第65話 総力戦

 ユウキは双子にiPhoneのオペレーションを一任すると、自分は祭壇でマイクを胸に抱えコンセントレーションを高めた。


 具体的には例によってスキル『深呼吸』と『集中』を発動した。


「すー、はー……」


 しかし緊張は取れない。


 ユウキはカラオケに行ったことがない。


 いいや、正確には生涯に二度ほどある。


 一度目は高校一年の文化祭の打ち上げで、なんでか分からないがクラスの皆に混ざって駅前のカラオケボックスに付いていった時のことだ。


 二度目はこの世界に召喚される少し前、妹がカラオケに行ってみたいと言い出したので、勇気を出して連れていってあげた時のことだ。


 どちらも人前で歌うという破廉恥な行為に耐えられず、ユウキはソファの端で作り笑いを浮かべ、人が歌うのをただ聴いていた。


「…………」


 歌の機能のひとつに『自己表現』というものがある。


 自己……そんなものを人前で表現することが躊躇われた。


 オレという人間の恥ずかしい自己を、歌声に乗せて公衆に発散することは人前で全裸になるに匹敵する恥ずかしい行為であった。


 しかし……オレは人前で全裸になったことがある。


 召喚初日の夜……塔の裏の野天風呂で、オレはゾンゲイルの前でためらいながらも生まれたままの姿になった。


 以後オレは、自分を鎧う心の壁を一枚一枚、この異世界で外す作業を続けていった。


 そして気づけば今オレはこのステージに立っている。


 そして全世界にオレの歌を響かせようとしている。


 できるだろうか。


 そんな恥ずかしいことが……。


 できなくてもやるしかない。


 なぜならやりたいからだ!


「ら、ららら……」


 ユウキは双子にBGMの再生を指示すると、流れてきたイントロに合わせて歌い始めた。


 Aメロでは『初めての体験への恐れ』がメインモチーフとなっている。


 Aメロを歌うユウキの脳裏に、たくさんの冒険の記憶がよみがえる。


 迷いの森で初めて他人と一夜を明かした。


 ソーラルでは初めて自分から知らない人に声をかけた。


 そして大穴の迷宮をくぐり抜け、帰還した闇の塔では命を賭けて戦った。


 しかしその後にユウキは燃え尽きてしまう。


 Aメロの後に続くBメロのテーマは『鬱』である。


 鬱、それはユウキの人生を支配していた。


 脳内麻薬の出が悪いのか、それとも無駄に敏感で疲れやすい体質なのか、ユウキの人生は鬱と共にあった。


 だが鬱になって寝ているとき、それは大いなる変化へのチャージ期間でもあるのだ。


 鬱々としたBメロを乗り越えたユウキは、大いなる変化の高揚感をその後のサビにおいて高らかに歌い始めた。


「ららららららー」


 大いなる変化の波の中で、ユウキの性別は転換され、次から次へと新たな人格がインストールされていった。


 そして次から次へと未知の人物と触れ合い、そのコミュニケーションの中で新しい自分を見出していった。


 そして今、もはや原型を留めぬほどに変化しながらも、やはりどこまでも自分自身でしかないこの自分として、今、皆にこの歌を届けている。


「らららー」


 一番のサビが終わった。


 間奏の間に、ユウキは人格テンプレートを『女神官』へと切り替えた。


 そして……恥ずかしさと気後れを『女神官』のトランス状態に捨てさりながら、ユウキはゾンゲイルと共に開発した振り付けを踊り始めた。


 それにより観客の意識がユウキに集中し、エネルギーの伝達率が高まった。


 ユウキの中にこんこんと溢れだす魔力がさらに勢いよく全世界の視聴者に流れていく。


 そんな中、ユウキの足首に結び付けられた鎖が祭壇上で音を立てて蛇のようにうねる。


 背後では百人のオークが夜空から降り注ぐ魔法の光に照らされて彫像のように固まっている。


 半裸の双子は踊りの邪魔にならないようユウキをシンメトリーに挟んで跪くように首を垂れている。


 その謎めいた舞台装置がさらに観客の意識をステージに惹きつけ、エネルギー伝達効率がますます高まっていく。


 ここでVIP席のシオンが叫んだ。


「そ、そうだ、楽曲に込められている『魅了』の魔法を発動するよ!」


 ユウキは二番のAメロを歌いながらうなずいた。


 シオンは呪文を唱えた。


「楽曲に込められた魔法回路よ、今こそ我らの意図に従って発動されよ! 心を震わせる快美よ、歌を通じて人々の胸を高鳴らせよ!」


 瞬間、楽曲に埋め込まれていた魔法陣が発光した。


 元々この魔法には、人々を魅了しつつ、その精神エネルギーを奪うという意図がセッティングされている。だが今、精神エネルギーはユウキの中からいくらでも溢れ出る状態になっている。


