異世界ナンパ 〜無職ひきこもりのオレがスキルを駆使して猫人間や深宇宙ドラゴンに声をかけてみました〜

滝本竜彦

第一部 一章 闇の塔と人工精霊

第1話 高い塔の少年


 色とりどりの万華鏡の中を旅するがごとき極彩色の夢から目覚めると、山田ユウキは見知らぬ暗い部屋にいた。


(どこだ、ここは? オレはスグクル配送センターで段ボールの仕分けをしていたはずだが?)


 きしむ木造の床に仰向けになっていた山田ユウキは、あちこち痛む体を起こし、上下左右を見回した。

 そこでユウキは気づいた。ユウキの体の下に、熱のない光を発する魔法陣らしきものがあることに。


「…………?」


 光のラインによって床に描かれた魔法陣は、極めて精妙な造形をしていた。五芒星どころか、千芒星と呼びたくなる複雑さだ。

 千の花びらを持つ花弁に似たその魔法陣が発する光のみがユウキの周りを短く照らしている。

 その透明な光に包まれながら、ユウキは朦朧とする頭で今日の出来事を振り返った。


「…………」


 今日はユウキの三十五歳の誕生日だった。

 この日、ユウキは生まれて初めて、外に働きに出たのであった。


 *


 実家の玄関を出て、何日か前に登録した派遣業者の指示に従い、郊外にあるスグクル配送センターにバスで向かう。


「…………」


 多くの外国人労働者と共にバスから吐き出されたユウキは、ロッカーに入っていた安全靴と作業着に着替えた。

 そして作業所に向かったユウキは、人生初の外での仕事という恐るべきタスクに挑み始めた。


 それは段ボールを配送票にしたがって、定められた場所に積み上げていくという簡単な作業だった。たまにパレットに積まれたダンボールにラップを巻くという作業もあったが、基本的には誰にでもできる仕事だった。


 だが緊張が限界に達していたユウキは朦朧としていた。何度も段ボールを間違えた場所に運んでしまった。ラップもうまく巻けなかった。ユウキは荒ぶる社員から容赦ない叱責を浴びた。


 怒鳴られるたびにユウキの心と体が縮み上がっていった。


 もともとユウキには重度の対人恐怖が強くあった。ユウキの対人交流スキルには生まれながらに大きなマイナス修正がかかっていた。

 人類の基本的な会話スキルの平均レベルを1とすると、ユウキの基本会話スキルレベルはマイナス1000以下だった。


 そのことを早々に自覚したユウキは、外で働くことを諦めた。大学卒業後、ユウキは実家の子供部屋で、ずっとアフィリエイトサイトの運営をしていた。


 だがどうしても月に三万円以上を稼ぐことはできなかった。


 気づけばユウキは、三十五歳になろうとしていた。

 気づけばユウキは父母の年金によって養われていた。


 三十五歳になる直前に、ついにユウキは決意した。

 家の外に出て、まっとうに働こう、と。


「…………」


 そうだ。

 生きるということは、我慢をするということなのだ。

 我慢して働くのが生きることなのだ……。


 なのにオレは、何も我慢してこなかった。

 楽な方、楽な方に流れて生きてきた。

 だからこの歳になっても、何もない。


 お金も。

 仕事も。

 それに……彼女も……。


 彼女も、という部分にユウキの思考が至ったとき、彼の胸を鋭い痛みが貫いた。

 同時に物理的な痛みがユウキの全身を襲った。


 *


 スグクル配送センターで荒ぶる社員に怒鳴られすぎて、ユウキの思考は内側に向かい、目は霞み、意識レベルは低下していた。


 そこに段ボールを目いっぱいに積み上げたハンドフォークが勢いよく通りかかった。


 そのときだった。

 ユウキの体力は限界に達し、握力ゲージがゼロになった。そして思わず足元に段ボールを落としてしまった。ユウキはその段ボールにつまずいて、斜め前に倒れこんだ。


 そこに段ボールをパレットにうず高く積み上げたハンドフォークが突っ込んできた。衝突した。


『うっ……!』


 しかも段ボールの山がユウキに倒れこんできた。


 通常、パレットに積み上げられた段ボールはラップによってぐるぐる巻きにされている。そのため、ちょっとやそっとの衝撃では、ダンボールの山は崩れることはない。


 だが運の悪いことに、そのハンドフォークの段ボールの山をラップで巻いたのは労働初日のユウキ自身だった。意識レベルが低下しているユウキが、きちんとラップなど巻けるわけもなかった。


