第71話 世界絶滅カウントダウン

「もうダメだ……闇の女神が蘇ってしまった……何もかもおしまいだよ」


 VIP席のシオンが弱音を吐いた。


 エクシーラが厳しく叱咤した。


「あなた、闇の塔のマスターでしょ。軽々しく弱音を吐くのはおやめなさい!」


「ふ、ふふっ……そんなことを言っても、もう終わりなことは動かせないよ。なぜなら……」


 シオンは状況を説明した。


「今、僕たちの目の前で闇の女神が受肉しているよ。だけどあまり見ない方がいいね。光のフィルターに弱められているとはいえ、あの闇の波動は僕たちを狂気に導くからね……」


「見損なわないで! 私が正気を失うわ怪我ないわ!」


 そう言いつつエクシーラはシオンの肩をガクガクと揺さぶった。


「痛いよ! 離してくれ……確かに……女神の顕現が不完全な今ならまだ、彼女を地獄に追い落とせるかもしれない。だけど祭壇は『防衛のクリスタル』によって完全に守られているんだ。僕たちの力ではあれを突破するのは無理だよ」


「そ、そうね……でも……何か方法があるはずよ!」


「ふふっ、そんなものはないね。このままならあと数分で女神の受肉が完了するよ、それはわかるね?」


「ええ……」


「そのあと女神は祭壇上の命を持つものすべて……百人のオークと暗黒戦士の双子の血肉を平らげて自らの力とするはずだよ」


 それを聞いたアトーレは暗黒剣を持つ手をわなわなと震えつつ叫んだ。


「……ムコア、ミズロフ……立って戦うがいい! 我ら暗黒戦士の誇りを見せよ!」


 だが半裸の双子は祭壇の端で腰を抜かして互いに抱き合いガクガクと震えている。


「ふふふっ……無理を言うのはやめるんだ。あの双子たちはフィルター無しで闇の波動を直近から浴びているんだ。もう正気を失っているか……良くて自我崩壊状態にあるはずだよ」


「…………」


「だけど安心してほしい。僕たちもすぐに後を追うことになるからね」


 ここで再度エクシーラがシオンをガクガクと揺さぶりながら叫んだ。


「そんなことはないわ! 私たち冒険者が市民を守ります! みんな、命を捨てて戦うわよ!」


「お、おう……」力ない返事が返ってくる。


「ふふっ、物分かりの悪い上司を持つのは気の毒なことだね」


「シオン殿、我らも戦おう……」アトーレは暗黒剣を構えた。


「……無駄だよ。闇の女神は完全絶対防御を持っているんだ。加えて高レベルの邪神を次々に生み出す力もあるんだ。そう……僕たちはもうすぐ全滅する運命にあるんだよ!」


 ラチネッタが叫んだ。


「んだども……まだ何か方法があるはずだべ! そ、そうだべ、ユウキさんがなんとかしてくれるべ!」


「確かに……ユウキ君が正気を取り戻してくれたら……その可能性はある。だけどそれは難しいだろうね」


「どうしてだべ? ユウキさんはいつでも気を強く持っておらたちを助けてくれたべ!」


「僕がさっき魔術的心理走査して理解したところによれば……ユウキ君は幼少期から闇の女神のコントロールを受けていたみたいなんだ」


「クハハハハ……まったく、闇の女神は恐ろしい存在だぜ! 心の隙間に入り込んで人を操る……当然、俺様もあのお方と契約してるが、俺様だけじゃない、誰もが多かれ少なかれ知らず知らずのうちに地獄との契約を結んでいるんだぜ! 契約がある限り、あいつ……ユウキは闇の女神のコントロールから逃れることはできないぜ!」


「どうしたらその契約を解除できるの? 教えなさい!」


「簡単だぜ。受け取ったものを女神に返して、契約解除を望めばいい。だがそんなことは現実的には無理だぜ」


「どうして?」


「闇から得たものは時間が経つほどにそいつの本性と融合していくからな。闇から得たものを手放すことは自分の肉を切り捨てることに等しいぜ。しかもあいつは今、心理的にも、物理的にも女神に飲まれている。そんな状態で契約破棄などできやしないぜ」


