第5話 ユウキの願い

 なんとなくいい雰囲気で一夜明けた。


 だが危機が去ったわけではない。


 塔のコンディションは依然として最悪だった。今日、明日中にも倒壊しておかしくない。


 そんな切迫した状況の中、ユウキはベッドでごろごろしながらスマホをいじり続けた。


「…………」


 疲れが抜けない。


 気分は鬱々としており、スキルも使えず、足も折れてて満足に歩けない。


 まともにできることと言えばスマホいじりぐらいである。


 だがこのスマホいじりによって、わずかではあるものの魂力がチャージされ、塔の倒壊が先延ばしにされている。


 なぜなのか。


 ユウキ的にも不思議である。


 だがとにかく、スマホいじりで魂力が回復しているという現実がある。


 ということは、とにかく今このとき、オレの魂はスマホいじりを望んでいるということなのだろう。


 今オレは心の底からスマホをいじりたいということなのだろう。


「…………」


 というわけで朝も早くから、ユウキは四階ゲストルームのベッドでスマホをいじり続けていた。


 いじいじ。


 いじいじ。


「…………」


 だがしばらくすると、昨夜、七階でダウンロードしてきたコンテンツがすべて消費されてしまった。


 もう見るものがない。


 早く無線LANの電波の届くところに行かなければ。


 だが七階は遠いし冷える。


 できればこのゲストルームに無線LANの電波を届かせたい。そしてこのベッドの中でぬくぬくとネットを見たい。


 だが、どうやって?


 どうすれば無線LANの電波をこの部屋に届けられるのか。


 オレの部屋にある無線ルーターは超小型なので、五センチのポータルをくぐりぬけられそうである。


 だがそのルーターはオレの部屋の奥まったところに設置されている。しかも様々なケーブルが複雑に絡まっている。


 針金などでは引っ張り出せそうにない。


 何か小型の高機能作業用ロボットのようなものを送り出せば、もしかしたら引っ張り出せるかもしれないが、そんなものはどこにもない。


「……うーん」


 悩んでいると、ゾンゲイルの美しい街訪問用ボディがゲストルームにやってきた。


「朝のごはん。できた」


 ユウキはゾンゲイルに肩を借りて二階の食堂に向かった。


 食堂にはすでにラチネッタ、アトーレ、シオンがいた。


 ユウキがテーブルに着くと皆、朝食を食べ始めた。


 パンと山盛りのサラダ、新鮮なフルーツ、チーズ風の何か、バター風の何か、何かの卵料理、魔コーヒーのポットなどがテーブルに載っている。


 どうも先日の戦闘後からスキルだけでなくナビ音声も働かないため、よくわからない食品の詳細については実際に食べてみて判別するしかない。


 ユウキはチーズ風の何かとパンを口に運んだ。


「どう?」


「……うまい」


 母が成城石井で買ってくるチーズ以上の芳醇なコクを感じる。


「魔コーヒー、沢山飲んで」


 ゾンゲイルはユウキのカップに魔コーヒーをなみなみと注いだ。昨日、ソーラルから買ってきたものらしい。


 芳しい香りの湯気がユウキの鼻をくすぐる。


「ユウキさん、好きですものね。魔コーヒー」


 そう言うアトーレは昨日から鎧無しの剥き身である。見たところ傷ひとつついていない。


「その……治ったのか?」


「ええ。でもまた暗黒が少なくなってしまいました。……また今度、暗黒の補給、手伝ってもらえますか?」


 アトーレはうっすら頬を赤らめてそう言った。


 ユウキに強い緊張が走った。


 と、そのときラチネッタがのんきな声を発した。


「いやー、ゾンさんのこんな美味しい料理を食べさせてもらって、なんだか悪いべ」


「ふふっ。この塔がまだ健在なのは君たちのおかげだよ。好きなだけ食べてほしい」


 シオンはそんなことを言っているが、塔の財政状況はカツカツのはずである。


 このフルーツとか、高そうだが大丈夫なのか。


 まあ、この朝食が最後の宴になる可能性も高いからな。倹約してもしかたないのかもしれない。


「ありがたくいたたくべ!」


 ラチネッタは獣性を見せ、ガツガツとフルーツを貪りはじめた。


 アトーレは上品にパンを口元に運んでいる。


 シオンも魔コーヒーを飲み、チーズを口にしている。


 おかしい。


 シオンは高レベルの魔術師ということで、飲み食いなどという低レベルなことから解放されているはずだったが。


 そう言えば昨夜も夕食を食べていたな。


 何かシオンの中に変化が生じているのかもしれない。


 だがユウキはその変化について『質問』することはできなかった。


 なぜなら、いまだスキルシステムはダウンしていたし、恐るべきことに今この食卓で、状態異常『会食恐怖』が生じつつあったからである。


 給仕を終えたゾンゲイルはユウキの隣に座って食事をつまみはじめた。食堂には賑やかな朝の活気が満ちていた。

 