 ラップでゆるゆるに巻かれた段ボールの山は、ユウキとの衝突によって脆くも崩れた。


『うわあああああ!』


 配送センターのコンクリートの床に倒れ込んだユウキは、鉄塊のごとき段ボールが自分の頭に流星のようにいくつも降り注ぐのを見た。


 *


 そして、今、ユウキは見知らぬ空間にいる。


 明らかに魔法陣っぽいものが発する光がこの空間を照らしている。光の向こうにわだかまる闇は濃く、その奥を見通せない。


「…………」


 ふと気になって、ユウキは床の魔法陣を調べた。


 LEDが埋め込まれているわけでもなく、どこかからプロジェクションマッピングで投影されているわけでもなかった。


(どういう原理なんだ、これは?)


 謎の力で輝く魔法陣、そんなものが存在する世界についての洞察が心に昇る寸前、闇の奥から声が聞こえた。


「汝、上位世界からの転移者よ。汝の望む力を述べよ」


 ユウキは声の聞こえる方向、闇の奥に問いかけた。

「て、て、転移者? オレが?」


 すると闇の奥から声が返ってきた。


「そう。汝こそが待ち望まれた転移者だ」


「あ、あなたは? か、神様的な?」


「ふふっ、神か……違う……今はまだ……だが汝に新たな人生を与える者という意味において……確かに今の君にとっては神のようなものかもしれないね、僕は」


 こつこつという足音ともに声が近づいてきて、暗闇の中に黒いフードが浮かび上がった。そのフードの奥で赤い瞳孔が魔法陣の光を反射しキラキラと輝いている。


(……少年?)


 顔立ちは十四、五歳くらいに見える。だが物腰にただならぬ神秘的な雰囲気が溢れている。


 肌はやたら白く、なんでか瞳孔は赤い。


 少年は黒ローブのフードを外した。ふぁさっと音を立ててフードの中から銀髪が溢れ出した。


「さあ、なんでも望みの力を言ってくれ。元の世界を離れ、この世界に転移してきた君は、ここでどんな力を振るいたいのかな? どんな転移ボーナスが欲しいのかな?」


 そう問いかける少年は、ユウキが昔、街で見かけた芸能人よりもキラキラしたオーラを発していた。


 その神秘の雰囲気に飲まれ、ついユウキは何か非日常的な力、たとえば強い攻撃力とか、圧倒的な防御力などを望みそうになった。


 だが、ぐっとこらえる。


「……そ、そもそもオレは、なぜここに? ……力? どうしてオレに? ……そ、それに転移? どんな理屈で?」


 ユウキは自宅でアフィリエイトサイトを作る際も、三年を事前研究に費やした男である。石橋は叩いて渡りたい。


 黒ローブの少年は苛立たしげな顔を見せた。


「理屈、か……そんなもの君は知る必要はない。理解できないだろうからね」


「…………」


「でも触りだけ教えてあげよう。世界はいくつも存在している。それぞれの世界には上下関係があり、君の世界は、僕の世界よりわずかに上に存在している。だから僕によって召喚された君は、いわば上から下へと落下してきたことになる。そのときの落下で生じた余剰エネルギーが『力』に転化される、というわけだよ。わかったかな?」


「ぜ、ぜんぜん」


 少年の説明が悪いのか、あるいは自分の頭が悪いためか、そもそも難しいトピックなのか、とにかくユウキにはよく理解できない。


「いいんだよ。君は理解なんてする必要はない。ただ望む『力』を声に出してくれ。それだけでいいんだ」


「そ、そうすると、どうなるんだ?」


「君の願いが『スキル』となって君の存在の奥深くに組み込まれる。今、君を取り囲んでいるその魔法陣が、君の魂の余剰エネルギーを、君の意図に沿ったスキルに変換するんだ」


「な、なんのために? なんの目的で?」


 すると少年は感心した顔をユウキに向けた。


「いいね。目的……それをまず最初に求めること。その姿勢は好ましいね。目的がなければどこにもたどり着けないからね」


「ど、どうも」


「そんなに恐縮しないで。目的を伝えることは僕にとっても大いに望ましいことだよ。君を召喚した目的、それは端的に言えば、『この世界を破滅から救う』手助けを求めてのことなんだ。わかるかい?」


