第8話神官初級審査⑧

 レイマーは目の前の男の変化に内心困惑していた。

 魔族の姿かたちは人間と酷似している。元来、人間が魔族を見分けることはできないが、魔族はその判別を可能とする。

 今のクルーガーがかもしだす気配は、あきらかに人とは程遠い、別物に変化していた。

――なんだ、この威圧感は? 相手はほとんど魔力も持たない、ただの人間だ。恐れることなどない!

 自分自身に言い聞かせながら、レイマーが右手を振り上げ突風を起こす。

 しかし、狙いを定めた方向にクルーガーの姿は無かった。

「アァァァァァ!」

 レイマーが悲鳴を上げる。

 クルーガーの振り切ったナイフが彼の右手首を切り裂き、分断していた。

 路上に右手が転がり、手首から大量に黒い血液が流れ落ちる。

――ば、バカな。人間の動きが認識できぬことなど、絶対にありえん! 

 レイマーが反撃を試み、クルーガーの位置を再び確認する。

 左手を動かそうとした瞬間、クルーガーの斬撃が体中に襲い掛かった。

 その攻撃スピードの速さに反応できず、レイマーの体は一方的に刻まれていく。2本のダガーナイフが動くたび、黒い血液が四方に飛び散った。

 血まみれのレイマーが地面に膝をついた。

「おい、魔族。俺の質問に答えろ。お前の目的はなんだ?」

 レイマーの背後に立ったクルーガーがナイフを構えたまま尋ねる。

「お前ごときに……あのお方の崇高なお意志が理解できるはずもなかろう」

 クルーガーが、レイマーの両肩にナイフを突き刺す。肩に走る激痛に顔を歪ませ、レイマーはうめき声を上げた。

「一連の首謀者は誰だ? 名前は? 階級は?」

「ウググ……貴様も道連れだ! 死ねい!」

 レイマーの体が粉々に砕け散り消滅すると同時に、巨大な竜巻が発生した。

「クッ……」

 上空に吹き上げられたクルーガーが、竜巻のかまいたちで体中に切り傷を負う。

 竜巻はその規模を増し、近辺の建物を飲み込んで破壊していく。

「ウオォォォォォォ!」

 舞い上がったクルーガーが、竜巻の中でナイフを振る。

 風の流れが断ち切られ、威力の低下した竜巻はやがて消滅した。

「どわっ。あたたた……」

 着地に失敗したクルーガーが、腰を殴打し顔をしかめる。

「クルーさんっ」

 今にも泣きだしそうな顔で、マイが走ってきた。

「ずいぶんと派手にやっちまったなぁ」

「聖教騎士団の皆さんが避難を呼びかけてくださったので、住民の方は大丈夫ですよ」

「ま、命さえありゃ、建物はどうとでも直せるからな」

「はいっ」

 マイの差し出した小さな手を握り、クルーガーはゆっくりと立ち上がった。

「来るのが遅くなっちまって悪かったな」

「いえ。私、今度はちゃんと守ることができました。クルーさんも、この町を、この町の人たちを守ってくれて、ありがとうございました」

「俺はチビの従者だからな。従者として、指示通り動いただけさ。お前は、すげぇ頑張ったし、よくやったよ」

 クルーガーが服を脱ぎ、それで半裸状態のマイを包む。

「ふぁぁぁ」

 大きな手がマイの頭を優しくなでた。

 マイは恥ずかしそうに、そして嬉しそうにクルーガーの目を見つめた。



 魔族とオークの襲撃から一夜明けた都市バルサの東側居住区では、早くも復興作業が始まっていた。倒壊した建物のがれきが撤去され、職人たちが汗を流して町の再建に励む。

 マイは、東の神殿の治療室に運ばれたララを見舞っていた。

 個室のベッドで、状態を起こして会話するララの顔色はよく、昨日のことが嘘のようだった。

「私、昨日のこと、あまりよく覚えてなくて……ただ、すごく怖かった。そしたら、マイの声が聞こえて、とても安心したことだけは覚えてる」

「うん。大丈夫! ララちゃんは誰も傷つけてないし、いつものララちゃんだから」

 マイの明るい声に、ララの不安は和らいだ。

「マイにはちゃんと謝らないと。エリーゼと付き合うようになってから、変な態度とってゴメン。きっと、嫌な思いさせたと思う。私、あのグループでうまくやっていきたくて、自分のことしか考えられなくって……だからきっと、天罰が下ったんだ」

