(9)処刑

 

 鈍色の空は、今にも雪を降らせそうなほど風が冷たい。けれど、空に向かって切り開かれた円形の客席に囲まれた処刑場の中は、息苦しいほどのざわめきに満ちていた。


 いつから予告されていたのか。


 それとも、朝一に告示された報を見て、物見高く集まってきたのかはわからないが、灰色の石で造られた観覧席にはきらびやかなドレスを身に纏った令嬢や紳士達が並んで、今出てきたリーゼに一斉に視線を浴びせかけている。


 ひそひそと囁く声がまるで波のようだ。扇や帽子の陰から浴びせられる軽蔑のような視線を感じて、血が滲むほど唇を噛みしめた。


「このためだったの……?」


(私の外見をあまり変えないようにしたのも、体を傷つける拷問を止めたのも)


 全ては、最後の瞬間に普段のままの自分を罪人と印象づけるため!


 悔しくて悲しいのに、舞台の中央に置かれた首切り台を見れば、怖くて体が震えてくるのを止められない。


(今から、あの上に屈まされて首を落とされる――――!)


 断頭台とも呼ばれる、首を切り落とすための処刑道具だ。四角い木の塊の両側にくぼみがつくられ、屈んだ頭と体を固定して、首だけを斧の下に晒すことができるという――。


 首切り台の隣に立つ、刃先が普通よりも広く作られた斧を持つ壮年の男は、きっと死刑執行人なのだろう。曇天に鈍い銀色の斧を持つ男の隣には、死刑の時に罪人の体をおさえるという助手役が二人立っている光景に、リーゼは瞳を開いたまま固まってしまった。


(これから、あの斧で私は殺される……!)


「い、いや……」


 後ずさり、必死に逃げようとするのに、ここまで道案内をしてきた看守が戻ろうとするのを許さない。引き返そうと踵を向けた肩を握られ、無理矢理処刑の舞台へと引きずられていく。


 膝を突っ張って逆らおうとするのに、足の裏は無情にも砂をかいて、石の通路を滑っていくのをとめることができない。きっと砂は、このために通路にまかれていたのだろう。


「やめて! 私は、何もしていないわ! なにも……! これは、全部カテリーナ様が仕組ん」


 けれど、叫びかけた言葉は、舞台からやってきた死刑執行人の助手達が口にかけた太い縄によって遮られてしまう。


「う……、ぐっ……」


 強引に唇の間に割り込まされ、出そうとしていた言葉もくぐもった叫びにしかならない。


 そして抵抗していた体は、二人の執行人助手によって、左右から引きずられるように舞台の中央へと連れて行かれた。


(いや! どうして私が!)


 引き上げられる階段を精一杯もがいて死刑台に近づくのを拒もうとする。それなのに、三人の男達は、リーゼの体に巻かれていた縄を上から引き上げると、体を浮かせて三段の石を上らせてしまう。


 そして、目の前にあったのは、さっき扉から見た断頭のための、首切り台だった。


 長い柄の首切り斧が、冬の空に冷たい色でぎろりと輝く。


 一瞬目を奪われたが、すぐに執行役の助手達にぐいっと頭を押さえつけられると、強制的に、台の前に座らされた。


「あ……」


 痛い。だが、声を出せない。こぼれたのは、くぐもった音だけだったが、それでもリーゼが座ったことで役人達は満足したようだ。


 すぐに舞台を見下ろす客席の手前に一人の貴族の男が立つと、手に持った紙を広げて読み上げた。


「罪人! リーゼロッテ・エルーシア・シュトラオルスト! オルヒデーシュヴァン大公息女カトリーレ様の暗殺を企てた罪により、ガルダリア国、国王陛下の御名において、斬首を命じる!」


 斬首――!


 舞台を見たときからわかってはいたが、改めて聞かされた衝撃は言葉にすることができない。


 けれど罪状を告げる声が終わるのと同時に、後ろにいた執行助手達が、二人がかりでリーゼの両肩を押さえて、首切り台に頭をのせさせようとする。


(いや!)


「やぇふぃ!」


 やめてと叫びたいのにそれさえできない。ただ、首切り台に頭を載せるために、もう少し体を前へと引きずり出そうとした。


(やめて! いや、絶対に嫌よ!)


