後宮に入るための試練
「……あなた、試練は受けたのかしら?」
エリーシア妃は、じろりとシルヴィをにらんできた。
内心では「面倒くさいなー」と思っているのであるが、もちろんそれを表情に出すことはしない。
「試練、でございますか?」
シルヴィは首を傾げた。
後宮に入った段階で、その試練とやらは終わっているのではないだろうか。だが、エリーシア妃は、閉じた扇を弄びながら意味ありげに微笑んでいるだけだ。
「この後宮で暮らす者は、全員陛下の護衛を兼ねているの――いざという時、陛下の身代わりになれないようでは、意味がありませんからね」
「は、はぁ……」
そういうものなのだろうか。
たしかに、侍女も、ある程度武芸のたしなみはありそうな雰囲気ではあったが。
「そうよ。私もそうだし、他の妃達もそう――あなたの戦闘能力、見せてもらえるかしら。聖エイディーネ学園の卒業生ならば、それなりの能力は備えているのよね?」
「か、かしこまりました……」
ぷるぷると震えて見せながら、シルヴィはやれやれとため息をついた。まさか、ここでこんな要求をされるとは思っていなかった。
(本気でぶっ飛ばすわけにもいかないだろうし……)
本気を出すわけにもいかないし、どう対処するのがいいだろう。とりあえず、相手の出方を見てから決めることにしようか。
(だから、潜入捜査ってあんまり得意じゃないのよねぇ……)
人間得手不得手というものがある。シルヴィは、潜入捜査は不得意だった。根本的に目立たないようにするのが苦手なのである。
「ワディム、ワディム。出ていらっしゃい」
「エリーシア様、お呼びですか」
エリーシア妃の命令に応じて姿を見せたのは、四十代と思われる男性だった。おそらく五十代には入っていないだろう。
黒いローブに茶のベルトを締め、白髪交じりの黒髪をぴっちりと撫でつけている。額にはめたサークレットが、いかにも魔術師という印象だ。
背筋はすっと伸びていて、足取りは軽く若々しい。若い頃はさぞやモテたであろうと思われる、知的で整った容姿の持ち主だった。
「ワディム、彼女と戦ってほしいの。ここで暮らしていく以上、必要なことですからね」
「やれやれ。よろしいですか、そちらのお嬢様」
「え、ええ……」
シルヴィはこわごわと言った様子でうなずいた。そして、テレーズの方に、少し離れているようにと合図する。
(魔術師に対抗するとなるとけっこう大変よね……ここを壊すわけにはいかないし)
あいかわらず、自分の身についてはさっぱり心配していないシルヴィ。相手の放った魔術を片手で受け止める程度なら余裕だが、ここを壊すなという前提条件付となるとちょっと難しい。
これがベルニウム王国内の出来事なら、壊した後”修復”スキルで戻せばすむことだが、 ”修復”スキルまで持っているということを今、この場で見せるわけにもいかない。
「出でよ、ゴーレム達!」
けれど、シルヴィの予想とは違い、ワディムは地面に両手をついて叫んだ。まさか、ワディムがゴーレム使いだとは思わなかった。
ゴーレムをその場で作ろうとすると時間がかかるが、あっという間に全身白い石でできたゴーレムが立ち上がる。まるで、神の彫像のように神々しい姿だ。
(……なるほど。中庭にあらかじめゴーレムを仕込んであるというわけね)
普通なら驚くところだが、シルヴィは違う。
「嘘……すごい……素敵……! カッコいい……!」
自分が今置かれている状況も、潜入しているということもうっかり忘れ、シルヴィは目の前のゴーレムに目を奪われた。
一般的に、ゴーレム使いが熟練すればするほど作り上げるゴーレムは、精巧な姿形になると言われている。シルヴィのゴーレムがとても簡素な容姿に仕上がっているのは、シルヴィがゴーレムの扱いになれていないからだ。
(……さて、どうしようかしら)
ここで素手でゴーレムを壊すわけにもいかない。とりあえず、一回か二回殴り合っておいて、その後負けたふりをしておこうか。
シルヴィはふっと身体の力を抜いた。