 ユウキは首を横に振った。

 少年は遠い目をして語った。


「今、この世界は『大浄化』に見舞われている。それによって闇のパワーバランスが崩れ、各地で『封印されし古き闇の眷属』が目覚めようとしている。何もかも『大浄化』のせいだ」


 黒ローブの少年は拳を握りしめ、美しい顔に怒りをにじませた。瞬間、恐るべき殺気が放射され、ユウキは思わず後ずさった。


「おっとごめんよ。君を怯えさせるつもりはないんだ」


 少年は拳を開き、笑顔を見せた。だがその目は笑っていない。


「とにかく、目覚めつつある闇の眷属が世界を破滅させるのを防がなくてはならない」 


「はあ……」


「だからこそ『闇の塔』の第十五代目塔主、シオン・エグゼドスたるこの僕が、君を召喚したってわけさ」


「な、なるほど」


 いちおう相槌は打ったものの、スグクル配送センターで受けた仕事の説明と同様、何も頭に入ってこない。


「星の配列によって、今夜、君の世界と僕の世界の間に経路が生じることは、次元の精霊から僕に知らされていた。その経路を闇の塔の主たるこの僕の魔力を使ってこじ開けて、君というフレッシュな人材を召喚したってわけさ。初代エグゼドスが各地に封印せし闇の眷属どもの目覚めに対抗するためにね」


「よ、よくわからないけど、無理だぞ。オレにはそんな能力ないぞ」


 人生をかけたアフィリエイトサイトもうまくいかなかった。配送センターでもうまく働けなかった。少年は微笑んだ。


「どうやら君は自信を喪失しているようだね。だが安心していいよ! 僕が間違いを犯すはずなどない。僕の異世界召喚魔法は、確実に、僕の目的に最も有用な人材を近隣の上位世界から全自動検索して召喚した。僕の魔術に間違いは起こらない」


「……で、でもなあ。急に召喚なんてされても」


「君の同意もあるはずだ。『ここではない別の世界に行きたい……』最近、君はそう願っていたはずだ。でなければコンプライアンス違反となり、次元の精霊がこの魔術への協力を拒んでいただろう。そして次元の扉は開かなかっただろう。そう……君はすでに望んでいたんだよ、この世界に来ることを!」


「え、あ、ああ……」


 確かに言われてみれば、『オレはもうこの子供部屋を出る。そしてオレは新しい世界に旅立つ!』という決意を固めていた。


「で、でもそれは『スグクル配送センターで働くぞ』という意味で……」


「そんな細かいことはどうでもいいんだよ! とにかく、君は自らの願いに導かれ、今、確かに、ここにやってきているんだ! 君こそが、僕が求めた被召喚者なんだよ。だから自信を持って、君の最も欲しい『力』を願うんだ。そろそろ魔法陣の効果が切れるから。さあ早く。願って! 力を!」


「こ、効果? 切れる?」


「うん。魔法陣の効果が切れたら、今、君の中に満ちている魂の余剰エネルギーは霧散してしまう。そしたら君は転移者というアドバンテージをすべて失い、僕が十年もかけて準備したこの召喚儀式もすべて無駄に終わる」


「あ、そう言えば、なんで日本語?」


「いいところに気がついたね。さすが転移者。それは召喚の際に君の脳にインストールしたナビ回路があらゆる言語を自動翻訳してるから……ってそんなことはどうでもいいじゃないか! もうすぐ魔法陣の効果が切れるから! 早く言って! 君の望む力を!」


「え、ええと……」


 ユウキは薄れゆく魔法陣の上で頭をひねった。

 だが、わからなかった。


 ずっと怖いものから逃げることばかり考えてきた。怖さから逃げ、安全な部屋の中で、傷つくことのない安全な仕事をネット経由で始めようとした。


 だが逃げても逃げても、怖さは膨れ上がるばかりだった。

 だから三十五歳になった今日、オレは怖さから逃げるのをやめ、嫌なことに立ち向かった。


 そうオレは、怖さに立ち向かい、嫌なことでも我慢して、苦しみを受け入れ、歯を食いしばって生きていく、そんな覚悟を固めたのだ!


