第9話 見つめるレッスン

 和合茶の効果か、視覚に軽い変化が生じている。


 前に『魔力増強の紙巻薬』を吸ったときに似た感覚だ。


「どう? 私の体の回りに何か見えてない?」ソファの隣に座るラゾナが聞いた。


「なんだかラゾナの輪郭がゆらゆらして見える。陽炎みたいだ」


「よく効いてるみたいね。それは私のオーラよ。その魔術的視力を使って今日の練習『直視』をやっていくわよ」


 ラゾナは応接テーブルの『性魔術の奥義』に手を伸ばすと、しおりを挟んでいるページを広げた。


 ユウキはゴクリと生唾を呑み込んだ。


 いったいこれからオレは何をすることになるのか。


 はたして『直視』とは……オレはいったい、何を目撃することになるのか。


「あ、その前に前回のトレーニングのおさらいをしましょ」


「前回って何だったっけ?」


「『抱擁』よ」


「ああ……でも『抱擁』なんて抱きあうだけだろ。緊張はするけど失敗の余地なく完遂できるという自信があるぞ」


 すでに緊張しているのか口調が固くなっている。だがそれでも抱き合うことぐらいは簡単だ。


「ちょっとユウキ……前回、私が教えたこと、あなた何も覚えてないでしょ。『抱擁』のトレーニングの目的は、抱きあうことそのものじゃないのよ」


「え、そうだったっけ」


「身体的接触によって自他の肉体のエネルギーを感じ取る練習をすることが『抱擁』の目的なのよ」


 言われてみればそんな説明を受けた気がしないでもない。だが緊張のためか、先週のこのソファ上での記憶がすっぽり抜け落ちている。


「まったくもう、仕方がないわね。もう一度教えるからよく聞いててね」


 ラゾナは『性魔術の奥義』をめくりながらレクチャーした。


「私たちの肉体は目に見えないエネルギーが流れてるの。まずは自分の体のエネルギーを感じてみて」


「どうやって?」


「目を閉じて、深呼吸してみて」


「すー、はー」


「その状態で、自分の胸に空気が出入りする感覚を感じて……どう? 感じられた?」


「ああ」


「それじゃあ次は私と抱き合うわよ。はい、ぎゅっ」


「抱き合ったぞ」


「抱き合ったまま目を閉じて深呼吸してみて」


「すー、はー」


「この状態で、自分の胸に空気が出入りする様子を感じて……どう? 感じてる?」


「ああ、感じてるぞ」


「どんな感じ? 抱き合う前と比べてどう?」


「なんていうかな、ドキドキ感とうっとり感がマシマシになってる」


「その感じを感じながら、私と呼吸を合わせて深呼吸して」


「すー、はー。すー、はー……」


「はい、オーケーよ。ゆっくりと腕を緩めて、『抱擁』を解いて、離れましょう」


「…………」


「うまくできたじゃない。バッチリよ」


「うまくできたのか? よくわからん……」


 わかることと言えば興奮で頭がおかしくなりそうなほどオレのさまざまなものが昂ぶっているということだけだ。


「二回目なのに凄く上手よ。相手と触れ合って興奮しながらも、しっかりと自分のエネルギーと繋がって、それを感じてるわ」


「興奮しすぎて、ほとんど我を忘れそうになってるぞ、オレは」


「大丈夫。何度も練習すれば、どれだけ興奮しながらでもクリアに肉体のエネルギーを感じ取れるようになっていくわ」


「ほんとかよ……」


「少なくとも、この本によればね。さあ、一休みしましょ」


 クールダウンということなのか、ラゾナはソファから立ち上がるとどこかに消えた。


 その後姿が脳裏に焼き付いて興奮をさらに高ぶらせる。


 先ほどまであの魅力的な肉体をこの腕に抱いていたのか。


「この興奮はもう健康に深刻な悪影響をおよぼすレベルだ。ヤバいぞ……」


 塔にいるときはどれだけ性的興奮を得ても、そのエネルギーを塔に送り込み、スッキリすることができた。しかも塔に送られた性エネルギーは、生命のクリスタルの力によって魔力に昇華され有効活用されるのだ。


