第2話 エルフにこんにちは
ユウキは早朝の噴水広場で、ナンパの次なるステップに踏み出そうとしていた。
だが……。
ナンパの次なるステップ。
それはいったいなんなのか……。
「何をすればいいんだ、オレは……」
肌寒い早朝の噴水広場で途方に暮れる。
いきなり通行人に声をかければいいのか。
いや、そんなことはできない。
オレにできるのは『顔上げ』のみだ。
噴水で顔を上げてあたりを見るということ。
それが顔上げだ。
『顔上げ』ができるようになったことは、オレ的にはとんでもない大きな進歩である。
だが顔を上げてあたりを見ることと、視界に入った魅力的なヒューマノイドに声をかけること、そこには宇宙の端から端までに匹敵するほどの隔たりがある。
どうしたらその隔たりをジャンプして飛び越えられるのだろうか。
「…………」
ユウキはかつて自己啓発書で読んだ、難しい仕事を成し遂げるための手法を思い出した。
それによれば……。
通常、大きな仕事は、細かな要素に分解することができる。
たとえば『作曲』という仕事であれば、『リズム作り』『メロディ作り』『コード作り』といった細かな要素に分解でき、さらにその各要素を小さなステップに切り刻むことができる。
いきなり『作曲』を完成させようとしたら何をどうしたらいいかわからなくなって、途方に暮れるかもしれない。
だが『作曲』という行為を、細かな断片へと分解すれば、その一つ一つのステップを達成することは簡単になる。
メロディのフレーズをひとつ作ることや、リズムのパターンをひとつ生み出すことは簡単にすぐできる。
その簡単で小さなステップに集中し、それを淡々と繰り返していけば、作曲完成へと続く道を着実に一歩一歩、前進していくことができる。
と、その自己啓発書には書かれていた。
だが……。
ナンパという仕事をいくつかの要素に細分化したとしても、もっとも大事なステップを実行できそうにない。
すなわち……街に来る。
顔を上げて待機する。
そして、魅力的な異性が現れたら声をかける。
どうしてもこの最終ステップを実行できそうにない。
この最終ステップの心理的抵抗があまりに強すぎる。
やはりオレにはナンパなんて無理なんじゃないのか……。
とユウキが早朝の噴水広場ですべてを諦めかけたそのときである。
「朝ごはん始まりますよー」
『喫茶ファウンテン』の店員が朝営業の呼び込みを始めた。
朝の散歩中の者や、宿屋から出てきた旅人たちがテラス席に次々と腰をおろしていった。
それを眺めていたユウキは自分が次にやるべきアクションを悟った。
それは……。
「…………」
噴水から立ち上がり、ファウンテンの店員に近づく。
そして緊張しながらも口を開く。
「お、おはようございます」
「おはようございます」
「この席、いいですか?」
「はいどうぞ。今メニューお持ちしますね」
朝食は塔で食べてきたので、魔コーヒーのみを注文する。
やがて運ばれてきた魔コーヒーを飲みながら、ユウキはiPhoneのメモに今、自分が起こしたアクションの記録をつけた。
『朝。挨拶に成功』
そう……ユウキが『顔上げ』の次なるアクションとして見出したのは『挨拶』であった。
顔を上げて前を見ることで他人の存在を認識できる。
そのようにして見出した他人に、どのようにコンタクトを取ればいいのか?
その答えこそが『挨拶』である。
あらゆるコンタクトは『挨拶』から始まるのだ。
よって、『顔上げ』の次に練習すべき行動は『挨拶』となる。
よし……オレはこれから毎日、いろいろな人に挨拶するぞ! そして挨拶をマスターするぞ!
ユウキはそのような決意をiPhoneのメモに打ち込んだ。
それから魔コーヒーを飲み干し、お会計した。
その際にも挨拶する。
「ご、ごちそうさまでした」
目をそらしたままのぎこちない挨拶であったが挨拶は挨拶である。
店員と客という社会的文脈がある中での安全な挨拶ではあったが、挨拶は挨拶である。
どうだ!
オレは短時間で二度も見知らぬ人に挨拶したぞ!
その達成感がユウキの内に魂力をチャージしてく。
今、自分が成し遂げた小さな成功に心を沸き立たせながら、ユウキは大穴でのバイトに向かった。
*
バイトは挨拶練習の絶好のフィールドだった。
現場監督のユズティ、監督補佐のバックスに挨拶する。
「おはようございます」
さらに同じ班の作業員と冒険者に挨拶する。
「おはようございます」
挨拶を繰り返しているうちにだんだんテンションが上がってきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
自分なりにかなり気持ちいい挨拶ができたと思ったその瞬間、脳内にナビ音声が響いた。
「スキル『挨拶』を獲得しました」
「よし……」
迷宮へとつながる下り階段を作業員と共に降りながら、ユウキはぐっと拳を握りしめた。
星歌亭でのバイトでも店員としての立場から挨拶をした。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー」
自分なりに会心の挨拶ができたと思ったその瞬間、脳内にナビ音声が響いた。
「スキル『挨拶』の熟練度があがりました」
「まじかよ……こんな短時間で熟練度が上がるなんて……もしかしてオレ、挨拶の才能があるのか……」
ユウキはさらに挨拶に励んだ。
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」
「『挨拶』の熟練度があがりました」
「またお越しくださいませー」
「またお越しくださいませー」
「またお越しくださいませー」
「『挨拶』の熟練度があがりました」
*
ランチ営業後、ユウキはふと外の空気を吸うために星歌亭の外に出た。
「ふう……」
星歌亭の周りには秋の草花が咲き、昼下がりの空は雲ひとつなく晴れていた。
爽やかな空気が気持ちいい。
「はあ……ちょっと散歩でもしてくるか」
と、ちょうどそのとき、ひとりのエルフ女性が門をくぐってくるのが見えた。
そういえばエルフ女性を見るのはこれが初めてかもしれない。
めちゃくちゃ美しく魅力的である。
旅装の厚いマントを羽織っており、表情は険しく疲れが浮かんでいるようだが。
それはそれとしてユウキはとっさにスキル『挨拶』を発動した。
「ありがとうございましたー」
「えっ?」
「あっ、間違えた。またお越しくださいませー」
「なっ、何?」
「なんだっけ?」
「何がよ」
「挨拶……」
「挨拶ですって?」
「ああ。こんなときどんな挨拶すればいいか、わからなくなってしまった」
「私も……わからないわ。あなたが何者なのか。深淵を見通す私の目にも読めない。でも……今は危急のとき。私の邪魔をするなら、何人であろうと……」
エルフ女性はマントをはだけると腰のレイピアに手をかけた。
「そうか、こんにちは、か」
「…………」
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
正しい挨拶を見つけたユウキは達成感を得つつエルフ女性とすれ違い、門の外に出た。
「…………」
しばらく歩いて、ふと気になって振り返ると、星歌亭の入り口でエルフ女性も足を止めてこちらを見ていた。
遠くから目が合った。
青い宝玉に飾られた彼女の額のサークレットが陽の光を浴びてきらめいている。
「…………」
エルフ女性が踵を返して星歌亭に姿を消すまで、ユウキは彼女を見守っていた。
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