初代市長の霊廟にて
光の剣を喉元に突きつけられながら、ユウキの心は冷めていた。
(はあ……そんなにオレの笑顔、気持ち悪かったかな)
自分としては最大限の優しさを込めた笑顔のつもりだったが、それを向けた瞬間、この市長代理の女はそれまでの優しげな振る舞いをかなぐり捨てて、剣を向けてきた。
それはバチバチと音を立てて、薄暗い『初代市長の霊廟』に光の粒子をほとばしらせている。
ユウキはナビ音声に聞いた。
(この光の剣はどのぐらい危険なんだ?)
(物理的な切断力はありませんが、光の過負荷によってエーテル体を焼き切る効果があるようですね)
(エーテル体を焼き切られるとどうなるんだ?)
(手足であればその部分が不可逆的に麻痺し、胴体や首であればその部分の肉体の生体活動が滞ったのち、時間をかけて全身が死にますね)
(マジかよ。えぐいな)
そんなものを突きつけてくるとは、元の世界であれば銃をこめかみに突きつけられるに等しい行為である。
(はあ……悲しいな)
人と人とはわかりあえないものなのか。いや単にオレの笑顔がそんなにも気持ち悪かったということなのか。
なんにせよ悲しいことである。悲しみがユウキの心を冷やしていく。
「…………」
だが悲しみに沈み切る直前、ユウキの前向きな心が警鐘を鳴らした。
(ダメだ……人に敵意や悪意を向けられても、ただ悲しんで被害者となってはダメだ……)
だが悲しいものは悲しいのである。この悲しさをどうすればいいというのだろうか?
(そうだ……悲しみを……怒りに変えるんだ!)
悲しみというネガティブな感情も、なんにせよそれは感情の一種であり、それは人のエネルギー源として活用できるもののはずだ。
だが悲しみそのままではただ虚しく涙が流れるだけだ。悲しみをもっと爆発力の強い感情へと転換し、それを持って自らを前へと突き動かすエネルギーとするのだ!
そういうわけでユウキは悲しみを凝縮、精製し、それを目の前の女に向けた。
(この野郎……市長代理だからって何を偉そうに……)
この意識的な試みによって悲しみはかなりの部分、ユズティへの怒りに転換された。
(あとはこの怒りを使って、どのように前向きな行動を起こしていくかだが……そもそもオレにとって『前』とは何を意味しているのか?)
その答えはすぐに見つかった。
ナンパだ。
ナンパをし、その活動に熟達すること。それこそが自分にとっての『前』である。
だからこそ今、この怒りという感情を使って、少しでもナンパを前進させるべきなのである。
(よし……)
ユウキは各種スキルを心の中で強く発動しつつ決意した。
(もう怒ったぞ。この女をナンパの練習台にしてやる……!)
*
だが『ナンパの練習』として何をすればいいのか?
