(4)求婚!?
(花瓶……じゃなかったわよね?)
今、アンドリックが言った言葉は、確かに結婚と聞こえたような気がする。
気のせい? 思わず自分の耳を疑ってみたが、目の前ではさっきよりも更に赤くなったアンドリックが、リーゼに向かって必死に花束を差し出している。
「絶対に幸せにする! 俺は家格も低いし、言葉遣いも乱暴で単純な性格だから、お前に迷惑をかけるかもしれない! でも、絶対にお前一人を愛して、一生大切にし続ける! だから」
(だから?)
「どうか、俺と結婚して、俺の愛する妻になってほしい!」
結婚。そして、妻。この言葉がやっと固まっていたリーゼの耳を通って、脳に達した時、それまで動きを止めていた顔が盛大に崩れた。
「えええええええーっ!」
(ちょっと待って! 今、もしかして、私と結婚したいって言ったの? あのアンドリックが!?)
信じられない。ずっと自分の後ろをついてきて、一つ下の従弟と言うよりは、ほとんど言いたいことを言い合える友達みたいな間柄だったのに。
「えっ! それ私と!?」
だから、頓珍漢な返答になってしまったのは仕方がないと思う。けれど、アンドリックは琥珀色の瞳で、今もまっすぐにリーゼを見つめているではないか。
「もちろんだ! 俺は小さい頃からずっとリーゼが好きだった。残念ながら、以前はあいつに先を越されたが……婚約破棄をしたあいつにお前を任せることなんて、とてもできない! だから、リーゼ! どうか俺と結婚してくれ!」
「ま、待って。だって突然言われたって――」
「リーゼには突然でも、俺は結婚するのなら、叶うならリーゼとしたいとずっと想い続けていたんだ。俺は、あいつみたいに心変わりなんてしない。ましてや、あんな暴言や不実な態度でお前を苦しめたりも絶対にしない! だから、リーゼ! 俺と結婚してくれ!」
薔薇を抱えて、迫ってくるアンドリックは本気だ。きっと、このアンドリックの決意を知っていたから、母もさっき急にリーゼにあんな話を切り出したのだろう。途中で、あまりに慌てたので、聞き出すのを諦めて話題を変えたようだったが。
(ってことはお母様公認!?)
いや、それどころかひょっとしたら家族中がアンドリックの気持ちに気がついていたのかもしれない。
知らなかったのは、リーゼだけで――。
(そうよね。私は昔も今もイザークしか見えていなかったから)
「お前がまだイザークを好きなことは知っている! だから、ゆっくりでもいいんだ。俺との結婚を前向きに考えてほしい!」
だから、やっと少し落ち着いてきた頭で、花束を差し出しているアンドリックを見つめた。本当は、まだ頭の中心は突然のことにぐらぐらとしている。
でも――。
「ありがとう」
そっと手を伸ばして、花束を受け取れば、アンドリックの顔がぱっと輝く。
だから、自分も誠実に対応しなければいけない。ここまで自分を思ってくれていた相手なのだ。決して、その場しのぎの回答ではなく真心で答えようと決めると、すっと空色の瞳を持ち上げた。
「気持ちはとても嬉しいわ。でも、今はアンドリックの気持ちに応えられないの」
「どうして!? まだイザークを好きだからか!? それなら、リーゼの踏ん切りがつくまで、いつまでだって待つから」
けれど、ゆっくりと首を振る。
「それだけじゃないの。私には――」
言って良いのか悩む。きっと打ち明ければ、彼も自分と同じ苦悩の淵に立たせることになるだろう。
それでも――嘘だけはつきたくなかった。
だから、はっきりと瞳を持ち上げて、正面からアンドリックを見つめる。
「私は、まだ本当に生き返ってはいないのよ」
「え?」
思いもしなかったのだろう。リーゼが突然口にした言葉を聞いて、不思議そうに琥珀色の瞳を寄せている。だから、リーゼは受け取った薔薇に一度視線を落とすと、意を決して口を開いた。
「アンドリックには黙っていたの。私が生き返った日の、墓を掘り起こしたあの時――アンドリックが墓守のところへ行った間に、女神ラッヘクローネ様が私の前に現れて告げたわ。今の私はまだ生き返っていないって。女神様が貢ぎ物と引き換えに、甦らせてくださったけれど、私の体はまだ死人形。誰かの命を奪って、体に吹き込まない限り、またあの世に戻ることになるって」
「なっ――!」
驚いたアンドリックの瞳が、大きく見開かれている。
「ごめんなさい。すぐに話すべきだったのよ。でも、みんなが喜んでくれているのをみたら、またすぐに死ぬかもしれないなんて、どうしても言い出せなくて――」
「それは……本当、なのか?」
「ええ。最近、体が悪かったのも命がもう残り少なかったからなの。でも、お父様やお母様の悲しそうなお顔を見ていたら、どうしても言い出せなくて――」