 そのため、ただ歌を通じて視聴者に快美感を与える魔法が発動され、それは音波と共に視聴者の耳に届き、強い陶酔を人の心に与えていった。


 視聴者はユウキの歌に魅了され、先ほどの二倍以上もの集中力を持ってユウキの歌に耳を傾けた。


「ららららららー」


 いまやユウキから視聴者へのエネルギー伝達効率は当初の五倍以上にまで高まっていた。


 いまだオークの催淫剤はユウキの中に刻一刻と性エネルギーを沸き立たせているが、それはユウキの体内で魔力に変換された上でそのほとんどが視聴者に伝送されていった。


 この現象を目の当たりにしてエクシーラがはっと何かに気づいた様子を見せた。


「そ、そうよ! このままもっともっと人々の注目をステージに集めるのよ! そうすればエネルギー伝達効率がさらによくなって、オークの催淫剤の完全に消化できるわ!」


 見るとエクシーラは星歌亭のライブで使う予定だったらしい弦楽器を背負っていた。


 彼女はその小ぶりな弦楽器を抱えるとVIP席から飛び降りた。


 そして祭壇の縁、不可視のバリアのギリギリのところに腰を下ろし、その何かしら偉大な伝説を持っているはずの楽器をかき鳴らし始めた。


 さすがの演奏能力である。一切打ち合わせをしていないというのに、ユウキが作った楽曲に完璧に合わせてエルフが弦をかき鳴らした。


 その音を拾おうとしてか、双子が動いた。


 双子の暗黒戦士は鎖の届くギリギリの距離に立っていたオークからもう一本の『集音のクリスタル』を奪うと、エクシーラの側にマイクとしてセッティングした。


 これにより、さらにクリアな音でエルフの演奏が全国の視聴者の耳に届き、その意識を引きつけた。エネルギー伝達効率は十倍まで上昇した。


 二番のBメロが始まる間際に、エクシーラは懐から篠笛のごとき竹の横笛を取り出して掲げた。


「もっともっと皆の意識をこのステージに惹きつけられれば、この勝負、勝てるわ! 誰かこの笛を吹いて!」


「お、おらが吹くだよ。村の祭りで吹いたことがあるだ!」


 ラチネッタがVIP席から飛び降りてエクシーラの隣に座ると横笛を受け取って吹き鳴らし始めた。


 ユウキの楽曲に奇跡的にキーが合っている。いや、自動キー合わせ機能でも付いているアーティファクトなのかもしれない。


 なんにせよラチネッタはユウキの歌を引き立てる助奏を的確に奏でた。


 その祭囃子を思わせる音もまた双子がセッティングした新たなマイクによって集音され全国の視聴者の耳に届き、人々の意識をこのステージに引き寄せる役に立った。


 これによりユウキから視聴者へのエネルギー伝達効率は二十倍に達した。


 ついにゴルゲゴラが焦りを見せた。


「部外者の演奏はルール違反だぜ! オークども、マイクを奪え!」


 だがその命令が向けられた百人のオークたちはユウキの歌声に魅せられたように固まっている。


 ゴルゲゴラの顔が青ざめる。


「ちっ……悪霊ども、成仏しかかっているのか?」


(成仏だと? 異世界に仏教?)ユウキはサビ直前でナビ音声に聞いた。


(翻訳の問題です。気になるのであれば『あの世に旅立ちかけている』と訳し直しますが)


(い、いや……そんなことより……このままもっと盛り上げて、この勝負、もらう!)


「チェンジ、パーソナリティテンプレート! 『ハイプリーステス』トゥ『ラバーズ』! ららららららー」


 二番のサビに流れ込みながらユウキは人格テンプレートを『女神官』から『恋人』に切り替えた。


 それによって観客一人一人に愛嬌を振り撒くようなキュートな質が振り付けに加わった。


 観客は男女ともにその可愛らしさに目を奪われ、より一層ライブに集中した。これによりエネルギー伝達効率が50パーセントにまで高まった。


 ここに至りゴルゲゴラは黒死館の黒装束軍団に命令を下した。


「ちっ。これ以上、オークの催淫剤のエネルギーを大衆どもに伝達され消費されるわけにはいかないぜ! だがオークどもは動けない……こうなったら黒死館の精鋭ども、あのエルフと猫人間を殺せ!」


 その命令に従い、手に毒々しい武器を装備した黒装束集団が、祭壇の縁で演奏するラチネッタとエクシーラに殺到する。


 猫人間、エルフともに演奏に没頭しており防御できない。


 このままではあのいかにも毒が塗られていそうな黒装束集団の武器によって、急遽編成された楽団が致命の攻撃を受けてしまう……!


