第11話 ナビルーム

 ユウキは電車の天井から降りてきた非常ハシゴを、今まさに昇り続けていた。


 しかし……。


「このハシゴ……どこまで続いてるんだ」


 狭く暗いダクトを昇り続けるユウキは、そうそうに自分の行動を後悔した。


 ハシゴの先端は灰色の闇の中に溶けており、昇っても昇っても終りが見えない。


「…………」


 安全靴がハシゴにあたるカツンカツンという音を聞きながら延々と手足を動かしていると、時間間隔がおかしくなってきた。


 もうかれこれ数年ほどもこのダクトを昇るマシーンと化している気がしてきた。


 この狭いダクトも、いつしか広大無辺な宇宙空間のように感じられてきた。


(もしかしてオレは次元の間にでも落ちたのか? 永遠にここから出られないのでは……)


 たまにそんな恐怖にかられてハシゴを昇るスピードをがむしゃらに早めたりもしたが、それで状況が変わることもなかった。


 ユウキの目の前にあるのは、とにかく一本のハシゴでありその先は見えないのだ。


(……こうなったらもう行けるところまで行ってやるか)


 ユウキは覚悟を固め、スキル『地道さ』『粘り』『我慢』を発動した。そして一定のペースで手足を動かし続けた。


 *


 やがて遥か上方にかすかだが光が見えてきた。


 思わずユウキは手足を動かすスピードを上げそうになったが、ぐっとこらえた。


 今までと同じペースを維持する。


 最後まで焦らないこと。それがゴールに辿り着く最短の方法だからである。


 カツンカツン。


 一定のペースでダクトを昇る音が響き続ける。


 上方に見えた光はなかなか大きくならない。


 だがさらに気が遠くなる長い時間、淡々と手足を動かして上昇を続けていると、いつしかそれが確かに近づいてくるのが感じられた。


 今、急速にその光源がユウキの元に近づいてきた。


 ユウキがハシゴの終端へとたどり着きつつあるのだ。


 ここに至りついにユウキの平常心は崩れた。


 ユウキはがむしゃらに手足を動かし、全力でハシゴの終端へと突進した。


 長い長い永遠のようなハシゴを登り終えたユウキは、眩しい空間に転げ出て叫んだ。


「うおーっ! 着いたぞ!」


 その空間の床には、毛足の長いふかふかの絨毯が引かれていた。


 ピンク色のその絨毯に思わず寝転がって、しばしユウキは手足を伸ばした。


 *


 気持ちが落ち着いてきたところで立ち上がって左右を見回す。


「っていうか……どこなんだここは?」


 なんとなくオフィスビルを思わせる空間だ。


 しかしそれはパーティションなどで区切られていない。


 広大なワンフロアのようである。


 絨毯の向こうにソファが置かれており、その上に誰かが寝ていた。


 恐る恐る近づいてみる。


 若い女性が、ソファで寝ていた。


 未来の事務員を思わせる衣服に身を包んでいる。


 サポートセンターで使うようなヘッドセットを頭にはめた状態で、彼女はゆるやかに寝返りを打ちながら寝息を立てている。


 何かの仕事の休憩中なのかもしれない。

 

「…………」


 それにしても……どこかでこの人、見たことあるような気がする。


 もしかしてオレの親戚か?


