第7話神官初級審査⑦

 都市バルサ西口から200メートルの丘陵で、聖教騎士団一個大隊が10匹のオークと交戦していた。弓兵の一斉攻撃でオークを足止めし、神官の攻撃術式、神の裁きでダメージを与える。オークの態勢が大きく崩れたのを見計らって、抜刀した歩兵隊が切り込む。

「ボーエン、状況は?」

 馬で駆けてきたフェンリルが大隊長に尋ねる。

「現在、歩兵を投入したところであります! 神官による攻撃でオークの態勢は崩れております。戦況は我が隊に有利――」

「うわぁぁぁぁぁっ」

 ボーエンの話を遮るかの如く、突入した歩兵隊から悲痛な叫び声が上がった。

 両腕を引きちぎられた隊員が泣き叫びながら逃げ惑う。引きちぎった腕にかぶりつきながら、オークは隊員の頭を握りつぶした。それを引き金に、パニックを起こした隊員たちがオークに背を向け走り出す。身の丈3メートルの巨体は、あっという間に隊員たちに追いつき、彼らを無残に叩きつぶしていった。

「撤退! 撤退せよっ」

 ボーエン大隊長の声が丘にむなしく響く。

 戦場は一瞬で地獄と化した。

「町に魔族が侵入している。ボーエンは住民の避難誘導にあたれ。この場は私が指揮をとる」

「ハッ。了解しました!」

 敬礼したボーエンが、騎馬隊を連れて西口へ向かった。

 それを確認したフェンリルが神官たちに指示を出し、オークの群れに向かって突進する。

 馬上で抜刀した全長80センチのブロードソードを構える。

「グオォォォォォォォ!」

 向かってくる彼女に気がついたオークたちは、極上のご馳走にありつけるとばかりに歓喜の咆哮を上げた。

「炎よ、我が剣に宿れ」

 フェンリルの発した言霊が、ブロードソードを赤く変色させる。

 鼻息荒く、よだれを垂らしながら襲い掛かるオークたちにフェンリルの一太刀が命中していく。深く切り込まれた各部から、鮮血が飛び散った。

 しかし、オークたちはひるまない。あっという間に傷口がふさがっていく。

「罪を焼き尽くす地獄の業火よ、焼き払え!」

 馬で走り抜けたフェンリルが叫ぶと、オークの修復しかけた傷口から、大きな炎が上がった。炎はみるみるうちにオークの巨体を飲み込んでいく。10体のオークが1つの大きな火柱に包み込まれた。

「自己治癒力が高いなら、それ以上の速さで焼き尽くすまでだ」

 剣を鞘に納めたフェンリルが、猛火に焼かれて苦しみもだえるオークにつぶやく。

 燃えるオークを取り囲んだ神官たちが、まわりに結界を張る。

「炎はオークが絶命するまで燃え続ける。周囲に火が回らないよう警戒せよ」

「ハッ!」

 神官に命じたフェンリルは、部隊に事後処理と西口警護の指示を出し、町に向かって馬を走らせた。


――魔族まで出てくるなんて。東口でもオークの襲撃があるとういうのに……


 たずなを握る手に力が入り、フェンリルの表情は固くなっていた。



 町の東側居住区に到達したオークの群れが、本能のおもむくままに破壊行為を繰り返す。住居は倒壊し、住人たちはわけの分からぬまま外に飛び出していく。外に出てきた人間たちに、オークの巨大な腕が伸びる。

「フギャァァァァァ!」

 人間に手が届く寸前、その手首が切断され、オークは血を吹き出しながら叫び声

を上げた。

「走って逃げろ! 聖教騎士団が避難誘導してる。兵士を見つけたら指示に従って避難しろ!」

「あ、ありがとうござますっ」

 親子が泣きながら礼を言い、慌ててその場を去った。

「グルルルルルッ」

 オークが、切り落とされた手を拾い上げ、手首に戻す。あっという間に切り口は修復し、オークの腕は元通りに復活した。

「チッ、再生の呪いかよ。いつ見ても胸くそワリィぜ」

 舌打ちをしてダガーナイフを構える。

「見事なナイフさばきですねぇ。しかぁし、どんなに斬ろうとも、このオークたちは再生いたしまぁす。あなたぁ、ほとんど魔力がありませんねぇ? 魔術もろくに使えないあなたがぁ、剣技だけでどこまで戦えますかぁ? 見ものですねぇ」

 再び姿を現したレイマーが挑発する。

 クルーガーは挑発に乗らず、オークたちの動きを見極めて走り出した。

 振り下ろされるオークの巨大な拳をかわし、腿や膝裏へ確実にナイフを突き立てる。10匹のオークが次々と崩れていく。


――どんなに治癒力が高かろうが、頭を取っちまえば再生はできねぇ。動きを止めたら次は首だ!