「へへへ」

 突然笑い出したマイに驚き、ララは目を丸くした。

「神様は罰を与えたんじゃないよ。私とララちゃんが、また仲良くお話できるようにきっかけをくださったんだよ。だからララちゃん、元気になって学校でまたいっぱいお話しよう!」

「マイ……」

 ポロポロとこぼれ落ちる涙が布団を濡らす。

 マイが優しく抱きしめると、ララは赤子のように声を上げて泣きだした。


 本来であればマイとクルーガー両名からの聞き取りによる調書作成は、1日の時間をすべて費やしても終わらないはずだった。実際、聞き取りが不十分な形で打ち切られたことに、聞き取りを担当していた教会支部のエド上級三等神官は憤慨していた。

 マイの話は信憑性に欠ける部分が多く見受けられ、ましてや魔族を単独で撃退したというホラ話にしか聞こえない男の聞き取りすら、ストップがかかった始末である。

「エドさーん、まずいっすよー」

 神官補佐のマイルが気弱な声を出す。

「上からの圧力なんて、やってられるか! 本部の騎士団にデカい面されて黙ってられるか!」

 エドが怖い顔で応接室に向かって歩いていく。

「いや、しかしですねー、執務次官からの指示っていう噂っすよー。やばいっすよー。マジで田舎に左遷とか勘弁してほしっす」

「真実を隠ぺいすることに加担するかもしれないんだぞ! 神に仕える神官としての誇りはないのか!」

「エドさんーん、熱くなりすぎっすよー。一回あたま冷やしましょうよー」

 マイルの言葉を無視して、エドが応接室のドアをノックする。

「エド上級三等神官です。いくつかお伺いしたいことがあり、参上いたしました」

「入りなさい」

 中からパリス支部長の声が聞こえた。

「失礼します!」

 挑戦的な態度のエドが入室して、そのあとから愛想笑いを浮かべたマイルが体を小さくして入ってきた。

 応接室のソファには3人が座っている。

 教会支部長のパリス、その向かいに聖教騎士団副団長フェンリル。そして、彼女の隣に見慣れない男が1人。

「君の質問は、昨夜の魔族襲撃の件かね?」

「はい。マイという神学校初等科の生徒の話には多くの疑問が残るうえ、聞き取りは途中で打ち切られ、さらに魔族を単独で倒したとされる男からも聞き取りが出来ておりません」

 エドは胸を張り、支部長に向かって堂々と意見を述べた。

「話が聞きてぇなら、答えてやるよ。あんま時間ねぇから、手短に頼む」

「そちらは?」

 エドが見慣れぬ男に疑り深い視線を送る。

「こちらは、レオン・モンフォール公爵。マリアンヌ聖教教会執務次官、クレア・モンフォール公爵のご子息だ」

「も、モンフォール公爵……」

 パリス支部長の回答にエドは口をポカンと開けたまま沈黙する。

 名家であるモンフォール家は、王侯貴族の次に位置する貴族階級である。家長であるクレア・モンフォールはマリアンヌ聖教教会の次席であり、その長女は聖教騎士団のトップ、クロエ・モンフォールである。