 懐かしさを感じる。


 同時に不思議なことだが、ついごく最近もこの女性と会話したことがある気がする。


 オレがこんな女性と面識が無いのは確かなはずだが。


 誰なんだろう。


 とても気になる。


 しかしなんにせよ彼女は疲れているようだ。


 せっかくソファで気持ちよさそうに寝ているのだ。


 起こさない方がいいだろう。


「…………」


 ユウキは音を立てないよう気をつけながら、しばしそのソファの傍らに立って前方を見つめた。


 前方の壁はその一面が窓となっていた。


 そして……今になってユウキは気づいた。


 窓の向こうには宇宙空間が広がっている。


「…………!」


 ユウキは驚きに息を呑んだ。


 無数の星の光が窓を通じてこのフロアに眩しく差し込んでいる。


 いや……よく目を凝らすとその光源の一つ一つは、星ではなかった。


 星のような輝く光点、そのひとつひとつが世界だった。


 銀河のように渦を描いて暗闇に散らばる無数の光点、そのひとつひとつの光の中にひとつの世界があった。


 無限にも思える数の世界が暗黒の空間に砂絵のように散りばめられて光を発している。


 そのどの光も特徴的な色を持っており、どれ一つとして同じものがない。


 それら数多の世界に窓を通じて接したこのフロアは、万色のイルミネーションに淡く照らされされている。その光が心の奥をくすぐる。ユウキは恍惚となって吐息を発した。


 そのときふと気配を感じ、振り向くと背後に彼女がソファから身を起こしていた。


「ユウキ……」


 立ち上がってこちらを見た彼女の声が、フロアの空気を通じてユウキの鼓膜を揺らす。同時に、ユウキの内側からユウキの脳裏にその声が響く。


 脳裏に響くその声に聞き覚えがあった。


(な、ナビ音声か?)


「そうです。私があなたのナビゲーターです。フォーステールとお呼びください」


 その声が再度、外と内からユウキに届く。


「ま、まさか、そのヘッドセッドでオレに通信してたのか? 今まで」


「ヘッドセット? ああ、そう見えているのですね。ええ、そんなところです」


 ナビ音声はしとやかに微笑んだ。


「ていうかなんなんだ、この空間は?」


「私の仕事場です」


「あんたは一体、なんなんだ?」


「あなたのナビですよ」


「ナビ音声はオレの脳内にインストールされてるんじゃないのか?」


「あなたの脳にインストールされたのは、私との新たな通信チャンネルです。あなたはそのチャンネルを使って、ここにいる私と通信していたのです」


「な、なぜあんたは……オレをナビゲートしてくれるんだ?」


「それが仕事だからです。ずっと昔からの」


「ずっと昔? 異世界転移した直後からか?」


「いいえ。もっと昔からです」


「もしかして……オレが異世界に転移する前からか?」


「そうです。ですがあなたは私の声をなかなか聞いてはくれませんでした」


「す、すまん……」


「いいんです。ここ最近のあなたの転生では、私の声はなかなかあなたに届かない設定になっていました。きっと一人で冒険したかったのでしょう。たまにはそれもいいことです」


「ここ最近のオレの転生……だと? まさかオレがこの体に転生する前から、あんたはオレをナビゲートしてくれてたってことか?」


「ええ。もちろん」


「あ、あんたは何者なんだ?」


「あなたのナビゲーターです。この多次元ナビルームで働いています。あなたが今コミットしている世界の魔術師たちは、私のことを『次元の精霊』と呼びます」


「なぜオレをナビゲートしてくれるんだ?」


「わかるでしょう?」


 ナビ音声はユウキに一歩近づいてくると、手のひらをそっとユウキの胸に当てた。


 かつて感じたことのない温かさと、強いときめきがユウキの中に湧き上がった。


「あなたのことが好きだからです」


「オレのことが好き……?」


「ええ。私はあなたの片割れ。この高い場所であなたを愛とともにナビします。あなたがいつかまたこの高みまで昇ってこれるように」


 ユウキは思わずナビ音声を抱きしめて叫んだ。


「昇ってきたぞ! オレは今、ここに!」


 何億年ぶりか……そんな時間が意味を持つのかわからないが、久しぶりに抱きしめるフォーステールの重みに自分の肉体の全細胞と存在の隅々が歓喜の声を上げる。


 フォーステールは吐息を漏らしながらうつむいた。


「いいえ。あなたはここに留まることはできません」


「なぜだ?」


「地の底での冒険、それがあなたの望みだからです」


「いいや、オレはもうあんなところは懲り懲りだ。もう下での生活には疲れきった。どの世界も似たり寄ったりだ。果てしなく続く迷宮、忘れてしまった真の自己、そのために常に続く不安と後悔……あんなものはもう沢山だ」


