シルヴィアーナとシルヴィ

 シルヴィアーナ・メルコリーニ公爵令嬢。もうひとつの名前は、シルヴィー・リーニ――S級冒険者。

 公爵家の令嬢がウルディなんてド田舎に引っ込んで、スローライフを堪能するなんて話、最初は信じていなかった。

 

 なにせ、彼女が新しい住まいとした場所は、エドガーの領地の中にあったのだから。

 王家に対し、慰謝料をふっかけるほど図々しい女だ。絶対に、何か魂胆があるのだろうと思っていた。

 国王である父は、兄がしでかしたことを非常に申し訳なく思っていたようで、請求されただけの金額をほいほい払っていたが、王としてそれはどうなのだ。

 あとから思い返してみれば、そう判断したのも、エドガー自身の判断力が鈍っていたからだ。


 昼間、シルヴィの監視に行っていたとしても、自分の政務をおろそかにするわけにはいかない。書類仕事は夜城に戻ってから。視察など、昼間に行わなければならない公務がある場合は、遠巻きにシルヴィの農場を見張らせている。

 もし、何か怪しげな動きがあったならば、すぐに対処できるように――と。

 今のところ、彼女が何かをしでかしたという証拠は掴んでいないが、絶対になにかあるはずなのだ。


 ――それなのに。


 農場に通えば通うほど、シルヴィの本質が見えなくなってくる。

 シルヴィアーナ・メルコリーニ。

 シルヴィ・リーニ。

 どちらが彼女の本当の姿なのだろう。


「ねえ、そっちの草むしり終わった?」

「……おう」


 シルヴィの農場は、普通とは違っていた。

 家の大きさからすると、家族三人か四人で畑や家畜の面倒を見ていたようだ。

 だが、今、ここに住んでいるのはシルヴィ一人。そこに、「慰謝料の上乗せ分」を肉体労働で支払っているエドガーが通っているのだが、本来二人ではとてもではないが面倒を見切れないほどの広さだ。

 それがなんとかなっているのは――。


「テッラ。あっちの土を耕しておいて。ニンジンを植えようと思うのよ」

「ニンジンに適した土を用意しておこう」


 シルヴィに呼び出され、一礼して姿を消すのは、茶のローブに身を包んだ壮年の男性。


「アクアー、水が足りない。まいておいて」

「かしこまりましたぁ!」


 淡い水色のドレスを身に着けた少女が腕を振れば、畑に水がまかれていく。

 この光景は、ありえない。


「ヴェントス、ハーブ見てきて。育ちすぎてるかも。早めに収穫した方がいいかな?」

「喜んで」


 緑の衣をまとった若い女性は、ふわりとハーブ園の方に、漂っていく。

 おかしい、この光景は、絶対におかしい。

 それなのに、日々、この光景に慣らされていくというのはどういうことだ。

 精霊と契約を結ぶことができる者は、それなりの数がいる。だが、たいていは自分の属性に近い精霊――たとえば、火の属性持ちならば、火の精霊、水の属性持ちならば、水の精霊――としか契約できない。まれに、複数の精霊と契約できる者もいるが、それは、例外中の例外だ。


 それに、シルヴィのように一言命じれば終わりというわけでもないのだ。自分の目のとどかないところに精霊を放つというだけでも高度な技術を必要とする。

 それを、四大精霊全てと契約しているだけではなく、こういう形でこき使っているということ自体がおかしい。


(……メルコリーニ家は武闘派だからと父上は言っていたが、武闘派というだけじゃすまないだろ……!)


 ぷちぷちと目の前の草をむしっていると、向こう側からシルヴィの声が響いてくる。


「イグニス? ああ、あなたは今は必要ないから。頼むことがあったら呼ぶってば!」


 今の発言も明らかにおかしい。

 精霊の方から、呼び出しをねだるとか今までに例がない。

 よくもまあ、彼女が兄を殴り倒さなかったものだと改めて感心した。

 クリストファーが、シルヴィを糾弾した時、頭に血の上った彼はシルヴィに攻撃魔法を放った。それを片手で受け止めたあげく、軽々と打ち返してきた時のことを思えば、兄が生きていたのは奇跡みたいなものだ。


