第8話 はじめての接客

 誰もいない昼下がりの星歌亭でスマホをいじって作曲していたら、いきなり接客せねばならなくなった。


 強く恐れ、それゆえに永遠に遭遇することはないと思っていたシチュエーション、すなわち接客、それが今、ユウキに求められていた。


「ユウキ、これを着けて!」


 厨房から顔を出したゾンゲイルがユウキにエプロンを投げつけた。


 そのエプロンをあたふたと着用していると、労働者たちがどやどやと星歌亭になだれ込んできた。


 皆、腰に革手袋とヘルメットをぶら下げている。


「そうか、この人たちは……」


 今朝、ユウキが噴水広場に向かう際にすれ違った労働者たちだ。


 彼らの中には室内だというのにヘルメットを脱がず、口元にスカーフを巻いたままの者もいた。


 そのかわいい目元に見覚えがある。


 今朝、ユウキが路上で声をかけた娘だ。


 目が合った。


 そのときだった。


「うっ……」


 立て続けに訪れる外部刺激、それによって人格モードが『愚者』のままであるユウキの低速な思考回路がオーバーフローした。


 ナビ音声が警告を発した。


「状態異常『自失』が発生しました。自意識の働きが一時的に停止します」


 そんな警告は自失中のユウキには馬耳東風だった。


 ユウキはスキル『無心』発動時にも似た澄んだ瞳で女性労働者を見つめた。


「君は今朝の……また会ったな」


 自失中のため、衒いのない素直な言葉がすらすら出てくる。


 ヘルメットの彼女の耳朶は見る見る間に真っ赤になっていった。


「あ、あんたは……なんでここさいるだ?」


「働いてんだ、今ここで」


「おーい、ウェイターさん! わいら、どこに座ったらいいんや?」


 振り返ると労働者たちが入り口で団子になっていた。ユウキは一番大きな丸テーブルを勧めた。


「ここに座ってくれ。今、水を持ってくる」


 無駄な自意識を失っているユウキの行動は効率的だった。


 流れるようにフロアと厨房を行き来し、丸みのある木のカップに水を汲んで客席へ次々と運んでいく。


 労働者たちはテーブルに着くと水をがぶ飲みした。


「うまいやんか! ここの水、うまいやんか!」


 労働者たちから口々に声が上がる。


 本来、星歌亭はドリンクを供する店である。また、経営者は細かいところに凝るのが好きそうなエルフである。もしかしたら何か特別な由来のある水を使っているのかもしれない。