(とりあえず、痛いふりはしておかないとよね)
ありとあらゆる能力を極限まで鍛え上げているシルヴィは、目の前のゴーレムに殴られたぐらいではたぶん痛みを感じることはないだろう。なにせ、馬車に轢かれたくらいでは怪我をしないのである。
「怪我をさせないように気をつけなさい! かかれ!」
ワディムが命じると、ゴーレムはゆっくりとシルヴィの方に近づいてくる。腕を振り上げたのを見て、シルヴィはどう殴られれば一番効果的かを瞬時に計算した。
(とりあえず、そこそこ戦える――というのを見せておけばいいのよね)
ゴーレムの攻撃を数回かわし、その後適当にやられたふりをしておこう。
まったく恐怖など感じていないけれど、シルヴィは怯えているように一歩後退した。
「――きゃあああっ!」
ゴーレムが近くまで接近したのに合わせ、シルヴィは悲鳴を上げた。あとはゴーレムの腕をかわして、適当にやられ――けれど、物事はシルヴィの思い通りには進まなかった。
「ゴシュジン! マモル!」
ぴょーんと勢いよく飛び出してきたゴレ太は、シルヴィの前に立つ。えい、と胸を張り、シルヴィを守ろうとしているかのようだ。
「え、ちょ……待ちなさい!」
いったいどこから、ゴーレムが出てきたのだろう。ぱっと手にしていたバッグを見てみれば、口が開いている。どうして中から開けられたのだろう。
「そんなゴーレムで私のゴーレムに対抗しようなどと――壊れても、苦情は受け付けませんよ! 行きなさい、ゴーレム!」
ワディムの命令に応じて、ゴーレムが、ずずんと足を踏み出した。
成人男性の二倍くらいの大きさはあるので、シルヴィの腰のあたりくらいまでしかないゴレ太と比較するとずいぶんな体格差がある。
「――行け! 持ち上げて捻りつぶすのだ!」
ワディムの命令に、ゴーレムが俊敏な動きでゴレ太に近づく。その動きの素早さには、思わずシルヴィも目を見張った。
(……やっぱり、すごい能力の持ち主……!)
俊敏に動くゴーレムというのも珍しい話ではないが、材質と大きさを考えると、ワディム独自の工夫が施されているのかもしれない。
「……頑張って!」
「カシコマリマシタァッ!」
ゴレ太の声に、もう一人の声が重なった。
『我が最愛のレディに勝利を!』
「――は?」
思わずシルヴィの口から、若干間の抜けた声が漏れた。
我が最愛のレディって、シルヴィのことをそんな風に呼ぶのは一人くらいしか思い当たらない。その当事者を一人と数えていいのかどうかはわからないが。
「――持ち上げろ!」
「かわして!」
ワディムの命令と、シルヴィの命令が重なったが、先に動いたのはゴレ太だった。
ワディムのゴーレム以上の俊敏さで、伸ばされた腕を回避したかと思ったら、ゴーレムの足元に飛び込む。
『やるぞ、ゴレ太!』
「――ショーキャクッ!」
ちょっと待てとシルヴィは思ったが、もうとめることはできなかった。
ゴレ太が、ひょいとゴーレムを持ち上げたかと思ったら、そのまま地面にたたきつける。ドシンという音が響いた次の瞬間、ゴーレムが真っ赤な炎に包まれた。
「ショーキャク、ショーキャク! ショーリ! ショーリ!」
手足をばたばたとさせているゴーレムの周囲を、ゴレ太はぴょんぴょんと跳ねまわっている。
「なんで、あんな簡素なゴーレムに……」
ワディムがその場に崩れ落ちるのを見ながら、シルヴィは思った。シルヴィもそう思う。
「――どういうこと? ゴーレムを持ち込むなんて」
エリーシア妃は、両手を腰に当ててシルヴィをにらみつけた。たしかにゴーレムを持ち込むなんて前代未聞だろう。持ち込み禁止の品にゴーレムは含まれていないけれど。
「父が持たせてくれたのですが……自分の身を守る術は必要だからと」
「……メルコリーニ家のゴーレム、なるほどね……」
エリーシア妃は、それでなんとなく納得してくれたようだ。とりあえず、シルヴィは息をついた。
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