 走り抜けたクルーガーが、振り向いて素早く向きを変え、オークの首を狙う。

「うおっ!」

 目の前に1匹のオークが迫っていた。


――いくらなんでも、再生スピードが速すぎるっ


 オークの拳がまっすぐに向かってくる。

「クソッ!」

 クルーガーがナイフの刃を向けて胸の前で受け止める。

 オークのストレートパンチの勢いは止まらず、殴り飛ばされたクルーガーは、半壊した家屋の壁にめり込んだ。

 せき込みながらフラフラと立ち上がるクルーガーを10匹のオークが取り囲む。

「おやおや、もうおしまいですかぁ? 意外とあっけなかったですねぇ。まあ、魔術もろくに使えないあなたの末路なんて、こんなもんですよぉ。あの少女も今頃どうなっていることやら。私はあの子の泣き叫ぶ声が聞きたいので、これにて失礼」

 姿が透けていくレイマーをにらみつけ、クルーガーは血の混じった唾液を「ぺっ」っと吐き出した。


――待ってろチビ、今すぐ助けに行くからな


 壁を背にしてもたれかかるクルーガーに、よだれを垂れ流すオークの群れがじりじりと詰め寄った。



 マイは、次々と繰り出される黒い炎の攻撃を防ぐのに必死だった。少しでも気を抜けば、シールドが破壊されてしまう。ララの攻撃が徐々に威力を増し、それを受け止めるたび、シールドに小さな亀裂が入る。神の加護の詠唱を反復してシールドを補強し続けなければ、漆黒の炎に飲み込まれてしまう。防戦一方となったマイたちに、ララは容赦なく攻撃を続けた。

「おい、エリー。動けるか?」

「え、ええ。でも、何をするつもり?」

 マイの後ろでうずくまるエリーゼにルカが尋ねた。

「このままじゃ、アタシらのせいでマイが動けない。ララの攻撃が一時やむのを見計らって走るぞ!」

「わ、分かったわ」

 2人がゆっくりと立ち上がった。

「マイ、アタシらが走り出したら、きっとララはアタシらに意識が向く。その隙をついて攻撃するんだ」

「えっ! ララちゃんを攻撃……」

 マイが動揺する。

「いいか、マイっ。あのララはもうアタシらの知ってるララじゃねぇ。このままじゃ、市民にまで被害が出るぞ。アタシとエリーもやる! なあエリー、そうだろ?」

「え、ええ。もちろん、やるわ……」

 エリーゼは目を合わせず、不安げに答えた。

 ララの放った炎が3人に襲い掛かる。

 マイがひたすら詠唱を反復しながら、シールドの防御力を維持する。

 一瞬、炎が消失した。

「今だ!」

 ルカの合図で2人が走り出す。

 ララの意識が2人にそれる。

 次の攻撃に備えて神の加護を素早く詠唱した2人が光のシールドを展開する。


――ララちゃんに攻撃なんてできない! 友達を傷つけるなんてできない!


 マイはララに向かって全力で走り、力いっぱい彼女を抱きしめた。

「バカ! 何やってんだよ!」

 ルカが怒鳴り声を上げる。

「クッ……は、はな……せ」

 ララがマイの腕をふりほどこうとする。

「絶対に離さないよ! ララちゃん、お願い。元に戻って!」

「ウグッ……やめろぉぉぉ!」

 ララが死に物狂いで抵抗する。

 マイの背中に爪が食い込む。

「ララちゃん、自分を思い出して! ララちゃんは、おしゃれが好きで、友達に優しい普通の女の子だよ!」

 マイの背中に血がにじむ。

 痛みを耐えながら、必死に訴えかける。

「無理無理、もう無理なんですよぉ。彼女にあなたの声はまったく届きませんからぁ」

 上空からレイマーの声が響いた。

「私、覚えてるよ。1年生の時、孤児だった私だけ誕生日が分からなくて、それでもララちゃんお祝いしてくれた。青色の髪留めをプレゼントしてくれた。今でも大事に使ってるよ。だから、お願い! 魔族になんか負けないで!」

「ウゥゥゥ……」

 ララが苦しそうに声を上げながら、突き立てた爪をゆっくりと戻す。

「なにをしているっ。恨みを、憎しみを人間にぶつけろっ。お前の嫌いなヤツは誰だ? 殺せ! 焼き尽くせ!」

 上空で姿を見せたレイマーが声を荒げる。

「ウアァァァッ!」

 ララが叫び声を上げると、漆黒の炎が彼女自身とマイを包み込んだ。

「ハハハハハ! どうですかぁ? お友達に燃やされる気分はぁ?」

 レイマーは嘲笑し、2人を見つめるルカとエリーゼは、愕然としてその場にしゃがみこんだ。

「た……すけ……て。マイ……」

 ララの瞳は正気を取り戻していた。

 マイを見つめて、涙を流す。

 マイの脳裏にカーリック村で亡くなったローラの顔が浮かんだ。


――絶対に死なせない! 今度こそ私が守って見せる!


