第24話 学園祭の思い出
行動は、受動的なものと、自発的なものの二種類に分けることができる。
『世界の破滅を回避するために何かする』というのは受動的な行動だ。
それは一見、崇高で立派なものに思えるが、実は外部から与えらた刺激に受動的な反応を返しているだけである。
一方、『ナンパしたいからする』というのは自発的な行動だ。
それは別にやらなくていい不急不要な行動であるが、やってみれば不思議と気分が前向きになり、新しい扉が開く。
「…………」
朝の噴水広場でナンパのためのコンセントレーションを高めながら、ふとユウキは『学園祭』に訪れた日のことを思い出した。
それはこの世界に来る少し前のことである。
*
ニートひきこもり生活を続けていると昼夜が逆転しがちだ。
だがその日、珍しく昼間に起きていたユウキは、コンビニに出かける途中、近くの高校で学園祭が行われていることに気づいた。
どうやら一般公開されているらしく、校門で名簿に名前と住所を書けば父兄でなくとも中に入れるようだった。
校門をくぐって学園祭を見てみたい。
そんな衝動を感じた。
だが当然、それを引き止める強い心理的抵抗があった。
「…………」
長年、お祭りごととは縁のない人生を送ってきた。
だいたい高校の学園祭などというキラキラしたものと、このオレの存在はもっともかけ離れたものである。
髪は数ヶ月切っておらずボサボサで、無精髭も生えている。
着ているものといえば襟がだらしなく伸びたTシャツであり、目は暗く淀んでいて、全身から暗いオーラが立ち上っていると思われる。
そんなオレが高校の学園祭などにのこのこと入ることなど許されるものではない。たとえ神が許してもこのオレ自身が許さない。
そもそも学園祭などにそんなに強い興味があるわけではないのだ。
ただちょっと通りすがりにライトな興味をひかれただけなのだ。
その程度の軽い興味を無視したところで死ぬわけではないし、むしろ積極的に無視すべきである。
というわけでユウキはその高校の校門前で回れ右して自宅の子供部屋に戻ろうとした。
だがそのときである。
「…………」
ユウキは足を止めた。
そして決意した。
オレはこの門をくぐる。
そしてユウキは校門をくぐった。
そして賑やかな学園祭の人の群れに混ざって歩き出した。
緊張のためか、その内部で何を見たのかはよく思い出せない。
確か……うねる人の波に運ばれ、校舎前の物販ブースに押し流され、そこでハッピ姿の女子高生から小説の同人誌を買った気がする。
さらにその同人誌におまけとして付いてきたチケットを使い、部室棟の奥の部室で何かの前衛的な寸劇を見た気がする。
今となっては同人誌の内容も、寸劇の内容もよく思い出せない。
だがあのときの決意の感覚、それはよく思い出せる。
あれは『自らの意思を使って楽しさを追い求める』という決意だった。
長く続くオレの灰色の人生の中に、見たことのない新しい楽しさを呼び入れるという決意だった。
「…………」
このあとバイトをして、地下迷宮に潜らねばならない。
そしてシオンの体力を向上させるための秘薬を探さなくてはならない。
その秘薬を見つけることが叶わなければ、多くの命が失われる。
そのような目の前にある重大事を目の前にすると、オレの『ナンパしたい』などいう欲求は無視すべきことに思える。
だがこのソーラルの噴水広場でユウキは再度、決意を固めた。
オレは今日もナンパする。
今日もオレは見知らぬ人に声をかける。
楽しさを、オレの人生に呼び込むために……。
*
というわけで自らがナンパすることの理論的な根拠を固めたユウキは、今朝の声かけ活動を始めようとした。
しかしなかなか動き出すことができない。
だいたい『理論的な根拠』などを求めるときは、決まって調子が悪いときなのである。
そう、オレは例によって石化しかけているのである。
いったん全部忘れよう。
ユウキは深呼吸して頭を空っぽにした。
そしてスキル『地道さ』『粘り』を発動し、声をかける相手が現れるのを待った。
「…………」
だが……。
気になる通行人が何人もユウキの目の前を過ぎっていったが、どうしても声をかけることはできなかった。
そうこうするうちに気力がガンガン減りはじめた。
心が悪い意味で内側に向かいはじめた。
ついに外界を見るのが恐ろしくなったユウキは、手元のスマホに目を落とした。
どうせネットには繋がっておらず、そこに見るべきものは何もないというのに。
「…………」
だがそのときだった。
ふと気配を感じて顔を上げると、すぐ近くに眼鏡をかけた少女が立っていた。
少女はその分厚いメガネをユウキのスマホに向けていた。
小学校高学年ぐらいの背丈であったが、少女はポケットのたくさんついたツナギ状の服を着ていた。もしかしたら何かの労働者なのかもしれない。