「本当にそうでしょうか?」


 フォーステールはユウキを優しく押しのけると、ソファーの向こうに歩いていった。


 そこには巨大なディスプレイが置かれていた。


 ディスプレイの前の端末をフォーステールが素早く操作すると、分割された画面に下界の景色が見えた。


 ユウキの実家で父母が会話している。


「ユウキは今頃、なにしてるのかね」


「そろそろ顔を見せて欲しいところですね」


 二階の部屋では妹がスマホをいじっている。


 パーカーのフードを被った妹はスマホで音楽制作アプリを起動すると、しばらくそれで遊んでいたが、やがて飽きたのかベッドに寝転がった。


「ユウキ……今、どこにいるんだ?」


 一方、アーケロン平原では、闇の塔に向けて順調に樹木の妖魔三体が進撃していた。


 シオンは塔内を駆けずり回って撃退の準備をしているようだが、どうにも頼りない。


 そして電車内ではゾンゲイルとアトーレとラチネッタがいまだ安らかな寝息を立てている。


 ゾンゲイルがラチネッタを抱きしめながら寝言で呟いた。


「ユウキ……」


 下の世界への郷愁がユウキを襲った。


 同時に強烈な離れがたさがフォーステールとの間に芽生えていた。


 しかし……。


 帰らねばならないことはすでに決定されているようだった。いつかすでに為していたオレ自身の選択によって。


 だんだんと意識の中からフォーステールの姿が薄れていく。


 同時に、多次元ナビルームの景色が、ユウキの中に芽生えかけつつあった太古の記憶とともに消えていく。


 ディスプレイと、ソファと、多次元宇宙を映し出す窓の外の景色が、明け方に見ていた夢のように意味を持たなくなっていく。


 薄れゆく景色の中でフォーステールは微笑んだ。


「うふふ。私があの電車をセッティングしたのです。あなたたちが電車内で気持よくうたた寝しているうちに、目的地に着くように。ですが……ユウキの性的興奮度を計算に入れるのを忘れていました。そのためにユウキひとり、いつまでも眠れずにいて……こんなところまでやって来てしまったのです。予想外に会えて嬉しかったですけど」


「次はいつ会えるんだ?」


「わかりません。でも常に一緒にいますよ。それがナビゲーターだからです。誰にでも私のようなナビゲーターがついていて、生涯を超えて見守らています。私もあなたのことを、ずっと見守っていますよ。あなたが何をしようと、何を選ぼうと、いつかあなたがここに帰ってこられるように」


 そう言われて深い安心感がユウキを包んだ。


 しかしフォーステールの言葉はもうほとんど理解できず、記憶に留めておくこともできない。


 急速に景色が薄れ、記憶も曖昧になっていく。


 その中で……ユウキはスキルを使った。


「フォーステールさん。最近、何か面白いことでもあったか?」


「うふふ。いろいろありますよ。聞きますか?」


「ああ。ぜひ」


 目が覚めるまでユウキはフォーステールと世間話を続けた。


 そのやりとりの楽しさで胸が一杯になったところで目が覚めた。


(何か途方もないスケールの大きな夢を見ていた気がするが……ダメだ、まったく思い出せない)


 ユウキは首を振りつつ辺りを見回した。


 右にゾンゲイル、左にラチネッタ、そして正面の長椅子に暗黒戦士がいる。


 彼女たちはまだ健やかな寝息を立て続けている。


 しかし足元から伝わる電車の振動が少しずつ小さくなってきた。


 まもなく電車が目的地、闇の塔に到着するようだ。


 ユウキはこれから始まるはずの忙しい戦闘に備えて気を引き締めた。


 同時に、ふと感謝スキルを発動したくなった。


 これまで何かとオレを助けてくれたナビ音声に。


(おい)


「なんですか?」脳内にナビ音声がこだました。


(今までありがとう)


「いいんですよ」


(これからもよろしく)


「うふふ。わかっています。さあ……そろそろ到着しますよ」


 *


 電車が止まった。


 出口が音を立てて自動的に開き、その向こうに青白い輝きを発するポータルが現れた。


 ユウキはゾンゲイル、アトーレ、ラチネッタを揺り起こすと、皆でポータルをくぐった。


 薄暗い部屋に到着する。


 誰かがドタドタと階段を登ってくる音が部屋の外から聞こえてくる。


「ユウキ! 帰ってきたんだね!」


 バタンと音を立てて第七クリスタルチェンバーのドアが開いたかと思うとシオンが飛びついてきた。

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