ソーラル市庁舎来訪

 ユウキはソーラルの大通りを、喫茶ファウンテンの店員と歩きながら慄然としていた。


(よく知らない相手と流れに流されるままオレはデートをしようとしている……)

 

 この状態はかつてない緊張をユウキにもたらした。だが同時に、これこそがナンパの本番であるという高揚感もあった。


(とりあえず深呼吸だ……落ち着け……)


 人知れず各種スキルを使って気持ちを落ち着かせながら、ソーラル市庁舎へと続く大通りを、私服姿の店員と並んで歩く。


 彼女の私服には大学生めいたフレッシュな可愛さがあった。そして事実、彼女はソーラル大学の学生だという。


「…………」


 多様な人種で溢れかえる大通りを並んで歩き、途中にいくつかある公園の出店で買い食いなどするにつれ、ユウキは自らの孤独な大学時代の記憶が癒やされていくのを感じた。


 死んだ目をしてただ単位を取って卒業することだけを求めて大学に通うも、昼休みに構内のどこにも居場所がなく四号館の隅のフリースペースで隠れるように弁当を食べていた日々……その目の前をカップルが通り過ぎるたびに焼け付くような羨ましさを感じていた日々が今、急速に癒やされていく。


「あの。お客さん、どうしたんですか? 遠い目をして涙ぐんで……」


「いや、悪い。ちょっと昔のことを思い出してな。でももう大丈夫だ」


 ユウキは現在のデートに意識を戻した。


 気づけば市の東西南北の門から伸びる大通りが集合する中心点に辿り着いていた。そこに市庁舎があった。


 市庁舎は、空に向かう巨大なパラボナアンテナ状の魔力受信機と、それを支える庁舎から構成されている。


「でかいな……」


 市のどこからでもこの魔力受信機は見えるが、こんなに近くから見上げたのは初めてだ。


 空からの光を集める魔力受信機は、樹木の幹を思わせる有機的な繊維の束によって庁舎に繋がれ支えられていた。

 

 その樹木の幹は闇の塔にある『魔力備蓄のツタ』に似ていたが、市庁舎のそれは光ファイバーを思わせる半透明なものである。


 おそらくその繊維を流れる魔力の質に応じて見かけが変化したのであろう。


「やっぱり市庁舎は空気がいいですね。ほら、行きましょう」


 店員は市庁舎のエントランスに小走りで駆けていった。彼女の背中を追いつつ、ユウキは謎の爽やかな気分を感じ始めた。


 春の日向のような暖かさと爽やかさが、市庁舎のエントランスに近づいていくにつれて強まっていく。


(なんだこの暖かな心地よさは? 天気が良くなったのか?)


 足を止めて空を見上げてみたが、依然として冬の空は半分がた雲に覆われたままだ。


 だが一歩、一歩とエントランスに近づいていくにつれ、春めいたのどかな雰囲気が増幅し、さらにエントランスの案内板や芸術的なオブジェなどが輝きを発しているように見えてきた。