 それなのに、無情にも膝を引きずったまま、リーゼの体は首切り台へと近づけられていく。


(助けて! 誰か! お父様、お母様……!)


 しかし、救いを求めるように刑場を見渡しても、どこにも家族の姿を見つけることはできない。


 ただ、誰もがこれから起こる残虐な見世物を恐ろしげに、そして興味本位で見つめているだけだ。家族にさえ、最後の別れをさせないつもりなのだろうか。


(いや……)


 けれど、見回している間にも、首切り台は、一歩また一歩分とリーゼの首へと近づいてくる。冬の寒風の中に浮かび上がる使い込まれた台には、所々にめりこんだ斧の跡がついている。そして、染みこむように残った黒い色が何なのか――。


 考えずともわかってしまった答えに、必死にリーゼは首を振った。


「ううっ!」


(嫌よ……! 助けて、誰か! アンドリック! ――イザーク!)


 無意識に心で叫んだ。けれど、必死に助けを求めた瞬間、飛び込んで来た光景に目を疑う。


(どうして……あなたが、そこにいるの?)


 死刑を行う首切り台のちょうど正面には、まるで特等席だというように席が設えられているではないか。仕切られた石の室内には豪華な緋色の布がかけられて、金細工の椅子が恭しくおかれている。明らかに特別に誂えたとわかる椅子に座っているのは、ストロベリーブロンドを冬の風に禍々しく光らせているカトリーレだ。そして、椅子の側には、今までカトリーレと話していたかのようにイザークが寄り添って立っているではないか。


 リーゼの空色の瞳が、大きく見開いてイザークの姿に止まった。


(なぜ……今、私が殺されようとしているのに、あなたはカトリーレ様と一緒にいるの……?)


 わからない。ただ、見たくはなかった事実に、心が大きく揺さぶられてしまう。


(まさか……私は、ずっとあなたのお荷物だったの?)


 けれど、一瞬呆然としたリーゼの頭は、だんと死刑台に押さえつけられてしまった。


「私に逆らった罰よ。死になさい、リーゼロッテ」


 カトリーレの無慈悲な言葉が口から響くのと同時に、罪状を読み上げた役人の手が振り上がる。


「執行!」


(嘘よ! あなたが私を裏切っていたなんて!)


 そんなことはない! 決してあるはずがないのに!


 それなのに、脳裏には親しそうだったイザークとカトリーレのこれまでの様子が駆け巡っていく。対して、いつも公爵家の妻にはふさわしくないと周囲から言われ続けていた自分。まさかという恐ろしい疑念が、心の奥から鎌首をもたげてくる。


(まさか――私の存在が邪魔になったから……!?)


 だから、二人して共謀して自分を殺すと言うのだろうか。殺人犯に仕立て上げて。


(そんなはずはない!)  


 もう一度最後に確かめようと、必死に首を冬の空に向かってあげようとする。


 しかし、斧はぎらりと冬の空へ持ち上げられた。


(お願いよ! これは何かの間違いだと言って!)


 必死に首を持ち上げて、真実を確かめようとする。


(あなたが、私を裏切るなんて――!)


 けれど、最後に縋る暇もなく、斧はどんとリーゼに向かって振り下ろされてくる。一目だけでも確かめたいとあげかけた首を襲うすさまじい痛みと、骨と肉の間に入ってくる鉄の感覚。吐きそうな鉄の匂いが、喉の奥からせり上がってくる。


 あまりの衝撃に叫びたかった声さえも出てこない。


「きゃーっ!!!」


 執行を見世物としていたはずなのに、悲鳴を上げる夫人達の声を聞きながら、リーゼはどこかで自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。


 けれど、台から床に落ちた視界では、もう何も見ることができなくなっていく。急速に暗くなっていく視界を感じながら、リーゼは最後の感覚で、自分の束ねた髪を掴んで掲げられるのを感じた。


 けれど、視界にはもう何も映すことができない。この先にいるはずのイザークの姿も、側で座っていたはずのカトリーレの姿も全てが段々と濃くなる闇の中へと埋もれていく。


(お願いよ……どうか、なにかの間違いだと言って……)


 頬が急速に寒くなった。そして、イザークを探していた視界が真っ暗になるのと同時に、ふっとリーゼの意識は消えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る