二章 再びソーラルへ
第1話 アクティブライフ
早朝、ソーラルの噴水広場に久しぶりに来たユウキは『顔上げ』の練習を始めた。
数日前は一秒も顔を上げることができなかったが、今日はスキルシステムが回復している上、気力最大値も大幅に向上している。
そのため、かつてない容易さで『顔上げ』をすることができた。
わずかではあるが精神的な余裕があるためか、前よりも高い解像度で周囲を認識できる感がある。
「…………」
噴水広場は曇り模様である。
少し肌寒い空気の下を、朝の散歩の者が歩いている。
手にしたマグカップに噴水の水を汲んで飲んでいる者もいる。
目の前の喫茶店では従業員がテラス席の準備を始めた。
喫茶店と宿屋の隙間ではルフローンがゴザに包まって寝ている。
そんな噴水広場の中でユウキは『顔上げ』の練習を続ける。
どこかから焼けたパンの香りを嗅ぎながら。
曇ってしっとりと落ち着いた空気をゆったりと呼吸しながら。
気力が半減するまでこのまま……。
だが不思議なことに、いつまで経っても気力が減る予兆は無かった。
「どういうことだ? これは」
ナビ音声が答えた。
「これまでユウキが獲得したスキルが、適切に組み合わされて自動発動し、気力を回復させ続けているのです」
「まじかよ……つまり……慣れたスキルは、わざわざ意識的に発動しなくていいってことか?」
「そうです。ただし、当然のことですが、このさき新しく覚えるスキルはしばらく意識的に発動して練習する必要があります」
「わかった」
「また、人格テンプレートの切り替えや、『無心』の発動などは、この先も意識的に行う必要があるでしょう」
「なるほど。それはそれでいいかもしれん。人格が勝手に切り替わったら嫌だしな」
その調子でユウキはナビ音声からスキルシステムについて解説を受けた。
ナビ音声は言った。
「すでに習得し、潜在意識に統合されているスキルも、意識的に発動して練習を繰り返すことで、その効果を進化、拡張させることが可能です」
「たとえば?」
「スキル『深呼吸』の練習をおすすめします。このスキルは今、自動発動されユウキの気力を回復し続けていますが、まだまだ伸びしろがあります」
『深呼吸』はユウキ的にも好きなスキルのひとつだ。これまでに何度も助けてもらったし、あらゆるシチュエーションに適応できる汎用性がある。
練習でその効果を拡張できるとなれば、大いにやってみたいところである。
「寝る前にでも練習してみるか……」
ユウキは忘れないようスマホのリマインダーに、『深呼吸の練習』とメモし、ベッドに入るころにアラームが鳴るようセットした。
「さて……」
ユウキは再びぐるりと噴水広場を見回してみた。
緊張しつつも、やはり気力は減らない。
もしかしたら『顔上げ』はある程度、マスターできたと考えてもいいのかもしれない。
一人で広場に来て顔を上げるという、ユウキなりの挑戦をクリアしたことで、魂力もそこそこチャージされたのを感じる。
「よし、今日はこの程度にしておくか」
噴水の縁から立ち上がったユウキは屋台で焼き肉の串を買った。
それを建物の隙間で寝ているストリート・チルドレンに与える。
それから『大穴』に向う。
生活費を稼ぐために。
*
『大穴』の現場でラチネッタの班に加わり、昼まで軽作業をしてお金を稼いだ。
塔では現在、四名の人間が暮らしている。食費以外にも何かと必要なものがあるのだ。
久しぶりに会ったハーフエルフの冒険者などと世間話しつつ、大穴の迷宮一層でアイテム集めの軽作業バイトをした。
『大穴』でのバイトのあとには星歌亭に向かい、ランチ営業の手伝いをした。
前回、手伝ったときより客が多い。
ここ数日、ラチネッタもここでゾンゲイルの手伝いをしていたらしい。
給食当番のようにほっかむりとマスクで猫耳と髭を隠したラチネッタと共に、ユウキは忙しく食器の上げ下げを繰り返した。
三時にランチ営業が終わった。
ゾンゲイルの作ったまかないを食べ、それから塔に戻ってブログ執筆を始めた。
今日は二つの記事をアップできた。
その後、自室で音楽を聴きながらマンガを読んでいると、夕暮れごろに巨大カエルが塔に迎えに来た。
「ケロケロ」
「オレ、もう足は治ってるぞ」
「ケロケロ」
「わかった」
今日もユウキは巨大カエルにくわえられて迷いの森の奥の沼地に向かった。
迷いの森の精霊がその気配を近づかせてきた。
彼女はユウキに自然エネルギーを送り終えると言った。
「よし。最後の仕上げが終わったぞ。これでそなたを怪我させた件は取り消しじゃ」
どうやらここ数日、ひたすら自然エネルギーを送って回復してくれたのは、ユウキへの罪滅ぼしという意味があったらしい。
迷いの森の精霊の、意外な律儀さを感じる。
ユウキはその律儀さに答えたくなった。
「それじゃ……前に約束した通り、次はオレがひとりで遊びに来るぞ、この森に」