 だがそのとき、VIP席のアトーレが暗黒剣を大きく振った。


「我が暗黒の技を受けよ!」


 ゴルゲゴラの頭をかすめた暗黒剣から無数の暗黒の蛇がほとばしり黒装束集団を拘束していく。さらに大剣によって黒装束集団の手足が吹き飛び、血風が吹き荒れる。


 しかしさらなる大勢の黒装束集団が雲霞の如く襲いかかり、アトーレは防戦一方となる。


 エクシーラとシオンはそれぞれ演奏と魔法で楽曲のサポートに全力を注いでいるためアトーレに加勢できない。


(やばいぞ。早く催淫薬を消化しなければ押し込まれて負ける! もっと伝達率を高められないか?)


 ユウキはサビをリピートしながらナビ音声に聞いた。


 瞬間、歌の効果を高めるスキルリストが脳内に表示された。それに従ってスキルを連続発動していく。


『笑顔』


『感謝』


 ユウキは笑顔を振り撒き視聴者に心から感謝しながら、可愛らしい振り付けを精一杯に踊った。


 その上でさらにスキルを連続発動する。


『美』


『優雅さ』


 これにより、ユウキの踊りと歌に可愛らしさだけではない成熟した女性の魅力が付与され、視聴者へのエネルギー伝達効率が80パーセントを超えた。


 ナビ音声が必死で歌い踊るユウキを応援した。


(もう少しです。もう少しでエネルギー伝達率が、催淫剤が生成するエネルギー量を超えます。そうすれば催淫剤そのもののエネルギーを分解できるようになります!)


(だ、だがこれ以上はもう打つ手がないぞ。いや……人格テンプレート『女帝』がある。人格を『女帝』に切り替えれば『美』と『優雅さ』がブーストされるはずだ)


(ですがそうすると『恋人』による『笑顔』と『感謝』のブーストが切れます)


(そっ、それなら人格テンプレート『恋人』の上に『女帝』を重ねればいい!)


(それはダメです! 人格テンプレートのデュアルアクティベートはユウキの精神キャパシティを遥かに超えています! 発動後に廃人となる恐れが……)


「人格テンプレート、デュアルアクティベート! 『ラバーズ』アンド『エンプレス』!」


 大サビに至る直前の間奏でユウキは人格テンプレートを二つ同時に活性化した。


 これによりスキル『美』と『優雅さ』の効果が大幅にブーストされ、ユウキから視聴者へのエネルギー伝達効率は120パーセントを超えた。


 可愛らしい少女性と成熟した大人の魅力を振りまきながらユウキは大サビを歌い抜いた。


「ちっ。小賢しいマネをしやがって! こうなったら皆殺しだ! ゴーレム、行け! 殺せ!」


 ゴルゲゴラが直々にゴーレムを操作し、アトーレへと殺到させた。


 VIP席で仁王立ちになっているアトーレは暗黒剣を振り上げた。


「ここは一歩も通さぬ! 燃え上がれ! 我が内なる暗黒よ!」


 暗黒が吹き荒れ、大剣がうなり、ゴーレムの手足が吹き飛んだ。


「ちょこざいな暗黒戦士め! こうなったら俺様の全エネルギーを使って、ソーラル中の悪霊を召喚してやる!」


 ゴルゲゴラは全身から闇のオーラを噴き出しながら呪文を唱えた。


「クハハハハハハハ! 来い、いまだあの世に転生することを望まずこの世で燻っている地縛霊、ゾンビ、骸骨、低級霊、動物霊!」


 その呼びかけに答えてソーラル集合墓地から骸骨とゾンビが這い出し、ソーラルの裏路地やスラムから大量の薄汚い地縛霊どもが黒い影となって湧き出し、祭壇へと集まってきた。


 観客席でユウキの歌に酔いしれていた冒険者たちが、ここに至って我に返り、立ち上がって剣を抜いた。


「うおおおおお! エクシーラ様を守れ! 冒険者の意地を見せろ!」


 混迷を極める観客席を見つめながら、ユウキは次なる楽曲『君のおかげ』の再生を双子に指示した。そして人格のデュアルアクティベートによって得た、かつてない広大な意識のもと、慣れ親しんだその曲を朗々と歌い始めた。

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