「だったら物理的に女神と切り離したらいいわ!」


 エクシーラがレイピアを構えて祭壇に突進した。しかし防衛のクリスタルが生み出している不可視のバリアに空中でぶつかり、VIP席と祭壇の隙間に落ちた。


 シオンが乾いた笑い声を上げた。


「ふふっ……ははは……もうおしまいだよ……女神の受肉を止めるには、ユウキ君に正気に戻ってもらう必要がある。なのにあのバリアがある限り、誰もユウキ君には近づけないんだ! 女神は悠々とあのバリアに守られ受肉を終える。そのあとで内部からバリアを破壊し僕たちを平らげに外に出てくる! そのつもりなんだ!」


「クハハハハ! そんな悠長に死を待つ時間もないようだぜ! 見ろ! 悪魔、邪神が祭壇の外に出てくるぜ。奴ら、完全に実体化していないからバリアをすり抜けられるようだぜ」


「ギルドの冒険者たち、市民を守りなさい!」


 エクシーラがレイピアを掲げると、冒険者たちはやけくそ気味な叫び声をあげて悪魔、邪神に立ち向かっていった。


 今、最終戦争らしきものがなし崩し的に始まろうとしていた。


 祭壇から湧き出した高位の悪魔の恐るべき鉤爪が冒険者に振り下ろされた。


 伝説の武具でもなければ、高位の悪魔の攻撃を受け止めることはできない。よって冒険者は盾ごと胴体を両断されて然るべきところであり、彼自身も無駄死にを覚悟した。


 死ねば年金が家族に入ることがせめてもの救いか……。


 いや、この雰囲気だと遠からず世界丸ごと絶滅するのか。


 なんにせよすまん、父ちゃんはもうダメだ……!