それを知るために、今の自分のナンパの課題を洗い出す必要があった。
「さあ、正直に話してください! あなたは……闇の塔の一派は何を目論んでいるのですか!」
市長代理、ユズティは光の剣をユウキの喉元に突きつけながら叫んだ。
「ちょっと待ってくれ」
ユウキは人格テンプレート『隠者』の初期スキルである『内省』を発動し、自らのナンパの現状を心の中で分析した。
結果、自らのナンパプロセスをいくつかのフェイズに分類することができた。
ナンパのフェイズ1は、『準備』である。
これはナンパのための物理的準備と精神的準備の双方を含むフェイズである。
(さっそくナンパの準備をしてみるか)
ユウキは深呼吸して自分の心身を整えつつ、スキル『集中』を発動して、自らの意識を外側に向けた。
光の剣の眩しさに目を閉じそうになるが、しっかりとそれを直視しつつ、フェイズ2に移行する。
ナンパのフェイズ2は、『行動』である。これはナンパのために実際に何かしらの行動を起こすフェイズである。
どんな行動を起こすべきなのかは、そのときの状況によって変わってくるが、現在は目の前にナンパの練習相手がいるわけなので、とりあえず何かしら声をかけてみることが望ましいだろう。
このときまず役立つスキルは『無心』である。ユウキは無心になりつつ、目の前の女に声をかけた。
「あのさ」
「なんですか?」
ユウキはスキル『質問』を発動した。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが……この光の剣って実体じゃないのか?」
「え、ええ。市庁舎の最奥に封印されている邪星剣の霊体です」
ユウキはスキル『褒める』を発動した。
「へえ。生身の剣を持たなくていいのは便利だな。いつでも召喚して使えるってわけか」
「闇を切り裂く力は邪星剣の本体よりも強いんですよ!」
市長代理はユウキへの威圧を強めた。光の剣の光量が増し、ユウキの頬を冷や汗が伝った。
だがなんとか恐怖から意識を逸らし、ナンパの次のフェイズに意識を向ける。
ナンパのフェイズ3は、『交流』である。
『準備』と『行動』によって生じた他者とのわずかな繋がり……いつ切れるかもわからない細い系のような情報伝達のチャンネル……それを何かしらの適切なコミュニケーションの繰り返しによって少しずつ太くしていく……それがナンパのフェイズ3である。
ユウキはこれまでに学んだ全てのスキルを総動員して、市長代理の女、ユズティとのコミュニケーションを模索していった。
*
スキル『世間話』は活き活きと稼働した。
スキル『褒める』も連続発動された。
といっても褒める一辺倒ではつまらないのでので、スキル『討論』や『暴言』を適宜発動し、会話に山と谷を作っていく。
「お役人は気楽でいいよな。闇と最前線で戦ってるオレたちの苦労もしらないで」
「わ、私たちだって何百年も前から、『闇のゆりかえし』への準備を重ねてきています! 『初代市長の予言のコーデックス』に従って、光を集める魔力受信機を建設し……」
「なるほどな。そのおかげで邪神の眷属が方々で目覚めつつある昨今においても、アーケロンはこんなにも平和というわけか……感謝してるよ」
だがユウキの笑顔を見たユズティは顔を逸らしつぶやいた。
「や、やめてください。その笑顔……」
「さっきからひどくないか」
「それは……あなたの笑顔の闇の力が……」
「そんなに嫌か? オレの顔は」
「そっ、そんなことは言ってません!」
「まあいいよ。それよりその剣、ずっと持ってて疲れないのか?」
「質量を持たない霊体なので……」
「でも手をずっと上げてたら疲れるだろ」
「わ、私は下ろしませんよ! 闇にまつわる者を前に光の剣を下ろすことは絶対にしません!」
「わかったよ。じゃあ剣はそのままでいいから、ちょっと座っていいか? あそこに」
ユウキは『市長の霊廟』の奥にある質素なベッドを指差した。
この霊廟は初代市長が寝起きした居室を再現しているとのことで、机や寝具が一揃いしているのである。実はさきほどからあのベッドで一休みしてみたいと思っていたのだ。
「ダメです! 私の剣の間合いから逃れたら、闇の魔術を使うつもりでしょう!」
