第9話 資格審査
エグゼドスと名乗った少年はシオンより遥かに精悍かつどっしりとした貫禄が感じられた。
「え、エグゼドスだと? 何言ってんだ、そいつは大昔の人間だろ」
「まあな。実際、その壁のレリーフも大昔の出来事を描いている」
彼は大伽藍の壁のレリーフを見上げ、独り言のように呟いた。
「千年前、俺と六人の仲間は邪神と戦った……それがあまりに美しい光景だったから、俺は後日、『芸術』スキルを高めてこのレリーフに彫り込んだんだ」
ユウキはさまざまな疑問を忘れて一緒にレリーフを見上げた。
「……綺麗だな」ついそんな感想が口をついて出る。
隣に並ぶ少年は深くうなずいた。
「だろ……あまりにデフォルメが過ぎるってことで、あいつらには不評だったがな」
「ふーん……」
ユウキはエグゼドスと名乗る少年の傍ら、しばしレリーフ鑑賞に没頭した。
感想が漏れる。
「オレはこの猫人間のレリーフが好きだな。ほっかむりをした妖艶な猫人間のレリーフ……コピーして自宅に飾りたいぐらいだ」
「そいつはミカリオン……お前の連れの先祖だ。指輪と『素早さの頭巾』によって身を隠し、背後から『闇の女神』に致命の一撃を与えようとしているところだ」
「ふーん。他の絵も……みんな、あんたの仲間なのか?」
「ああ。ある者はまだ生きている。ある者はこの世界に新たな体で輪廻し、またある者は他の世界に転生している」
「そう言うあんたは? ……ていうか、あんた、エグゼドス? まじかよ」
「さっき名乗っただろう。何を驚いてる」
「そりゃ驚くさ。いたるところであんたの名前を聞くぞ。大昔の人なのに今でも凄い影響力だ」
「善かれ悪しかれ、俺がこの世界に残した傷跡は大きい。俺に端を発する歪みもいまだこの世界に木霊している」
「歪み?」
「たとえば暗黒戦士たちは世代を重ねて俺への妄執を練り上げている。どうすればいいのかは俺にはわからない……」
「あんたみたいな伝説的な存在でもわからないことがあるのか?」
「人間関係は常に悩みの種だ。すべての神秘はそこから始まる。だが、同時にそれは重石のようなものでもある」
「ふーん……」
ここでユウキは辺りを見回した。
視野の明度が半分ぐらいに落ちている。
大伽藍全体に偏光フィルターがかかっているようだ。
しかも視野の隅に映っているラチネッタは凍ったように動かない。あたふたとポータルを探す姿勢で固まっている。
ユウキはエグゼドスに聞いた。
「あのさ……オレ、もしかして何か魔法かけられてる?」
「ああ。俺は今、精神に作用する魔法によって、お前の心に直接、アクセスしている」
「なんのために?」
「俺の本体はすでに他の世界に転移している。俺は本体から切り離されてここに設置された門番、ゲートキーパーだ。その勤めを果たす」
「あ、あんた、エグゼドス本人じゃないのか?」
「残留思念のようなものだ。だが本体とのリンクは今もわずかに保たれている。本人も今のこの会話をモニタリングしている。そういう意味では本人と考えてもいいだろう」
「なるほど。わかった……で……資格? 調査? オレをテストしようっていうのか?」
急に緊張してきた。
ユウキは試験ごとが大の苦手だった。
試験になると本来の自分が持っているポテンシャルの三割も出せなくなってしまう。
あるいはその三割こそがユウキの本来の力ということなのかもしれないが……。
「ちょっと待ってくれ。心の準備が……」
「必要ない。俺の魔法の前では何も隠せないし、何も偽ることはできない」
どうやら、今まさに心を直接読まれて審査されているところらしい。
「せ、せめて審査基準を教えてくれ! 何の前触れもなく資格調査するなんて対策が立てられないだろう!」
「基準……それは俺もよくわからない……だから前もって教えることはできない」
「そんな適当な」