 素晴らしいシステムである。


 だがここはソーラルのラゾナ宅であり、興奮は一方的に高ぶり続け、オレの自律神経は乱れ、血流は刻一刻とおかしくなっていく。それをどうすることもできない。


「いや……もしかしてこのソーラルからも塔にエネルギーを送れないか?」


 いつかシオンが言っていた。『大穴』のポータルを介して、ソーラルと闇の塔はエネルギー敵に繋がっているとかどうとか。


 となれば遠隔的に闇の塔と通信し、いつものように性欲を昇華することができないだろうか?


「…………」


 ユウキは目を閉じて深呼吸すると、闇の塔のエネルギーを感じ取ろうと試みた。


 ごくかすかであったが、なんとなく闇の塔の雰囲気を心の中に感じることができた。


 そこでスキル『集中』を発動し、そのかすかな闇の塔の気配に意識を向ける。


 その上で、自分の中に強くわだかまる性的興奮のエネルギーを、スキル『想像』を使って、闇の塔へと流し込む。そんなイメージを思い浮かべてみる。


 すると……痛いほどに高まっていた性的興奮が、少しずつ和らいでいくのを感じた。


「よし、この調子だ……」


 ユウキはラゾナ宅から闇の塔へと性エネルギーを送り続けた。


 しばらくしてラゾナが戻ってきた。


「あら、なんだかスッキリした顔してるわよ」


「まあな」


「落ち着いたみたいね。さすが大人ね。それじゃあ次のトレーニング、はじめましょうか」


「おう。次のトレーニングは『直視』だな。何を直視したらいいんだ?」


 ラゾナはまたソファの隣に腰を下ろすと和合茶を一口、口に含んだ。ユウキもカップを傾けた。


「まず私のオーラを見て」


「見たぞ。ラゾナの回りにモヤモヤしてるのが見えるような気がする……」


「次は私の体の奥を見て」


「はあ? 見えるかよ、そんなもの」


「見えると信じて、試してみて」


 試してみる。


 目のピントをラゾナの胸の奥に合わせてみる。


「どう?」


「うーん……なんとなくラゾナの体の中を……見てる気がするというか、感じてる気がするというか……」


「上出来よ。今、ユウキは私の体の中を流れるエネルギーを『直視』してるのよ」


「うーん……」


 あまりうまく『直視』できてる実感はない。


 だが何事も最初の練習というのは、そんなにしっかりした手応えがないものかもしれない。


「それじゃあ私も『直視』するわね。ユウキの中を」


「お、おう……」


 ラゾナはスキル『半眼』を発動したかのような、アルカイックな瞳をユウキに向けた。


 しばらくして彼女は言った。


「ねえユウキ……」


「ん? なんだ」


「あなた……やっぱり呪われてるわよ」


「ホントかよ。ぜんぜん身に覚えがないぞ」


「……何十年も前に負った、ずいぶん古い呪い。どす黒い錆びた鎖みたいにユウキのハートを何重にも縛ってるわ」


「そんなこと言われてもな。ぜんぜん実感がないんだが」


「こんな重く汚れた呪いを抱えて、よく普通に生きてるわね。逆に尊敬しちゃうわよ」


「どうにかした方がいいのか?」


「いいえ……何十年も抱えてる呪いみたいだから、これはもうユウキの人格の一部として機能してると言ってもいいわ。無理に解除しようとするより、悪影響を少しずつ軽減していく方がいいと思う」


