第3話 異世界軽作業 その2

 空き地の奥にポッカリと口を開けた巨大な地割れに、冒険者と労働者が次々と飲み込まれていく。


「おい、大丈夫なのか?」


「安心するべ。階段が付いてるだ」 


 確かに、地割れの内側には木製の階段が設置されていた。


 階段は頑丈そうで手すりも付いている。


 それは裂け目の岩壁に沿ってジグザグに折れ曲りながら、冒険者と作業員たちを地底に導いていった。


 しばらく階段を降り続けたユウキはふと上を見上げた。


 小さくなった裂け目の向こうに青空が広がっていた。あののどかな午前の空き地が、とても遠い世界に感じられる。


「かなりの距離を降りてきたな……」


「もうすぐ着くべ」


 前を歩く猫人間の言葉通り、間もなく階段は終わり、目の前に巨大な扉が現れた。


 とんでもなく背が高い。こんなどでかいドアは元の世界でも見たことがない。


「ここが大穴第一フロアの入り口だべ」


 入り口には警備員が配置されていた。


 部外者が勝手に出入りすることは無理そうだ。


 ここに来る前にエレベーターを見つけておいて、本当に良かった。


 安堵の溜息をつきつつユウキは人の流れに乗って入り口をくぐった。


 やがて冒険者と作業員が全員、第一フロアに入ると、巨大なドアは背後で閉じた。


 外の世界からのわずかに差し込んでいた日の光が完全に遮られた。


 地下迷宮の空気に飲まれ、一瞬、強い恐怖がユウキを襲った。だがしばらくして不思議と気持ちは落ち着いてきた。


 しかし何も見えない。


「おい、真っ暗だぞ」ユウキは前を歩いているはずの猫人間に手を伸ばした。


「ひゃっ。おらの体に触らないでけろ」


「そんなこと言ったって何も見えないんだから……」


 いや、急激に目が慣れてきた。


 壁で等間隔に並んだ松明が燃えている。


 それが眩しいぐらいの光を発し、作業員と冒険者に溢れた地底空間を照らしている。


「でも松明なんて、すぐに燃え尽きそうだな」


「あれは永久に燃える魔法の松明だべ。この魔法の灯りは、脳が慣れるまで始めての者にはなかなか見えないものだけど、ユウキさんはもう見えるだか?」


「ああ」


「おらが始めてここで働いたときは、小一時間は何も見えなかったもんだべ。ユウキさんは一瞬で見えるようになって、すごいべ。大穴への適性があるかもしれないべ」


「そうかな……」もしかしたら闇の塔で似たようなタイプの光を浴びていたため、目が慣れているというのはあるかもしれない。


「で、ここは?」


「大穴第一フロアの大広間だべ。ここから地下迷宮が東西南北、四方八方に広がってるべ」


「ふーん」


 ユウキは魔法の松明に照らされた大広間を見回した。


 大勢の作業員と冒険者がひしめいているが、天井が高いためそれほど圧迫感はない。


 床と壁はつるつるした大理石めいた材質で作られている。


 なんでこんな地底にこのような巨大構造物があるのか謎としか言いようがない。


 広間の中央から現場監督の声が上がった。


「これより奥は光の属性を持つ我々は入ることができません。いつも通り、班長が探索の指揮をとってください」


 監督や管理する側の人間は、実際の作業にはついて来ず、広間に留まるようだ。


 監督はテキパキと指示を出している。


「それでは第一班は北の通路に向かって、途中にある小部屋から宝箱を回収してください。第二班、第三班は……」


 依然として彼女の声は消え入りそうなほど小さいのだが、今はやけに明瞭にその指示が理解できる。


 不思議に思っていると猫人間、ラチネッタが解説してくれた。


「この迷宮の中、監督は光の魔法でおらたちを加護してるべ。その余波で、若干のテレパシーが監督とオラたちの間に効いてるべ」


 よくわからないが、とにかく指示が聞き取りやすくて便利である。


「オレたちは南東の通路だってよ」


「んだ。そろそろ行くべ」


 広間の壁に貼り付けられている目印を一瞥すると、猫人間は確かな足取りで班を先導していった。


 *


 しなやかな身のこなしで先の見えない通路を班長のラチネッタが歩いていく。


 何度もここで働いているだけあって勝手がわかってるようだ。


 壁に等間隔に並んでいる魔法の松明が、彼女の影を廊下に長く伸ばす。


 その後ろを冒険者とユウキたち作業員がついていく。


「…………」


 隣を歩いていた冒険者をユウキは見た。


 冒険者は腰に短剣をぶら下げた金髪碧眼の男である。ユウキより少し上ぐらいの年齢に見える。


 星歌亭の若旦那と同様、特徴的な瞳の形をしている。


 そのことから察するにエルフのようだが、頰に髭がある。


 通常、エルフは男でもつるつるのお肌をしているはずだが。


 これはもしやハーフエルフというものか。

 