「何を持ってこの世界の利とするるか、この宇宙の利となるかは、事物の外見から判断することはできない。直感によって見極めなければならない。その判断をするために俺はここにゲートキーパーとして留まっている」
「……ああそうかよ、わかったよ!」突然の試験にさらされたユウキは破れかぶれになった。
流れのままに『質問』スキルを使う。
「ていうか、あんた、残留思念とはいえこんなところに一人でいて暇じゃないのか?」
「心的作業によってなすべきことは無限にある」
「本体は今どこで何してるんだ?」
「はるか昔、上方世界に転生した。以来、彼の地でより広大な視野を得るため意識の拡張に励んでいる」
「今、この世界がヤバいらしいぞ。ちょっと降りてきて助けてやれよ」
「それはできない。強すぎる力の介入はこの世界のバランスをより大きく崩壊させる」
ちょっと話のスケールが大きすぎる。ここでユウキはスキル『世間話』を使った。
「ところで最近、何か面白いことでもあったか?」
「冒険者のいない迷宮は閉鎖系であって、観察しても面白いものは何もない。閉鎖したのはかつての俺自身だが……」
「そうは言っても何かあるだろ?」
「そうだな。しばらく前に最下層の竜が、脱皮の際に地表に移動したようだ。気配がない」
「へー。面白いじゃないか」
ユウキはその竜のことや、その他、迷宮内のちょっとしたニュースをエグゼドスの残留思念に教えてもらった。
残留思念であるためか少年は感情に乏しく、受け答えに人工知能感があったが、だんだん和んできた感じがする。
ユウキは切り出した。
「じゃ……そろそろこの辺でポータルを使わせてもらうか。急いでるんだ」
「ポータルはこの『レリーフの間』の、隠し扉の裏にある」
エグゼドスは背後の壁を指さした。
「この壁の小さな穴に『塔主の指輪』を差し込め。そうすれば隠し扉が開き、奥にあるポータルが起動する」
「エレベーターはどこにあるんだ? それも使わせてもらいたいんだが」
「エレベーターはそこのカーテンの裏だ」
「ありがとう。それじゃあな」
ユウキは手を振った。
エグゼドスの残留思念はうなずいた。
同時にユウキの視野にかけられていた暗いフィルターが外れていく。
ユウキの視野が明るくなるにつれて、エグゼドスの残留思念の姿が薄れていく。
「よし、資格審査をスルーできたぞ……」
そう呟いた瞬間、また一気に視野が暗くなり、目の前にエグゼドスの残留思念が現れた。
「誤魔化すつもりか?」
「いや、なんとなく流れで……」
「今からお前の資格を調査する」
「やっぱりやるのかよ……」
「大切なことだ。このポータルは、行き先固定とはいえ次元ポータルだ。次元ポータルの使用権を得るとは、次元を超える無限の力に関与するということだ。宇宙のバランスを乱さぬために、今、俺がお前を審査する。無限を扱う資格がお前にあるのか」
「…………」
「聞くぞ。お前の最大の目的はなんだ? 三秒以内で答えろ。嘘を付いたらその時点で失格とみなしこの部屋から永久追放する」
「俺の望みだと? それはこのポータルを使って塔に戻って、この世界を守ることだ!」
「いいだろう。確かに嘘はついていない。だが俺が聞いているのはそのことではない。お前の、魂の、目的だ。三秒以内で答えろ。嘘を付いたらその時点で失格とみなし……」
もうダメだ。
ナンパなんて不真面目なことを答えたら絶対にこの審査を落とされる。
だがナンパ以外、特に生きる目的らしい目的はない。
それでいてナンパとかいう目的も、最近、怪しくなってきた。
本格的なナンパをする遥か手前から、自分の才能の無さが浮き彫りになっている。
しかも仮にいつかナンパに成功したところでそれは本当に成功と言えるのか。
余計な気苦労が増えるだけではないのか。
知らない他人と密接にコミュニケーションするということは実はとても恐ろしいことではないのか。
そんなことをオレは本当にやりたかったのか?