「疲れてるから座りたいだけだ。剣を突きつけたまま、あんた……ユズティも移動したらいいだろ」
そう言うとユウキはゆっくり後退し、ベッドに近づいていった。
ユウキが一歩下がるにつれてユズティも前に出てきた。
ユウキはふくらはぎがベッドの枠に当たったところで、ゆっくりと腰を下ろした。
「ふう……」
その状態で、目の前に立って剣をこちらに突きつけているユズティを見上げながら、のらりくらりとナンパのフェイズ3『交流』を続けていく。
闇の塔に関する適当な情報を小出しにしつつ、そこに世間話や褒め言葉を混ぜていく。
さらに要所要所で軽く暴言や討論を挟み、会話を盛り上げていく。
(まあまあ楽しいじゃないか……でもここで満足してはいけないな)
なぜなら、ここまではすでに習得済みのことだからである。
今、ユウキはナンパの練習をしているのだ。練習とは、まだ未習得のことを習得するために行うべきものである。
というわけで、ユウキは自分にとって未習得のゾーンに足を踏み入れる決意を固めた。
未習得のゾーン……それは肉体的接触を伴ったコミュニケーションである。
なんとかしてユズティの体に触れたい。
だが彼女はいまだ光の剣を、ベッドに腰を下ろしたユウキの喉元に突きつけている。こんな状態でどう肉体的交流を持てばいいというのか。
ふと妙案らしきものが閃いた。
「……あのさ」
「なんですか?」
「あんたもここに腰を下ろしたらどうだ」
ユウキはベッドの隣を指差した。
「その手には乗りませんよ。尋問が終わるまでこの剣を私は絶対にあなたの喉元から離しませんからね」
「そういうことなら……」
ユウキはベッドから立ち上がった。
「きっ、切りますよ!」
「別に逃げようってんじゃない」
ユウキは光の剣を首に突きつけられたまま、ゆっくりとユズティの側面に回り込んでいった。
結果、ユズティはコマの中心ように自然と回転し、やがてさきほどまでのユウキと真逆の位置、ベッドを背に立つようになった。
その状態でユウキは一歩前進した。
光の剣が喉に触れ、延髄のあたりのエーテル体に高濃度の光が流入し、視界と意識がフラッシュアウトしそうになったがここは堪えどころである。
ユズティの目を見つめながら前進した。
すると彼女は後退し、ふくらはぎをベッドの枠にぶつけたかと思うと、尻餅をつくようにベッドに腰を下ろした。
ユウキはユズティに微笑みかけながら、目線の高さを合わせるようにベッドサイドに跪いた。
「何をしようというんですか……」
「疲れてるんじゃないかと思ってな」
ユウキはユズティの足に手を伸ばすと、ブーツの上からふくらはぎをマッサージした。
立ち仕事が多いのか、心なしかむくんでいるよう感じられた。
あちらの世界で空奈に教えてもらったふくらはぎのツボ、三陰交を押すとユズティからくぐもったうめき声が上がった。
「ひぐっ……切りますよ……本当に……」
「まあ待てよ。すぐに終わるから」
ユウキは目の前の足に集中し、エーテル体と命を断絶される恐怖を振り払いつつ、ユズティのふくらはぎをマッサージした。
やがて両足のマッサージを終えてブーツから顔を上げると、ユズティの血色は心なしか良くなったように見えた。
「こんなところかな。ふう」
ユウキはまだ首のエーテル体が繋がっていることに安堵のため息をつきつつ、ユズティの隣に腰を下ろした。
(肉体的接触を伴ったコミュニケーションの練習……かなり緊張したが、まあ上出来だろう)
「じゃあオレはそろそろ行かないといけないから」
ユウキはベッドから腰を浮かせた。
だがユズティに服の裾を引っ張られた。
「ん?」
振り返ると、ユズティはベッドの上でうつむきながら呟いていた。
「……もう終わりなんですか?」
「あ、ああ。そのつもりだが」
「……こんなことぐらいで私は闇に屈しませんよ」
「お、そういうことならもうちょっと続けてみるか?」
「…………」
何を考えているのかわからないが、ユズティはこくりとうなずいた。
「じゃあ次はベッドに横になってくれ」
「……こうですか?」
「そうそう。剣は持ったままでいいから、できるだけリラックスしてくれ」
ユウキはマッサージの続きを再開した。さきほどはふくらはぎだったので、次はその上の太ももだ。
かつて空奈に施術してもらったマッサージを思い出しながら、ユズティの下半身に、押す、揉むなどの刺激を加えていく。