少女のツナギの胸や腰はむっちりと肉感的な曲線を見せていた。
「こ、これ……興味あるのか?」
石化しかけていたユウキはなんとか口を開くと、スマホをみせた。
少女は一歩、近づいてくると早口で言った。
「信じられない凄まじい驚愕のアーティファクトだ。私の新たな研究テーマの糸口を感じる。触ってもいいか」
「あ、ああ」
少女はユウキの眼下でポニーテールを揺らしながらスマホを指でいじった。
「すべすべしている。材質はガラスか? 私の研究にこのアーティファクトを貸してくれないか?」
「研究って……あんた、学者か何かか?」
「ノームの技術者だ。石版通信システムの専門家でもある。そろそろ国に帰ろうかと思っていたところだが、ここに来てこんな興味深いアーティファクトに出会うとは……」
彼女は強い情熱を感じさせる視線をスマホに向けながら、それを両手で掴み取ろうとした。
「おっと」ユウキはスマホをポケットにしまった。
「言っとくけどな。これはかなり高いものだからな。しかも個人情報の塊でもある。おいそれと貸せないぞ」
「見返りなら払う。それはおそらく通信端末だろう。だがソーラルの石板通信網に繋がっていないから、この街ではほとんど無用の長物と化している、そうだろう?」
「そ、その通りだ……なんでわかるんだ?」
「私はこの手のアーティファクトの専門家でもある。触れさえすればその程度のことはわかるさ」
「まじかよ……とんでもない有能な奴だな」
「たいしたことはない。それより見返りの話だが……研究させてもらう代わりに、そのアーティファクトをソーラルの石板通信につなげてやる、と言うのはどうだ?」
「よく分からないが……このスマホで、石板と通信できるようになる、と言うことか?」
「その通りだ」
「そうなるとかなり便利になるな。石板とスマホを二枚持ちする必要がなくなる。だがそんなこと本当にできるのかよ」
「できるさ。発想を広げて考えてみるんだ。そうすればできないことなんてこの世には何もないとわかる」
ノームの少女は静かに、情熱的にそう語った。
その言葉に耳を傾けていると、確かにそんな気がしてきた。
「さあ。私にそのアーティファクトを預けるんだ。そうだな……三日後、今と同じ時間にこの広場に来てくれ。そのころにはアーティファクトのアップデート作業が完了しているはずだ」
「わ、わかった」ユウキはスマホを少女に差し出した。
「ではまた会おう」
少女はユウキのスマホをツナギのポケットにしまうと、ポニーテールを揺らしながらスラム方面に歩き去った。
「…………」
噴水の縁に座ってその後ろ姿を見送ったユウキはだんだん冷静になってきた。
ソーラルの石板通信は魔法で動いており、オレのiPhoneは電気とプログラムで動いている。その両者に通信が成立するはずがない。
「や、やっぱり返してもらおう」
立ち上がり少女を追った。だがすでにどこにもその姿は見えなかった。
「まさか……いや、間違いない……オレは馬鹿か! さ、詐欺られた……!」
ユウキは自分の愚かさに愕然としながら頭を抱えた。
そのときApple Watchがバイトが始まる時間を告げた。
ユウキはガックリとうなだれながら大穴のバイトに向かった。
ヘルメットを被ったラチネッタが話しかけてきた。
「どうしたんだべ、ユウキさん、顔が真っ青だべ」
「実は……」と、スマホを失った顛末を打ち明けかけたが、あまりに間抜けな自分が恥ずかしくなり、口をつぐんでしまった。
ラチネッタはおもんばかった。
「もしかして、このあとの迷宮探索、緊張してるんだべか?」
「…………」
「確かに第三層へと潜るわけだから、緊張するのも当たり前だべ。んだども今回は、強い仲間がいるべ!」
ラチネッタはユウキの背をドンと叩くと、班長として軽作業を指揮した。
やがてバイトが終わった。
ラチネッタとユウキは一度、大穴を出て星歌亭に向かった。そこにはすでにシオンとゾンゲイルとアトーレが待機していた。
ゾンゲイルは鎌を装備した人形姫ボディで迷宮へと続くエレベータに乗り込んだ。星歌亭のランチ営業は、昨日作られたばかりの量産型ボディで行うようだ。
その後にフル装備の暗黒戦士と、ローブのフードを目深にかぶった魔術師が続いた。
「しっかりするだよ、ユウキさん」
ラチネッタに手を引かれてユウキもエレベータに乗り込む。
「危なくなったらオラたちが守るから安心するべ」
「わ、わかった」
ひとまずiPhoneのことは忘れよう。
ユウキはスキル『集中』を発動して、目の前の冒険に意識を向けた。
エレベータが迷宮第二層に到着した。
扉が開いた。
迷宮探索が始まった。
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