「わかった。まあオレの中身は汚れてるってことだな。自分でもそんな気はしてるよ。それにひきかえラゾナの中は綺麗だぞ」


「えっ? 別にそんなことないわよ」


「いや……凄く綺麗で気持ちいい。もっと奥の方まで見ていいか?」


「いいわよ……」


 ユウキは和合茶で一時的に開いた超感覚的知覚を、ラゾナの奥へ奥へと送り込み続けた。


 そのうちユウキは、何か広大な光のような、茫漠たる宇宙空間のような、よくわからない不思議な温かみをラゾナの奥に見て、それに触れた。


 その温かみはユウキを包むと、ユウキの内側に澄んだぬるま湯のように流れ込んできて混じり合った。


 その気持ちのいい混淆の中でユウキは気を失った。


 *


「……ん?」


 応接室のソファで目覚めた。


 ラゾナもユウキに折り重なるようにして寝息を立てていた。


 肩を揺さぶると彼女は目を開けた。


「ううん……あら、ユウキ。寝てたの? 私たち」


「そうみたいだな」


 今の眠りの原因を調べようとしてか、ラゾナは目をこすりながら『性魔術の奥義』をめくった。


「どうやら私達、お互いの奥を『直視』しすぎて、相手の魂を見てしまったみたいよ。『直視』の練習では稀にそういう現象が起こるみたいね」


「魂を『直視』するとどうなるんだ?」


「相手の存在のコアのエネルギーを大量に浴びることになるわ」


「そうなるとどうなるんだ?」


「気持よくなって寝ちゃうみたいね。うふふ」


 何か実害があるようなことでもないらしい。むしろいい昼寝をしたあとのような満ち足りた感じがあった。


「じゃあ今日の練習は……」


「大成功よ。私、とても多くのことを学んだわ。ありがとう」


「オレも……」


 なにかを学んだ気がするが、なんとも言えない。


「いいわ。無理に言語化しなくても。本当の学びは体験の中で心と体の奥深くに自動的に刻みこまれていくものだから」


「わかったよ……じゃあ……オレはそろそろ……」


「帰る? ああ、何か用事があるんだったわね」


「いろいろゴタゴタがあってな。あ、そうだ。何かおみやげでも買っていくか」


「誰に買うの?」


「魔術師の友達だ。何かおすすめはないか?」


「これなんてどう? 昨日、仕入れたばかりのニューアイテムだけど、ユウキ相手なら安くしとくわよ」


 ラゾナはソファから立ち上がると、商品棚に置かれていた鉱物結晶を指さした。


「値は張るけど魔術師なら首ったけになること請け合いの、プログラマブルな蒼水晶よ」


 矢尻のように両端が尖った水晶である。


「海の色みたいな水晶だな。綺麗だが……何に使うんだ?」


「魔法を書き込めば、周囲の質料に強い影響を自在に与えられるわよ。発想次第で使い方は無限大ね!」


 ラゾナは蒼水晶の使い方を簡単に説明した。


 まず蒼水晶に特定の効果を持った魔法を書き込む。


 そして、その魔法効果を与えたい場所、あるいは物の近くに蒼水晶を置く。


 そうすることで、蒼水晶から周りの空間や物質へと、魔法効果が自動的に広がっていく。


「なるほど……それなら……例えばこの水晶をゴーレムに打ち込んで、その支配権を乗っ取ることが可能だったりしないか?」


「うーん。それは蒼水晶に込める魔法の強さ次第ね。ゴーレムの元の術者の術式を上回る強度の魔法を込めれば、きっとうまく作用するわよ」


 一応、シオンは最強の魔術師ということなので、魔法の強度に関しては期待が持てそうである。


「いくらだ?」


 ラゾナは値札を指さした。


「この半額でいいわ」


「…………」


 ぜんぜん手持ちでは足りない。闇の塔の全資金を集めても足りない。


「しかたないわね。ユウキには性魔術の練習相手になってもらってるわけだし、ゆくゆくは私が魔力を得るための性エネルギーを分けてもらうわけだから……そのお礼ということにしてあげる」


「いいのかよ」


「来週も再来週も練習に来てくれるならね。来週は『接吻』の練習よ」


「わ、わかった……必ず来る」


 ユウキはゴクリと生唾を飲み込むと約束した。


 ラゾナは黒水晶を丁寧に包装するとユウキに渡した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る