スキル『共感』により、わずかではあったがユズティの肉体が刺激を求めているポイントが感じられた。そういった部位を重点的に刺激していく。
「う」
「痛かったか?」
「少し……ううっ」
うつ伏せのユズティから苦しげな声が上がったが、そのまま無慈悲に指圧を続けていく。
「うぐっ。あうっ」
「次はもう少し上の方にいくぞ」
太ももの次は背骨に向かう。
とりあえず背骨に沿って下から上に探るように指圧していくと、脊柱起立筋がかなり凝っているよう感じられた。そこで再度、背骨の基底部から後頭部まで、筋肉と神経、そして脳へと、リラックスするよう指令を送り込むつもりで体重をかけて指圧していく。
そこから肩甲骨、肩、首筋へと指圧を広げていくにつれてユズティの呼吸が深く静かなものになっていくのが感じられた。
さらに後頭部、耳の裏と指圧していくにつれて寝息が聞こえ始めた。
「…………」
このまま放置して図書館に戻ろうかと思ったが、まだ光の剣が発動され続けており、それがユズティのエネルギーを消費しているよう思われた。
それを放置していくことは画竜点睛を欠く仕事に思われた。
というわけでユウキはなんとかしてユズティの光の剣を発動解除してみることにした。
とりあえずそっと光の剣の峰に触れ、さきほどのマッサージと同様に『共感』によって光の剣と自分の意識を繋ぎ、その上で光の剣に消えるよう頼む。
すると……。
「き、消えた……」
だがその瞬間、ユズティが目を覚まし、ユウキに馬乗りになってベッドに押し倒したかと思うとまた光の剣を召喚して振りかぶった。
「正体を表しましたね! 私に武装を解除させて寝込みを襲おうだなんて、卑怯な!」
「悪かったよ。勝手に剣に触ったのは謝る」
ユウキはもう一度、世間話でユズティを落ち着かせることにした。馬乗りになられた状態で、ユズティを見つめつつ聞く。
「そういえばこのベッドって、初代市長が建築魔法で作ったものなのか?」
「いいえ……これは魔術ではなく、手業によって作られたものです。初代市長は家具を手作りするのを心の安らぎとしていたんです」
「ふうん。エグゼドスにもそういう趣味的な活動があったんだな。ユズティの趣味は?」
「私? 私は……家ではよく本を読みますね。妹が図書館から大量に借りてくるので」
「なるほど。頭が良さそうだもんな。でも本を読んでると目が疲れるだろ」
「最近、少し視力は落ちてきた気がしますね」
「ここら辺をマッサージするといいらしいぞ」
ユウキは軽く半身を起こすと、ユズティのコメカミに手を伸ばした。
「あっ……」
ユズティは光の剣を近づけてきたが、さきほど『共感』によって繋がったためか、それが放射する光はむしろ心地よく感じられた。
その気持ちよさをユズティに環流させるように彼女の髪に、耳に触れる。
「ん……」
くすぐったそうな声がユズティから上がった。
ふと見るとユズティの手は緩み、光の剣が落ちそうになっていた。
ユウキはユズティに手を重ねると、光の剣を握り直させた。
そしてもう片手の手でユズティの腰を抱くと、ゆっくりとベッドに仰向けに押し倒していった。
そのときだった。初代市長の霊廟のドアが大きく開く音がしたかと思うと、背後から何者かが声をかけてきた。
「あ、いたいたユウキさん!」
「うおっ!」
「こんなところで何してるんですか? 展示品のベッドに勝手に上がっちゃダメですよ。古代館中を探しましたよ!」
振り返ると数十冊もの本を抱えた喫茶ファウンテンの店員がいた。
「ユウキさんが好きそうな本をたくさん持ってきたので早く読んでみてください!」
だがベッドの脇まで小走りに駆け寄ってきた店員は、そこでユウキがユズティを組み敷いていることに気づき、抱えていた本をすべて床に落とすと、唖然とした声で呟いた。
「お、お姉ちゃん……」
「モ、モカ……」
ベッドの上からそう店員の名を呼んだユズティの手の中で、光の剣は消滅していった。
「…………」
ユウキはベッド脇に立つ店員と、ベッドに横たわるユズティを交互に見つめた。二人の顔はよく似ていた。
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