 だがそのとき姫騎士ココネルが祈った。


「ん。ゴゾムズ……皆の防御力を上げて!」


 その祈りにより冒険者たちの防御力……いわばアーマークラスとでも呼ぶべきものが劇的に改善され、冒険者の盾はなんとか悪魔の爪を受け止めることができた。


 だが悪魔、邪神たちは殺戮を焦っていないようである。次々と突進してくる冒険者たちを、蚊でも追い払うようにしながら、祭壇を囲んでいる。


「奴ら……女王の受肉が終わるのを待っているのよ」


 エクシーラに冷や汗が滲む。


「ふふっ……ははははは……完全に百パーセント……終わった……僕たちはもう手も足も出ないよ」


「そ、そんなこと、ないわ……」


 だがエクシーラも次の策を思いつけずにいた。


 手持ちの戦力では祭壇を囲む悪魔、邪神を突破できない。


 仮になんらかの手段で悪魔、邪神を突破できたとしても祭壇のバリアを破れない。


 そのため闇の女神の受肉を止めることはできない。


「あ、あと二分で受肉が終わるよ!」シオンが叫ぶ。


 しかし冒険者たちは効かない攻撃を悪魔、邪神たちに繰り返す以外に何もできない。


 一方の悪魔、邪神たちはこのあとに待ち受ける虐殺劇を心待ちにするかのように舌なめずりしている。


「クハハハハ……女神の受肉が終わるとともに悪魔、邪神たちの実体化も完了するはずだぜ。そうなると俺様たちはあいつらの美味しいご飯になるぜ」


「あ、あなたは闇の女神と契約してるんでしょう? 命は助けてもらえるんじゃ……」


「クハハハハハ……それは難しいだろうぜ……邪神たちが俺様の命を気にかけてくれるとは思えん」


「あと一分だよ! あと一分で女神の受肉が完了するよ……みんな……短い間だったけど楽しかったよ……さようなら」


 シオンは目を閉じ、死に向けて心の準備を整え始めた。


「ん。もう光のフィルターがもたない! 闇の波動が外に漏れる……!」


 闇の女神の受肉が完成に近くにつれ、人を狂気に陥らせる闇の波動の出力が強まり祭壇から外に漏れて放射されはじめた。


 観客たち、冒険者たちの表情が強張っていく。皆の心の中に錆びた鋸のようなギザギザの汚れたエネルギーが無理やり流し込まれていく。


 精神汚染が始まったのだ。


 このまま汚染が進めば人々が互いに殺し合いを始める。


 その最中に女神が受肉し、悪魔と邪神が実体化し、人々をなぶり殺しにしていく。


 そのような地獄絵図があと三十秒で始まろうとしているそのときだった。


 市民の一人が夜空を指さして叫んだ。


「な、なんだあれは!」


 他の市民も空を見上げる。


 そこにはかつて誰も見たことの無い巨大な生物が浮かんでいた。


 その生物は闇の塔からの魔力放射によって白白と輝く夜空を背後に、巨大な翼を広げて羽ばたいている。


「と、鳥か?」


「バカな! あんな巨大な鳥なんているわけないぞ! この祭壇よりも、市役所よりも大きいじゃないか!」


「だが翼を持って羽ばたいている!」


 祭壇直上に浮かぶその生物は野球場よりも大きな翼をはためかせ、耳をつんざく鳴き声を発した。


 市民たちは耳を両手で覆いながらも、その巨大生物の正体についに気づいた。


「ド、ド、ド、ド、ドラゴン……ドラゴンだ! ドラゴンだぞ!」


 竜を恐れる本能により市民は皆は恐慌に陥り、闇の女神が発する闇の波動がもたらす精神汚染から解き放たれ、パニック状態になって客席出口へと殺到した。


「うわー、ドラゴンだー! 逃げろ! うわー!」


「まじでドラゴンだ! やばいぞ! ドラゴンだぞ!」


「信じられん、ドラゴンが空を飛んでいる! 牙があるぞー!」


「うわー、口を開けた! なんて鋭い牙だ! やばいやばい!」


 ドラゴンは大口を開けて翼をはためかせると、再度雷鳴の如き咆哮を轟かせた。


 地面、客席、VIP席が激しく揺さぶられ皆の腰は浮き、歯の根がガチガチと音を立てる。そんな中、市政府関係者がいち早くドラゴンの正体に気づいた。


 大穴の現場監督、ユズティがわなわなと震えながら叫んだ。


「……まさか……あれは……! 翼のあの模様……黒曜石のような竜鱗……縦にスリットの入った黄金色の瞳は……私たちの市の守り神……深宇宙ドラゴン!」


 エクシーラが空を見上げた。


「伝説の神獣……深宇宙ドラゴン! 実在していたというの! なんのためにここに現れたというの?」


 深宇宙ドラゴンはもう一度、翼をはためかせて超音波的な鳴き声を発すると、いきなり祭壇に向けて急降下を始めた。市民は蜘蛛の子を散らすように四方へと逃げた。


「うわー、ドラゴンが襲ってきたぞー!」


「やばいやばいやばいやばい……!」


「ドラゴンだー! おしまいだー! もうおしまいだー!」


 冒険者たちも完全にパニックに陥り武器を落とした。


「みんな、しっかりして! しっかりするのよ!」そう叫びつつエクシーラも足をガクガクと震わせている。


 そんなパニックの直上で深宇宙ドラゴンは大きくのけぞると、白銀に輝くその巨大な爪を不可視のバリアーに向かって振り下ろした。


 次元をも切り裂くドラゴンクローだ。


 分厚い鋼鉄を切り裂くかのごとき次元断絶音が響く。それと共に不可視のバリアと、祭壇の四方に設置されていたアーティファクト、防衛のクリスタルがガラスのように砕け散った。


 同時に、ドラゴンに騎乗していた何者かが、恐ろしくも美しい神獣の背を蹴って宙に飛び立った。


 遥か彼方の闇の塔が空に向けて放射している魔力光を浴びながら、その人物は空中で一回転して祭壇に降り立った。


 彼女はユウキの周りに群がる悪魔、邪神の影をミスリルの鎌で切り裂くと叫んだ。


「ユウキ、助けに来たわ!」


 ゾンゲイルだ。

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