 店員が振り返ってユウキを見た。


「あれ、お客さん、もしかして初めてなんですか? 市庁舎」


「ああ。離れたところから見たことはあるが……」


「なら驚くのも無理ないですね。ソーラル市庁舎はアーケロンで光の魔力が一番強い場所ですからね。慣れないうちはびっくりすると思いますよ」


 どうやらこの視界の輝きや、のどかな雰囲気の増幅は、市庁舎が持つ光の魔力の余波だったらしい。


 強制的に心が穏やかになっていくこの空間は、なんとなく自分の居場所ではないとも感じられた。


 心の中のドロドロしたものが強制的に浄化され、それにつれてこの自分自身も塩をかけられたなめくじのごとくに消滅するのではないかという恐怖も感じられた。


 だが耐えられないほどではない。もしかしたらエリスから光のイニシエーションを受けたことが効いているのかもしれない。


「それじゃ中に入りましょう」


「お、おう」


 エントランスは大理石風の石材と透明度の高い水晶が組み合わされた、いかにもソーラル式という風情を醸し出していた。


 その壁に市庁の各部署への案内板が掲げられている。


「向こうが健康福祉課と港湾局で、そっちが財政局と魔力管理部か。ずいぶん近代的だな」


「ソーラルはアーケロンでもっとも先進的な都市ですからね。別館の『古代館』には初代市長が建築魔法で建てたものが多く残ってますよ」


 図書館も『古代館』の中にあるとのことで、ユウキと店員は市庁舎の裏にあるというその別館を目指した。


 店員があれこれ案内してくれる。


「この裏庭にもいろいろ見所があってですね。あそこの祠がが『邪竜参拝所』、この土地の土着宗教の名残ですね。あれは初代市長の業績に関する碑石ですね」


 ユウキはかつて謎のストリートチルドレン、ルフローンに教えてもらったことを思い出した。


「ああ、ドラゴンズパスがどうのこうのってヤツだろ」


 ドラゴンという単語を出した瞬間、店員の顔が青ざめた。


「ん、どうしたんだ?」


「先日の『姫騎士と百人のオーク』の儀式で空に竜が出たじゃないですか」


「ああ……そう言えばあいつのドラゴンクローのおかげで防衛のクリスタルの障壁が破れたんだったよな。おかげで助かった」


「私、怖くって。あんな伝説の生き物を自分が生きてるうちに見ることになるなんて。世界がおかしな方向に変わるんじゃないかって」


 本気で怯えているようだったので、ユウキは話題を明るい方向に変えようと試みた。


「そう言えばあの儀式はどうだった? 百人のオークがさ。あのいたいけな姫騎士を」


「もう……変なこと言わないでくださいよ」


 店員の顔は赤くなっている。


「ははは、すまんすまん」


 謝りつつユウキは自分の心の癒しが順調に進んでいることを実感した。あれほど思い出すのも嫌だった例の儀式を気軽な冗談に使えるようになっている。


「そういえばあの姫騎士……お客さんのお姉さんによく似てますよね」


「そうか? 他人の空似だろ」


「……そうなんですかね」


 店員はじっとユウキの顔を見つめた。


「いいから図書館に行こうぜ」


 ユウキは店員の手を引いて裏庭を横切ると古代館の入り口に向かった。


 *


 古代館はソーラルに似つかわしくないくすんだ煉瓦作りの建物だった。その煉瓦は闇の塔を構成する建材と同一のものにみえる。


「どうやら本当にこの古代館は、エグゼドスが作ったものらしいな」


「そうですよ。図書館は後付けですけど、地下にある『市長の霊廟』なんは当時の市長室がそのまま使われているらしいですよ」


「へえ。時間があったらゆっくり観光して回りたいもんだ」


「そんなに面白くないですよ。それより図書館に行きましょう。私のスキルを見せたいんで」


「スキル?」


「お客さん、バイト、探してるんですよね」


「あ、ああ。そういえばそうだったな」


 喫茶ファウンテンで仕事ハイになったユウキは、つい調子に乗って一般市民を闇の塔の書庫整理のバイトに誘ってしまったのだった。


 ユウキは古代館の廊下を店員と歩きながら考えた。


(まあ実際、人手が欲しいのは確かだが……)


 ユウキは何度か塔の書庫に入ったことがあるが、そこの多くの本には埃が溜まっていた。仕方がないことではある。蔵書はシオン一人の手で整理できる量をはるかに超えているのだから。


 しかもその大量の蔵書は、歴代の塔主の独自ルールによって書架に差し込まれたものである。よって書庫の本は整理されているようでその実、まったく整理されていない混沌に支配されているのである。


 今が平時であれば、『ごちゃごちゃの書庫も闇の塔らしくていいね』などとのんきな感想も抱くこともできただろう。だが魔術書からの情報抽出スピードが世界の命運に直結している昨今においては、書架の整理は塔周りの守りを固めるのと同じレベルに大切なことと思われた。


「まあいろいろあって、オレが今、住んでるところの書庫を誰かに整理してもらいたかったんだが……」


「お客さん、見る目ありますね! その仕事なら私が適任ですよ」


「で、でも、悪い。やっぱりやめておく」


 古代館の廊下の突き当たり、図書室の入り口でユウキはそう言った。


 なぜならよくよく考えてみればこの店員は一般市民だ。闇の塔などという危険地帯に呼んでいいわけがない。


 だいたい、光のイニシエーションを受けているオレですら、光の本拠地たるこの市庁舎にはかなりの落ち着かなさを感じているのである。逆に考えれば、ソーラルの光の魔力に慣れている一般市民は、闇の塔に来ることに強い心理的抵抗を感じるはずである。


