第16話 闇の塔の危機
早朝、まだ窓の外は暗い。
ゴライオン宅の寝床でユウキは寝ぼけ眼をこすりつつ石版通信をしていたのだが、一瞬で目が覚めた。
「なっ……」絶句した。
「あのとんでもなく強い化け物の『樹木の妖魔』が、三体も塔に攻めてくる、だと……?」
「うん、今朝、塔の観測所から見えたんだ。北、東、南の方向から一体ずつ、地響きを立てて塔に向かってきている。塔への強い敵意と破壊欲が感じらる」
「オレたちは塔の西にあるソーラルに向かう途中で、その樹木の妖魔を一体倒したはずだが……そ、そうか! つまり塔の東西南北に一体ずつ、樹木の妖魔が配置されていて、その残りの三体が塔を襲撃してきたってことなのか」
「そうなんだろうね。本来、あの樹木の妖魔は、塔を外敵から守護するために、古代の塔の主人によって配置されたものなんだけど」
「それがなんで塔を襲うんだ?」
「塔の支配力が弱まってるからだろうね。力によって他者を支配したものは、やがて力によって滅ぼされるんだ。ああ……これは……もうどうしようもないね……」
会話中、急激にシオンのテンションが下がっていくのが感じられた。
力ない声でシオンは言った。
「ユウキ君、君はやっぱり帰ってこなくてもいいよ。ゾンゲイルと街で遊んでいてくれ」
「おい、お前……もしかして諦めてないか」
「ちょうど今、諦めたところだよ。君と話して思考が整理されたのかな。僕と塔はもう助からないことがはっきりと認識できたからね」
「おいおいしっかりしろよ。こっちにはいいニュースもあるんだぞ。ほんの少しだけどミスリルが手に入った。今日さっそくそのミスリルでゴライオンが鎌を修理してくれる。昼には修理が終わるんだぞ」
「ふふ……頑張ってくれたみたいだね。だけどそれも無駄になってしまったよ」
「なんでだよ?」
「樹木の妖魔たちの進行スピードは遅いけど、それでも今日の夕方には塔にたどり着くんだ」
「きょ、今日の夕方だと?」
「うん。そしてソーラルから塔へはどんなに急いでも二日はかかる。だからもう無理なんだ。君たちに今から援護に来てもらっても間に合わないんだよ……」
「お、お前ひとりでなんとかならないのか?」
「無理だね。塔に蓄えられてる乏しい魔力では防御も攻撃も満足にできないよ。しかも相手は三体だ。一瞬も持たず塔は破壊されるだろうね」
「……塔が樹木の妖魔に破壊されるとどうなるんだ?」
「まず僕が死ぬ」
「…………」
「その後、ゾンゲイルが少しずつ弱っていく。ゾンゲイルのエネルギーは塔から供給されているからね」
「マジか……」
思わずユウキは寝床の隣で寝息を立てるゾンゲイルを見た。
その寝顔に幸せそうな笑みが浮かんでいる。
「でも安心していいよ。ゾンゲイルが機能停止するその前に、世界各地で邪神とその眷属が目覚め、世界そのものが崩壊するからね」
「……ど、どうにもならないのかよ」
「ならないね」
ユウキはしばし石版を耳に押し当てたまま黙考した。
しかし何もいいアイデアは思い浮かばかなかった。
これはもう本当にどうしようもないらしい。
「……仕方がないな。諦めるか」
「そうだね。そうしよう。そのつもりで最期の時間を過ごしてよ」
「シオンは何をするんだ?」
「僕はしたいことをして過ごすよ。具体的には多次元魔術の研究をする」
「そうか、頑張れ」
「君は……ユウキ君は何をして過ごすんだい?」
「今日は予定が詰まってるんだよな」
「というと?」
「まず、この後すぐにナンパに出かける」
「こんな早朝に?」
「ああ。人間、朝一番の時間がもっとも集中力やエネルギーに溢れている。だからこの時間に、自分が最も進めたいプロジェクトに手を付けることが大事だ」
ユウキはアフィリエイトの商材とするために読んだ自己啓発書の内容を話した。
「ふふっ。なるほどね。確かに、理にかなっているね」
「そのあとで仕事にでかける予定だ。『大穴』での軽作業だ」
「仕事? こんなときにどうして?」
「猫人間に『オレが守ってやる』って約束しちゃったからな」
「約束?」
ユウキは事の顛末を説明した。
死が目前に迫っているためか、シオンは愛想よくユウキの話を聞いてくれた。
下手したらこれが生きてる人間との最後の会話になるわけで、それをいい雰囲気で終えたいという思惑があるのかもしれない。
シオンは親しみを感じさせる笑い声を立てた。