「そ、そうだ……お、オレは……我慢……我慢できる人間になりたい。砂を噛むような虚しく辛い仕事にも、どんな苦しく辛いことにも、歯を食いしばって耐えられる人間になりたい。それが、それがオレの望みだ!」


 瞬間、魔法陣は眩しく輝いた。

 黒ローブの少年はにんまりと笑みを浮かべた。


「いいね。さすが僕が召喚した転移者。きっと君はあらゆる攻撃を跳ね返し、あらゆる痛みに耐え抜く防御力マシマシのいい前衛になるだろう」


 だが一度は輝いた魔法陣はすぐ暗くなった。

 少年は焦りを見せた。


「だ、ダメだっ! 魔法回路に君の魂のエネルギーがうまく流れていかない!」


「え、なんで……?」


「君、名前はなんていうんだ?」少年は詰め寄ってきた。


「や、山田ユウキだ」


「ユウキ、君は嘘をついている!」


「というと?」


「さっきユウキが口に出した願い、それはいい子ぶりたいユウキが頭ででっち上げた、表面的な浅はかな願いだ! それは嘘だから、ユウキの魂のエネルギー、ユウキの心の奥から沸き上がるエネルギーが、魔法回路に流れていかないんだ!」


 美しい少年に詰め寄られ名前を連呼され、ユウキはなんだかドキドキしてきた。少年の黒いローブからは魔法の材料から生じているらしい謎めいた香りが漂っていた。


 それはともかく少年は相当、焦っているようだった。手を振り回しながらわめいた。


「頼むよ! ユウキの心からの願い、魂からの欲望、それが今、求められているんだ! 上っ面だけの願いはなんの力も生み出さないんだ! だから早く言ってくれ! 君の、ユウキの、心からの本当の願いを!」


「うーん……」


 黒ローブの少年がヒートアップすればするほど、ユウキは自分の気持ちが冷えていくのを感じた。


 この歳になると……自分の本当の願いとか欲望とか、そんなのは何もわからなくなるんだよな。

 いや……そもそもこれまでの人生で、自分の心からの願いなど、一度でも理解していたことがあっただろうか?


