その子たちを見たかもしれません」

 エリーゼの言葉に、男たちの表情が明るくなった。

「どこで?」

「詳しく教えてくれないかい?」

「わたくしたちが波打ち際で遊んでいる時に、後ろを誰かが走っていきました。暗くてよく見えなかったのですが、たしか2人の子供だったと思います」

 エリーゼが思い出しながら話している素振りを見せる。

「で、その子供たちはどこへ?」

 男が身を乗り出して聞く。

「あそこの屋台のほうへ走っていったように見えました」

「クソッ、あいつらまた町に戻ったんだ」

「入れ違いか……どうもありがとう。助かったよ」

 2人の男は礼を言うと、商店通りに向かって駆けて行った。

 男たちが走り去ったあと、エリーゼが通りまで出て辺りを見渡す。男たちがいないのを確認し、浜辺に向かってOKサインを送った。

 マイが砂を払いのけ、ルカがシールドを解除すると、中から男の子と女の子が出てきた。

「あぁ、緊張した……」

「エリーが子供を見たかもって言ったときはビビったぜ」

 緊張の糸がほぐれた2人は浜辺にしゃがみこんだ。

「あの状況で本当のことを言うわけないでしょ」

 戻ってきたエリーゼが口をとがらせる。

「ア……アリ……ガト。アリガトウ」

 男の子がゆっくりと言葉を発する。

 彼の肌は褐色で、髪は赤茶色、異国の風貌であった。

「君は言葉が分かるの」

「……チョット」

 マイの質問に少し遅れて男の子が答える。

「マイ、移動したほうがいいわ。わたくしとマイでこの子たちを挟んで歩きましょ。ルカは少し先を警戒しながら歩いて」

「うん」

「了解!」

 マイとルカが立ち上がり、5人はエリーゼの別荘に向かって歩き始めた。


 なるべく人通りの少ない通りを進んだマイたちは、無事に別荘に戻ることが出来た。

 明るいところで改めて見ると、男の子と女の子の顔と手はススのようなもので黒く汚れていた。服装は、穀物を入れるのに使用する麻袋を切って作ったような、粗末なものだった。体はやせ細り、頬もこけている。明らかに栄養失調である。

 この時間は、別荘の使用人であるメイドも帰宅しているため、見ず知らずで訳ありの子供たちをかくまうにはうってつけであった。

 まずエリーゼは、子供たちを風呂へ案内した。着替えを用意し、身振り手振りでそれを伝える。

 2人が入浴している間に、マイとルカそしてエリーゼは今わかり得る情報の整理と推測を行い、質問する内容を考えた。

 入浴を終えた2人がダイニングルームに戻ってきた。エリーゼの手招きを見て、2人がテーブルの席に腰をおろす。

「エリー、男物の服なんてよく持ってたなあ」

「弟のものよ。彼女のは、私の服。大きいけど我慢してね」

 ぶかぶかのブラウスを腕まくりした女の子は、なんとなく意味が分かったらしく、小さくうなずいた。

「あなたたちのお名前は?」

「パトラ……ブーケ」

 男の子は初めに自分を指さし、次に女の子を指さした。

「パトラとブーケは兄妹かしら?」

 パトラが首を縦に振る。

「年は?」

「パトラ……11、ブーケ9」

 パトラは少し考えて答えた。

「パトラ君は私たちと同級生か1個下だね」

「マイが年下の男子に身長負けたー」

「同学年かもしれないじゃん! ルカちゃんの意地悪!」

 ルカがマイを笑いながらからかう。

「ちょっと、うるさいわよ。話が聞けないじゃない」

 エリーゼが怖い顔で2人を注意する。

 ルカとマイが姿勢を正し「ごめんなさい」と謝るのを見て、兄妹はクスクス笑い出した。笑う2人のお腹が「グルルル」と音を鳴らす。

「お腹が空いていたのね。気がつかなくてごめんね」

 エリーゼがキッチンからパンや果物を持ってきた。

 空腹の兄妹は、手渡されたパンと果物にかぶりついた。すごい勢いでたいらげていく。

「まだ、たくさんあるからゆっくり食べて。今スープも温めてくるわ。牛肉の燻製もあったはず……どこかしら」

 家での食事はすべてメイドが用意しており、エリーゼがキッチンに立つことは無い。別荘でもそれは変わらず、エリーゼが牛肉の燻製を見つけるまでには少し時間がかかった。

 エリーゼが牛肉の燻製をスライスしてパンに挟み、フルーツで作った自家製ソースをかける。

 エリーゼの作った特製サンドを口にして、パトラとブーケは幸せそうな表情を見せた。

「パトラの出身はどこ?」

 席に座りなおしてエリーゼが質問を続ける。

「アア……」

「パトラの国、どこ?」

「ラバン」

 エリーゼが言い直すとパトラはすぐに答えた。

 ラバンは大陸北部の小国である。大陸戦争前までは、北部全域を領土としていたロール帝国の一部であった。大陸戦争で、ユーシー王国を含む南部連合に敗北したロール帝国は滅亡。北部の国々はそれぞれに独立の道をたどった。

 9年前の出来事であり、マイたちは神学校の近代歴史の授業で教わっている。

「ラバンて、山地の雪国だったよね?」

「そうそう、歴史で習ったよな」

「あんな遠いところからどうやって……」

「……戦争孤児とかかな?」

 マイの言葉に、ルカとエリーゼが彼女の顔を見つめる。

「私がいた孤児院にも、たくさんいたんだ。もうだいぶ忘れちゃったけど、外国の子もいたと思う」

「パトラのお父さん、お母さんは? どこ?」

「オト……サン、オカ……サン……イッショイタ」

「どこにいたの?」

「アア……」

 エリーゼの問いに、パトラは難しい顔で考え込む。

「パトラたちを追いかけていた男は誰?」

「オトコ……ミテタ。オトコ……パトラ、ブーケ、オトサン、オカサン……ミテタ」

 パトラが一生懸命に言葉を並べる。

「男たちが、パトラ君の家族を見張ってたってことかなあ?」

「そうか! パトラの家族はあいつらに監禁されてたんだ」

 マイとルカが顔を見合わせる。

「アナ……パトラ、ブーケ、オトサン、オカサン……イシ、ホル」

「穴……石、掘る……家族で採石していたということかしら?」

「強制労働ってこと!?」

「あいつら、そんなひでぇことやらせてたのか! 騎士団に訴えようぜ!」

 ルカが怒って立ち上がる。

「ちょっと待ってルカ。この島に採石場なんて無いわ。それにあの男たち、身なりはきちんとしていた。ただの犯罪者には思えない。もっと考えてから行動したほうがいいわ」

「うん、そうだね。私もうまく言えないけど、すごく変な感じがする……」

 冷静なエリーゼの意見にマイが賛同する。

「わかった。このことは、また明日考えようぜ」

 ルカの言葉に2人がうなずいた。

「大丈夫よ。心配しないで、今日はゆっくり休んで」

 エリーゼが兄妹に優しく微笑んだ。

 パトラは妹の口元についたパンを取りながら、「アリガト」と笑顔で答えた。





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