 だが店員はユウキを睨むように見つめると言った。


「私のスキルを信じてないんですね。それなら今、見せてあげますよ」


 ふいに店員はユウキの額に指で触れた。かと思うと図書館の中に駆け込んでいった。すぐに中で本の整理をしている司書に怒られた。


「ちょっとあなた、学生さん? 図書館の中を走らないでください」


 店員は頭を下げて司書に謝ると、振り返ってユウキに叫んだ。


「お客さん、十分経ったらまた図書館に来てください! それまでにお客さんが読みたがってる本を私が見つけてあげますから!」


「ちょっとあなた、図書館の中で大声を出さないでください!」


 店員は司書に頭を下げながら書架の隙間に消えていった。


「……なんだあいつ」


 ユウキはしばし図書館前の廊下に呆然と佇んだが、店員が姿を見せる気配はなかった。


 十分経ったらまた図書館に来いということなので、ユウキはしばらく外をぶらつくことにした。


(悪いけどバイトの話はうまく断らないとな。一般人を戦いに巻き込むわけにはいかない)


 そんなことを考えながら古代館の廊下を歩く。


(そういえばさっき店員はオレの額に触れたが、もしかしてあれは読心術のようなものか? オレが心の中で求めている本を、図書館の大量の本の中から探そうっていうことなのか?)


 だとしたらあの店員の試みは失敗に終わるだろう。なぜなら今のオレは本なんて悠長に読んでる気分じゃないからだ。


 だからいくら探せどオレが読みたい本など見つかるわけがない。


「悪いけど、その線でバイトの話はなかったことにしよう……」


 そんなことを考えながら古代館をうろついていると、『初代市長の霊廟』なる場所に迷い込んでしまった。


 *


 まず図書館と反対方向に続く廊下の奥に、地下に続く階段が現れた。


 入ったらいけない場所かと思えたが、やけに気を引かれてユウキはその階段へと足を踏み入れた。


 くすんだ煉瓦で組み上げられたその階段を一歩下りるごとに湿気と暗闇が濃くなっていく。


 その暗闇の奥に、闇の塔の正門にあるの同じ紋様が浮かび上がっているのが見えた。


 手を伸ばしてその紋様に触れると、ヒヤリとした石の扉の感触があった。


 石扉は音もなく開いてユウキを室内に迎え入れると、背後でまた音もなく閉じた。


「…………」


 石扉の向こうの室内にはランタンを思わせる魔力の光が灯っている。


 その暖かな光に照らされた室内には木製のベッド、食卓、燭台、本棚と至って普通の家具がきちんと整頓されて並べられていた。


「なんだここは。なんとなくシオンの部屋に似てるな」


 するといきなり背後から何者かに声をかけられた。


「ここは初代市長エグゼドスが実際に寝起きしていた部屋で、可能な限り当時のままに保存されています」


 その声があまりに流暢で普通の雰囲気を出していたため、ユウキはつい何事もなかったかのように相槌を打ってしまった。


「へー」


「ソーラルの存亡の危機には必ず市長の霊がこの部屋に姿を表し、市民を導くという伝説があるんですよ」


「なるほど、市長の霊ね、それはまた会ってみたいところだな」


 ユウキは大穴地下二階のポータルにいたエグゼドスの残留思念を思い起こしながらそう呟いた。


 すると背後からの声が近づいてきた。


「市長に興味があるんですか? よかったらパンフレットをどうぞ」


「うおっ! びっくりした」


 ここに至り、ついに時間差で驚いて振り返ると、霊廟入り口の脇に受付があり、そこに市職員の制服を着た女性が一人座っていた。受付には『初代市長の霊廟・観覧無料』と書かれていた。


 太古の遺跡で蠢く幽霊などに話しかけられたわけではないと気づき、ユウキは安堵のため息をついた。


(なんだ、ここは市の観光地というわけか)


 だが……振り返って、受付に座る女性の顔を見たユウキは、再度、驚いて息を呑んだ。


 淡い魔力光に照らされ、自身のうちからも光のオーラを発している彼女の顔に見覚えがあったのである。


「あ、あんたは大穴の現場の監督さん?」


「そうです。覚えていただいてありがとうございます。ユウキさん」


「ていうか……監督さんは知ってるのか? オレのこと」


「もちろん知ってますし見ていましたよ。ユウキさんが『姫騎士と百人のオークの儀式』で、体を張ってアーケロンを戦乱から救ってくれたこと。あれは誰にでもできることではありません」