 服が燃え、肌の焼き焦げるさなか、マイは強く誓った。

 その刹那、彼女の両手から光が発し、瞬く間に2人の少女を包み込んだ。

 火傷の痛みが和らいでいく。

 焼き焦げた肌が、元通りに回復していく。

「クッ、なんだあの光は!?」

 レイマーがまぶしそうに手で顔を覆った。

「ララちゃんは、私が助ける!」

 マイが叫ぶと光はさらに輝きを増し、ララのはめている指輪が粉々に砕け散った。

 気を失って倒れるララをマイがしっかりと支える。

「マイ!」

 ルカとエリーゼが駆け寄り、2人に肩を貸す。

「な、なんということだ……ありえない。こんなこと、あってはならない……」

 レイマーの顔は青ざめていた。

 冷酷な表情でマイをにらむ。

「ルカちゃん、エリーゼさん、ララちゃんをお願い!」

「おい、マイ。どうするつもりだよ?」

「私がレイマーを押さえる。その隙に2人はララちゃんを連れて避難して」

「無理だわ。あなた一瞬で殺されるわよ」

「そうだよ! マイ一人でどうにかなる相手じゃないだろっ」

 ルカとエリーゼの意見に、マイは首を横に振った。

「大丈夫。きっとすぐに、クルーさんが来てくれるから。だから早く行って!」

 マイが2人をそっと押し出した。

 ルカがうなずき、エリーゼと共にララを支えて走り出す。

「安心してくださいねぇ。あなたを殺した後に、あの子たちもちゃんと殺してあげますよぉ」

「そんなこと、させない! 天に輝く神の光よ、我ら神の子を守り――」

 詠唱を始めた途端、マイの体がはじかれたように飛ばされた。

 地面に体を打ち付け、苦痛に顔を歪める。

「術の発動に詠唱が必要とは、つくづく不便で貧弱な生き物だよ、お前たち人間はぁ。お前の存在は、あの方のお邪魔になる。ここで死ねぇ!」

 風の魔術が路上のレンガを砕きながらマイに迫りくる。


――間に合わない! もうダメ。


 あきらめかけた瞬間、マイの体がふわりと宙に浮いた。

「あらよっと。チビ、大丈夫か?」

 マイを抱き上げ着地したクルーガーが、ニッと白い歯を見せて尋ねる。

「く、クルーさん、その血は……」

 クルーガーの顔と衣服にはベッタリと大量の血液がこびりついていた。

「ああ、これは俺のじゃねぇから心配すんな。それよりチビ、街中でずいぶん大胆な服装するようになったな。人前での肌の露出は戒律違反じゃねぇのか?」

 クルーガーが悪戯っぽく笑う。

「ふぇ? キャ! こ、これは炎で服が焼かれて、クルーさんのエッチ!!」

「イテテテッ、わかったわかった。ひっかくな」

 マイは片手で胸元を隠しながら、クルーガーに抱き上げられたまま大暴れする。

「そんだけ元気なら心配いらねぇな」

 マイをそっと下におろす。

「ば、バカな。オーク10匹だぞ! 魔術も使えない人間がなんで生きてる?」

 驚きを隠しきれないレイマーの方を向き、クルーガーがナイフを構えた。

「クルーさん、気を付けてください!」

「ああ、知ってるよ。魔族はちょっとした体の動作で魔術を使える。たしかに人間よりつえぇ。でもな、俺はこの大陸で1番つえぇんだよ!」

 クルーガーが走り出す。

 巻き起こる旋風をかいくぐり、レイマーにナイフを振り下ろす。

 すかさず姿を消して攻撃を回避したレイマーが、手を振り上げて風を呼ぶ。

 疾風がクルーガーの体を空中に舞い上がらせ、そのまま壁に打ち付ける。

「ガハッ……」

 吐血したクルーガーが息を詰まらせる。

「クルーさん!」

 彼のもとへ駆け寄ろうとするマイに向かって、クルーガーが「来なくていい」と手を上げた。

「ふむ。確かに人間にしてはいい動きですねぇ。でも、それではまだまだ足りませんねぇ。たっぷりいたぶって、あなたが泣きわめきながら死ぬのを楽しませてもらいますよぉ」

 余裕の戻ったレイマーが、気味の悪い笑みを浮かべた。

 やれやれといった表情でクルーガーが立ち上がり、ナイフを握った両手をだらりと下げて脱力する。

「攻撃速度がおせぇから、このままでもいけると思ったんだけどな。お前、逃げ足はえぇな」

「人間が、かなうわけないんですよぉ。魔族はこの地上の支配者です。貧弱な人間なんて、虫けらみたいな価値しかないんですよぉ。ハハハハッ」

 すでに勝利を確信したレイマーが高らかに笑う。

「弱肉強食は、人間社会でも変わらねえ。強い国が弱い国を侵略する。強いヤツが弱いヤツを支配する。強い権力の下で社会が形作られてる。でもよ、ときに弱いヤツが巻き返すってこともあるんだぜ!」

 クルーガーが目を閉じる。

「フン、負け惜しみもほどほどに――」

「ファースト・ブレイクッ」

 クルーガーが言葉を発した直後、辺りの空気が振動した。

 「ドン」という音と共に小さな衝撃波が発生し、クルーガーの髪が一瞬ふわりと逆立った。

 クルーガーが閉じた目を開く。

 彼の瞳は、普段の青色よりもさらに濃く、深みのある藍色に変わり、光を反射して揺れる水面のように輝いた――。

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