「ナンパです」
「ナンパ……?」
「オレの魂の目的はナンパだ。文句あるかよ」
「…………」
「せ、せめてラチネッタはエレベーターで街に送り返し、アトーレとゾンゲイルだけでも塔に送ってやってくれ……シオンがやばいんだ」
「説明してみろ。ナンパを」
「くそっ。ナンパ、それは街を歩いている異性に何の前触れもなく声をかけることだ」
「なんのために?」
「性行為をするためだ」
「なんのために?」
「そこに何か……素晴らしいものがある気がして……」
「素晴らしいものが手に入ったらどうする?」
「オレは満足するだろう」
「それは本当か?」
「いや……オレはもしかしたら満足できないかもしれない。手に入れた素晴らしいものにも、すぐに飽きてしまうかもしれない」
「飽きたらどうする?」
「オレはもっと素晴らしいものを手に入れようとするだろう」
「いつになったらお前は満足するのか?」
「オレは永遠に満足しないだろう」
「……なぜ?」
「自分を成長させ、素晴らしいものを手に入れる。広がり続けるそのプロセスが……楽しいからだ」
「なるほど……では最後に……お前のスキルを俺に見せてみろ。それを持って最終診断を下す」
「スキル? それはすでに見せてるぞ」
「なに?」
「さっきの『世間話』、なかなか楽しかったぞ……」
そう言うとユウキはため息をついた。ここで自分の旅が終わり、迷宮第二層に取り残されることを確信しながら。
「はあ……」
この後、オレはこの部屋を追い出され、恐怖と不安と後悔に苛まされながら第二層を彷徨うことになるのだろう。
そして当然のように迷子になり、恐るべき獣の死霊の餌食になるのだろう。
「あああ……」
選択肢を間違えてゲームオーバーになった気分だ。
がっくりとうなだれていると声がした。
「いいだろう。お前に今、次元の鍵を授けよう」
「は?」
顔を上げたユウキの眉間に、エグゼドスがそっと触れた。
瞬間、ユウキの脳内に眩しい火花が炸裂した。
ユウキは大きくのけぞると、脳の中心に咲くその火花をおそれとともに心の目で見つめた。
やがて……脳内の火花は何事もなかったかのように消えた。
「俺の承認が無ければその指輪は次元の鍵として機能しない。その承認を今、お前に与えた」
「…………」
「次元を旅するために必要な無限性へのレセプターを、お前の脳内において開放した。それとともに塔主の指輪も次元の鍵としての機能を得た」
おそるおそる目を開けると、ユウキの手元で塔主の指輪が淡く輝いていた。
「オレは……審査に合格したのか?」
「そのようだ。お前にある根深い欠乏感、満たされていない欲望、それは容易に邪神の波動と同調するだろう。その意味では危険性が高い」
「…………」
「一方でお前には無限への親和性がある。いつ終わるともしれない成長と拡張の旅、それが宇宙だ。お前にはその道を歩く資格がある」
「だが言っておくけどオレがやろうとしてるのはただのナンパだぞ!」
「手段はなんでもいい。自らの意識性を深め、広げるための行動は、すべて真の自己を発見するための道、ドラゴンズ・パスとなりえる」
「ドラゴンズ・パス……だと?」
ストリート・チルドレンからも同様の単語を聞いたことがあるが……。
「かつて俺は深宇宙ドラゴンを殺すことを夢見てその道を歩いた。そして道の果てに想像を超えた宝を俺は見出した。お前はお前が求めるものを求めその道を歩け」
「いいのかよ。本当に、ナンパなんかで……」
「やりたいことをやれ。運が良ければその道の果てに、お前の世界が救われることもあるだろう」
一瞬、エグゼドスの残留思念は笑顔を見せた。
それはこの世のすべてを見届けた上ですべてを忘れた老人の笑みのようでもあり、同時にまだこの世を何も知らない無垢な幼子のほほえみのようでもあった。
その笑顔をユウキに残して彼は前触れなく掻き消えた。
ユウキの視界を覆っていた薄暗いフィルターは消え、いつもの日常的な時間の流れが戻ってきた。
*
『レリーフの間』をうろつきまわっているラチネッタの声が聞こえる。
「ユウキさん! ポータルらしきものはまったく見当たらねえだぞ」
「ポータルはたぶん、そこの壁の奥だ……」
ユウキはさきほどエグゼドスの残留思念が教えてくれた壁を指さした。
とはいえさきほどの『資格審査』の記憶は急速に現実味を失っていった。まるで夢を見ていたようだ。
もしかしたらただの幻影……疲労とストレスにやられたオレの脳が生み出した幻覚だったのでは?
そんな疑いも生じたが……しかし、ユウキの右の人差し指では『塔主の指輪』が確かに、いまだ淡く輝いていた。
「ここに小さな穴が空いてるべ!」
壁に駆け寄ったラチネッタが叫んだ。
ユウキはラチネッタが見守る前で、『塔主の指輪』を壁の穴に差し込んだ。
瞬間、音もなく壁が左右に割れ、その奥からポータルがきらめきとともに姿を表した。
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