 ユウキは顔を赤らめつつ話題を変えた。


「か、監督さんはどうしてここに?」


「仕事ですよ。今日はどうしてもここに来なければいけなかったんです」


「仕事は大穴の現場監督じゃなかったのか?」


「闇の女神が目覚め始めたことで、大穴の現場は資材回収モードから、深層攻略モードへと切り替えたんです。ですから今は冒険者ギルドに大穴の現場を一任しているんです」


「なるほど……」


「それに、この霊廟での受付の仕事は昔から好きなんです」


「こんな暗いところに一人で座ってたら怖くないのか?」


「確かにほとんど観光客も来ませんし、いろいろな幽霊が出るという噂もありますね」


「まじかよ」


「でも私的にはこの部屋でひとりで受付をしていると、乱れた心がいつも自然に整うんです」


「サウナみたいなものか。それにしても監督さんでも乱れることなんてあったんだな。かなり強力な光の魔法を使うんだろ」


「私はただ光の通り道となるに過ぎない者ですよ。私はただの普通の人間です」


「その謙虚なところがすごい」


「そうですかね。ありがとう」


 そういいつつ監督は微笑んだ。だが薄暗い中で見ているからだろうか、なんとなくその表情に疲れが感じられる。とりあえずユウキはスキル『世間話』を発動した。


「最近、市政はどうなんだ」


「はあ。大変ですよ」


「よかったら話、聞こうか」


「え、悪いですよ」


「そうか。守秘義務もあるだろうしな」


「それは大丈夫です」


 瞬間、監督の雰囲気が変わった。彼女の体を覆う光のオーラがふわっとしたものから、かちっしたと硬度の高いものにモードを変えたのが感じられた。


 彼女は受付から立ち上がると、ユウキをまっすぐ見つめながら少し離れた正面に立った。


「初代市長が定めたソーラル運営プロトコルによれば、闇の塔の塔主代理の機密情報クリアランスは、市長代理である私よりも上ですから。ユウキさんがその気になれば市庁舎のどこにでも足を踏み入れることができますよ」


 監督はユウキの指で輝く塔主の指輪に目を向けた。


 特別扱いされるたびに感じる落ち着かなさを堪えつつユウキは聞いた。


「市長代理? 監督さん、そんな偉い人だったのか」


「いいえ、偉いなんてことはないですよ。光に導かれ、私たち職員はそれぞれが効率的に動ける役職に就くんです。市長代理はただ対外的な肩書きに過ぎませんよ」


「そんなもんか……」


 まあ確かに市長代理といいつつ、この人はいつも現場で働いている印象がある。


 監督、いや市長代理はしばらく間を空けてから静かな声を発した。


「私のことよりも、ユウキさんこそ、血みどろの闘争によって塔主代理という地位を手にしたのではないですか? 闇とは物質的な力を頼るものと聞いています」


 そう訥々と声を発しつつ、この初代市長の霊廟の薄暗がりの中で、市長代理が身に纏う光を強めていくのをユウキは感じた。


(もしかしたら闇の塔の関係者であるオレと、地下室に二人っきりっていうシチュエーションに緊張して防御体制を取ってるのかもな)


 ユウキは各種のスキルを発動し、雰囲気をよくしようと努めながら、最大限の優しい笑顔で微笑みかけた。


(にこっ。これでどうだ? 緊張を解いてくれ)


 だがその瞬間、市長代理の表情は見る見る間に固く強張っていった。


「光よ……わかりました。今日……どうしてもここに来なければいけない気がして、無理を言って本来の係の者に受付を代わってもらいましたが……その理由が今、わかりました」


「ん。なにがわかったんだ?」


「光よ……私をこの方と対決させようというのですね」


「お、おい、対決だと? なんだそりゃ」


「ユウキさん、あなたのその邪悪な笑顔……そこにはっきりと感じられます。私の心を操ろうという邪悪な意図が!」


「…………」


 笑顔を悪く取られてユウキは大きなショック受けた。


「やはり噂は本当だったということでしょう。闇の塔は、闇の女神とすでに密かに手を組んでいるのでしょう。だとしても私は籠絡されないし、市政は絶対に牛耳らせません!」


「ひ、ひどすぎないか、邪悪な笑顔って……」


 トラウマ級のショックを受けるユウキの前で監督、もとい市長代理の女はますます身を覆う光のオーラを強く結晶化させながら、なんらかの召喚魔法らしきものを唱えた。


「次元を切り裂く邪星剣の霊気よ! 市長代理、ユズティの名において私の手の元に来てください!」


 瞬間、ソーラル市長代理の女の右手に光の剣が光輝を発しながら現れ出た。


 市長代理、ユズティはゆっくりと光の剣を振りかぶり、その鋒をユウキに向けた。


(たまにオレ、女に剣を向けられるよな……)


 ユウキは怯えながらもどこか冷めた心の片隅でそう呟いた。

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