「…………」


 しかし『会食恐怖』によって、ユウキの食事の動作は一秒ごとにギクシャクしていった。


 顔は青ざめ、冷や汗が全身に滲みはじめる。全身を不穏なオーラが包んでいく。


「ユウキ……どうしたの?」


「具合悪いんだべか?」


「ユウキさん……顔が青いです」


 皆が心配そうな顔でユウキを覗きこんだ。


 だがそれによってさらにユウキの『会食恐怖』はブーストされた。


『会食恐怖』が初めて発現したのは中学の給食ときだった。ある日の給食中、ふとユウキは向かいの女子の視線を感じた。


 そのときだった。


 ユウキは自分の食事の仕方にどこかおかしいところがあるのかもしれないという不安を感じた。


 その不安を消そうとして、ユウキは自分の食事の仕方を、おかしくないものに修正しようとした。


 スプーンの動かし方や椀の持ち方の角度に気をつけた。


 だがそのようなことに気を使うことで、ユウキの自意識は不健全に過剰化していった。


 食事中の回りの目が気になる。スプーンの動かし方、箸の動かし方、顎の動かし方、すべてが気になる。


 気になることを意識することで、気になることがより強く気になっていく。


 そんな自意識のフィードバックループによって、ユウキの脳はおかしくなり、食事動作はギクシャクしていった。


 今もゾンゲイル、シオン、ラチネッタ、アトーレに見つめられ、青顔でスプーンを動かすユウキの食事動作は異様なまでにギクシャクしていた。


 こうなるともうダメだ。


 一度この状態異常が発現すると、本来であれば楽しいはずの食事の時間が一秒ごとに倍々に居心地が悪くなっていく。


 しかもこの居心地の悪さは周囲に伝染していく。


 オレがひとりこの場にいるだけで、場の全体がギクシャクとしたいたたまれないフィールドと化していくのだ。


 実家でもよくこの会食恐怖が生じることがあった。


 そんなときユウキはとにかく急いで食事を終え、可及的速やかに自室にこもった。


 そう……異様な雰囲気を発しているオレがこの場にいると、皆に迷惑がかかってしまう。


 だから……。


 ユウキはスプーンを置いた。


 そして腰を浮かした。

 

 ……早く部屋に帰ろう。


 ……そしてもうベッドに潜ろう。


 だが……。


 何かがユウキをこの場にひきとめた。


 それは『やりたいこと』のシグナルだった。


 そうだった……。


 オレにはやりたいことがあった。


 どうしてもオレにはやりたいことがあるのだ。


 それを忘れて、このままおめおめと自室に戻るわけにはいかない。


 ユウキはもう一度、椅子に座り直すと口を開いた。


「……シオン」


「な、なんだい?」


 視線が合うことを恐れて目を伏せつつも、聞きたいことを聞く。


「教えてくれ」


「な、何をだい?」


「今、オレには……どうしてもやりたいことがあるんだ……その方法を……教えてくれ!」


「そ、そうか、ナンパだね! またナンパする気になったんだね!」


「いや、ナンパはまだ無理だ」


 もしかしたら一生、無理かもしれない。


 広場も会食も怖い。


 そんなオレがなぜナンパなどという偉業をなせるというのだろう。無理だ。


「…………」


 だがオレにはやりたいことがあるんだ!


「そう……オレは……オレは……どうしても自室に無線LANを引きたいんだ! 頼むシオン! そのための方法を教えてくれ!」


 *


 食後、ラチネッタとアトーレはソーラルに向かった。


 ラチネッタは大穴で仕事をしてくるそうだ。


 暗黒鎧に身を包んだアトーレは、ハイラルの暗黒評議会に今回の件を報告してくるとのことだった。


 一方、塔に残ったシオン、ゾンゲイル、そしてユウキは塔の一階広場に向かっていた。


「…………」


 しばらく螺旋階段を降りると様々なガラクタや鎌や農耕具が放置されている一階の作業場に辿り着いた。

 

 作業場の真ん中には祭壇が置かれており、その脇にゾンゲイルの家事用ボディが転がっていた。


 そのゾンビ・ガーゴイル状のボディは先日の戦闘によってボロボロになっていた。


 表面が黒く煤けている。


 また恐るべきことに、手足がバラバラになっている。


 ユウキはうめいた。


「うっ……大丈夫なのか、これ……」


「平気。痛くないから」美しい街訪問用ボディのゾンゲイルは、自分の家事用ボディを見下ろしながらそう言った。


「ふふっ。この家事用ボディは今、修理中なんだ」


 シオンは家事用ボディの腕を床から拾い上げるとユウキに見せた。


 その断面は生肉状である。


 と、いきなりその生肉がぴくぴくとうごめいた。


 ユウキは思わずあとずさった。ゾンゲイルの柔らかな胸に背が当たった。


 シオンは生肉を見せびらかしながら言った。


「ふふっ。ゾンゲイル家事用ボディの関節部は、闇の魔法によって生み出された万能肉によってできるてるんだよ。この肉は高機能でね」


 自在に成形でき、かつゾンゲイルの意思によって自在に動かせるという。


 だがその肉が、自室に無線LANの電波を届かせるというオレの夢にどう関係してくるというのか?


「ふふっ。僕に任せて」


「私も手伝う」


 シオンは祭壇に置かれていたノミを手にした。ゾンゲイルは自分の家事用ボディのパーツを祭壇に置いた。


 シオンは手にしたノミで、家事用ボディの関節部から幾ばくかの万能肉を切り出しはじめた。


「い、いったい何を……?」


「ふふっ。この万能肉を使って、作るんだよ! 五センチのポータルをくぐることのできるゾンゲイル・ミニボディをね!」


 シオンはゾンゲイルと協力しながら、祭壇の上に小さな人型の肉塊を作り上げていった。

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