 そんな美味しそうな水を配り終えたユウキは、ゾンゲイルの指示に従って料理を客席へと運んでいった。


「うわあ、うまそうやなあ! う、うまい! うまいやんか!」


 口々に歓声が上がる。


 労働者たちは先ほどユウキがそうしたように勢いよく料理をかきこんだ。


「さてと……」


 一時的にやることがなくなったユウキは店内を見回した。


 すると例の女性労働者が、ひとり離れたテーブルに座っているのが見えた。


「…………」


 いまだヘルメットを被っており、スカーフも口元に巻かれたままだった。


 あの状態ではランチに舌鼓を打つことはできないだろう。


 さりげなくなんとかしてあげるのが店員としてのホスピタリティではないだろうか。


 外し忘れているのかもしれないしな。


「ちょっと失礼」ユウキは女性労働者のすぐ脇に立った。


「な、なんだべ」女性労働者は怯えたように身をすくませた。


「こちら、外させていただきますね」


 ユウキは使い慣れない敬語を使いつつ、女性労働者の顎に手を伸ばして革のベルトを解いた。


 来客のコート着脱を優しくお手伝いするスタッフのイメージしながら、硬直している彼女のヘルメットに手をかけ、それをそっと持ち上げる。


 すると……。


「これは……驚いたな」


 ヘルメットの中から現れたのは、大きな三角の獣の耳だった。


 ヘルメットによって押さえつけられていたその獣の耳は、今、自由になったことを喜ぶかのようにピンと立ちあがり、ピクピクと左右に震えていた。


 犬か猫だろうか? その類の獣の耳に見える。


 ユウキは間近で見る本物の獣人に驚いて息を呑み、一瞬だけ手を止めた。


 だがすぐに気を取り直し、行為を再開する。


「な、なにするだ?」


「こちらも外しますね」


 ユウキは獣の耳を持つ女性労働者の首筋にそっと手を回すと、彼女の口元を覆い隠しているスカーフを取り除いた。


 すると……。


 再度ユウキは驚きに息を呑んだ。スカーフの奥から三本の長い髭が現れたのである。


 スカーフによって隠されていたその髭は、外気に触れて生き返ったかのようにピンと横に伸び、ヒクヒクと揺れた。


 だがユウキはすぐに我に返った。


 店員たるもの、いかなる不測の事態にあっても気持ちをしっかり保たなくてはならない。


 そして、お客様のエクスペリエンスの質を高めることに尽力せねばならない。


 接客経験ゼロのユウキだったが、かつてアフィリエイトで紹介するために読んだビジネス本の知識が彼にはついていた。


 そうだ……猫人間ごときで驚いてはならない。


 オレは外国人に驚く田舎のおばあちゃんではないのだ。


 獣人……犬人間、あるいは猫人間は、このソーラルでは希少なエルフよりもさらに希少な種族のようだった。路上でもほとんど見かけない。


 だが、なんにせよ、オレと同じ哺乳類なのだ。


 性別や肌の色や耳の形の違いなど瑣末な違いにすぎない。


 この現代においては人種の多様性を認める必要があるのだ。それはこの異世界においても同様のはずだ!

  

 というわけでユウキは内心の驚きを覆い隠し、何事もなかったかのように彼女のスカーフとヘルメットを空いている椅子に置いた。


「ふう……これでよし、と」


 初めての接客業だが、我ながらいいサービスができた。


 お客様のニーズに迅速に気づける才能があるかもしれない。


 その気になれば敬語だって使えるしな。オレ、意外に社会人としての適性があるかもしれない……。


 自分の仕事に満足したユウキは額の汗を拭いつつバーカウンターの奥に一時、ひっこんだ。


 だが……ふと客席を見ると、さきほどの女性労働者が両手で獣の耳と髭を覆い隠し、テーブルに突っ伏していた。


「ど、どうしたんだ?」


 敬語を忘れてユウキは駆け寄った。


「み、見ちゃいやだべ」


「なんでだ? 髭と耳、いいじゃないか」


「いやだべ! ヘルメットとスカーフ、おらに返すべ!」


 女性労働者はテーブルに突っ伏し、右手で耳と髭を隠しながら、左手でヘルメットとスカーフを求めた。


 客席全員の注目を浴びながら、ユウキはギクシャクとした動作でスカーフとヘルメットを取り、女性労働者に渡した。


 彼女は目に涙を浮かべながらヘルメットとスカーフを被ると、やにわに立ち上がり星歌亭を飛び出していった。


 そのときユウキの状態異常、『自失』が解除された。


 いまだに人格テンプレートは『愚者』のままなので思考は大雑把で荒いままだが、血の気が一気に引いて立ちすくんでしまう。


 もしかしてオレ、何かやっちゃったのか……。


 なにか大失敗してしまった気がする。


 あの猫人間を、大きく傷つけてしまった気がする。


 オレのせいで……。


 だが客席の労働者からユウキに声がかけられた。


「ウェイターの兄ちゃん、気にすることあらへんで。班長はちょっと頭がおかしいんや」


「そ、そうなのか……」


「そうやで。班長、現場でも誰とも話さんとずっとうつむいとる。仲良くなろうとご飯に連れてきてやったっちゅうに、あの有様や」


「…………」


「まったく、スカーフ外さんでご飯食えるわけないやろ。だいたい猫人間ぐらい珍しくもないわい。いくら耳と髭を隠しても、あの身のこなしでバレバレやで」


「…………」


 そう言われて少し落ち着いてきた。


 まあ……放っておいてもいいのかな。


 そんな気がしてきた。


 他人の精神的な問題に首を突っ込んでもしかたないしな。


 ユウキはウェイターの仕事に戻ろうとした。


 だが……。


 ユウキは流れを感じた。


 走って追いかける。そんな自然の流れを感じた。


「ちょっと出てくる!」


 ユウキはスキル『流れに乗る』を発動すると、厨房の中のゾンゲイルにそう叫んで玄関に向かった。


 追いかけてどうしようというのか、それはまったくわからない。


 だがユウキは衝動のまま流れのままエプロン姿のまま星歌亭の外へと飛び出していった。

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