 もちろん気になってもそんなこと聞けるものではない。


 この世界でも人種問題は微妙な話題かもしれないからな。


 しかし……。


「もしかしてハーフエルフか?」


 スキル『質問』が暴発してしまった。


「ああ、そうだが」


 冒険者はこちらを見て頷いた。


 よかった。


 ムッとしている様子はない。


 ユウキはほっとひと安心しつつ、これ以降は無難に、静かにバイトをこなしていこうと思った。


「…………」


 だが黙々と長い廊下をひたすら無言で歩いていると暇になってきた。


 この暇を、どうしても潰したい。


 そんな心の奥底からの強い衝動が湧いてきた。


 ユウキは長年、自分にバイトなんて無理だと思っていた。


 そのひとつの理由としてあるのが、『暇への耐性がない』ということであった。


 今、暇に耐えられなくなったユウキは、スキルを行使しようとしていた。


 やってやる……やってやるぞ……!


 ユウキはゴクリと生唾を飲み込むと、スキル『世間話』を発動した。


「あの……この廊下……長くないか?」


「ああ、長い」


「結構、冷えるな」


「ああ、冷える」


「ところで……」


 最近、めっきり寒くなってきたことや、来るべき冬に備えた健康管理に関する話へと、スムーズに世間話は流れていった。


 スキル発動は成功のようだった。


 安定的に流れだした世間話をユウキが楽しんでいると、やがてハーフエルフは片手で肩を揉みながら言った。


「最近、疲れが取れない。エルフと言っても半分、人間だからな。歳かもしれない」


「一日、何時間寝てるんだ?」


「五時間ほど」


「それなら疲れは取れなくて普通だろ」


「睡眠が足りない、と?」


 ユウキは頷いた。


 ハーフエルフは顎髭に手を当てて考え込んだ。


 しばらくして声があった。


「確かに……若いころに比べて睡眠時間が減っている。昔は八時間は寝ていた」


「なんで今は五時間しか寝てないんだ?」


 ハーフエルフは顎髭に手をあてて考え込んだ。


 しばらくして声があった。


「朝、三時に起きるようにしている」


「なんのために?」


「笑わないでくれるか」


「まあ……」


「自伝を書いている」


「自伝……?」


「俺はハーフエルフだからたいして長く生きない。それでももう二百年は生きている」


「二百年……! 若旦那より長生きしてるぞ」


 想像を絶する長さだ。元の世界で考えれば、江戸時代から生きているということか?


「それで、生きている間、いろいろあった。そのことを書き残しておこうと」


「いいな」


「いいと思うか?」


「いい」


「でも睡眠時間を削るのは間違っていたかもしれない」


「かもな」


「仕事の隙間時間にでも書こうと思う」


「それはいいな」ユウキは大きく頷いて相槌を打った。


 そのとき脳内にナビ音声が鳴り響いた。


「スキル『相槌』を獲得しました」


(いいじゃないか)


 役立ちそうなスキルの獲得ににんまりしつつ、ユウキは『世間話』と『相槌』を駆使し、冒険者とぽつぽつと会話を続けた。


 そうこうしていると、やがて他の作業員たちもおずおずとであるが会話を始めた。


 世間話というものは伝染する性質を持つものなのかもしれない。


 労働の最中の緊張した局面ではあるが、若干のほっこりした空気が大穴第一フロアの廊下に流れた。


 だがそのときだった。


 前方から猫人間の声が聞こえてきた。


「小部屋が見つかったべ! 早く皆、こっちに来るべ」


 皆は集合した。


 ラチネッタは廊下の壁に取り付けられた木戸の前に立っていた。


 彼女は木戸の取っ手に手をかけると冒険者を見た。


「……それじゃ開けるべ。準備はいいべが?」


「ああ。大丈夫だ」ハーフエルフは腰の短剣を抜いた。


 作業員は皆、木戸から離れ廊下の壁に張り付いた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」ユウキは慌てた。


「なんだべ?」ラチネッタが振り返った。


「オレ、この仕事、初めてなんだが……その戸を開けるとどうなるんだ?」


「決まってるべ。モンスターと遭遇するべ」


「モンスター? 遭遇?」


「大穴の大迷宮はまだ生きているべ。んだから毎日、小部屋とモンスターと宝箱を生成するべ」


「そんなもんなのか」


「迷宮とはそんなもんだべ。冒険者がモンスターをうっ倒し、おらたち作業員が宝箱を回収する。それが仕事だべ」


「危なくないのか?」


「平気だべ。迷宮第一フロアに湧くモンスターなど、冒険者ギルドから派遣された冒険者の敵ではないべ。そうだべ?」


 ラチネッタはキラキラした瞳をハーフエルフに向けた。何やら冒険者なる職業に憧れがあるのかもしれない。


「油断はできないがな」ハーフエルフは短剣を構えた。


「ほら、冒険者様は頼もしい存在だべ。そんだら開けるだぞ」


 ラチネッタは木戸を開けた。


 小部屋からモンスターが現れた。

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