「…………」


 ユウキは自分の過去を振り返った。


 近年のアフィリエイト運営時代から遡り、大学時代、高校時代、中学時代へと振り返っていく。


 いずれの時代もユウキは、自分の情熱と切り離されて生きていた。自分がやりたいことなど何もわからなかった。だからユウキはいつも生きている実感がなかった。


 いつから自分の心はこんなにも冷めてしまったのだろう。


 黒ローブの少年は目の前で手を振り回し何事かをわめいていたが、ユウキの思いは内側へと沈んでいった。


「…………」


 ユウキは過去へ過去へと己の意識を彷徨わせていった。


 するとユウキの意識は小学校高学年時代のとある放課後の出来事に引っかかった。そこで一人の女子の名を思い出した。


 のぞみ。


「…………」


 あのときクラスにのぞみという女子がいた。

 ユウキとのぞみは家が近く、たまに一緒に下校した。


 のぞみはよく走った。

 彼女の揺れる三つ編みをユウキは追いかけた。


 *


 ある日の放課後だった。


 人気のない廊下で、のぞみは山田ユウキに手編みの黄色い鉛筆ケースをくれた。


『やまやま、頭いいからこれあげるね』


 ユウキは夕日の差し込む廊下で嬉しさのあまり固まった。嬉しさが爆発する一瞬前のユウキの顔を、のぞみは照れくさそうに見つめていた。


『これ使って、もっと勉強して、いい学校に行ってね』


 だがそこに悪鬼羅刹の如き同級生男子グループが通りかかった。


『お前ら付き合ってんのかよ。エロいな』


 プレゼントを受け取ったところを見られていたのか……ユウキの顔は一瞬で真っ赤になった。のぞみの顔も。


『オレら硬派な男子とは違ってユウキは軟派だからな。エロいな』


 そのとき男子グループ内では、なにかのマンガに書かれていたのか、『硬派』というキーワードがブームになっていた。


 同時に、『硬派』の対義語である『軟派』という言葉もまた、最大級の侮蔑の言葉として男子の中に流行していた。


 男子グループからユウキへと、しきりに軟派、軟派、という言葉が投げかけられた。


『プレゼントもらって良かったな。軟派なユウキ君』


『う、うるさい! 僕は軟派じゃないし……こ、こ、こんなもの、いらないし!』


 ユウキは手編みの鉛筆ケースを廊下に投げ捨てた。


 のぞみは数日後に、親の都合で転校した。


 ユウキの時間はそこで止まり、二十五年の月日が流れすぎた。


 *


 今、黒ローブの少年の前で、ユウキは頭を抱えていた。


 オレは、オレは、なんていうことを……。


 今、ユウキの心の奥にしまい込まれていた罪悪感が、記憶の蘇りとともに解凍されつつあった。


「ううっ……」


 女の子を傷つけてしまった。

 自分に好意を向けてくれた女の子を。


 どうすればいい?

 どうすればいいんだ?


 その巨大な罪悪感は、ユウキの心のキャパシティを遥かに超えていた。

 ユウキは背負いきれない罪の意識をぶつける対象を探した。


 それはすぐに見つかった。


 あいつら。

 あいつら、悪鬼羅刹のごとき、人の心を持たない男子グループ。


 あいつらがオレに、軟派という言葉を投げかけたせいで、オレはのぞみを傷つけてしまった。

 すべて、あいつらのせいだ。


 絶対に、許さない。


 ユウキは魔法陣の中で拳を握りしめると、低くひび割れた声を発した。


「お……オレが欲しい力……それは、人を傷つける悪鬼羅刹どもを、裁き、断罪する力だ!」


 ユウキの目は怒りに濁っていた。


「そ、そうだ、オレはあいつらを裁いてやる! あの悪鬼羅刹のごとき男子どもを! それにあの社員たちもだ! オレに罵声を浴びせ続けたあの人の心を持たない配送センターの男たち……あいつら全員をねじ伏せる強い力……それを……それを……いますぐオレに、授けてくれ!」


 その訴えに呼応するかのようにユウキを取り囲む魔法陣は強き光を発した。


 黒ローブの少年は手を叩いて喜んだ。


「そうそう、そういうのでいいんだよ! 君が欲した裁きの力……それはきっと強い物理的攻撃力として君に付与され、君は攻撃力マシマシのファイターとしてバリバリ戦ってくれようになるぞ! ん……あれ?」


 一瞬輝いた魔法陣はすぐまた暗くなった。黒ローブの少年はパニックの様相を見せた。


「ダメだっ! 今度も魔法回路に君の魂のエネルギーが流れていかない!」


「はあ……」


「いい加減にしてくれないか! 名前は……ユウキだったね!  ユウキ君、もう自分の気持ちに嘘を付くのはやめてくれ! 僕たちには時間が無いんだ!」


 黒ローブの少年はさらにユウキに詰め寄って肩を揺さぶった。ユウキは目をそらした。


「べ、別に嘘なんて……」


「いいや、嘘だね。人を裁く力、そんなものユウキ君は望んじゃいない。だから魂の力が魔法陣に流れず、それだから何も起こらない。さあ、人生に変化を起こすんだ! 隠してないで、早く本当の自分の望みを言ってくれ! もうすぐ完全に魔法陣の効力が消える! その前に早く!」


「わ、わからない。わからないんだ! 自分が何を本当にしたいのか。そ、そ、そんなことは何もオレは知らない!」


「だったら考えて、もっと、もっと深く!」


 少年に急かされユウキはしかたなく考えた。ユウキの意識は、のぞみとの別れのシーンに立ち戻った。


「…………」


 悪鬼羅刹の如き男子グループに囃し立てられたあのとき、ユウキは強烈な恥ずかしさを覚えたものだった。


 なぜ、あのときオレは、あんなにも強い恥ずかしさを感じたのだろう?