 ――弱い者いじめはしちゃいけないと教わった、と本人は言っていたが。


「ねえ、そろそろお昼にするから中入って」

「……ん? あぁ」


 草むしりはまだ途中だが、どうせ明日も明後日も来るのだ。シルヴィの誘いにのって立ち上がる。


「今日は、ハンバーガーとフライドポテト。それと、オレンジジュース。健康に悪そうよね。油たっぷり、カロリーたっぷり! 野菜なんざいらん!」

「お、おう……」


 勢いのいいシルヴィの言葉同時に、どん! とキッチンのテーブルにのせられたのは、特大のハンバーガーと山盛りのフライドポテト。

 ハンバーガーは分厚いパテにトマト、チーズ、タマネギ、レタスを挟んである。パンそのものが大きく、シルヴィの顔くらいのサイズはありそうだ。

 フライドポテトは揚げたてで、オレンジジュースは、保管庫から取り出したオレンジを絞ったフレッシュなものだ。


 それに手を伸ばしながら、エドガーは目の前のシルヴィとシルヴィアーナの違いについて真面目に考える。

 学園にいる間、"シルヴィアーナ"とは同級生だったが、ろくに会話したこともなかった。すれ違う時は、常に女子学生に囲まれていたから、挨拶以上の会話をかわす機会もなかったが。


 黒の縦ロールをいつも乱れずセットし、レースの扇を持ち歩いていた。おそらく、"シルヴィアーナ"ほど、扇を巧みに使いこなした女生徒はいない。

 扇を広げ、その陰で微笑み、そっと視線を落とし――時には、なにかを示すのにその扇を用いたこともあった。

 婚約者である兄に対し、敬意以外の感情があるようには見えなかったけれど兄に対してもきちんと接していたと思う。


 学園を休みがちではあったが、王太子妃としての教育を受けるために王宮で講義を受けている場合もあったし、公爵家の娘としての仕事もある。

 在学中のクリストファーも授業を休むことはあったし、エドガーもそうだ。寮に入っていたのは、少しでも学園の生徒達と関わる時間を増やすため。

 だから学園内で彼女を見かけることが少ないのも不思議には思っていなかったのだが、まさか、毎日のように国中あちこちのダンジョンに送り込まれているとは思っていなかった。


 現在、国内ただ一人のS級冒険者シルヴィ・リーニの名を聞いてはいても、深窓の令嬢と冒険者が重なるはずもなかった。

 卒業式という大舞台で、大勢の目の前で、自分を糾弾した王太子をそれはもう鮮やかに論破し、最大の効果を得ることのできるタイミングで、一瞬にして存在を消して見せた。


(父上が、シルヴィを王宮に呼ばなかったのも当然だよな……)


 S級冒険者ともなれば、一度や二度王宮に招いて顔を合わせていてもおかしくはないのだが、クリストファーやエドガーに合わせれば、間違いなく公爵家の娘であるとばれてしまう。


「ねえ、食べないの? ポテトさめちゃうけど」


 うっかりシルヴィのあとを追いかけてきた過去のことを考え込んでいたら、目の前からポテトを奪われそうになった。


「いや、食う。待て、これは俺の分だろ」

「作ったのは私ですー!」


 エドガーの皿から、長い指がポテトを素早くさらっていく。気がついたら、特大サイズのハンバーガーは、彼女の皿からは消え失せていた。

 ここにいる時のシルヴィは、公爵家の娘であることを忘れているようだ。

 一度、ウルディの街中に行くのに付き合うこともあるが、街の人達にも慕われていた。ギルドマスターの信頼も厚い。

 わざわざ王家の領地を狙って移り住むとは何かあると思い込んでいた過去が、恥ずかしくなってくるくらいだ。


「疲れてる? でも、エドガーもモノ好きよね。毎日ここに来て、飽きないの?」

「俺には、お前を監視するという大事な任務があるからな!」

「冗談でしょ、それは。もうその必要はないって、わかってるわよね。慰謝料の上乗せ分は、ゆっくり返してくれればいいのに」


 学園で見ていたのとは違う、あけっぴろげな笑い。

 意外と鋭くて、そんなところまで見抜かれている。

 本当のところは、とっくにその必要はないことくらいわかっている。

 シルヴィ・リーニにどこにも怪しい点なんてない。

 それでも、毎日ここに来てしまうのは――彼女に興味があるからだ。

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