「ほ、本当か? いつ来てくれるのか?」
「ええと……平日は忙しいから週末かな」
「週末?」
迷いの森の精霊は、週の概念を知らないようだった。ユウキはそれを説明し、スマホのカレンダーに予定を記入してから、巨大カエルにくわえられて塔に帰った。
塔で巨大カエルの粘液を拭きとってから、再びソーラルに向かう。
ポータルをくぐり、電車に運ばれ、迷宮二層のエレベータを使って星歌亭の物置に出る。
若主人に、今夜はスマホを使ってのライブが可能であることを伝える。
「それは助かる。ここ数日、ゾンゲイル君だけで歌ってもらっていて、十分に好評だったのだが、君のその機械から出る音があればお客はもっと喜ぶだろう」
客が集まり始めている星歌亭のステージに、若主人は拡声箱をセットした。
前回のライブは異様なまでに盛り上がりすぎたので、今回はもう少ししっとりと落ち着いたライブになるよう、ユウキは自作の曲を軽く調整した。
鬱タイムで塔にひきこもっているとき読んだ音楽制作の電子書籍を参考にして、しっとりと落ち着いた空気感が出るよう、『君のおかげ』のカラオケをいじっていく。
各トラックにEQをかけて周波数バランスを調整し、音をマイルドな雰囲気に変える。
さらにサチュレーターなるエフェクトをかけ、『アナログな温かみ』なるものを全体的に付加してみる。
そういった細かい調整が功を奏したのか、今回のライブは高揚感とくつろいだ雰囲気が同居した、ユウキ的に満足できるものとなった。
ライブ後、赤ローブの魔術師、ラゾナがカウンターの中から話しかけてきた。
「今回もよかったわよ」
「ど、どうも」
「お酒飲む? お客が増えてきたからね、私、ここで正式に働いてるのよ。自作ハーブを漬け込んだお酒がおすすめよ」
「あ、ああ。飲むよ」
「魔力を高める系と、肉体を活性化する系、どっちがいい?」
「うーん。肉体の方かな」
漢方的な香りのするカクテルが出てきた。胃腸に効きそうな味がする。飲み過ぎないよう気をつけてちびちび杯を傾けているとラゾナがユウキの耳元に囁いた。
「ところで……この前、私が頼んだこと、覚えてる?」
「ん、なんだっけ」
「『魔力を回復するのを手伝って』ってお願い。この本に書かれていることを実践してみたいの」
ラゾナは魔術書をカウンターの奥から取り出すとユウキに見せた。
前回、その本のタイトルを見た時は、何かの見間違いかと思ったものだが、見間違いでもなんでもなかった。
その魔術書には『性魔術の奥義』なるタイトルが表記されていた。
どうやらラゾナはユウキとともに本気で『性魔術』なるものをやってみようとしているらしい。
「まじかよ……いや……」
一瞬、ユウキは鼻白んだものの、すぐに落ち着きを取り戻した。
ここ数日、シオンに性エネルギーを送り、それによって塔に魔力をチャージするという自分の活動を思い出したからだ。
そう、あれこそがおそらく性魔術というものであろう。
そう……魔術師はあらゆるエネルギーを魔力に変換できるのだ。性エネルギーを魔力に変換するなど簡単かつ日常的な仕事なのだ。それを手伝うことなどたやすい。
「いいぞ。やるか」
「えっ? ほんとに? いいの?」
「ああ。ここ数日、毎日のようにやってるからな」
「凄い……私、したことないの」
「簡単だぞ。オレが教えてやる」
「そういうことなら心強いわ」
「いつやる?」
「今度の週末ぐらいに……どう?」
ユウキは迷いの森の精霊との約束と被らないよう気をつけて、スマホに予定を記入した。
それからゾンゲイル、ラチネッタとともに塔に帰還し、夜の戦闘をこなした。
今夜の敵は、『生ける死者』三体、『死してなお動く野犬』二匹、さらに『骸骨兵』一体だった。
戦闘に向かうシオンにユウキは聞いた。
「骸骨兵? なんだそりゃ」
「闇の尖兵として戦った古の兵隊の骨が、闇の眷属の波動にあてられて再び動き出したものだね」
「強いのか?」
「防御力、機動力、共に低いよ。だけど盾と剣を持ってるからその点には注意しないとね」
戦闘員は塔の外に出ていった。ユウキは司令室から戦闘を指揮した。
ゾンビ、犬は昨夜と同様の戦法で除去できた。
骸骨兵にはゾンゲイルの鎌が振るわれた。
一撃目で骸骨兵の持つ錆びた剣が弾き飛ばされた。
二撃目で朽ちかけている木製の盾が壊された。
三撃目で腰骨がカットされ、骸骨兵はバラバラに砕け散った。
その後、皆で夕食を摂った。
ユウキはそれから風呂に入り、そして自室のベッドに潜った。
深夜、枕元に置いていたスマホがアラームを鳴らした。
「ん?」
見ると、『深呼吸の練習』というリマインダーが表示されている。
やるべきことを思い出したユウキは、眠りに落ちるまで深い呼吸を繰り返した。
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