 ユーシー王国の国民誰もが知る、エリート家系である。

「マリアンヌ聖教騎士団、元副団長と言った方が分かりやすいですよね? 今回の魔族討伐にあたったのが、レオン様です」

「あ……あのリミット・ブレイカー、聖教騎士団歴代最強の男、レオン・モンフォール!」

「久々に聞いたな、その通り名」

 大きな声を上げるエドを見て、クルーガーが苦笑いする。

「ぼ、僕あなたの小説何度も読みました! 大ファンです! サインくださいっ。握手してくださいっ」

「あ、いや。あれは俺が書いたわけじゃねぇし。そもそもあの話は、俺をモデルにしたフィクション小説だぜ」

 すっかりテンションの上がり切ってしまったエドに押し切られ、クルーガーが要望にこたえる。

「サインと握手の見返りってわけじゃねぇんだが、ちょっとエドに頼みがあるんだ」

「はいはい、はいはい! なんでもおっしゃってください!」

 エドが目を輝かせる。

「これは魔族が持っていたものなんだが……」

 包み紙を開いて、エドに中身を見せる。

 それは、レイマーがララに渡し、マイの不可思議な力によって粉々に砕かれた指輪の欠片だった。

 事件の収束後、少女たちから聞き取りを行った聖教騎士団が、現場調査で収集したものだった。

「なるほど。極秘に解析と出所を調査すればよろしいのですね」

 エドが中指でクイッと眼鏡の位置を押し上げる。

「聞き取りを中断させたのは悪かったな。まだ黒幕が見えない段階で、情報を流したくなかったんだ」

「私が聞き取りして作成した調書を、エド殿にお渡しします。マイさんの件については、未解明な部分もありますが、彼女が嘘をつくようなことはないと信じております」

 謝るクルーガーと真摯な態度のフェンリルを見て、エドは納得した。

「了解しました。私でよろしければ、最大限協力させていただきます。それからあと、一つだけ」

「ん、なんだ?」

 真剣で険しい表情に変わったエドの発言に皆が注目する。

「サインの最後に、『エド君へ』て書き足してもらえますか? お願いしまーすっ」

「あ、ああ。もちろん」

 拍子抜けしたクルーガーが笑いながら応じる。

 隣のフェンリルも口元を押さえてクスクスと笑い、パリス支部長にいたっては、わざとらしく咳払いをして、どうにか笑いをこらえていた。



 日も高くなり、その日の温度が最高点に到達した正午過ぎ、マイとクルーガーは都市バルサを出立した。フェンリルが用意してくれた馬車のおかげで、真夏の焼きつけるような日差しを免れることができた。マイは最後まで遠慮したが、クルーガーの「お肌が焼けたら、戦えない」という意味不明な意見に押し切られ、彼女の好意に甘えさせてもらった。

 エリーゼたちは、神殿の治療室で療養しているララの回復を待ち、翌日に都市バルサをあとにした。神学校に帰還後、事件に関する追及もなくスムーズに帰宅できたのは、聖教騎士団副団長フェンリルの根回しがあったことを言うまでもない。

 試験最終日、2つ目の古代神殿で洗礼を終えたマイは、クルーガーと共にカーリック村跡を訪れていた。まだいたるところに、黒く焦げた焼け跡が生々しく残っていた。村の墓地に足を踏み入れたマイが、目を閉じ胸の前で両手を組み合わせてお祈りをする。クルーガーは目をしっかりと開いたまま、たくさんの墓標を見つめていた。

「なんでこいつら、死ななきゃいけなかったんだろうな? 聖教の教えだと、死にはすべて意味があんだろ?」

「その意味は、神様しかご存知ありません。でも生きる意味は、神の名を知らしめ、神を讃え、神と共にあることだと教わりました。魂は輪廻して、また生まれ変わってきます。だから、死は生の一部であり始まりでもあるんです」

 マイがクルーガーを見上げて、静かに語る。

「この村の連中は幸せだったな。金が無くても、チビに祈ってもらえたから天国に行けるってもんだよ。この世もあの世も地獄じゃ、救われねぇよ」

 聖教の教えを揶揄して皮肉を言うクルーガーを、マイは寂しそうな顔で見ていた。

「私は、天国とか地獄とか、そういうのは神様がお決めになることだと思います」

「おいおい、チビは聖教信者で神官志望だろ? それは教えに反するって、まあ、もう試験は不合格だもんな。ついでに信者もやめとくか?」

 クルーガーが茶化すように言う。

「やめませんよ! 私が言いたいのは、もし聖教の教えがその通りであった場合、私が死んだら神様に教えを改変するように意見するっていうことです!」

 マイが怒った顔で答える。

「ハハハハッ」

「な、なんですか?」

「やっぱチビは変わってるよ。そういうのは、死んだ後にやることじゃねぇな。生きてるうちにチビが教皇にでもなって、気に入らねえ教えやら戒律やらぶち壊してやれよ」

 クルーガーがマイの背中をポンと叩く。

「クルーさんは、ホント罰当たりなことばっかり言うんだから。いつか痛い目に合いますよ」

「安心しな。チビの従者は大陸最強のイケメンだからよ。何が相手だろうが怖いものなしだぜっ」

 クルーガーの豪快な笑い声が響く。

 マイは呆れた顔で彼を眺めながら、夕刻の涼しくなった風を心地よく感じていた――。



 



 







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