だから、薔薇の香りに励まされながら告白したのだが、俯いたリーゼの肩はがっと掴まれた。
「違う! 誰かの命を入れなければ、お前がもう生きられないっていう方だ!」
見つめてくるアンドリックの琥珀色の瞳は、恐ろしいまでに真剣だ。
だから、リーゼもこくりと頷いてしまう。
「ええ――女神様から言われて、そのための短剣も渡されたから、きっと間違いがないとおも――」
けれど、最後を言うまでに、リーゼの体はアンドリックの太い腕に抱きしめられた。昔とは違い広くなった胸が、リーゼの細い体を抱きしめる。
「なんで黙っていたんだ……ずっと、怖かっただろうに……」
抱きしめるアンドリックの両腕は微かに震えている。
「俺がなんとかしてやる……! 絶対に、もう一度お前を死なせたりなどするもんか……!」
「アンドリック――」
抱きしめ返していいのかわからない。だけど――なんて、人の温もりは優しいのだろう。だから、おずおずとリーゼもアンドリックの背中に手を回した。抱きしめるというわけではない。ただ、そっと手を添えているだけだが、それでもアンドリックの慟哭が伝わってくる。
「二度とお前を死なせたりなんかしない! 必要なら何十人でも盗賊を斬り殺して、お前にその命をそそいでやる。だから――リーゼ……死なないでくれ……」
「ありがとう……」
それしか答えることができない。だけど、アンドリックはまだ心配そうに覗き込む。
「今は――少しの間はもちそうなのか?」
「ええ。昨夜、ラッヘクローネ様がしばらくの間はもつという薬をくださったのよ。だから、今は体が楽なの」
「そうか」
にっと笑った。そして、頬に流れていた涙を照れくさそうに拭う。
「じゃあ、その間になんとかしないとな。大丈夫、絶対に俺がお前を完全に生き返らせてみせるから」
「ごめんなさい……」
だから、黙っていたことや今になって打ち明けたことの諸々を詫びる。
「いいって」
だけど、アンドリックは今も太陽のように笑ってくれる。昔と変わらない明るい笑みに不思議なほど心が癒やされていく。だから、薔薇の香りを思い切り吸うと、もう一度謝った。
「すぐに返事をできないことも……ごめんね」
「いいさ。そんなことなら、仕方がない」
「だけど――嬉しかったわ」
そうだ。嬉しかった。誰からも嫌われていたと思った自分に寄せられていたまっすぐな好意。きっと、周りは気がついていたのだろう。それに気がつかず、ずっと側で見続けてくれていたアンドリックに、嬉しくてたまらない感情が湧き起こってくる。
「だから、返事はもう少し待って」
真っ赤にした顔を俯きながら言えば、きっとリーゼの感じているなんともいえない甘い気持ちが伝わったのだろう。
「あ、ああ――もちろん」
少し照れたように、ぶっきらぼうに返してくる。
だから、お互いに少し照れた顔で扉を閉めると、部屋の中は抱いている薔薇の香りでいっぱいになっていた。
甘くて、優しい。まるで春がきたように、心が華やぐ香りだ。
「不思議ね。次の春なんて、生き返ってから一度も考えられなかったのに――」
でも、アンドリックとなら、春だけではなく、次の夏も秋も一緒に過ごすことを考えられるかもしれない。
なにより、これまで一人で抱えてきた問題に、共に立ち向かうと言ってくれた。
(そうね。私も本当は、もう前を見なければいけないのかもしれない)
どれほどイザークを好きだったとしても、気づかない間に、死んでもよいと思われるほど嫌われていたのだ。そして、都に留まり続ける限り、カトリーレはリーゼが生き返ったのではないかと疑い、シュトラオルスト子爵家を攻撃しようとしてくるだろう。今度こそ、リーゼ共々、帰る場所まで全てを奪うために。
(私のために、家族にそんな迷惑はかけられない――)
だから、リーゼは晴れた空を見上げた。少し薄い冬の空は、優しい色で、王都から懐かしいキーリヒまで続いているのだろう。
だから、心を決めた。
(もう、思い切ろう)
確かに、自分を陥れたカトリーレへの怒りはまだ心の中に残っている。自分を捨てたイザークへの恨みと恋しさもどうしようもなく。
(だけど、それで家族に新たな火種をまくのなら)
今は捨てて、新しい道を行く方が、自分の周りにいる人の幸せに通じるのかもしれない。
だから、まだ痛い心を無理矢理ねじ伏せると、着替えて机の前に座った。そして、引き出しから取り出した白詰草を描いた便箋に、丁寧な文字で綴りだしたのだ。
イザークへ。先日の送ってくれたお礼と、最後の別れを告げる手紙を。
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