五章 暗黒戦士の目覚め

第1話 コンセントレーション

 もうシオンの声が聞こえなくなった石版を、ユウキは作業着のポケットにしまった。


「…………」


 そう言えば昨夜、この石版はラゾナの手によってソーラルの魔力回路に繋げてもらった。そのためにシオンとの通話が可能になったのだろう。


 しかしすぐに通話は切れてしまった。塔の魔力不足はかなり深刻なようだ。


 そんな状態で、あんな恐るべき樹木の妖魔三体に攻めこまれたら塔は五秒と持つまい。早くゾンゲイルを連れて塔に帰らなければ。


 そう思った。


「…………」


 だが無事に『大穴』第二フロアにあるというポータルを見つけて塔に帰ったところで、シオンとゾンゲイルだけで樹木の妖魔三体に勝てるのか。


 無理な気がする。


 やはりシオンが言っていたように、戦闘力が高い助っ人が必須に思えた。


 しかし……あの樹木の妖魔に勝てる強力な助っ人など、一体どこで見つければいいというのだろう?


 わからない。


 だが……まずはナンパに出なければ。このさきのことで不安が一杯だが、とにかく動き出さなければ。


「…………」 


 寝床から出たユウキは身支度しつつ、ステータスチェックした。


 気力の最大値が上がっているのが確認できた。昨日の多種多様な体験と、腹いっぱいのゾンゲイル料理、そして深い睡眠。そんなものが気力の最大値向上に寄与しているように思えた。


 しかし……今後の展開に不安を感じながら体を動かすことで、どんどん気力が減っていく。


(歯磨きしてるだけなのに気力がガンガン減ってくな。考えても仕方がないことは考えない方がいいのかもしれない)


 だがここで強力なスキル『無心』を使うことは控えたい。『無心』の使用回数は限られているのだ。


 ユウキは自力で己の意識をコントロールしようとした。


 とりあえず意識を建設的な思考に向けようと試みる。


 ユウキは本日のナンパの目標について考えてみた。


「…………」


 気力最大値が増加している現在、昨日よりも長時間の顔上げが可能に思われた。


(よし。今日は連続五分の顔上げを目標にしてみよう)


 その目標に意識を集中しつつ、ゴライオン宅を出る。


(連続顔上げ五分。顔上げ五分……)


 この目標に集中している限り、気力低下は避けられた。


 だがユウキの訓練されていない意識は、すぐにふらふらとさまよった。


 ポータルをどうやって見つければいいのか……助っ人をどこでどう調達すればいいのか……などなど、今考えても仕方ないことに意識が吸い寄せられていく。


 そしてその心配事によって気力が低下していく。


 ゴライオン宅を出たばかりであるが、もう安全な寝床の中に戻りたかった。


 寝床に戻ればきっとまだ夢を見ているゾンゲイルがオレを抱き枕のように抱きしめるだろう。その温もりに包まれてぬくぬくとしていたい。


「……でもダメだっ! オレはやるんだっ、異世界ナンパをっ」


 重い体を引きずってスラムの路地を歩き、噴水広場を目指す。


 だが体は鉛よりも重く感じられ、スラムの路地はいつまた野犬が物陰から飛び出てくるともわからない恐るべき敵地に感じられていた。


 とても噴水広場まで歩いていけそうにない。


『連続顔上げ五分』という目標も達成不可能なものに感じられてきた。


 ユウキは足を止めた。


「…………」


 いまだ日は完全に昇っておらず、秋のスラムの路地には冷たい朝靄が漂っていた。


 酒ビン、何かの動物の骨、薄汚れたボロ布、朽ちた荷車などが路上に点々と放置されていた。


 そんな周囲のゴミとガラクタがユウキの心をかき乱していく。


 雑然としたその風景を締め出そうとして、ユウキは目を閉じ、うつむいた。


 だが……頭の中、心の中も、一呼吸ごとに千々に乱れていく。


 オレに塔を守れるのか。

 

 この世界を救えるのか。


 そんなことを考えるごとに、頭の中の思考はごちゃごちゃに複雑化していく。


 しかし思考がどれだけ複雑化しても答えを見つけることができない。


 どうすればいいのか。


 どうすれば正解が出せるのか。


 どれだけ考えてもわからない。


 現実とは答えのわからない選択の連続だ。


 正しい答え、そんなものはわからない。


 確かな正解、そんなものを知るすべはない。


 今……ユウキはこの恐るべき事実に気づきつつあった。


 だが、だとしたら……オレは何を見て、何を頼りに前へと進んでいけばいいのだろう?


「…………」


 わからないままにユウキは目を開けた。


 足元に、自分の安全靴が見えた。


 その安全靴は、自分の体を運ぶための両足を、安全に守ってくれていた。


(そうだ、今はまず、歩くこと。ただそれだけに集中しよう……)


 ユウキは自分の安全靴に意識を向け、それが交互に前に出て行くことに集中した。


 右足。


 左足。


 交互に前に出し、朝もやの漂う路地を進んでいく。


 将来の不安が頭によぎるたびに、意識を安全靴へと集中させる。


 今、考えても仕方がないことを考えるたびに、意識を安全靴へと向け直す。


 そしてまた、右足、左足を交互に前に出していく。


 やがてあるとき脳内にナビ音声が鳴り響いた。


「スキル『集中』を獲得しました」


「集中……だと?」


「目の前にあるひとつの行動に没頭するためのスキルです。精神リソースの消費を抑えつつ、各種パラメータにプラスの補正を得ることができます」


「いいぞ。素晴らしいスキルだ。さっそく使ってみるか……この一歩一歩に『集中』して……行くぞ!」


 目指すはスラムとソーラル市庁舎街のちょうど中間に位置するあの噴水広場だ。


 いまだ各種の不安や緊張によって全身がこわばっているのを感じたが、ユウキは一歩一歩の足取りに『集中』しながら、『気合い』によって足を前に動かした。


『気合い』を使えば、当然、気力が減っていく。


 だが今、スキル『集中』によって気力の消費レートが低く抑えられていた。


 これなら気力を十分に残したまま噴水広場に辿り着けそうだ。


 塔には刻一刻と樹木の妖魔が近づいている。


 世界がもうすぐ滅亡しそうだ。


 だとしても、一歩一歩、歩くんだ。


 前に向かって。


(歩け。歩け……)


 この前向きな思考すらもやがて『集中』によって雑念として排除され忘れられていった。


 思考は失われていき、その分、ユウキの感覚は研ぎ澄まされていった。


 胸に朝靄が染み入る。


 灰色のスラムの路地をわずかずつ朝日が照らし始める。


 左右に建ち並ぶ歪んだバラックのどこかから香ばしい朝食の香りが漂ってくる。


「…………」


 そしてこの絶え間ない歩行の中で少し汗ばんだユウキは、今、自らの中にかつてない生命力が湧き上がるのを感じはじめていた。


「朝の運動によって生命力が向上しました。それに伴い、最大HPとスタミナが上昇しました」


 そんなナビ音声が脳裏に鳴り響いたそのとき、ユウキは噴水広場に到着した。

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