「あ……」


 その疑問に対する答えは、どうしても認めたくないものだった。


 認めたくないものであったが、今、ユウキは答えを認識してしまった。


 それはつまり……あの男子グループはユウキの心の真実をついていたということだ。


『オレら硬派な男子とは違ってユウキは軟派だからな』


「な……軟派……ナンパ、だと?」


「何かわかったのかい?」


「わ、わかった。オレの本当の望み。だけど……言いたくない」


「あまりに非人道的な望みであるためそれを口に出すのが恥ずかしい、と?」


「……い、いや」


「これでも僕は次元魔法に造詣がある。だから異世界に召喚された者がどんな力を求めがちなのかわかってる。だいたいにおいて転移者は元の世界では叶えられなかった暴力衝動を吐き出すために、虫を潰して喜ぶ子供のような戦闘用の力を望む。でも何も恥じることはないよ! それが人間なんだよ!」


「…………」


「僕はそんな君を認めるよ! さあユウキ君、何も恥ずかしがらず自分の中にある闇の衝動をここで吐き出してしまっていいんだよ! 僕は味方だ! 僕は君が何を望もうと決して否定しないよ! ほら、君の心の奥深くに眠る真の欲望を今ここで声に出して表現してみようよ! 今こそ勇気を出して! まっすぐに自分を表現して!」


「わ、わかった。それじゃ言うぞ。あんたが思ってるのとは違うと思うが……」


「そうだ、言えっ、言ってしまえ!」


「……したい」


「もっと大きな声でっ」


「……したい」


「もっと、もっと、君の魂から君の人格へと流れ込むエネルギーを君の声に乗せて腹と胸から大声で!」


「ナンパしたい」


「え?」


「オレはのぞみと仲良くなりたかった。しかもそれだけじゃない、クラスの女子、全員と仲良くなりたかった」


「…………?」


「だがそれはかなわなかった。誰とも仲良くなれないまま時間だけが流れすぎていった。たまにコンビニに買い出しにでかけるとき、オレは店員さんと話したくなる。でも話せないし目も見ることもできない!」


「な、何を言ってるんだ君は?」


「たまに街を歩いていると通りすがりの人が気になり話しかけたくなる。でもそんなことはできないからうつむいて家に帰る。その繰り返しだ。ずっと、ずっとその繰り返しだった! だがそんなことを繰り返しながら、心の底でオレはずっと願っていた。ナンパしたい、と」


「ゆ、ユウキ君、君が何を言っているのかわからないよ……ユウキ君……お願いだ、しっかりしてくれ……」


 黒ローブの少年はユウキの肩を揺さぶった。

 揺さぶられながらユウキは断言した。


「ナンパしたい」


 今、その声によって空間が振動し、濃い闇の中に光の火花が飛び散り始めた。

 今、ユウキの魂のエネルギーが勢い良く魔法陣へと流入しつつあった。


 ユウキは顔を上げて、もう一度、宣言した。


「そう、もう、同じ絶望は繰り返さない。オレはナンパをする。オレはこの異世界で……ナンパをする!」


 瞬間、魔法陣が虹色の光を発し、その光はユウキの両手両足と全身に吸い込まれ、そこに光の回路を焼き付けていった。その魔法の回路はユウキの存在の奥深くに吸収され、そこに定着した。


 さらにユウキの対人交流スキルに魂のエネルギーが勢いよく流れ込み、そこにあった大きなマイナスを埋めていった。


「…………」


 そして……いつしか魔法陣は消え、今、部屋は濃い闇によって包まれている。

 闇の中、ユウキの脳裏にスマホのAIアシスタントめいた機械的な声が響いた。


「ナンパのためのスキルセットがあなたの中に準備されました。『基本会話』のスキルレベルが上がりました。現在の『基本会話』スキルレベルは1です」


 ユウキは今、脳内で聴こえた声について少年に説明を求めた。


「なんか変な声聞こえたんだけど。オレの『基本会話』スキル、レベル1だって」


 闇の中から疲れきった声による説明が返ってきた。


「……それは具現化された魂の力たるスキルを有効活用するためのナビゲート音声だよ。基本的な鑑定機能も付いている。魔法陣にはそのナビゲートシステムを君にインストールするという機能もあったんだ」


「なんだかわからないが、便利そうだな」


「……すべて、なにもかも無駄になってしまった。よりにもよってナンパだなんて……お、お、お、終わった……もう終わりだ……」


「何がだよ」


「古き闇の眷属からこの世界を守るという僕の使命が、この世界を恐るべき破滅から救うという使命が……今、終わってしまった……」


 闇の中で黒ローブの少年はわけのわからないことを呟いていたが、ユウキはこれから始まる異世界ナンパに胸踊らせていた。

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