悪役令嬢はスローライフをエンジョイしたい!
雨宮れん
第一章
婚約破棄、されました
「シルヴィアーナ・メルコリーニ! そなたとの婚約は破棄する!」
聖エイディーネ学園の大講堂。朗々とした若者の声が響きわたる。声を発したのは、ベルニウム王国の王太子、クリストファーだ。
今日、卒業式を迎えるということもあり、大講堂には学園に通う生徒全員が集まっている。
学園の制服は、白を基調とした男女ほぼ同じデザインだ。相違点は、男子生徒はズボン、女子生徒はふくらはぎの半ばまで届く長いスカートという点くらいだ。
そんな中、黒の正装に身を包んだクリストファーは、立っているだけで人目を引き付ける。すらりとした長身に、細身の体躯。ハシバミ色の髪は額に落ちかかり、時に物憂げな表情を演出する。
その彼が大声を上げたものだから、周囲の視線は一斉に彼に向き、それから婚約破棄を言い渡された令嬢の方へ移動した。
黒い髪を豪奢な縦ロールにセットし、皆と同じ制服に身を包んだシルヴィアーナ・メルコリーニは、すっと背筋を伸ばした。
きちんと整えられた髪を、乱れてもいないのに手で整えなおしたクリストファーは、今、自ら婚約破棄をたたきつけたばかりの『元』婚約者に勝ち誇ったような笑みを向けた。
閉じた扇を右手に持った彼女は、ゆるりと口角を上げる。
「謹んでお受けします!」
「そうか、それなら――ん? 婚約を破棄すると言ったのだぞ」
「謹んでお受けします!」
同じ言葉を繰り返し、婚約を破棄されたばかりの哀れな令嬢の方は、満面の笑みだ。彼女の笑みを見ていると、どこが哀れなのか怪しくなってくるが。
一方的に婚約を破棄された彼女の方は、こんな場で婚約破棄を申し渡され、さぞやつらい思いをするだろうというのが、その場に居合わせた者達の一致した見解だった。だが、どうやらそれは間違いのようだ。
「……婚約破棄だぞ?」
「謹んでお受けします!」
どこの居酒屋かと突っ込みたくなる勢いで、シルヴィアーナは同じ言葉を繰り返す。前のめりになった勢いで、縦ロールがばさりと宙を舞った。
「婚約破棄でございましょう? 喜んで受け入れますとも! 喜んで! 大喜びで! 全力で喜んで!」
「こ、婚約破棄だぞ! 王太子妃の座から降ろされるんだぞ!」
「わたくし……かまいませんけれども?」
豪奢な縦ロールとなっている黒い髪を揺らし、シルヴィアーナは唇に閉じた扇を当てて思案の表情となる。
皆と同じ制服を着用しているというのに、シルヴィアーナの美貌は際立っていた。扇を当てたその姿は、そのまま一幅の絵になりそうだ。
彼女の返事があまりにも思っていたものと違うからか、クリストファーの方は怪訝な表情になった。
これでは、どちらが婚約破棄を申し入れた側なのか、見ている者達にも疑問に思えてくる。
「でも、……『わたくし』が婚約破棄を言い渡される理由くらいはお聞きしてもよろしいでしょう? この場に集まっている方々も、その点は気になると思うんですの」
レースの扇を手にしたシルヴィアーナは首をかしげ、それからゆるりと大講堂内に視線を巡らせる。
彼女と目が合って真正面から見返してくる者、気まずそうに視線をそらす者、視線が合う前にうつむいて床の木目を数え始める者など対応はさまざまだ。
「わざわざ、卒業の日に婚約破棄を言い渡すのですもの。よほどの理由がおありなのでしょう? 婚約を解消したいのであれば、国王陛下から我が家にその旨を通達すればいいのですから」
彼らの反応も、想定内だったのか、シルヴィアーナは特にとがめることもなく続けた。
メルコリーニ公爵家といえば、王家の血を継ぐ名門貴族。国内でも有力貴族の筆頭として知られている。
そんな公爵家と王家に年の頃が釣り合った男女が生まれれば、娶せようという流れになっても当然だ。クリストファーとシルヴィアーナの婚約が決まったのは、今から十年前のこと。
国内外の将来有望な者を集めた『聖エイディーネ学園』において、二人の未来は確定したものとして扱われていた。
「そ、それは! そなたがカティアをいじめたからだ!」
クリストファーの視線が、傍らに控えていた少女へと向かう。ぱっちりとした青い瞳に、バラ色の頬。小動物のような愛らしさを持つ娘だ。
明るい金髪をピンクのリボンで束ねた彼女に、シルヴィアーナは目を向けた。
ひぃっと声にならない悲鳴を上げ、カティアはクリストファーの腕に縋りつく。
「わたくし、覚えがありませんわ」
やれやれ、と手にした扇を広げ、わざとらしくその陰で嘆息するシルヴィアーナ。
その様は嫌味なまでに優美で、カティアとの差というものがそれだけでありありと周囲の人には伝わってしまう。
生まれながらに王族に準じる立場として、厳しい修練を重ねてきた者とそうではない者の差だ。
「わたくし、これでも忙しい身ですの。虐めている暇なんてありませんわ」
「なっ――」
扇越しに憐れむような目で見られ、クリストファーの顔が真っ赤に染まる。
「入学してすぐ、彼女の教科書を破っただろう」
「この学園において……教科書は国家からの支給品です。その支給品を私が破る必要がどこにあるのですか?」
「カ、カティアが目障りだったからだろう!」
冷静なシルヴィアーナに対し、クリストファーの方はどんどん怒りが増しているようだ。
「教科書は国家からの支給品と申し上げたはずです。彼女の教科書を破壊することは、国家の財産を傷つけるも同じ。”貴族”として、そのような真似はいたしませんわ」
他の者の口から出た言葉であれば、”貴族”という言葉は、傲慢にとられたかもしれない。だが、シルヴィアーナの口から出れば、それは当たり前のこととして響いた。
「そ、それはともかくとしてだな! 一週間前は、カティアを階段から突き落とした。ほら、彼女の左腕、包帯が巻かれているだろう」
自分の分が悪いと思ったのか、クリストファーは攻撃方法を変えてくる。だが、それもまたシルヴィアーナには通じなかった。
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