「ははは。『守ってやる』だって。カッコいいじゃないか」
「まあな。でもこの猫人間は妄想にかられてるんだ。別に誰かがあいつを襲おうとしてるわけじゃない。だからただ、昼まで一緒に働いてやるだけさ。猫人間は他にもいろんな妄想を抱えていて、面白いやつだよ」
「ふふっ。猫人間は種族特性として知能が少し足りないからね。彼女は他にどんな妄想を抱えてるんだい?」
「『大穴』には『種族変更の秘薬』や、『闇の塔へのポータル』があるなんてことを主張してる。まったく、バカだよな。そんなものあるわけないのにな」
「…………」
「お、おい。どうした、急に黙って」
石版の向こうから階段を駈け上がる音が聞こえてきた。
かなりの間をおいたあとで、シオンの声が再度、聞こえてきた。
「はあ、はあ、はあ……今、塔の書庫にやってきたよ。ここには歴代タワー・マスターの記録がある」
荒い呼吸をしながら、シオンが何かを探している音が聞こえる。
ごそごそ。
ごそごそ。
「あった……闇の塔の建立者であり、ソーラルの初代市長にして『大穴』の踏破者であるマスター・エグゼドスの手記だ」
「ソーラルの初代市長って、闇の塔の関係者だったのか」
「うん。彼には様々な顔があったと言われている。無責任にも村を飛び出す『愚者』の顔。大穴探索後に、小さな庵で天体観測に興じる『隠者』の顔。庵に集まってきた人々を導いて街を作った『指導者』の顔。そして……その身に蓄えた闇の魔力で塔を建立した『魔術師』の顔」
「多芸な人だな。お前の先輩」
「うん。エグゼドスの全盛期にはその意思の力によって星の軌道すら変えることができたらしい。そんな彼が、塔と街の行き来を簡便にするために、相互をつなぐポータルを開いていたことは十分に考えられ……あった!」
塔の書庫でエグゼドスとやらの手記をめくっていたらしいシオンは、そのページを読み上げた。
「『我、次元魔法の応用により、この地における離れた二点を繋げることに成功せり。アーケロン平原における闇の魔力のヴォルテックスとなるべく我によって建立されし闇の塔と、『大穴』第二フロア、座標5・7の隠し部屋を、我が魔力によって恒久的に接続せり』」
「つまり……?」
「『大穴』第二フロアにあるそのポータルを使えば、一瞬でユウキとゾンゲイルが塔に戻って来られるってことだよ!」
石版の向こうのシオンは喜びの声を発した。つられてユウキも喜びそうになったが、冷静に考えるとこれはそんなに喜ばしいことでもないように思えた。
「オレらが塔に帰ったところでどうなるんだよ」
「まずユウキ君がナンパ活動で蓄えてるはずの『無形の魂力』を塔にチャージする」
「ふんふん」
「それによっていくらか僕が攻撃魔法を使えるようになる。塔の防御力も若干、上がるかな」
「それであの樹木の妖魔三体を相手に勝てるのか?」
「…………」
「お、おい!」
「正直、僕が引き受けられるのは一体が限界だ」
「残り二体はどうするんだ?」
「修理された鎌を持つゾンゲイルがもう一体を引き受けられるかもしれない。これで残りは一体……」
「オレは絶対に無理だからな」
「わかってるよ! 君に戦闘能力は期待していない。それよりも君はもっとナンパをしてほしい」
「なぜだ?」
「僕と樹木の妖魔が戦闘するとしたら、かなりの魔力が必要になるからね。今、君はどの程度の魂力を蓄えているんだい?」
ユウキは魂力の現在値をチェックしてシオンに伝えた。
「そのおよそ三倍の量は欲しいよ。でなければ塔の防御と戦闘を同時にこなすことは難しいからね」
「つまり……オレはもっとナンパをして魂力を貯めたあと、『大穴』第二フロア、座標5・7にあるポータルとやらを見つけ、それを使って塔に帰る必要がある、と?」
「うん。その際、戦闘力が高い助っ人も連れてきてほしい。ゾンゲイルと僕だけでは妖魔を撃退できず死ぬだろうからね」
「おい、無理言うなよ! あんなとんでもなく強い樹木の妖魔に勝てる助っ人なんてそうそう見つかるわけ無いだろ!」
「すまない、もう魔力切れだ! 通話終了!」
「おい、おいシオン!」
どれだけ銀髪の美少年、シオンの姿を思い浮かべながら石版に怒鳴っても声は帰ってこなかった。
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